第七十四話・半:思わぬ縁

 


第七十四話・半:思わぬ縁




 この世界の中で生きている人間達は、一体、世界にどれだけの神秘があると思って暮らしているのだろうか。そして、その認識は魔術師達の扱いにどう繋がっていったのか。


 赤錆色の巻き髪に、銀色の瞳を持つ男はやる気無さげな様子で、そう言いながら子供達を睥睨する。人数は10にも満たない。年齢もばらばらで、最年長の子は15歳ほどの見た目をしている。


 小さくも大きくも無い落ち着いた内装の部屋には、子供達の身体に見合う大きさの机と椅子が、適当な間隔で並べられていた。


 先生役の男は気怠げだが、子供達はきらきらとした目でうろうろと歩く男を見つめ続ける。穴が開きそうな視線を避けたいが為にあっちに行き、こっちに行きを繰り返しているのに、動けば動くほどに獲物を追う猫のように、子供達の視線は男に突き刺さる。


 男は諦めの溜息を吐き、真ん中でぴたりと止まる。子供達の視線を受けて、銀色の瞳を細めながら授業用のノートを開いた。中身は当然のように白紙だが、ポーズを取ることに意味があるのだ。


 男は朗々と、こう続ける。


 昔、人と共に現人神あらひとがみと戦った竜の存在を、信じている者は存在するのか?


 昔、人と共に歩んだ種族があったことを、誰もが忘れてはいやしないか?


 名前は残っているのに、存在もしているのに、誰もが当たり前のように口にするのに、心のどこかでそんなものは存在しないと、思い始めて一体この世界で何年の年月が流れたかわからない。

 長い年月の中で、止むに止まれず人に紛れた人外達は、どこに行ってしまったのか。


 その経緯を話そうと、男は長い腕を振り上げる。指さした先には小さな絵本。おとぎ話が綴られる、可愛らしい絵本だった。

 表紙に描かれているのは、白い礼服に包まれた金髪の男性。一目見て神々しい存在なのだと分かるように、絵にはじんわりとした光が男を取り巻く様子を描いている。


 ハブ・エント紀にて語られる、現人神ハブの存在。昔々は、人の姿をした肉を持つ神様がいて、世界を潤していたのだというおとぎ話。


 その神様は人々に恵みを与え、人が時に化物だと、精霊だと、悪魔だと呼ぶ異種族共々関係なく、分け隔てなく世界を管理していた。


 男が絵本を指さして、くるりと指先を回すだけでページが捲られる。様々な存在に取り囲まれる、白い礼服の男――現人神ハブの絵が、優しげに微笑んでいる。


 平和な時はずうっと続き、絶えることがないとは言わないが、しかしその平和は思ったよりも短かった。何が原因かはわからないが、現人神は乱心した。


 指差すだけでページを捲る本の絵が、子供向けには似合わないどす黒い赤に染められていた。

 人々に、化物達に生きた供物を要求し、現人神は流した血で大地を汚した。あんまりにも酷過ぎるから、当時の人々は大層慌てふためいた。


 神の乱心。地は裂け、雨は降り止まず、洪水が草木をへし折り、雷如きが岩肌を砕く。雨が止めば森は大火に包まれ、数えきれないほどいた人間が、世界に数えられるだけになった頃。人々は散々蔑み、恐れていた存在と手を組むことになる。


 ページがまた捲られる。人と、獣の尾を持つ人の絵が、握手をしている絵。しかし、その表情に、あるべき笑顔は無かった。緊張に引き結ばれた口元が、当時の緊迫した情勢を物語っているようでもあった。


 男の厳かな声で、話は続く。


 その戦いは長く続いた。その頃の歴史書にはそうあるが、その表現方法は正しくない。正しく言い変えるならば、〝その足掻きは思ったよりも長く続いた〟だ。


 終止符を打ったのは1人の臆病な青年で、その青年は今もまだ神殺しのとがを背負い続けている。彼は神に変わって王となり、人よりもより力ある化物を中心とした組織を形作った。一部の凶暴な、暴力性だけで自滅しかねない化物達を、更なる力で捻じ伏せ、世界を安定へと導いたのだ。


「それがお前達の親が所属するこの組織、ソロモン――あー、今は〝ソロモン貿易社〟だったか。まあいい」


 しかしまあ、そこでその話は終わった。乱心した神は魂から滅ぼされ、世界はゆっくりと再生していった。もう少し後の時代、神殺しの王がまた発狂し、世界は慌ただしい動乱続きとなるが、現人神ハブの暴走に比べたらまだマシな話だった。


 絵本の最後のページには、現人神ハブの魂を呑み込んだ、黒髪の青年が描かれていた。青年の目には涙。極大の恐怖が、その表情を染め上げている。

 神殺しが当時どれほど重罪だったか、現代で例えられる言葉は存在しない。


 かくして平和は訪れ、数えられるくらいの人間は数えきれないほどに増えた。増えて、最初にやったのは、土地の開拓と、住み分けだった。


 人は人あらざるものを、なんとなく迫害――いや、避けて暮らしてきた。自分達よりも数が少ないが、自分達より強い相手。迫害と言うほど、当時の人間達に力は無かった。

 魔女狩りなんてものはあったが、あれは身内同士の混乱に過ぎない。


 この生息地の分離は土地柄が酷く影響する。過酷な地や、より化物の猛威に晒された地ではより排他的で、肥沃な地や、化物の恩恵があった地では緩く好意的に受け入れられる。


 まあそんな話は、根っからの化物であれば何の弊害もないことだ。多少の生きづらさはあるだろうが、彼等にはそれらを些末な事と言ってのけられるほどの力がある。


 しかし、もしもうっかり、人間から化物が生まれることがあったらどうだろう。チェンジリング、取り換え児とも呼ばれた、人から生まれた人ならざる存在。


 妖精の子。えあるガルメナの子。悪魔の子。不死鳥の子。エルフの子。


 呼ばれ方も、扱われ方も、時代と場所で大きく変わったそれを、魔法を扱う知識ある者はこう呼ぶ――魔術師、と。


「いいな。地方でどう呼ばれていようと、ソロモンでは〝魔術師〟と呼べ」


 人あらざる者。生まれながらに魔力を持つ者。不老不死の者。願いをそのまま形にする者。持って生まれた力を持って魔力を形にするものを、魔術師と呼び魔法使いと区別する。


「はい、せんせー」


 小さな五指がぴんと伸ばされ、天井に向かって勢いよくつき上げられた。上げられた手を指先からじっとりと辿り、先生と呼ばれた男の銀色の瞳が嫌そうに質問者を確認する。

 上質な青い無地のシャツ、実戦訓練を受けていない少年らしい薄い身体。栗色の短髪が上げられた腕に擦れて、妙な形にずり上がっている。


 双眸そうぼうにはまる赤い目と細い瞳孔が、人間ではないことを示していた。有力幹部の子息だということを記憶から引っ張り出し、男は心底嫌そうな顔で質問を受ける。


「なんだ……トム」


「ブランです。間違えるくらいなら適当に呼ばないでください」


 はきはきとした喋り方の少年、ブランは最近ようやく親の許可が下り、こうして組織が開く研修、もしくは単に学校と呼ばれる授業に来るようになった少年だった。


 名前を間違えられたブランは秀麗な顔をしかめ、紙一重で怠惰ではない先生を見上げながら、手を下ろして獲得した質問権を行使する。


「はい、せんせー。ソロモンって結局何やってるんですか?」


「何をやっているんですか? だ」


「ソロモン貿易社って結局、何をやっているんですか」


「貿易」


「――ソロモンって、裏では何をやっているんですか?」


 言葉の上げ足を取られたことに気が付いたブランは、固まることなく即座に正式な質問に切り替える。頭の回転が速い子特有の、抑えきれない知識欲が赤い目に光っていた。

 生徒に対して優しさを持ち合わせない男は、その質問に更なる渋面で答える。


「親にきけ」


「父様に聞いたら、曖昧に微笑まれました」


「それは聞くな、という意味だ」


「でも僕は知りたいんです。父様は曖昧に微笑みながら、そのまま僕に授業の日程を渡されました。ということは、先生に聞けということだよ……ですよね?」


 先生役を押し付けられている男は、それを聞いてざっと名簿に目を通す。ブラン・ロンダルシア。記憶にあった通り、総会にも椅子がある幹部中の幹部だった。古い吸血鬼の一族でもある。


 自分の後ろ盾と出生を加味して、見なかった振りも聞かなかった振りも出来るが、もしそれをやったら、次回の授業はお知らせしていないはずの授業参観日になるかもしれない。……お知らせしていないはずの。


「……いいか、まずソロモンの成り立ちは話した」


「はい、さっき聞きました! 現人神ハブを呑み干し、賢者ノラが巨大組織ソロモンの王となった。それは今でも子孫に続き、今は第二十七代のしぎ様がソロモン王です!」


 元気な返事。他の生徒は、自分が聞けないことを聞いてくれたブランに期待の視線を向けながら、じっと男の声に集中している。

 しかし、男はうんうんとブランの発言を聞き終えて、さっくりとこう結論付けた。


「それだけ知っていれば十分だ」


「質問の答えになっていません」


「……密輸、実験、薬物、犯罪者の討伐、黒いことは大抵やっていると覚えておけ」


「……せんせー、いつからやることが世界の統治じゃなくなったんですか?」


 互いに、改めて言葉にすると凄く嫌だなこの組織、という考えを黙殺しながらの会話。次のブランの質問に、男はそれは授業でもやる予定だったな、と真っ当に考える。


「人間の授業で取り扱う歴史では、轟歴ごうれきにてソロモン王の統治はしばらく続き、表向きには轟歴1600年代に崩壊したと語られる。実際には表舞台から退いただけで、ソロモン王と人ならざる化物達は徐々に人々の記憶からも、社会からも身を引いていった。現存する書物の中の彼等は伝説と呼ばれ、公に信ずる者は少ない」


 轟歴1600年代。ソロモン王と人ならざる者達は表舞台から緩やかに去り、人間が時代を作っていく。各地で集まった者達同士で国を作り、人々は大いに栄えた。1800年代にはソロモンの血筋だと言う者達が集まり、ソロモン貿易連盟を設立。以降、呼び名を変えつつも現代に続く大会社となる。


「つまりは、ソロモンはハブ・エント紀から途切れていなかった。呼び名を変えて人の世から姿を眩ましただけだ」


「はい、せんせー!」


 小さな五指が再び天に向かう。お手本のように腕を上げたブランは、男が却下すると言う寸前に新たな質問を滑り込ませる。


「〝魔術師〟って魔法使いと何が違うんですか? 僕らも人間も、訓練すれば魔法は使えるけど、魔術師は訓練いらないんですか?」


「魔術師は魔術師だ。そういう種族として覚えろ」


 うんざり。男はブランの質問攻めに耐えかねて、ぐったりと肩を落とす。巻き髪の赤毛をがりがりとかきながら、授業ごと終われとぼそりと呟いた。時計を見れば終わっても問題ない時間であることをいいことに、男は帰りの支度を整え始める。

 生徒よりも早く帰り支度をする先生に、ブランはそれでも食い下がる。


「鴫様は怪我をしてもすぐに治るけど、あれはソロモン王だからですか?」


「違う。魔術師は全員そうだ。魔術師の肉体は肉じゃない。傷跡が残るわけがない。病気もしないし、不具合も起きない。もし何かあったとしたら、それは――」


 ――それは、心に。魂についた傷だ。


 男はそう言ってから、ぱたりと白紙の授業用ノートを閉じた。手元のベルで終了を伝え、親が迎えに来るまでの間、子供達に思い思いに自由な時間を過ごさせる。


 ここはソロモン本部の第7層。ソロモンに所属する化物達の子息がぽつりぽつりと、化物の常識を学ぶ小さな学校。総会の椅子に座る幹部達が持ち回りで強制的に教師役を任せられ、男もそのせいで此処に来ていた。


 ポケットの端末が震え、何気なくそれを繋げば穏やかではない声が聞こえてくる。子供達に聞こえないように配慮するのも怠い男は、少しだけスピーカーの音を小さくした。なけなしの配慮だ。


豹雅ひょうが君! レジナルド君がやってるゲームの名前って知ってる!?』


「……知らない」


 開口一番、唐突にそんな話題を振られた男は疲れたように目を閉じる。わずかな沈黙の後、閉じていた目を開きながら、知らないことにしようと結論付ければ、端末からは更に聞きたくない話が溢れてくる。


『なんかさ、そのゲームVRらしくてね。そのゲームをソロモン王の傍系の子がやってるとかで……』


「あー、もういい。止めてくれ」


 聞かなかったことにするから、という男の心からの言葉は封殺され、電話越しの相手は容赦なく関係を強要してくる。


『諦めて。ジンリーがね、かんかんらしいんだよ、ほらあの魔女! 鴫ちゃ、すみません! ソロモン王に構ってるから、そっちには目を向けないと思ってたんだけど、なんかそんなことないみたいで!』


「あのババアは一体、何年ソロモンの血筋を叩き潰せば気が済むんだ……」


 おとぎ話には続きがある。


 現人神ハブを愛し、傍らで支え続けた魔女の名前が、そのおとぎ話の続きでは語られる。彼女は心からハブを愛していたし、ハブもそれに応えていた。


 しかし、その愛は死によって穿たれた。ハブの魂は青年が呑み干し、跡形も残っていない。魔女は嘆き悲しんだ。青年の血筋を、苦しめ続ける事を世界と契約してしまった。


 魔女は今でも怨嗟を叫び続けている。穏やかな顔で、可憐な少女のような姿で、人の心を読み解いては、箱庭の世界を弄るように悲劇と悲劇の糸を結んできた。


 魔女はソロモンの血筋を許さない。今もまだ、殺さず、生かさず、苦しめ続けることに執念を燃やしている。


「……父親も母親も殺して、本人もかなり追い込んだんだろう。家を火の海にしたらしいじゃないか。今更、これ以上何をするんだ」


 男は疲れたように言う。ソロモンの傍系はぽつりぽつりと現存する。確かに、報告には上がって来ていた。確か、狛乃とかいう名前の傍系の、護衛と監視を任されていたレグルスが、急に家を飛び出して面倒ったらないと零していたのを覚えている。油断してちょっと目を放したら、簡単に盲目者用のゴーグルを割られていて肝が冷えたとも。


『VRなんて、外に出るのと一緒でしょ。気に食わなかったんだよ。家の中でうじうじ引きこもって、不幸せそうに見えたのに――』


「――変わり始める兆候があったと。それだけで動くのか。どれだけ暇だ、あの女」


『言っても詮無せんないことだよ。気に入らない相手を叩くのに、〝気に入らない〟以外の理由は必要ないでしょ』


「それで、何の用だ」


 そんなことはどうでもいいから、電話までかけてきた用件を言えとせっつけば、電話の相手はそうだった! と慌てたように言う。


『レジナルド君に連絡を取って、どっちの味方なのかを確認してほし――』


「あれは、狛乃の、というより魔術師の味方だろうな」


『え、なんで知ってるの?』


「数十年前に、自分の父親の病院で同族が生まれたと、迷惑な〝嬉しいんだメール〟が勝手に届いた。恐らく、それが傍系の狛乃だろう。あの男は〝同じ〟であることを異常に喜ぶ。同族意識だ。ゲームの席も金で買ったんだろう。ボンボンだから全てそれで通ると思っているし、実際にそれはいつも通る」


 通せるだけの金を持っているからな、という男に、電話先では唸るような声。ジンリーの手先で無いことは救いだとしても、レジナルド本人だってそうそう良い人というわけでもない。


 悩みどころだろうな、と他人事のように考えながら、男は鞄を手に授業用の部屋を出る。端末からは、悩むような声。


『わかった。じゃあ最後に……〝あの子の傷〟、医者としてどう見る?』


 白衣を羽織り、似非教師から医者らしさを取り戻した男は端末に耳を当てながら、澄ました顔でこう言い切った。


「どういう陰湿な方法で精神を痛めつけたらあんな症状になるのか、皆目見当がつかない」


 目が見えないのも、喋れないのも、消えない頬の火傷も全てが、男に言わせれば魂の傷。つまりは心の傷だ。魔術師の精神は肉体に直結する。精神が揺らげば肉体も揺らぎ、ひかない風邪にもかかることがあるのだ。


「しかし、一つだけ言えるとすれば」


 男は気怠そうに目を閉じて、今までの経験を思い出す。知り合いの魔術師たちは、どれも妙に灰汁あくが強いものばかりだった。


「魔術師は大抵、意固地で頑固だ」


 ――動き出したら、簡単には止まらないだろう。


 それが医者として、男の出した結論だった。




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