第八十一話・半:エディカル・モンスター



第八十一話・半:エディカル・モンスター




 狛乃が一人、暗い部屋で目をつむり、耳を塞いでいるのと同時刻。ソロモン本部第七層には、柔らかく、いかにも育ちの良さそうな男の声が朗々と響いていた。


「――魔術師というのは、いつの時代も復活の象徴だった」


 泥に、青の絵の具をぶちこんで、ぐちゃぐちゃにかき混ぜればこんな色が作れるだろうか。


 10人にも満たない子供達を睥睨するその2つの瞳は、そんな形容しがたい色で染められていた。


 小さくも大きくもない、落ち着いた内装の部屋に並べられた机と椅子。そこに着席し、緊張に身を固くする子供達は、ただじっと教師役の男の地雷を踏み抜かぬよう、息を殺して名ばかりの授業を受けている。


 いいや、内容的には教師役の男が言うことに間違いも無いし、特別に偏った部分も無い。寧ろ、分かりやすい説明を形作る声量も声質も、柔らかさを帯びているものではあった。

 男は、まるで教師の見本のように、静かに授業のための言葉を連ねている。


「それはラングリアで、悪魔の子と呼ばれ迫害された。アドソワールで、妖精の子と呼ばれ人々からの羨望を得た。ガルマニアでは、えあるガルメナの子と呼ばれ、かつての国主たるグリフォンの子として大いに崇められた」


 しかし、育ちの良さを思わせる丁寧な所作も。子供達の緊張に気が付き、それを和らげるための優しい声色も。穏やかさを演出するために緩やかな微笑をたたえる口元も、全てがある1つの欠点のために台無しになっていた。


「名も無い土地で長く血を連ねたグランドハイヴ家では、不死鳥の子と呼ばれた。その理由とかを、今日は語ろうと思うから、皆よく聞いてね」


 その、目が。子供達の神経を逆撫でている。


 泥に、青の絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜ込んだようなその色が、子供達の本能に強く強く訴えていた。


 危険。危険。危険。何が危険なのかわからなくても、危険なことだけは本能が叫んでいる。当然、大人よりも子供の方が直感に素直だ。しかし、子供達はこの空間は絶対に安全なことを知っている。


 だから、本能が危機を叫んでも逃げ出さない。いや、逃げ出せないが正しいかもしれなかった。ここで逃げたら、親の顔に泥を塗ることになる。曲がりなりにも、この男の授業に耐えうると判断した親の期待に、真っ向から背くことになる。


 子供の矜持だってそう小さいものではない。それが、人間ではない者として育てられたなら尚更だ。

 小さな拳を作り、震える足をいさめ、まず真っ先に勇気を奮ったのは一人の少年だった。栗色の短髪に、赤い瞳。少年が上げた手に振り返った男は、ゆったりと首を傾げた。


「なんだい? ブラン」


「あの……」


 乾いた唇を舌で湿らせ、ブランと呼ばれた少年はごくりと唾を呑み込んだ。それから震える足をばっし、と叩き、精一杯胸を張って教師役の男を見上げて息を吸い込む。


「あの、あの、先生は、魔術師……ですよね?」


 精一杯の、切れ切れの言葉が静まり返った教室の空気を震わせた。勇気あるブランの行動に、他の子供達は無意識に身を縮める。行動が読めないのだ。下手に苛立っていて、気性の荒い教師と違って、穏やかであるがゆえに恐ろしい。


「うん、そうだよ」


 そう。対応も別に普通なのだ。こうして質問すれば、穏やかにそれに返してくれる。どこかの生臭教師のように、子供達の名前を間違えることもないし、面倒だからと質問を無視したりもしない。


「……魔術師って何なんですか? 皆、その……先生みたいに――」


 先生みたいに、怖いものなのか? その問いを投げようとして、ブランは自分が知っているもう一人の魔術師を思い出す。子供達にもよく構ってくれるソロモン王こそ、至高の魔術師であるけれど、この男のような奇妙な雰囲気は無かったはずだ。


 ではやはり、この男がおかしいのだ。それか、ソロモン王が特別で、他の魔術師は皆この男のように〝おかしい〟のかもしれない。


 この教室にいる子供達の中でも、聡明な方であるブランらしくない浅はかな問い。もしかしたら、これが一番の地雷かもしれない、という強迫観念がブランの脳裏を駆け巡る中、問われた男はそんな子供達の不安を察してか、困ったように眉を下げた。


「ああ、やっぱり私の授業の時は誰か副担任でも用意するべきだね。次回から配慮しよう。それで、推測で悪いけれど――魔術師は皆、先生みたいに怖いのか? でいいのかな」


 恐れていた問いを、しっかりと言い当てられてブランは無意識に息を呑んだ。恐怖に呼吸が浅くなる前に、教師である男はやれやれと肩をすくめて、おもむろに懐に手を突っ込む。びくり、と教室中の子供達がその動作に身体を強張らせる中、懐から現れた男の指先には、無骨なサングラスがあった。


 ぽかん、と。恐怖の余韻に震えたままの子供達が見守る中、男はサングラスをすい、と装着。鼻当てを指先で押して調節し、これでいいかな、と軽く頷いてから子供達に向き直る。


「ほら、怖くない」


 朗らかに両手を広げ、そう言う男は確かにその異様さを半減させていた。未だ記憶に残る分だけ恐怖があるのは事実だが、すでに先程の異常なまでの〝危険〟は感じない。


 圧迫感から解放されたブランが、わずかな余裕を取り戻して勢いよく手を上げる。最早条件反射の域にある、質問責めのための儀式だ。男は頷いてそれを許可し、ブランは震えのなくなった喉で元気よく疑問を吐き出す。


「先生の目は何かビームでも出てるんですか!」


「半分正解で半分不正解」


 一見的外れにも思える質問に、男は笑ってそう返した。いいかい、と静かに前置きをして、恐怖が無ければ途切れやすい子供達の集中を、上品に自分に集めてみせる。


「私の目を見て恐怖を感じるのは、別におかしなことじゃない。ちゃんと理由があるんだよ」


 それは何? と、即座に口を開こうとするブランへ手を振って、男はその質問を抑える。今から説明するからと子供達全員に頷きかけ、男はゆったりと上質なシャツの裾を揺らしながら、再度、教壇に立った。


「まず、これはもう習ったろうね。魔術師は、人間じゃない。人間か、魔術師からしか生まれないけれど、人間ではないんだ。覚えている?」


「はい!」


 全員を代表して、ブランが元気よく返事をする。男はそれに頷いて、自分の胸に手を当てた。どんな動作をしても上品に見えるのは、育ちの良さなのか、また違うものなのか。


 男は、ゆったりと語り出す。


「魔術師は、誰の色にも似ずに生まれてくる」


 父にも母にも欠片も似ない、そんな禍々しい色の瞳を持って、その男は生まれ落ちた。


 父にも似なかった。母にも似なかった。兄弟はいなかったからわからないが、きっと似なかったに違いない。それは旧家であるグランドハイヴに、ぽつりぽつりと生まれてくる。


 不死鳥の血筋。グランドハイヴが、そう呼ばれ続けた所以ゆえん。死してなお、それは炎と共に蘇る。死を知らぬ者。化物と呼ぶにも規格外すぎて、古き人々はそれを不死鳥の子と呼んだ。


「只人である夫婦に、不死鳥が子を託したのだと。私――レジナルド・デヴァ・グランドハイヴは、今でも魔術師という存在を知らない周辺の民に、そう思われ続けている」


 見た目が親兄弟に似ないことも、その説を強烈に支持していた。

 よく見れば、親兄弟の面影はあるのだ。しかしその身に宿るものがあまりにも〝違う存在〟であることを叫んでいるせいで、面影など親兄弟以外にはまるで見えもしない。


「誰にも似ないことが、チェンジリングであることを証明していた。世間において、魔術師はチェンジリング――取り換え児だ。人から生まれるはずのない存在だから、きっとこの子は取り換えられた子なのだろうと思われてきた」


 魔術師が死を覚えないことも、その説に拍車をかけた。殺しても死ななければ取り換え児の証明になると、無垢な命が散らされた歴史さえある。おぞましい歴史だ。しかし一方で、一部分は事実であるがゆえに救われない。


「だから地域によって、扱いも、存在の意味もがらりと変わる。その土地で、不死を象徴するもの。絶対的な力を証明するもの。倫理に反する超常の存在が、その取り換え児の本当の親であるとされてきた」


 だからガルマニアでは、国主たるガルメナの子とされた。強大な力を持つハブグリフォンの黒変種。建国を成し遂げ、人々の光となったグリフォンが授けた子であるとされ、ガルマニアで生まれた魔術師は、〝えあるガルメナの子〟と称賛された。


「ガルマニアでは讃えられた。しかし、ラングリアでは悪魔とそしられた」


 ラングリアでは不死の象徴は悪魔であった。邪悪なるもの。死を知らないおぞましい怪物の子。賞賛から一転、ラングリアではそれは祝福の象徴ではなく、逆に呪いの象徴であったのだ。


 そんな子供が生まれれば、その家は呪われたと言われ、子供を森の深くに捨てるまで、周りから家族ごと迫害を受けた。


「アドソワールでは、また違った扱いを受ける」


 アドソワールでは、取り換え児は妖精の子と呼ばれた。祝福とも、呪いとも異なる認識で人々はそれを受け入れていた。


 妖精とは稀有な存在。いるだけで、何か意味があるわけでもないが、悪いものではないと物珍しい視線に晒された。


 取り換え児を巡る歴史の中では、一番曖昧に、一番平和に解釈されていたと言われているが、実態は最も苛烈な国だ。


 アドソワールで生まれた取り換え児には、妖精の子であることを内外に知らしめるために、公開処刑の風習が強制された。


 もっともおぞましい歴史と言っても過言ではない風習だ。魔術師だと疑われた存在が、もっとも多く無意味な死を迎えたのは、アドソワールでのことだった。


「取り換え児――魔術師の定義が国ごと……いや、地域ごとに違うのには、理由がある」


 理由は単純な物だった。魔術師は、定義化するのが非常に難しい存在だったのだ。


 生まれ落ち、産声を上げ、その子等は何かしらの不可思議な力のきらめきを見せる時もあれば、そうでない時もある。ある時は炎がその身を這い、ある時は雷がその赤子の肌を走る。またある時は、普通の人間と大差ない様子で生まれてくる。


 必ずしも、判断がつくわけではない。只人ただびとだと思ったら、そうではなかったこともざらにある。


「唯一の共通点は、死なないこと」


 死してなお蘇ることこそが、魔術師の証明である。それは、間違っていない。確かにそうではあるのだが、その証明方法は致命的過ぎた。


 魔術師と違い、人間にとって死は取り返しがつかない。もし生き返らずに魔術師ではなかったとわかっても、もうすでに意味がないのだ。


 男はそこまで言ってから、ぱん、と手を打ち子供達に呼びかける。


「――ではここで、私の目が怖い理由の前に、授業らしく問題を出そう。アドソワールの文化人類学者であるドノウィーが、自らの書籍の中で多用した取り換え児の別称とは?」


「はい!」


 落ち着きを取り戻したブランが、声と共に腕を上げる。男――レジナルドはそれに頷き、ブランは誰よりも早く得た回答権に、自信をもって答えた。


「エディカル・モンスター、――素数の怪物です」


「その通り。では、それを踏まえてもう一問。何故ドノウィーは、取り換え児を素数の怪物と称したのか?」


 続けて投げられた問いに、ブランも他の子供達もぐっと押し黙った。それはまだどの授業でも習っておらず、子供達が読んできた本の中でも、わかりやすく解説しているものがなかったせいだ。


 アドソワールの文化人類学者、ドノウィーが多用した取り換え児の別称。それに関しては、ただ覚えるだけの単語だったが、二問目はそうはいかない。


 子供達には難しい問題だ。勢いよく上がっていた手はなりを潜め、皆、居心地悪そうに肩を動かす。ブランでさえも自信が無いようで、条件反射で上がりかけた腕を咄嗟に下ろして、唇を噛んだ。


 ブランはじっと迷ってから、周りの子供達がばつが悪そうにうつむくのを見て、わかりませんと言おうと顔を上げ、目の前の〝色〟に釘付けになった。


 目の前に浮かぶ2対のおぞましい色に、治まっていた震えが蘇る。鬼火のような色だ。人の不安をかき立てる、暗闇に浮かぶ光のない炎。

 サングラスを指先でずらし、レジナルドのむき出しの目がブランをじっと見つめていた。


 その瞳に、光が灯ったことは無い。


「よく――考えるんだ」


 ――泥に、青の絵の具をぶちこんで、ぐちゃぐちゃにかき混ぜれば……こんな色が作れるだろうか?


「深く考えずにわからないと言ってはいないか? 本当に脳を動かしている? 考えている? 考えなさい、もっと、もっと、もっと。取り返しがつく間に、そういう癖をつけておきなさい」


 君は賢い方の子なんだから、と言いながら、ずらしたサングラスを戻し、レジナルドは完璧な所作で身なりを整え、再び生徒たちの答えを待つために教壇に立つ。

 わからない、などという思考停止の言葉は受け付けないという、完全な拒否の姿勢だった。


 鬼火のような目に魅入られながらも、震えたままブランが手を上げた。掠れた声で、いつものように発言の許可を求めて声を上げる。


「……はい、先生」


「どうぞ、ブラン」


「……ドノウィーが別称として〝素数の怪物〟を多用した理由は、ある共通点を指してのものだと考えます」


 震えながらのブランの声に、レジナルドは目を細めて続きを促す。


「その共通点とは?」


 ブランはごくりと生唾を呑み込んで、ちゃんと考えて答えを出した。


「――規則性の無さ、です」


「エボルツァ! 素晴らしい!」


 ラングリア語で叫ばれる賞賛の言葉に、緊張に固まっていたブランの相好が崩れた。褒められた嬉しさに笑みが零れ、頭を撫でられれば感じていた恐怖も霧散する。


 満足のいく答えを得たレジナルドは機嫌よく腕を上げながら、他の生徒たちにもわかるように、表示した画像と共に回答解説を滑らかに語る。


「そう。ドノウィーが何故、自著の中で〝素数の怪物〟という別称を多用したのか。それは規則性の無さ、という部分を揶揄やゆしていたからだ」


 ドノウィーにとって、学術的に見た取り換え児は素数のようなものだと思われた。確かに、1つの決まりはある。素数は1と自分以外では割ることが出来ないという定義があるが、そこに完璧な規則性は未だ発見されていない。


 ドノウィーはこれを、取り換え児に似ていると考えたのだ。取り換え児にも決まりがある。殺して、生き返ればそれは取り換え児だ。間違いない。しかし、それ以外での判断方法がまるでないのが問題だった。


 こういう身体だったらとか、こういう声だったらとか、こういう目だったらとか、そんな規則性はまるでなかった。当たり前と言えば当たり前かもしれない、とは、ドノウィー自身も自著の中で何度も繰り返している。


 彼等も人間のまた新たな形だとするならば、規則性というものを求めるだけ、無意味なのかもしれないという悩みが、彼の自著には何度も登場する。


 一人一人の違いは当たり前で、だとするならば取り換え児もまた、そんなものなのではないだろうかと。


「しかし、取り換え児――魔術師は、そんなものではないか、で片づけられるほど無意味な存在ではなかった」


 彼等は等しく、人間と違うことが出来た。レジナルドに言わせれば当たり前の話だ。だって人間じゃないのだから、違うことが出来て当たり前だ。


 姿かたちが人間にそっくりだから、勘違いしているだけだと。だが、それはレジナルド個人の意見であって、授業で取り扱って良い内容ではない。


 レジナルドは一瞬だけ眉を寄せて口を閉じ、それから気を取り直して学説を語っていく。


「魔術師には力があった。その名に恥じない魔法の力だ。願えば、それが形になる。祈りがそのまま、神の御業のように現実のものとなる。それが――」



 ――それが、人の命と、心以外のものであれば。



 魔術師は、願いを形にする力を持ってる。それは魔法と違い、魔素の法則にのっとった力ではなく、全く別種の得体のしれない力だった。


 人々は取り換え児を語る時、いつも多くの混乱と争いを口にする。取り換え児の全てが戦争に使われたわけではないが、攻撃的な願いを持つ者は常に歴史に残る戦争に散見される。


 全ての魔術師がそういった攻撃的な力を持つわけでは決してない。しかし、目立つものの方が記憶に残りやすいのは当然の話だった。実際の話、ガルマニアで讃えられる〝栄えあるガルメナ〟の子。ドラグノマなどは、表向きの歴史の教科書にも載るほどの活躍を見せた。


「魔術師は、明確化される必要があった。争いの火種を保管し、管理するという目的の為に。国からの補助金を得て、取り換え児の研究をしていたドノウィーにとって、求められているものはそれだけだった」


 しかし、自著の中でドノウィーは結論を言ってしまっている。彼は研究の為に多くの魔術師と言葉を交えた。時にガルマニアの英雄と。時に稀代の悪魔と言われた少女と。美しい妖精と呼ばれ民に慕われた妖艶な美女と。時に――、


「不死鳥の子と呼ばれた、この私と」


 長く、国からの圧力に心をすり減らしながら、ドノウィーはひたすらに魔術師に語りかけ続けた。


「〝君は何者だ〟と」


 取り換え児に会うたびに、ドノウィーは彼ら彼女らにそう問うた。


「〝君は何者だ。どこから来て、何を為すのだ〟と」


 彼ら彼女らの返事は皆違うものだった。ガルマニアの英雄は、硬い表情でこう言った。


 〝私は、栄えあるガルメナの息子であり、この国を守るためにガルメナが授けられた存在だ〟


 ラングリアで悪魔と謗られた少女は、泣きわめきながらこう言った。


 〝そんなの知らない! 放っておいてよ、放っておいて! 私は悪魔なんかじゃない! どこから来た!? 貴方はそれになんて答えるの!? 誰か――誰が、自分が何者かなんて答えられるの! ねぇ、誰ならその質問に答えを出せるの!?〟


 アドソワールで妖精ともてはやされた美女は、ついぞ何も語らなかった。


 ただ、〝妖精は、考えないものなの〟としか。


 結局、何人もの取り換え児と対談したドノウィーは、自著の中でこう結論付けている。


「〝エディカル・モンスター〟……結局彼は、取り換え児を怪物と称した。人間には理解不能な、規則性など持たない怪物だと」


 あるいは、そう結論付ける他無かったと言うべきか。それを証明するように何度も何度も繰り返される、取り換え児も、心は我々と同じただの人間なのではないかという自著の中の言葉は、エディカル・モンスターという単語よりも多く読み取ることが出来る。


「あの……」


 魔術師についてと、取り換え児の研究に一生を費やしたドノウィーについての話がひと段落し、じっと話を聞いてメモを取っていたブランが手を上げる。

 レジナルドは気楽な様子で腕を振り、その発言に許可を出した。


「結局、先生の目からビームは出ているんですか?」


「……」


 その質問に、レジナルドはただ微笑む。微笑みながらサングラスの位置を確認するように指先で押し、そのほっそりとした指先が、そのまま流れるように動いて授業終了のベルを鳴らした。


 リーン、と常よりも澄んだ音がベルから零れ、子供達は呪縛からとけたように一目散にノートや筆箱を鞄につめ、他の大人たちが控えている控え室に駆けていく。


 質問をしたブランだけが、じっと座ったままレジナルドを注視していた。一人、また一人と逃げ出していく子供達の中、ブランだけが椅子に座り、疲れたようにサングラスを外すレジナルドを見つめている。


「……」


 ブランは、もうあの瞳に見つめられても、震えなかった。


 泥に青の絵の具を混ぜたような色が、光も無くブランを見る。気怠いような、冷たい空気を纏うレジナルドに、教師役だった時の気遣いはもう存在しない。


「怖くない?」


「怖いです」


 レジナルドの問いに、間髪入れずにブランが答える。心底、恐ろしいと口では言うが、その身体は震えてもいないし、不吉な瞳から目を逸らしてはいない。


「ではどうして?」


「僕、僕は……僕は、魔術師を怪物だとは思いません。人の心を持っていないとも思いません」


 だから、とブランは言う。


「だから、怖いけど、目は逸らしません。僕だったら、相手に目を逸らされるのは嫌だ。そう思うから、だから、逸らしません。震えもしません」


 そう言いながらも、ブランの呼吸は浮ついている。辛うじて震えてはいないものの、緊張に唇は渇き、目は落ち着きなく揺れ、呼吸は浅く不規則になっている。


 でも、震えてはいないし、目も逸らしてはいない。


 レジナルドはそんなブランの様子を眺め、ゆっくりと口を開いた。


「……君だったら、ドノウィーに同じように問われた時、なんて答える?」


 まるで、泣きそうだとブランは思った。思い違いかもしれないし、勘違いかもしれない。そうであってほしいと、自分がそう願っているから、そう見えるだけなのかもしれない。


 でもその時。ブランは確かに、レジナルドの声に、涙無き悲しみを見た。


 〝君は何者だ。どこから来て、何を為すのだ〟。もし自分がそう聞かれたら?


「――僕だったら、僕は僕だと答えます。僕は生まれるべくして生まれ、精一杯生きていこうと思っていると」


 ブランだったら、そう答えるだろう。自分は自分であって、他の何者でもない。だから、きっとそう答えるに違いなかった。


 そういえば、とブランは思う。ドノウィーの問いの返事の例の中に、レジナルド自身の返答は混ざっていなかった。彼は一体、ドノウィーになんと返したのだろう。


 レジナルドは、一体、その問いに――。


「私は」


 ブランは、そのひそやかな声にハッとして我に返る。答えは今まさに、本人に語られようとしている。ブランと同じように答えたのだろうか。それとも、レジナルドのことだから私は魔術師だ、とでも自信ありげに答えたのだろうか。きっと、ドノウィーでさえもはっとさせるような答えを言ったに違いない――だって、レジナルドは、いつも魔術師としての誇りを持っていると豪語しているのだから――。


「私はね――愕然がくぜんとしたんだ」


 そんなブランの期待を打ち砕き、レジナルドの掠れた声が教室に零れていく。


「私は私だと。そう言えるとずっと信じていたのに、言えなかった」


 自分は自分であって、他の何者でもないと。そう言えると信じていた。そうだと思っていた。魔術師だからとか、そんなこと何も関係なく、私は私という心をもった一個人であると、断言できると信じていたのに。


 君は何者だ。


「私は、魔術師だ。誰とも同じ存在ではない。どこにも〝同じ〟存在はいない」


 どこから来て、何を為すのだ。


「親兄弟から生まれた存在じゃない。誰との繋がりも関わりも確かじゃない。何を為すかは、周りが声高に叫んでいる」


 その質問を聞いた時、口から出た言葉は、ずぅっと用意していた言葉ではなく、自己を否定するような音の繋がりばかりだった。


「ドノウィーは私にこう言ったんだ」


 〝お前たちは怪物だ! 私がおかしいんじゃない、お前たちがおかしいんだ!〟


「……私の目は魔術を使う時の照準器になっている。だから、皆、私の目が怖いんだ。それは、ドノウィーも例外ではなかった。彼も、恐怖にわけがわからなくなっていたのだろう」


 あっさりと子供達が、ブランが感じる恐怖のネタばらしをし、レジナルドは笑う。


「私に見つめられると言うことは、銃口を向けられることと同義なんだ。だから皆、怖いんだ。これは私の意思の元に成り立っているのではなく、生まれつきのものだ。だから、私にはどうしようもない。こうして――」


 無骨なサングラスを手の中で握りつぶし、レジナルドは破片をばらばらと床に落とす。


「――耐魔素材のサングラスでもすれば話は別だけれどね。笑い話だ。私が誰かと話す時に、相手に恐怖を与えないようにするには、後ろを向くか、こんなもので〝壁〟を作らないといけないなんて」


 直接、間近で見つめ合えば、相手の気が狂ってしまう。魂からの恐怖だ。今もこうして、レジナルドが自分に危害を加えることはないと完全に理解しているブランでさえ、完全な恐怖からは解放されないように。誰もそれからは逃れられない。


「そう、誰もだ。幼馴染も、両親も、友人も、誰もが私を恐れる。誰も私の目を見てくれない。私に〝見られている〟だけで誰もが無意識の恐怖に怯える」


「それは……」


 それはまるで、呪いのようだと、ブランはそう口にしようとして、辛うじてそれを呑み込んだ。それは、それだけは、言ってはいけない言葉だと思ったから。


「でも」


 震えるような悲しみの告白の中に、不意に色鮮やかな感情が浮かぶ。ブランが驚き、俯きかけていた顔を上げれば、心底、愛おしむような顔でレジナルドが囁いていた。


「あの子だけは、怯えなかった。あの子だけは、私の視線に怯えなかった」


 あの子だけは。


 それからはもう、レジナルドはブランなんて見てもいなかったし、ブランの声なんて聞いちゃいなかった。


 レジナルドはずっと、ブランの視線の先で、ブランの父親が迎えに来ても。ずっとそう囁き続けていた。縋るように、祈るように、ずっと。ずぅっと。


 ブランは顔を青くした父親に背中を押されながらも、最後の最後で父親の静止を振り切って背後のレジナルドを振り返った。


 気が違ったように呟き続けるレジナルドの視線の先。手の中におさまるその紙切れが、ブランにはどうにも気になったのだ。


 きっと、〝あの子〟が、その紙切れに映っている。レジナルドの視線をもろともしない存在がいると言われれば、誰だって気になるだろう。

 自分が恐れたあの瞳を、難なく受け入れられる存在とはどんな人物なのか。


 振り返ったブランの赤い瞳に、〝あの子〟が映る。顔は、よく見えなかった。性別も一瞬だったから分からない。ただ、一つだけ、遠目に見えたのは、


「――火傷?」


 左頬の大部分を覆う、赤々とした三角形の痕。


 それだけが、ブランの目に焼き付いた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る