第九十三話:罪の果実、ユウリノ



第九十三話:罪の果実、ユウリノ




 鎧熊よろいぐまの【従属テイム】に成功した時、彼女の心は嬉しさと誇らしさでいっぱいになった。


 彼女の名前は〝リリアン〟。名前の由来は、幼い頃の父の口癖だった。父は彼女をリリと呼んでいたから。リリ、リリ、可愛いリリ、と。


 仮想世界で冒険を始めるとき、本名は使えないが、耳に馴染んだものを使いたかった。だけれど、リリ、とするには恥ずかしい。だから彼女は、そう深く考えずにつけた名前だとうそぶいて、リリアンと自身を名付けてみせた。


 誰かに聞かれたら、リリアン編みが好きなの、とでも言えるように。大して名前なんか気にしてないわ、と言えるように。

 だけど、嘘に隠した本当の名前は、彼女にとって特別だった。


 名前が特別になったのは、彼女の父が彼女の特別だったからだ。別に、ファザコンだったわけではない。尊敬するべき人だったのだ。


 彼女の、リリの父は歴史学者だった。いや、歴史学者と言うしかないだけであって、本当はどんなジャンルを研究しているのかは、リリにはちんぷんかんぷんな世界だ。


 だけど、流石に学者の子。門前の小僧が、習わずともお経をそらんじることが出来るように、リリもまた、父が研究するその一端を、友人に披露できるくらいの知識をつけていた。


 それは、父が子供の頃に、絵本の代わりに話してくれたおとぎ話だ。リリの父は相当に、堅物で、融通の利かない、子供の好き好むものを全くといっていいほど理解できない人であったが、我が子に無関心であったわけではない。


 だから、寝る前に何かお話しして、とリリが父にリクエストすると、父はとんでもないセンスで、いやある意味で、とても研究バカらしいセンスで、昔語りをしてくれた。


 たいていは、子供が聞いてもちんぷんかんぷんで、聞いて1分もすればリリは夢の中にいた。でもその中でも、父が意図せずとも小さな子供の心を掴むお話というのは、存在する。


「かつて名も無き創造神は、大切な者達のために、神殺しにおもむかんとする青年に、1つの果実をお与えになった」


 創造神のお話です、と父は言った。


 リンゴのお話! と、リリは言った。


 父は語った。父が愛用する不思議なグル・ランプ(精霊のランプ)の明かりの中で。その小さな青い光の中で、リリ曰く、リンゴのお話をせがまれて。


 リンゴのお話。それは、子供からすれば、英雄のかじるリンゴのお話だった。


 神殺しの意味も知らず、理解できずとも、リリはそのお話を聞くと、胸がきゅーっとしめられるような痛みを感じた。悲しみを覚えたときの、あの痛みだ。


 現人神ハブの乱心。大切な者達のために神を殺す青年。子供にとって、乱心した神様は悪者で、神殺しの青年はただ単にヒーローだった。


 学校の授業で習う世界史の中では、創造神なんて名前も出てこないのに、何故? とリリは父に聞いたことがある。


 父は曖昧に微笑んで、確証が無いから言いふらしてはダメだよ、といいながらも、その理由をリリに語ってくれた。


 創造神は、神を殺しに赴く男に果実を――今で言うリンゴをお与えになったそうだ。父が発見した精霊が守りし文献には、こう続く。


 創造神が遣いにやった、金の髪に鵄色とびいろの目の男は、「これは罪の果実だ。名前はユウリノ。意味はなんとでも考えればいい」と言って、それを青年に与えて去っていった。


 罪の象徴とするもいい。罪の隠語としてもいい。逆に、罪を許す証だと思ってもいい。解釈はどうとでもするがいい。けれど――。


「“けれど、神殺しに赴くなら、これを1つしょくしていけ”」


 父は、なにぶん証明が難しいのだと頬をかいた。けれど、リリにとって大切なのはそこではない。


 神の遣いが言ったように、リリは自由にそれをかいした。


 リリにとって、罪の果実、ユウリノとは罪を裁く天秤なのだと解したのだ。きっと神様は、その果実を食べさせることで青年の罪を計ったのだろうと。


 神殺しにふさわしい理由がなければ、青年はその果実を食べて死んでいたのではないか、とリリは言った。

 だって神様は、間違いを正す存在だろうからと。


 父は柔らかく微笑んで、若人わこうどの答えだ、と言った。けれど、悪くない、とも。


 リリはもうそれだけで有頂天だった。立派で、賢い父に認められた、そう思った。悪くない、と言ってくれた。


 だから、リリはまだ信じている。罪の果実とは、罪を裁く天秤なのだと信じている。


 たとえどんな理由があとうとも、リリにとって“狛犬”というプレイヤーは罪人だった。


 『世界警察ヴェルカン:ユウリノ』には、そういった考えの者が多い。たとえどんな理由があろうとも、罪は罪だと。


 その罪は、あがなわなければならないと信じて、この組織に、団体に籍を入れた者達の一員として。


 リリは、“リリアン”は、気合いの入った声を上げる。


 鋼で即席の防炎壁を造った鎧熊に抱えられながら“罪人”が生み出した炎の海を脱し、リリアンはそれに指を突きつける。


 待ち伏せを台無しにし、優雅に着地を果たして、防炎マントをひるがえす“罪人”に。


「指名手配犯“狛犬”! 『世界警察ヴァルカン:ユウリノ』として討伐します!」


 しかし、そう宣言されて震え上がるはずの罪人は、心底嬉しそうに微笑んでいた。


 リリアンはまだ気がつかない。状況が分かっていないのかと、髪留めに揺れる赤いリンゴを指先で落ち着かなくいじりながら、罪人の動向をじっと見ている。


 罪人は微笑んでいた。しかし、リリアンには理由がわからない。だって、状況から考えればありえない。


 子竜の1頭はさらわれ、仲間も自分の身を守るのに精一杯で助けはない。空には7頭も『空蛇ワルグム』を用意したし、自分だって『鎧熊よろいぐま』を連れている。


 それも、通常の契約ではなく【従属テイム】したモンスターだ。普通の契約モンスターのように、大幅に身体能力ステータスの下がったモンスター達と一緒にされたくはない。


 リリアンには、勝ち筋が見えないのだ。今頃、掲示板では話題になっているだろうし、気まぐれで戦いたいだけのランカーが数人は助太刀に来るかもしれないが、それまでに“狛犬”が死に戻りをしていないビジョンが、リリアンには見えない。


 逆の未来なら簡単に想像がつく。けれど、“狛犬”が生き残る道なんて、ありえない。


「……なんで笑ってるのよ」


 ありえない、はずなのに不安になるのは、リリアンが手ずから【従属テイム】した鎧熊が、ちっとも動き出さないからだろうか。


 本当なら、厄介ごとを長引かせるのは嫌いな性質たちから、指示が無くても敵に向かっていき、その爪と鎧と棘とで、ズタズタにしてしまうのに。


 リリアンは優秀だ。頭も良いし、身体能力も花まる。だからこそ、『鎧熊』をたった1人で【従属テイム】してみせた。


 それは、同じくたった1人で【従属テイム】した大量の『吸血鼠ラグ・ラット』を操り、『赤剣虎レッドサーベル』をも【従属テイム】し、向かうところ敵無しの“デラッジ”に比べたら劣るかもしれないが、あんな化物みたいなセンスのプレイヤーと一緒にされては困ってしまう。


 けれど、何度も言うが、『鎧熊』だってドルーウよりも珍しくて強いモンスターだ。

 でも、さっきから鎧熊は動かない。無造作に立ち、微笑みながら寒気がする色に光るナイフを抜き放つ“狛犬”に、鎧熊は直立不動を貫いている。


 ただ目だけがじっと“狛犬”を見つめ、“狛犬”もじっとそれを見つめ返している。手にしたナイフを緩く振る様子は、機嫌の良い獣が尾を振る様子によく似ていた。


 どう贔屓目に見ても、狩られる側の態度ではない。狩る側が相手をいたぶって、楽しむような態度だ。


 魔術師のくせに、詠唱すらしていない。だから動かないのかとも思ったが、鎧熊の視線は狛犬の目と、その手に光るナイフにじっと向けられている。


 リリアンはじっとりとした、鎧熊の緊張を肌で感じ取りながら思考する。考えて、観察する。


 まず真っ先に目に付くのは、誰でも同じ部分を指摘するだろう。彼女の頬に大きく残る、赤い三角の火傷の痕だ。


 普通の火傷の傷跡が、どうなるのかをリリアンは知らない。知らないが、素人目に見てもそれが異常で、不可解なものであるのはよくわかった。


 妙に赤々としたそれは、痛ましい、というより先に、もっと得体の知れない感想をもたらす。


 見れば火傷だ、と直感的に思うのだが、何故火傷だと思うのか? と聞かれると答えにきゅうするのだ。だって、そう思った、としか言いようがない。


 どうしてそうなっているのかは知らないし、このゲームではそういったキャラメイク時に傷跡を造ったりは出来ないので、自前のものであるのはわかるが、だからこそ違和感があった。


 強烈に視線を引っ張るその火傷の痕から強引に目をそらせば、ざんばら髪が目に入る。同じ女として、信じられない、と言っても許されるレベルの手入れをしてません感。


 どんな美容院に行ってるのか、素人がやったにしても酷すぎるカットによって、左右のアシンメトリーが更に際だつ。


 いやよく見れば、火傷があるほうだけ横の髪が長めにとってある。隠すためだとしても、ちょっと酷すぎるアンバランスさだ。


 前髪が妙に長いくせに、その合間から覗く透き通った黒い目には、自信と自我がしっかりと見て取れる。引っ込み思案の目でないことは確かだ。


 ちょっとお洒落をするくらいのリリアンから見ても髪型が酷すぎるのに、不潔な感じや不快感がほとんどないのは、恐らく彼女の顔が整っているほうなのと、そのきらきらとした目だろうか。美人、と言うほどでもないが、パーツのズレがほとんどない。


 顔立ちが女と言うより、青年に近いのも候補に挙がる。若い男の雑な身なり。その程度だと思えれば、さして酷すぎる、というものでもないのだ。


 けれど、青年、というには女性として扱われ、育てられてきたことを伺える、女独特の雰囲気がある。


 そこまで考えてちょっとだけ眉をひそめ、装備を確認するために次のチェックに視線が動く。狛犬の服装は、リリアンからすれば、重く、ごてごてし過ぎている。


 事前に見せられた動画の中でもあの服装ではあったが、リリアンにとってあんなかさばる服装で、よくぞあんな無茶な動きが出来るものだと思ったほどだ。


 寒がりなのか知らないが、一番下に黄土色のフード付きトレーナー。その上に鼠色のカーディガンを羽織っているかと思えば、さらにその上に焦げ茶色のジャケットを羽織っている。


 ジャケットの袖には真っ白なファーがついていて、炎の魔術でも焦げたりしないところを見ると、そういったモンスターの素材で出来たものなのだろう。


 ズボンこそ、堅そうではないが長すぎる。薄い黒のそれの下には、妙に筋肉のついていそうな感触。


 男物と言うには小さく、女物と言うには大きすぎるオレンジステッチの茶色いブーツもまた、リリアンからしたら重すぎ、の一言だ。


 色も、もちろん本来の意味でも、狛犬の服装はとても重たいし、何より堅すぎるファッションだ。


 性別はサポート妖精の性別から女だと伝え聞いているが、実際に目の前にすれば本当に女なのか疑わしい、とさえ思う。


 かといって、男だと言われていても、本当に男なのか疑わしい、と思っただろうが。


 最後に武器を、と思い腰元をチェック。要所要所に取り付けられた小さなポーチには弾薬が入っているのだろうし、腰に下げられたホルスターには、最近強化されたという『デザートウルフ』が収まっていることを知っている。


 腰の後ろには2本のナイフ。これまた無骨で大振りな短剣というかナイフというか、言い表しがたい刃物が1つに、緩く湾曲した小振りなナイフ。


 そこまできて、リリアンは思い至る。報告にあったナイフだ。『腐肉兎アドルフ』と呼ばれる竜脈のモンスターの爪から造られた、切れ味抜群のナイフ。


 唯一、生態の関係なのか、断ち切れない竜脈の壁――つまりは、ゴーレムの身体を鞘に削りだすしかないほどの一品だと聞いている。


「あなたの鎧じゃ防げないの?」


 リリアンが小声で鎧熊に聞けば、普段はいくら話しかけても返事を返さないモンスターは、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


『あんなの受け止めたら腕がおさらばだ』


 そこまで切れ味が良いのか、とリリアンは表情を険しくした。鎧熊ならば、あるいはと思ったが、予想以上になんでも切れるらしい。


 しかし、弱点がないわけではない。あのナイフは加工が出来ない。生前の爪の長さまでしか、刀身が無いのだ。


 間合いの長さでは、鎧熊が勝っている。伸縮自在な鋼の棘が、その胸を刺し貫いてもまだ微笑むことが出来るのか、試してやろうとリリアンは奥歯を噛みしめる。


「ふるわれる前に、串刺しにして」


『よく見ろよ。爪を揺らしてる。俺を威嚇してるんだ。獣が牙を剥いてみせるみたいに』


 鎧熊が不平と共に鼻を鳴らすのを無視し、リリアンは命令無しには動きたがらない鎧熊を叱咤する。

 片足を地面にたたきつけ、彼女は高らかに命じた。


「あなたと私は運命共同体。援護する――しとめなさい! 『鎧熊』!」


 リリアンの瞳に映る罪人の微笑みは、それでも途切れはしなかった。



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