第七十四話:不可解な顛末

 




 世界が一瞬でひっくり返る。上も下も分からなくなり、痛みを感じない身体も熱だけは大雑把に神経に伝えてくる。

 熱さに悶える喉が苦鳴を上げ、ひりつく喉が妙に現実めいていて、恐ろしい。伏せているのか、仰向けなのか、それすらも分からない。平衡感覚は失われ、ただ熱だけを感じて必要のない呼吸を求めて喉が喘ぐ。


 覚えのある感覚だった。火の海の中にいるような気持ち。あの日は、もっと熱かった。

 現実じゃないはずだ、ここは、現実じゃないはずだ。熱さも耐えられないものではないし、呼吸に喘ぐ方がおかしいのだ。


「現実じゃない……現実じゃ……」


「――だよ」


「これは、夢みたいな……」


「夢じゃない」


 ぐっ、と前髪を掴まれて、視線に晒される。目が合った。泥水に、青の絵の具を放り込んで、ぐちゃぐちゃに手でかき混ぜたような色。

 病んだ子供が描くような、不気味で落ち着かない色が真正面から自分を見ている。


「――夢じゃないよ、現実だよ」


 男の唇がゆっくりと動きながら、その指先が自分の忌々しい火傷の痕をなぞる。顔だけは、どちらかといえば好みの顔だが、その瞳は好きじゃない。

 男は嬉しそうに言うのだ。まるで全てを見透かしたように。


「――寝るか、死ぬか以外のことで、逃げられると思ったら大間違いだ。現実から逃げたいなら、お家でずっと寝ていなさい」


「そんな……っ、死んだみたいな生きかた……」


「それをずっと続けてきたのに? 何も考えず、繋がらず、推測せず、古傷の膿を無視してきたのに?」


 爆炎に紛れて、密室めいた空間で彼は言い募る。まるで、全てを見知ったように。おかしいだろう。ゲームで、VRで、竜の卵をつけ狙っていただけではないのか? これではまるで、まるで子供にするお説教のようではないか。

 場に合わない。おかしい。自分と彼は1プレイヤーとして、争っていただけの関係のはずだ。


「私は君をずいぶん小さな時から知っているよ」


「……は?」


「君の目が治らないのは、見てしまったことを思い出したくないからだ。君の声が出ないのは、聞いてしまったことを話したくないからだ。君の火傷がちっともよくならないのは、それが忘れてはならないことの目印だからだ」


「なにを……」


「そうじゃなかったら、君にとって肉体の傷など何の意味もなさないはずだ。君は――本物の魔術師なんだから」


 一方的にそう言い募り、男は穏やかに笑む。前髪を掴む手を放し、そっと自分の手に奪ったはずのアドルフのナイフを握らせる。

 男は魔符を一枚懐から取り出して、ぺたりと自分の額に貼った。紙切れが視界を邪魔するし、この後の流れも分かっているのに、自分は混乱したまま動けない。


 男が小さく愉快そうに舌を鳴らした。それじゃ、と小さく言葉を続ける。


「今回は私の勝ちだよ、狛乃」


「……!」


 何故、名前を知っているのかとか、お前は一体何者だとか、そんな陳腐な台詞を言う前に。


「【起爆クラック】」


 全ては爆発に呑まれていった。



























第七十四話:不可解な顛末





























 気が付けば、クリーム色に覆われた小奇麗な部屋にいた。急な移動に脳が混乱しかけ、ゆっくりと現状を把握していく。

 壁に貼られた、闘技場と描かれたポスター。傍らにあった、脱衣所に置かれるような竹の籠には、自分の武器が入っていた。


 アドルフのナイフ。デザートウルフ。砂竜のリボルバー。その3つを呆然としたまま手に取って、無意識に元の位置に装備すれば、自分が座っていたらしい、ちゃちな長椅子が目に入った。紺色に塗られた木の長椅子の表面は、塗りが甘いのかざらりとしている。


 顔を上げればいくつものポスターが壁を埋めていた。書かれているのは、闘技場のルール。負けても勝っても、失われるものはないと書かれているそれを目にして、ようやくざあと血の気が引く。


「そうだ、ドラゴン!」


 慌てて椅子から立ち上がるが、此処がどこなのかすらわからないのに、いったい何をどうしようというのか。混乱する頭を抱えながらも、1つだけ存在する扉を静かに押し開く。

 顔を出せば長い廊下。清潔感に溢れる白に埋まった廊下が左右に続き、その途中にいくつものドアが見えた。


 そのどれもに、控え室、未使用。と書かれていて、恐る恐る自分の部屋の扉を見れば、控え室、使用中と表示されていた。

 どうやら、闘技場で死ぬと控え室に死に戻るらしい。そこまできて、自分と契約関係にあるはずのギリーが戻っていないことを悟る。ギリーは、まだあの闘技場にいるのだ。


「え……その場合、どうなるんだ」


 闘技場のルールを熟知していない自分にとって、今の状況は図りがたい。仕方なく扉を閉めて部屋に戻り、壁に貼られた簡単なルールを端から確認していく。

 契約しているモンスターも死ねば同じ控え室に死に戻るらしいが、主人が倒された時点で勝敗は決するらしい。逃げられない、という制限も消えるそうだ。


「……」


 ならば、もしかしたらギリーがくわえて逃げてくれた可能性もある。どのみち、一度外に出なければならないのだろう。

 闘技場に入場できるのは一日に一度までらしいし、もう一度引きずり込まれる可能性を考えなくてもいいのは、小さな救いだった。


 清潔そうな廊下に恐る恐る踏み出し、壁の案内に従って地上を目指す。どうやらここは、闘技場の地下部分にあたるらしい。

 不安と困惑が混ざり合った内心を抱えたまま、冷静とは言い難い精神状態で足早に歩を進める。なんだったのだろう。何が起こったというのだろう。


 何故、あの男は。


「……狛乃」


 誰も知らないはずの、自分の本名を知っていたのか。親戚かとも考えたが、自分にあんな外人の親戚はいないはずだ。血が繋がっていないにしても、それだってレジナルドなんて聞いたことも無い。それか、どうだろう。母方の親戚か何かなのだろうか。

 いいや、おかしい。そんな付き合いのある親戚などいなかったはずだ。でも、じゃあ何故? それじゃあ辻褄が合わない。


「わけが……」


 わからん。言葉の続きを呑み込んだまま、自分は地上へと続くはずの扉を押す。戸は開き、合間から太陽の光が差し込んだ。青空と、疎らに草花が生える大地。その先に続く、仄暗い路地裏の細い道。

 人がいないことに安堵してから、少しの気恥ずかしさを抱えて周囲を更に見渡した。コロシアムの裏側に出たようで、高い壁に覆われた向こうでは、何やら混乱しているような怒号や叫び声が聞こえてくる。


 こちらからも向こうからも見えないから、細かなことはわからなかった。ただ、視線を前に向ければ、軽やかな足音と共に見知ったシルエットが路地裏から現れる。


「ギリー! ……に」


 ドラゴン。鎧のような甲殻に包まれた、アルマジロのようなずんぐりとした竜の子供。ギリーの背の上でゆらゆらと揺れながら、自分を見つけたそれは嬉しそうに声を上げる。

 ほぼ無傷に近い彼等は小走りに自分に駆け寄り、竜の子はともかく、ギリーは困惑したように目を細めた。


『主、主は……あの男と、知り合いなのか?』


「……知らない、はずなんだけど」


 どうしたの? と続ければ、ギリーも困ったように耳を伏せ、尾を揺らしながら低い声でぼそぼそと言う。


『あの男、主を仕留めた後に、私に〝竜の子を連れて、もう行っていい〟と』


「……はぁ?」


『そう言い残して、あの男は行ってしまった。罠でもないようなので、そのまま連れて主の気配を追って来たが……』


 知り合いなのか? と問うギリーの疑問は尤もだろう。自分だって、わけがわからない。レジナルドは、ヒューマン・アイザックは竜の卵などの美しいものを狙うキチガイ。そういうプレイヤーだったはずだ。それがロールプレイかどうかは知らないし、分からないが、少なくともそう振る舞っていたはずなのだ。


「わけがわからない」


 知ったような口を聞き、自分の本名まで言い残していった男の顔をもう一度よく思い出してみるが、心当たりは全くなかった。

 私の溜飲を下げるために、竜の子を殺すと言っておきながら、もういいと逃がした理由もわからない。ナイフだって、最後の瞬間に戻ってきた。最初から、竜なんてどうでもよかったとしか……。


「じゃあ、なにか……? 竜なんてどうでもよくて、ただ最後のあれを言うためだけに?」


 理屈は通る。一応、本当の目的はそっちだったと思えば、まだ竜をあっさりと手放したことも納得がいく。いや、それにしては竜の卵を見る目は恍惚としていた。わけがわからない。よくわからない。何が、どうして、一体――。


『主』


「――あ」


『とにかく、一度宿に戻ろう。雪花が心配している』


「……あ、ああ」


 気が付けば、メニューの欄には自分を案じるメッセージが大量に届けられていた。うわの空でそのメッセージに返事を返し、宿屋に戻ると、それだけを伝える。


「戻ろうか……」


『うむ』


 ギリーの背に乗り込めば、先客の竜が嬉しそうにすり寄って来る。懐に潜り込もうとするそれをあやしながら、ぼう、としたまま手綱を握る。



 〝君の目が治らないのは、見てしまったことを思い出したくないからだ。君の声が出ないのは、聞いてしまったことを話したくないからだ。君の火傷がちっともよくならないのは、それが忘れてはならないことの目印だからだ〟



 思い出したくない。話したくない。でも、忘れてはならない。



「……何を見た? 何を聞いた?」



 ギリーの背の上で揺られながら、自分の唇は浮かんだ疑問を声に変える。



「――何を、忘れてしまっている?」



 自分の内から、答えは無かった。




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