第五十八話:宿屋でお目覚め
第五十八話:宿屋でお目覚め
果てぬ暗闇から明るい世界へ。
ぱちりと目を開けばこちらを覗き込む雪花とギリーの顔が見え、ゆっくりと身体を起こす。
メニューを開けば視界に日付と時刻が明滅する。テストプレイ3日目の午後3時。手頃な値段の宿屋で目を覚ますというRPG的な始まりを迎え、仮想世界での1日が音を立てて回り出す。
「おはよ、ボス。今日はどこ行くの?」
「……予定通り陸鰐の回収に向かう。台車の手配はしてあるから急いで出発するよ」
「はいよー。宿は? 連泊の手配はしてあるけど」
「予定ではログアウト前にエアリスに戻る。戻れなかったらその時に考える」
「じゃ、遠出するとだけ伝えとく。下で食事を出してくれるらしいから、それ食べてから行こう!」
うきうきと自分に立ち上がるように要求する雪花も、ファンタジーを自分なりに楽しんでいるらしい。宿屋でのご飯を心待ちにしていたらしく、早く早くと急かされながら荷物を持ち階段を下りて食堂に赴く。
1階部分は長机と簡素な木の椅子でほぼ埋まっていて、奥にカウンターを挟んでキッチンがあるだけの簡単な造りだった。長い髪をしっかりとひっつめた女性がキッチンから出てきて、適当に座れと並んだテーブルを示し、木のコップに入った水を出してくれる。
「おはよう、お客さん。私はベイツ。宿屋のベイツだ。メニューはパンとスープ、卵料理とサラダで固定だよ。持ち込みの肉があれば個別に焼いてやってもいい。捌いてあるなら無料、捌いてないなら大きさ毎に別料金だ。魚の持ち込みは遠慮してるよ、ここらの魚は食えるやつが少ないからね」
「はいよ、俺は卵オムレツにしてね! あと頼んでたのよろしく。ボスの方を多めでね」
「自分も同じで」
「はいよ、座ってな。水差しはこれ、出来上がったら持ってくるから」
大きな木の水差しを豪快にテーブルに置き、キッチンに向かうベイツを見送りながら水を飲む。喉にあった妙なイガイガが洗い流され、心なしか気分も良くなる。
「頼んでたのって?」
「グルアの肉、ちょっと分けてもらってたでしょ?」
「ハイエナの肉って食べられるのか?」
肉食獣の肉は美味しくないという話を思い出すが、竜脈で焼いて食べたアドルフも肉食兎だ。味についてはわからないが、食べてみればわかるだろう。
時間を置かずにトレーを2つ持ったベイツがやってきて、目の前に湯気の立つ料理が並ぶ。
「ボスって洋食の名前すら知らないって聞いたけど、まさかパンくらい知ってるよね?」
「流石にそれくらいは知ってる。固有名詞を知らないだけ」
「それはそれでどんな生活してたんだよって感じだけど」
コッペパンみたいなパンだなと呟く雪花と軽口を叩きながら、木で出来たスプーンでスープを掬う。
薄い塩味のスープで、小さく刻んだ根菜が入っていた。その他にオムレツと雪花曰くコッペパンのようなパン。ライン草と思われる葉のサラダには、黒っぽい液体がかかっている。
簡素でシンプルな料理にも、肉が添えられれば見た目にも華やかさが出る。適度な厚さに切られた肉が焼かれ、サラダに添えられていた。
「ライン草って小さいものならそこまで苦くないんだね、肉無いと寂しすぎるサラダだけど」
肉を噛みしめながら葉を頬張る雪花の言う通り、サラダに入っているのはライン草のみ。軟膏の為に採取したものに比べればとても小さいが、柔らかな苦みとしゃっきり具合がちょうどいい。
「コッペパンってこんなに硬いの?」
「いんや? コッペパンは柔らかいよ?」
サラダと肉の合間に柔らかそうなパンに噛みつくが、予想以上の硬さに思わず口を離す。心して噛みつき、鈍い音を立ててむしり取る。味があるが、硬いパンだ。
十数年ぶりに食べたものの、懐かしさを感じるほど記憶にない。新鮮な気持ちで口を動かし、無駄話はせずに料理を平らげた。
「水は?」
「持った。もっさんは呼べばすぐに来るし……あれ、ギリーは?」
「外で待機してる。肉の余りを貰ったらしい」
「アンタ達、馬は入り用かい?」
荷物を担ぎ、最後のチェックをしていれば片付けのついでにベイツが声をかけてきた。
「見てみりゃ、あのドルーウは下僕のじゃないだろう。下僕は走らせるのかい?」
「下僕にも良い馬がいる。問題ない」
どうやら雪花は自分の下僕という認識らしい。まあ。大して変わらないだろうと答えれば、不満顔の雪花が俺は傭兵だってと不平を言うが、ベイツからすれば雇われ男は全部下僕だと切り捨てられる。
「そうかい、じゃあ馬はいらないね。必要なら声をかけな」
「はいはい。じゃあ俺等はちょっと遠出するから。帰って来なくても部屋はあけといてよ?」
「前払いの分だけ、アンタ達が帰らなくても部屋はアンタ達のものだ」
晩飯は別料金だよ、という声を聞きながら扉をくぐり、人々やプレイヤーが行きかう騒がしい通りに踏み出した。入り口で待機していたギリーが親愛の情を込めて自分にすり寄り、その鼻面を撫でてから屈んだ背に飛び乗る。
『今日はどちらへ』
「陸鰐の回収に向かう。もう運ばれているかもしれないけどね」
購入しておいた鞍は自分のサイズにぴったりで、より安定した乗り心地を保障した。モルガナに鞍をつけて乗っていた雪花が羨ましくて用意したわけだが、これが意外と悪くない。
「いい買い物をした」
高かっただけあって品質も良いようで、鎧としても使えるらしい。革を何枚も張り合わせたそれは中々の硬度があり、柔なナイフなら弾き返すだろう。
手綱を振り往来を進めば、いくつか視線が集まるのを感じる。肉食のモンスターと契約したプレイヤーは比較的少ないようだから、物珍しいのだろう。
ゆっくりと進むギリーに恐々と手を伸ばし、タッチする遊びがNPCの子供達の間で流行っているらしい。先程からずっとだ、と唸るギリーに子供達が一々歓声を上げる。
「人気者だね」
『もっと気が短いグルア相手では、傷つかないとはいえセーフティーエリア外にまで連れ去られるからな。主の顔を立てる私は大人しい方だから、良い的になっている』
「学習性AIである以上、NPCと仲良くするのは良いことだ。ほどほどに相手をしておくといいだろう」
「もっさんが街の中についてきたがらない理由がわかった……」
同じように子供達に群がられて困った顔をしている雪花がそうぼやくが、子供達を無下にしない彷徨い人に向けられる視線は柔らかい。
「んあ? あぁ、もっさんだ」
雪花の声に顔を上げれば人々の嬉しそうな歓声を浴びつつ、純白の一角獣が通りを優雅に走って来ていた。
NPCにとってはドルーウよりも珍しいのだろう。歓迎の声を受けながら緩やかに雪花の前で並足になり、銀色の鬣を翻して静かに
『16番通りに美人がいたぞ』
「……」
モルガナの囁きを聞いて縋るような目でこちらを見る雪花の頭を、ギリーの背の上から無言で蹴り飛ばす。
この世の終わりのような表情で首を振る雪花に、モルガナはふんと鼻を鳴らし、ならば乗るがよい、と鷹揚に立つ。
乗るがよいと言いながら膝を折らず、屈むことの無い相棒に苦笑しながら雪花が慣れた様子で、腰の長剣をベルトの金具に固定する。普通の馬より体高が高い一角獣に乗るのは容易いことではない。しかも協力的ではないとくれば、そこいらの者が乗ろうとしても無様な様子を晒すだろう。
「乗れるのかー?」
「落ちたら格好悪いぞー」
心底嬉しそうに囃し立てる子供達に眉を上げ、雪花はポケットから手袋を取り出しながら舞台の上の俳優のように両手を広げて半回転して見せ、大きくなった歓声に押されながら静かに立つモルガナに歩み寄る。
さっとモルガナの鼻面を撫で、銀色の手袋に包まれた手で螺旋の角を掴み、
お土産をよろしくと言われ子供達から賞賛を浴びながら、手綱を振り駆け足で通りを走る。慌てて道を開ける人達に手を振りながら、一面の草原に踏み出した。
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