第七十二話:怒り心頭
第七十二話:怒り心頭
観客席は最初、しん、とした空気に包まれていた。爆音が響き渡り、騒然とした空気は
飛び入りの戦闘に野次を飛ばしていた者も、異常事態なのを感じ取り、不安そうに成行きを見守っていた者も、誰もが目の前の光景に絶句していた。
突如、観客席にいたプレイヤーを決闘場に投げ込み、一方的に攻撃をくわえていたまでは、まだ見なくもない光景だ。少しばかりその強引さに閉口する者もいるが、野次を投げる者達の方が多かったことからも、祭りだからと見逃されていた部分があった。
しかし、決闘場に投げ込まれたプレイヤーが持っていた袋から純白の塊が取り出され、男がそれを〝竜の卵〟と呼んだ瞬間に観客――特にNPCは息を呑んだ。
覇者たる竜、その卵。それは、このログノート大陸においては、それだけの意味に留まらない。竜王を讃え、信仰し、全ての竜を
この大陸に配置される学習性AIが選ばれる際に、最も重要な〝ふるい〟こそが、竜への畏怖、尊敬、敬愛の念だ。
竜を讃えよ。竜を愛せ。竜と共に生きる者であれ。
ログノート大陸に配置されるNPCは、全て最初に神、陵真にそう言い含められる。
彼等は神に言われずとも、元より竜という生き物の姿形に、その魂に、その力に魅せられた者達であったから、神の言葉も今更だと微笑で返した。
人間でも、学習性AIでも、竜に魅了される者は今も昔も少なくない。絶滅したと言われる竜に思いを馳せ、その不在を嘆く者達は、今も多く存在する。
そして、竜に心酔する学習性AIのみを集めたこのログノート大陸において、竜を蔑ろにするということは、とんでもない大罪に匹敵する。
竜の卵は持ち主を選ぶ。気に入らない者の手にあれば、様々な方法でもってそれを拒絶する。一角獣の毛で編まれた袋に入れていたとしても、
それが、一体今の状況と何の関係があるのだといえば、NPC達の応援先への判断材料として大いに重要なことである、という言葉に尽きる。
「竜の卵……」
NPCの少女が、夢見るようにそう呟く。亜麻色の髪が風に揺れ、その囁きがさざ波のように広がっていく。疑問の声。奪われた卵は、奪った者を認めるのか。答えを求め、NPC達の関心が
「――美しい」
男は、
その長い指は竜の卵を手放さない。卵を持つ手は焼け爛れ、もうもうと蒸気をあげているのにも関わらず、手放す気配は欠片も無かった。
竜の卵が放つ強烈な熱。継続的なダメージを受けているだろうに、男の態度は揺るぎもしない。警告するように、卵からは熱波が放たれる。火傷しそうなほど熱い風の波が、観客達と略奪者の髪を焦がす。
純白の卵の登頂部分に、びしりと小さな
「――竜が孵る!」
本来の持ち主は崩れた闘技場の壁に埋もれ、未だもうもうと上がる白煙の内に隠れて見えない。神の息吹、と呼ばれる掃除の為の風が吹いていないことから、勝敗が決していないことだけはわかるものの、グルアの自爆によってダメージを受けたであろうプレイヤーは姿を現さないままだ。
びしり、びしりと掲げられた腕の中で世界との壁を壊していく竜の子に、観客達が息を呑んだ。熱波が連続で空気を焼き、掲げる男の指先が高熱に
罅が大きく広がっていき、上がる熱も蒸気も容赦を失くして加速していく。竜の子が放つものだけではない熱気が闘技場を包み込み、観客達のボルテージは最高潮に達していた。
竜が、孵る。盛大な炎が罅の隙間から吹き上がり、一気に外殻が膨張。元より抱える程大きかったそれは、中型犬ほどの大きさにまで膨れ上がる。
男はそれを確認すると呆気なく卵を手放し、どう見ても素人ではない足捌きで後退。もはや、質量の存在する殻に阻まれることも、引きずられることもない竜の子は地に落ちず、空中で膨れ上がる炎塊の中で産声を上げる。
巨大な竜を模した橙の炎が闘技場のど真ん中に君臨し、成竜、ニブルヘイムを以てして災害級と言わしめた力の意味を証明する。
炎の竜の内部で身を丸め、竜の子は絶叫を上げる。
現れたのは連結した特殊な鱗で全身を覆う、橙色の
その圧巻の光景。橙の竜が吼え猛るのを見上げ、観客と男が思わず瞬きをした瞬間に、畳みかけるように砂塵を切り裂いて重そうな銃声が鳴り響く。銃弾は男の足元に着弾、狙いを外したその攻撃を、男がふっと鼻で笑った。しかし、その銃弾は一瞬遅れて、世界に大きな変革を起こす。
「これは……」
危険に
即座に男の足が滑らかに動き、目算した魔術の効果範囲外に逃れる。発動までの時間が遅すぎるのだ。余裕で範囲外に逃れる男は、訝しむように目を細める。
瓦礫に埋もれていたはずの狛犬が仕掛けてきたのは明白だが、こんな見え見えの攻撃をするのは理に叶わない。男が見るに、あの生き物は人より少し、思考が冷めている。
おかしいとは思いながら、慎重に男は距離を取る。符術スキルで足元に広がる魔法陣を爆破し、無効化。更に、ここまで離れれば大丈夫だろうと、壁際に寄った瞬間に、男の頬を熱が掠めた。
男の視線の先、瓦礫の崩れた間からは、さざめく砂色の鱗。無骨で巨大な銃口が、獲物を探す猟犬のように鼻先を突き出していた。
晴れていく砂煙の中心に目を凝らせば、ゆらりと人型が見えてくる。アシンメトリーの黒い髪。怒りと意志に、強烈な光を孕む透明な黒の虹彩。左頬にはやけに目立つ
服は汚れに塗れ、所々が爆発によるものか破れていた。血が滲む腕は伸ばされ、その先には巨大なリボルバーのようなものが握られている。
グリップ以外が細かな鱗に覆われた巨大な銃。見るからに重そうな撃鉄は下ろされていて、それの持ち主は詰めていたらしい息をゆっくりと吐き出した。
「そこから出てくるな、勢いも保っておけ!」
主語の無い命令だが、今この場で何に命令したのか疑問に思う者は誰もいないだろう。主人の無事な姿を見て勢いを弱めていた炎を睨み、肝心の主人は竜の子に厳しい声を上げる。
拗ねたように幼竜は更に身体を縮め、唸り声を上げながらわずかに下がる。狛犬はぎろりと男の手元を睨みつけ、重そうな銃口を向けて男にも聞こえるように声を張り上げる。
「人の竜に、そんなものをつけようとしないでくれないか!」
「案外、
「それはどうも! ――起きろ『ニブルヘイム』!」
狛犬の叫びに呼応し、手にした銃が変貌する。唐突に、ぎょろりと銃身の根元にあった切れ目が開かれ、金色の瞳が場内を舐めるように動く。針のような瞳孔が細められ、鱗が笑うように波打った。温度を感じさせない爬虫類の瞳が、炎竜の鎧を纏った幼竜と、傍に残りのグルアを侍らせるヒューマン・アイザック、そして自身を手にする狛犬に鋭い、刺すような視線を向ける。
『呼び出しに耐え得る敵じゃないなら、貴方の腕を貰いますよ?』
「よく見ろ、どう見ても気違いだ。呼び出す価値くらいはある」
『ああ、折角の独り身を満喫していたのに……』
唐突に、声を上げる不気味なリボルバー。狛犬に鋭い視線を向ける、その銃から発せられる声は、アルカリ洞窟群の頂点に君臨する砂竜、ニブルヘイムのものだった。
それを見る男がひくり、と口元を歪ませる。苛立ちでもなく、不快感でもなく、愉悦に歪み、震える口元に不気味さが際立っていく。
「――いい、いいな。欲しい、それも欲しい。2つの竜の卵も、その竜と繋がる銃も、あの美しい一角獣モルガナも、白虎の細剣『クルードニア』も、あのダガーも、グラディウスも、あれも、これも、それも……手に入れるには、どうするか……どうすればいいか、どうするべきか」
男の唇がゆるゆると動く。壊れた人形のように首が傾き、ぶつぶつと呟く声がどんどん熱を帯びてボリュームを増していく。
ニブルヘイムの声で喋るリボルバーは、狛犬と揃って嫌そうに目を細めた。
『あれ、ただの気違いじゃないですね。狛犬、構えなさい』
実力が伴う気違いは、
覚醒武器としての矜持をお見せしましょうと、リボルバーはニブルヘイムの声でそう言った。
名のあるモンスターや竜に名をつけられた武器は、ログノート大陸では特別な呼び名でその存在を讃えられる。
覚醒武器と呼ばれるその武器は、普段はただの少し強力なだけの武器であるが、ひとたび意思をもってその名を呼べば、名を与えたその超常の存在が、
魔弾用大型リボルバー、『砂竜:ニブルヘイム』は、竜の魂が呼びこまれている間だけ、特殊武器にその存在を作り変える。
狛犬、と呼ばれたプレイヤーは、砂竜の声に言われるまでも無く、自身の卵を略奪した
歪む唇からは蒸気が上がりそうなほど、高温の声が零れ落ちる。
「――こんなところで切り札を切らせやがって」
八つ当たりと、怒りと、不愉快さと。複雑に入り混じった負の感情をごった煮にして、狛犬は男を睨みつける。男は手の中で弄んでいた道具、モンスターを隷属させる為の枷をポーチに仕舞い込み、改めて狛犬に向き直る。
「思ったんだけど、ヒューマン・アイザックって呼びにくいから、本名に戻そうと思うんだよね。私はレジナルドと言うんだ、レジーと呼んでくれてもいいよ」
「じゃあレジー。降参してくれないかな?」
結構、自分は疲れたんだけど、と嘯く狛犬に、自称レジナルドはにっこりと肩を竦めてみせる。
「闘技場では降参なんてないんだけど、知ってるよね?」
遠まわしに、死ねって言ってる? と小首を傾げるレジナルドに、狛犬はにっこりと優しく微笑みながら重い撃鉄をごとりと落とす。次弾が装填され、引き金に指がかけられるのを見て、レジナルドの傍に侍る5頭のグルアが轟くような唸り声を上げる中、
「――直球で死ねって言ってるんだよ」
怒りにざらつく声が響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます