第九十二話:嬉しくってもう



第九十二話:嬉しくってもう




 仰向けに自由落下する最中。懐に手をのばし、打開策のために無意識にその呼び鈴を鳴らした自分を、自分で賞賛したいくらいだった。


 自分で自分がやったことに気がついたのは、その澄んだ音色が、落下によって耳元でごうごうと唸る風の音にも負けず、高らかに響いた時だった。


 なるほど、確かに、いくらギリーが空中に砂を出現させ渡り歩く能力を持っていようとも、いくらモルガナが空中に水の草原を作り出すような力を持っていても、そのどちらもが地上から100メートルも離れられないものだ。


 ネブラだってまだそう高くは飛べないし、なにより今まさに敵に拘束されている。橙にいたっては、飛べるか? と聞くことさえ愚問、といった状態。


 つまり、こうして宙に投げられた上に、ニブルヘイムさえも言うことを聞かない現状。自分は大本命であるはずの、“空”への切符すら持っていないのだ。


 こんな時、ルーさんが言っていた、空を飛べると色々と楽だよ、という言葉を思い出す。確かに、そもそも参戦すら出来ない高所での出来事は、地上から離れられない者達からすれば、追い縋ることすらできない。


「“風の精霊に似る 線を繋ぎ刃と化す”」


 刃と化す、と詠唱文にこそ、そんな言葉が織り込まれるが、やはりそこは一番最初の風の魔術。数時間前に雪花がそうしたように、使い方さえ気をつければ、この魔術はたちまちただの強風へと姿を変える。


 広げる魔力の形を最大限に広げ、薄くし、まるで饅頭を平たく潰すように下向きに魔力を広げていく。


 もちろん、使用魔力はめいっぱい使う。このまま自由落下の速度に任せて地上にたたきつけられれば、問答無用で死に戻りだ。こういう時こそ、自分は魔法系アビリティでよかったと思う。


 じっと上空からの追撃がないかを確認するために仰向けに落ちていたが、彼らはこちらに見向きもしない。ニブルヘイムも、白いワイバーンに乗った男も。7頭にも及ぶ他のワイバーンや、それらに乗った他2名さえも。


 その事実に無性に腹が立つ。捨て置かれるということは、甘く見られているのと同義だ。誰がなんと言おうとも、自分にとってそれに等しい。


 だが待てよ、と思い至る。地上はだんだんと近づいている。もちろん、着地用に風の魔術は用意しているが、雪花の声には地上にも敵がいることを知らせる合図があった。


 自分の目で確認した上空の3名。雪花の合図にあった2名。計、5名による襲撃、もしくはそれ以上の人数での襲撃、というのが事の次第だろう。


 自分だったらどうするだろう、と考えると同時に、腰に伸びた手がアドルフではない方のナイフを抜く。


 ここで振り返っては面白くない。現実世界では難しくても、初詮は仮想世界だと理解している脳は、高所からの落下、という本能に訴える恐怖の中でも、冷静に理解を進めていく。


 いやこれも、下を見てしまえば変わってしまう気もするから、そこも含めて下を直接見たくはない。


 磨き上げられた鋼の刀身は鏡と同じ。翳したそれに映るのは、緑の草原と竜爪岩。少しずつ、しかし急いで位置をずらしていけば、案の定それが見えた。


「予定変更――“熔魔の色 赤竜の色”」


 それを確認した瞬間にナイフを腰に戻し、思わずにやけた表情を隠すように、また上を見ながら口元を手で覆う。


 ごうごうと耳元で唸る風。見上げた上空から突き刺さる視線。きらきらした目でこちらを見下ろす朶さんの目はきっと今、スキルによってカメラと相違ないのだろう。


 外界に直接つながる、リアルタイムの観戦者達に向け、自分は歪んだ笑みを届けながら背中ではためく防炎マントを掴み取る。


 翳したナイフに映っていたのは、全身棘だらけの巨大な熊と、少し離れた場所で剣を構える女。


 風の魔術によって高所からの落下の衝撃を抑える方法は、掲示板ですでに広まっている手法だ。当然、“彼女”も、自分がそうするだろうと思って作戦を組んでいるはずだ。


 翳したナイフに雪花とモルガナ、ギリーの姿は見えなかった。ということは、地上に来ているモンスターや襲撃者は相当の手練れだろう。

 もしそうでないなら、彼らが自分が落ちてくる場所に罠をはる輩をゆるすわけがない。


 なのに、彼女はそこにいて、自分が落ちてくるのを待ちかまえている。逆に言えば、他の襲撃者は彼らが意地でも抑えてくれているだろうから、自分は彼女と、あの棘だらけの熊のことだけを考えればいい。


 そういえば、最近はこういう危ない戦闘がなかった。モルガナとギリーと雪花と自分。この組み合わせでは、プレイヤーと戦ってもあまり緊張感は得られない。


 そのうえ、出発してすぐに砂竜なんかに乗って飛んできてしまった。当然、道中でちょっかいをかけてくるモンスターなんて存在しない。それ以上に、攻略組によって数が減っていたこともあるけれど。


 なのに、どうだろう。突然、ネブラをさらわれ、見たこともない大量のモンスター達に囲まれ、手練れのプレイヤーが5人もいて。

 もちろん、ネブラがさらわれたのは不満だ。ものすごく不愉快だ。だけど、落下しながら自分はこうも思った。


 ――ここまでされたんだから、きっと何をやっても許される。


 第一、エアリス周辺のPKプレイヤー討伐なんて、物足りなかったんだ。いくら相手がPKプレイヤーといっても、まあそこまで憎たらしい相手は意外と少ない。


 そうなると、やはり自分でもストッパーがかかってしまうのだ。彼らも悪役ロールの最中。そこまでめっためたにするほど、悪いこともしていないし、自分が何かされたわけでもない。


 それに、組んでいる雪花とモルガナが優秀なことが、逆に災いだった。いや、傭兵として、仲間として信頼してはいる。けれど優秀すぎる部下も問題だ。彼等が全部綺麗に片づけてしまうから、自分が打って出る幕がないのだ。


 そう考えると、ああ、そうだ。今の状況も悪くない。いや、むしろ最高じゃないか?


 だって、自分は今、一等すてきな免罪符を手に入れたのだから。


 唇が笑みの形に歪む。途端に快楽物質が脳を浸す。仰向けでじっとしていた身体をぐるん、と急にひっくり返せば、予想していたのか驚きもしない女の姿が見える。


 地上まで、まだ思ったより距離があった。雪花の顔は見えていたが、もしかしたらそれはただ単に最近手に入れたスキルの効果であって、本来なら表情なんて見える距離ではなかったのかもしれない。


 下を見るとめまいがするからといって、正確な距離を見ていなかった。


 眼下には金属質な棘だらけの腕を振り上げ、前に見たエンヴィーのように打ち鳴らす熊。女は腰を落としていて、今にも飛びかかれる、といった体勢だ。


 視界の端に閃くのは、雪花が得意とする水と、モルガナのコンビネーションによる氷の弾幕。反対の目の端には砂の固まりが空を舞い、大型の狼のようなものと対峙するギリーの姿。


 援軍は無し。自分にとっては、最高の状況。


 腰のホルダーに手を伸ばせば、女は即座に理解したのだろう。愛銃に手を伸ばす自分に上空から狙い撃ちにされないように、女は即座に棘つきの熊の懐に走り込む。


 あの熊の金属の棘に向かって、いくら銃弾を撃ち込んでも意味はないだろう。魔弾ならまた別だろうが、おそらく彼らは魔弾用の銃が修理中で使えないのを知っているのだ。


 熊のほうも、目を狙い撃とうにもその棘は目元にまでびっしりと生え揃っている。棘の向こうに覗く瞳は針先に遮られ、まっすぐに跳ぶ銃弾では撃ち抜けない。銃を使う自分のためにあつらえたのだろうか、そう思えば少しは溜飲も下がる。


 やはり、手練れだ。頭も良い。だけどそれだけで、直感は冴えてない。


 防炎マントを身体に巻き付け、右手を伸ばす。もちろん、銃を抜く動作はフェイクに過ぎない。ただ、狙う的が離れていたから、近くに寄って欲しかっただけだ。


 銃を抜けば、“壁”に隠れる。そうすれば、壁ごとダメージを与えられる。諸事情で今回は威力を出来るだけ地面に向けるから、きっと一撃では女も熊も倒せない。


 けれど、体力を半分削るくらいは願っても良いだろう。


 地面が迫る。つまり、棘だらけの地面が近い。出来るだけ手の内で膨らませていた魔力を、ようやく下向きに指向性を与え始める。


 そう、下へ、下へ、下へ。この魔術はただでさえ上方向に吹き上がる傾向があるから、それを意図的に下向きに変える。


 それでも余波はくるだろう。そうだ、何も風の魔術だけが高所からの着地法じゃない。女は賢く、頭を出さない。狙い撃ちを避けるための動作が、魔術の火線を確認し損ねる失態を生む。


 お仲間はこちらを見向きもしない。まるで、このまま自分が落下してきて、風の魔術を使い、無難に降りてきたところを女と熊がとどめを刺す未来は、決まっていることのように振る舞っている。


 それが非常に気にくわない。でもだからこそ。その予兆は、熊だけが見つめていた。


 熊が、腹の底から雄叫びを上げながら、受けて立つと言うように鎧に包まれた腕を構える。それが思わず嬉しくって、自分の唇は微笑みを描き、



「――【ガル・ブラスト】!」



 世界を変える“力”を叫んだ。














































 それは、暴虐をもたらす赤竜の息吹によく似ていた。


 詠唱とは、世界のシステムに呼びかける行為でもあり、そのままではふらふらと頼りない“力”に、指向性を与えて導く行為でもある。


 鎧熊よろいぐまは知っている。鎧熊の育ての親は赤竜だった。ログノート大陸の中でも珍しい竜だ。本来は火山地帯か、それか一周回って氷雪地帯にしかいない赤竜種の中でも、深い洞窟を根城にしていた変わり者の竜だった。


 鎧熊は育ての親から、魔術のための詠唱とはどんなものかを学んだことがある。魔力を形にするために“詠唱”するのは、なにも人間達だけではない。最もその行為の意味を理解しながら詠唱を行う種は、逆に人間ではなく竜種だ。


 彼らは、皆が口を揃えて同じ事を言う。


 ――詠唱とは呼びかける行為だ。世界に、システムに、自分の魔力に。そして仕上げに、周囲の精霊に。だから言葉が必要なのだ。


 そう。詠唱によって引き起こされる現象は、それら全てが呼びかけによって“応える”ことで初めて結果が出るものなのだ。

 多重要素が絡み合い、奇跡のような道筋を経て、結果が出る。


 その中でも、人間達は知らなくて、竜種がよく知っていることがある。世界に満ちる、目に見えないほど微細な精霊達のことだ。

 彼らがなんなのか、竜種だけが知っている。もちろん、鎧熊だってそれを知らない。けれど、“いる”ことは教わった。


 最終的には、彼らが結果を良くするか、悪くするかを決めるのだと。


 もちろん、結果が出ないことはないと教えられた。彼らに嫌われていても、少し術の精度が落ちたり、威力が落ちるだけで、発動しないわけじゃないと。


 でも、彼らの“好き嫌い”で結果は多少なりとも変わるのだ。


 竜達は、人は結果を知れども過程は知らないという。


 人間はそれを、自身が持つ魔力の色によって、適正があるかないかで判断しているらしい。ある意味ではそれは正しい。しかし、ある意味では違う。


 彼らはよもや精霊が、その結果を左右しているなんて知らないからだ。けれど、熊は知っている。育ての親から習ったから。習って、知ってしまっていたから。


 だから、鎧熊は、それに気がついた時に棒立ちになったのだ。気にくわないわけではないが、そう気に入っているわけではない“主人”に警告することも忘れ、鎧熊は見入った。


 鎧熊はスキルを持っている。微細な精霊を見るスキルだ。自分のこの身の棘だって、彼ら鋼鉄系の精霊が大量に力を貸してくれているおかげだ。


 この鎧は、もとより何一つとして自前のものではないのだ。だからこそ、鎧を脱いでいる寝込みを襲われ、不本意にも人間などに従う羽目になっている。


 鎧熊は、目に見えない精霊と共存することで力を得た種族だった。あるいは竜種はだからこそ、たかがセーフティーエリア近くのモンスター風情を育てたのかもしれなかった。


 竜種は精霊をとうとぶ。精霊と共存する種族を尊ぶ。精霊こそが、竜の扱う力の大事な一部であるからだ。


 鎧熊は見た。夜空を落ちてくる人間を。否。鎧熊は見ていた。夜空を、まるで流れ星のように、火の系統の精霊を大量に引きずりながら落ちてくる人間を。


 その人間が放つ魔力は、よほど火の属性に親和性があるようだ。でなければ、いくら強力な術の発動を控えているからといっても、あれだけの数の幻精霊げんせいれいが群がっているわけがない。


 普通の人間の目には見えない幻精霊達は、嬉しそうに術のおこぼれの魔力を食らっている。そして食らえば食らうほど、精霊は満足度に比例してお礼のように精製された力を返す。


 ある意味では、それは精霊の排泄のようなものだ。精霊は質の良い因子を身体に通し、それをその身に馴染ませてから放出する。


 もう少し成長し、身体のようなものを得るようになればある程度はため込むものの、それでも魚がエラ呼吸をするように、魔力を身体に通しては排出することを繰り返して成長する。


 呼びかけによって集められた精霊の“色”と、術者本人の“色”が近ければ、それは精霊達にとって嬉しいことに間違いない。


 呼びかけ以上に集まる様子を見るに、落ちてくる人間の“色”は鮮烈な赤だ。赤竜も術を使うときに、ああして火の系統の幻精霊に群がられた。見る者が見れば、大量の赤い光を従え、纏う様子がよく見えただろう。


 鎧熊は立ちすくんでいた。自らを鼓舞するために両の鎧を打ち鳴らしても、小さな震えが全身に走る。自身を守る鋼鉄系の幻精霊達も不安そうに揺れている。まず総量で負けているのだから当然だ。


 一撃死はないだろう。けれど、無事で済む規模ではない。幻精霊の動きを見れば、その魔力の広げた方は予測できる。


 術者は、出来る限り威力を抑えているつもりだろうが、鎧熊から見れば、その幻精霊の数を見てから魔力量を決めてくれ! と叫びたくなるほどだ。


 術者が纏う“色”を見れば、だいたいの性格がわかると鎧熊は信じていた。赤、そう赤の中でも、これだけ深紅に近ければ。自身の育ての親と近しいほど赤いのならば。


 戦闘狂で間違いない。


 気が短く、冷静な振りをして狂気的なまでに力を振るうことに喜びを感じるタイプだ。


 そんな相手、鎧熊は出来ることならば逃げ出してしまいたかった。けれど、今、自身の心臓は2つある。


 嫌がおうにも、自身の心臓は自身に1つ。仮の主人にも1つある。【従属テイム】とはそういうスキルだ。


 自分の命を、他人に握られている。主人が死ねば、鎧熊も死ぬ。だからこそ、鎧熊はここから逃げ出せない。


 たとえ何があろうとも主人が逃げ出さないことを、理解してしまっているから。


 鎧熊は、これから来る衝撃に備え、自分よりも脆い主人を守るべく、スキル発動のための雄叫びを上げる。


 流星はすぐそこまで迫っている。鎧熊はその人間の微笑みを見て、黒い目を見て、そこに燃え上がる快楽を見て――



「――【ガル・ブラスト】!」



 ――自身の不運を、呪いに呪った。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る