第七十三話:勝者の言は全てを塗り替える

 


第七十三話:勝者のげんは全てを塗り替える




 ――手にした武器が、熱い。


「……っ」


 自分がニブルヘイムを呼び起こし、最初に思ったことはそれだった。グリップを掴む掌が、焼けるような熱を感じている。痛みがオンになっていたら、激痛が走っているんじゃないだろうかと、そう思うほどの強烈な熱。

 鱗や角やらで出来ているはずの銃のグリップが、心臓でも持っているかのように脈動する。掌とグリップが、くっついてしまったような感覚。


「【フレイム】!」


 熱に耐えながら、詠唱を終えた唇がスペルを放つ。左右から回り込み、数を生かした戦闘のお手本のような動きで襲い来るグルアを、足元から噴き出した炎が呑み込んだ。

 炎に炙られ、その身に張り付けられた大量の魔符をし散らしながら、苦鳴と共にグルア達が後退する。


 肝心のレジナルドは高みの見物を決め込んでいて、油断をすればすぐに竜の子に視線を向けて、その度にぎゃんぎゃんと吠えられている。よほど嫌われているようだ。


『――次弾は』


「フレイムを」


 焼けつき、一体化したようなその武器は、自分で撃鉄を下ろさなくとも、指示だけで勝手に戦闘準備を整える。いや正確には、武器が、ではなくニブルヘイムが、という表現が正しいのだろう。


 自分の呼び出しに応じたアルカリ洞窟群の王者は、どうも常よりも不機嫌だった。針のような瞳孔を浮かばせる金色の瞳は、その不機嫌さを自分ではなく眼前の敵、レジナルドに向けることに納得したようだが、圧迫感は全く消えない。

 静かな怒りの理由はわかっていた。この危機は、回避できたはずの危機だ。ニブルヘイムが怒るのも無理ないだろう。


「反省してるんだ、そんなに怒らないで……」


『確かに僕は育児放棄をした身ですが、親としても、竜として、不満は尽きません』


 この危機は、回避できたものだったでしょう、と不満たっぷりに文句を言いながら、温度を下げないニブルヘイムの瞳は冷たい光を孕んで自分を見る。自分もその金色の瞳に謝罪の意思を込めて視線を向け、


「――温度下げろ、持てない」


『痛った!』


 小声で文句を言いながら一発、壁に優しく押し付けてやればあっという間にちょうど良い温度になった。拍動はそのままに、手に馴染む温度となったそれを構え直してから、その重い引き金を引く。


 彗星のように尾を曳く透明な弾丸がグルアの胸に着弾し、分厚い胸筋を噛み裂いてその内部に潜り込む。魔弾の反応速度は確かに一拍遅いが、肉体に直接魔法陣を刻み込めば、それを取り除けるほどの猶予は持たない。


 肉を切り裂き、勢いが消えた弾丸は消失。代わりに込められていた複雑な魔力回路が発現し、世界を変える儀式の道を、自分の魔力が走り抜ける。魔力は熱波を散らしながら炎と化し、グルアの内臓を焼き尽くした。


 6頭の内、1頭は自爆したまま再起不能。2頭目は内臓を焼き、残りは4頭。そのどれもがびっしりと魔符を張り付けられていて、対処するためには火の魔術を連打するしかない状況。

 致死性の高い魔弾を撃ち込まれるのを警戒し、唸りながら散開するグルアを眺め、レジナルドはさも残念そうに呟いた。


「私のペットに何てことするんだい」


「ペットにしては躾がなってない」


 即答でその戯言に返しながら、フェイントに引っかかった1頭のグルアに弾丸を叩きこむ。今度は普通の、いや、グルアの硬い頭蓋を貫く程度には凶悪な威力に改変された、デザートウルフの弾がその命を刈り取った。


 魔弾ばかりに気を取られていたグルア達は動揺し、それならばと、じりじりと左右から1頭ずつこちらににじり寄る。最後の1頭はレジナルドの傍に寄り、じっとこちらを観察している。もしかしたら、僅かに大きいあれが群れのリーダーなのかもしれない。


「ニブルヘイム、準備を」


『はいはい。いつでもいけますよ』


 竜が放つ魔法の威力は、どれほどのものだろうか。覚醒武器、『砂竜:ニブルヘイム』に出来ることは、自動装填、お喋り、武器のレベルに見合った、ニブルヘイムが保有する魔法系スキルの行使の3つだ。


 自動装填とお喋り程度なら、そこまでの負荷はかからないものの、竜の持つ魔法系スキルの行使は武器に大きな負担をかける。

 竜の魂を呼び込んでいる、というだけでも武器には過大なダメージがあるのだ。それを加速させるわけだから、当然、ニブルヘイムを呼び出せる時間も短くなる。


 失敗は許されない。今の銃のレベルでは、1度きりしか使えないだろうと武器屋のお姉さんは言っていた。2度目は、武器が崩れるだろうと。

 にじり寄り、後退するという行動を繰り返すグルアの狙い、いや、レジナルドの狙いは恐らく時間稼ぎだ。時間を稼ぎ、竜の子が保有する莫大な魔力が底を尽きるのを待っているのだと思う。


「最悪だ」


 いくら竜が持つ魔力が莫大だといっても、常に消費し続ければいつかは底が尽きる。ましてや、消費魔力が高そうな今のスキルの行使は、そう長く続くとも思えない。

 現に、先程から竜の子を包む成竜の炎膜は揺らぎが目立つ。限界が近い証拠だった。しかし、このまま時間稼ぎを続けられ、竜の子がダウンした後のことが予想できない。レジナルドは、一体何をするつもりなのか。

 窺うように視線を向ければ、心得たように彼は笑う。


「私が手に入れられないものを、誰かが手にするのは癪だろう?」


「手に入れる気満々のくせに?」


「枷を付けたところで、飼うには檻に入れるしかない。視線でで続けるのも悪くないが、それは望むところではない。恐怖にも屈しなさそうだし、触れられないのなら、簡単に君の手が届かない場所に送るしかない。――私の溜飲を下げるために」


「……?」


 何を、言っているのだろうか。焦りに巡りの悪い頭は察しが悪く、レジナルドは出来の悪い子供にするように、優しげに目を細める。


「未契約のモンスターは、死ねば、元の生息地に戻される。システムによって、自動的に。あの竜がログノート大陸出身じゃないのは、姿を見て確認できた。容易には、出会えないだろうね。この世界――」


 ――【Under Ground Online】という世界は、まるで本物の世界のように広大なくせに、本物の世界よりも情報の巡りが悪いのだから、と。レジナルドはそう言った。


「海を越えて、それでも出会えたならもう邪魔はしないよ。それか、今ここで私を倒せたらね。君の竜は諦めよう」


「信じられないけどね、その執着の仕方を見れば」


「いいや、これは本当だ。力と力がぶつかった時、正しいのも、理があるのも勝った側なんだから。私が勝てば、私が正しい。君が勝てば――君が正しい。当然のことだ。善悪の決定権は、いつも勝者が手にできる」


 勝てば官軍負ければ賊軍。それを堂々と口にする男は、悪魔のように口角を釣り上げる。その手の中でくるくると魔符を弄び、踵を鳴らせば、2頭のグルアが全速力で走り出した。

 回り込むように、円形の闘技場を左右から走って来るグルアを前に、自分の心臓は早鐘のように脈動し始める。


 全速力で走って来る巨大な獣は怖い。それはもはや人間の本能で、仕方がないものだ。おまけに自爆機能つきとくれば、近寄るだけでも恐怖に身が竦んでしまうだろう。

 普通なら、そうだ。普通ならば。


「ニブルヘイム、次弾装填。“熔魔ようまの色 赤竜せきりゅうの色”……」


 沈黙を保つニブルヘイムは無言で指示に従った。回転弾倉が動き、固定、重い撃鉄が、ごつり、と落ちて、灼熱を詰め込んだ弾丸の発射準備を整える。そのままニブルヘイムとデザートウルフをしまいこみ、自分は無手で彼らを待つ。


 走り来るグルアを十分に引きつける為に、恐怖と高揚感を抑えて踏みとどまる。まだ早い、まだ早いと震える足を抑えるのに気を使えば、口角が上がるのは止められない。

 左右からグルアが迫り、獲物を噛み殺さんと大口を開けた瞬間に、自分の足は地を蹴った。踏み切りは良好。十分に引きつけてから、前転するように前に潜る自分を捕らえきれず、グルアが巨体を捻るがその顎は空を噛む。


 反転し、自分も全力で身体を捻り、2頭の顎を下から突き上げるように鷲掴む。覚えのある流れの再現にグルアは恐怖に目を見開いた。

 数日前、同じように喉笛を切り裂かれた彼等は、今度は尽きぬ炎で焼かれることになるだろう。喉笛ごと顎を掴む自分と目を合わせ、2頭のグルアは覚悟したように目を閉じる。


「【ブラスト】!」


 悲鳴すら許さない、橙色の爆発が魔符ごと彼等を呑み込んだ。喉元が爆ぜ、焼け爛れ、速やかに死に戻るモンスター達の小さな血飛沫を浴びながら、腰元から抜き出したリボルバーで自分とレジナルドの間の地面を撃つ。

 一拍置いて、大きな爆発がレジナルドと自分を大きく隔てる。砂煙を上げながら、仕込まれていただろう魔符を巻き込み、多重爆発を引き起こす魔弾の炎。


 敢えてそこに走り込み、爆炎と砂煙に身を紛れさせ、スリルたっぷりのかくれんぼの気分を楽しむ。爆発音に紛れて足音は聞こえない。このまま突っ込んでも芸が無いので、相手の思考を全力で探る。もしも自分がレジナルドなら、この状況で何をするだろうか?


「竜か……っ」


 即座に仮説に従い足を動かす。もし読みが外れても問題は無い。爆炎を引きずりながら、幼竜の前に姿を現せば、すでに限界だったのか炎の膜は溶けるように散っていくところだった。武器を仕舞い、腕を伸ばすまでもなく、自分の懐に飛び込んで来る竜を確保。


 ずっしりと重いそれを抱えながら、走り――走れないくらい重い。


「重い!」


 ぎゅ? と可愛らしく首を傾げても、誤魔化せないくらいに重い。しかも、角度によっては鎧の端々に存在する棘が容赦なく腕に刺さる。鎧のように全身を覆う鱗なんだかよくわからないそれの隙間からは深紅の獣毛がはみ出ていて、一体どういう構造になっているのか。


 腕にくる重さを抱えながら何とか足を動かし、走っている、とは口が裂けても言えないようなスピードでその場を離れる。

 後ろからは重そうな足音が響き、本能に従ってしゃがんだ瞬間に、頭上で牙が噛み合わされる音。


 身軽ならば前転で回避できたかもしれないが、一度屈んでしまえばこんな重いものをすぐに持ち上げることなんて出来ない、無理だ。

 重さに伸びない膝を叱咤し、余分な重力に粘つく靴裏が地面を蹴る。つんのめるようなスタートダッシュ。遅すぎるそれに追いすがり、最後のグルアが背後で断頭台のような顎を開く。


『主――!』


 背後に逃げきれない死の風を感じた瞬間、爆炎を突っ切って頼れる相棒の姿が現れた。遅い登場だが、最高のタイミング。速度を落とさずに走り寄るギリーに向かって、全力で腕を伸ばす。


 風になびく手綱を無理やりに引っ掴み、大顎から辛うじて逃れ切った。無理な体勢でギリーに乗り込もうとすれば、遠心力までもが敵となり、あまりの加重に踏み込んだあぶみが悲鳴のような音をあげる。


 ギリーもバランスを崩さないよう、必死になって身体を反らすが、片側にだけ重さがかかればバランスはとりきれない。


「ギリー、踏ん張れ!」


 大きく身体が傾ぐのを叱咤し、呼吸を合わせてどうにかしてその背中に跨った。竜の子をギリーの背にしがみつかせ、両手でしっかりと手綱を取る。

 いまだ爆発の名残は消えていない。白煙が闘技場全体に立ち込めている、今だけがチャンスだ。


 自分ではどう考えてもあの男は仕留められない。ステータスも、プレイヤースキルも、頭も足りていない。覚醒武器を使ったとしても、近寄らせないのが限度だろう。

 仕留められる可能性があるのは、ギリーやモルガナのようにステータスの差で押し切れる存在だけだ。


 自分はグルアを、ギリーはレジナルドを。それぞれ仕留めに行くしかない。そしてそれは相手もわかっている。

 ギリーがこの闘技場に踏み込んできた以上、彼はグルアとギリーが対決するような構図を取ろうとするだろう。遠吠えのスキルはグルアも持っているから、相討ちになって意味が無い。


 爆炎を突っ切り、遠吠えを打って一気に片をつけるのは不可能。すると、自然と多角的に対処するためには、このままギリーの背に跨り、自分から特攻するのが一番良いという結論に至った瞬間――。


「……え?」


『……ッ!』


 煙を切り裂き、堂々と目の前に立ちふさがる鈍い金髪。速度を緩めないギリーの前に何気なく立ち尽くしているその姿に、意味が分からず思考が止まる。

 このままでは、男はギリーに跳ね飛ばされる。そう、思ったのに。


「――【起爆クラック】」


 レジナルドの一言で、世界は丸ごとひっくり返る。今日最大の爆発が、闘技場を揺るがした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る