第五十三話:帰還

 


第五十三話:帰還




 目の前で悲鳴を上げながら、獲物がだいだいの炎に呑まれた。


「――ッッ!」


 声にならない悲鳴を上げ、目の前の獲物はその身を焦がす炎を振り払おうとがむしゃらに腕を振る。しかし、そんなことで威力と凶悪さを増した魔術の炎が消えるわけが無い。

 鮮やか、いっそ艶やかと表現するべきと思えるほど深みのある橙が鳥の羽のように辺りに舞い、触れたものを緩やかに蝕んでいく。

 肌を焼き、焦がし、融かし、流血すら許さずにその身を蝕み燃やしていく。腕の筋肉が燃え融かされ、尺骨しゃっこつの一部が晒された。


 肉が焦げる臭いと脂が爆ぜる音、剥き出しの骨が橙色によく映えて、思わずその光景に見惚れて頬を緩める。

 見る見るうちに獲物は燃え、肩の骨が露出したと思った瞬間に紫色の燐光が弾け散った。炎が緩やかに鎮火され、システムが体力の限界を感知して獲物を≪瀕死≫状態に移行させる。

 倒れ伏した獲物は辛うじて瞼に守られ、視力を失わなかった瞳でこちらを見上げ、しかしその喉は焼けてしまったのか声は出てこない。


 見下ろせば、森を這っているのを時折見かける大きなムカデが獲物に這いより、一齧りするだけで獲物――エンヴィーは紫の粒子となって完全に死に戻りした。

 散っていく光に紛れて魂らしき光が明滅し、吸い込まれるように地中に消えた。恐らくは竜脈によって運ばれ、最寄りの教会にて復活することになるのだろう。


「ふー……」


 未だ消え去らぬ興奮を無理やりに深呼吸で押し込めながら、宥めるようにすり寄ってくるギリーの頭を緩やかに撫でる。

 遠巻きにしながらも周囲の警戒を怠っていなかったフベさん達に向き直れば、あんらくさんがぐっと眉を寄せてみせた。


「なんで血塗れなんだ、狛」


「プレイヤーの血じゃないですよ。そっちはモルガナがやったんで、全部グルアを仕留めた時の返り血です」


 飛びかかってくる巨体の下に潜り込み、超至近距離からの【遠吠え】。そこから斜め下方からアドルフの爪を振り抜き、喉笛を切り裂けば真正面から血を被ることになる。

 巨体に見合った量の血液が噴出し、それを2、3回繰り返せば当然頭の先から爪先まで、血に汚れるのは自明の理だ。


「血塗れの魔術師って珍しいですよね。切れ味の良いナイフを持つと、まあ必然的にそうなるでしょうが」


「にしても雰囲気すげぇぞ。そのままホラゲーやれそうだぜ」


「鏡無いから実感湧かないんですよねぇ。あれ? 雪花見ませんでした? 一緒に来てた筈なんだけど」


『雪花なら途中、モルガナに振り落されて遅れている』


 ギリーの言葉と共にがさがさと茂みが音を立て、純白の身体が躍り出る。月光に照らされなくとも光を放つユニコーンは、その背にぐったりとした様子の雪花を乗せて堂々と現れた。

 フベさんの丁寧な挨拶に気を良くしたように鼻面を寄せ、すっかり油断していた雪花を急な回転で容赦なく振り落す。


「ぎゃんっ! ちょっともっさん、酷くない!?」


『知らぬ。趣味嗜好が合わなければ本来お前のようなビッチなどこの背に乗せてなるものか。ありがたく思い、そして噛みしめよ』


「もっとオブラートに包めないの!?」


『訂正しよう――性に奔放な清らかな魂は認めよう。だがしかし、お前が清らかであることを我は認めていない』


 ばっさりあっさり、雪花をそう切り捨てたモルガナは荒い鼻息と共に低く嘶き、そのまま静かに沈黙した。

 フベさんが面白そうに雪花を見るも、不貞腐れた雪花はいじいじと文句を言いながら立ち上がり、派手な爆発の痕跡に唇の端を引きつらせる。


「まさか仕留めた?」


「面白い結果だった。真正面から超至近距離で直撃させることが出来れば、ほぼ内部から焼き尽くすことが出来る。本来の威力よりも明らかに効果があった」


「【ブラスト】使ったの? スクショ撮った?」


「撮っておきましたよ、何枚か。後で必要ならお送りしましょう。さて――」


 言いながらフベさんが片手を振り、皆の注目をさっと集めた。視線を一手に集中させ、フベさんはにこりと微笑みながら背後へと手を差し出し、新しいメンバーですと誰がしかを紹介する。


「……」


 木の根の上を上手く移動し、かさりとも音を立てずにのっそりと男が現れた。身長は185はありそうな長身で、筋肉質な身体はがっしりとした戦闘員を思わせる。

 ボディビルダー程ではないが、兵士としては標準と言えるような身体つき。明らかに野戦慣れしていそうな雰囲気を裏切らず、その目は野生の狼のように研ぎ澄まされている。


 なんてことの無い黒髪に、斑に白髪が混ざり複雑な色合いをていしていた。瞳の色は日本人に典型的なブラウンであり、歳は20代前半だろうか。

 若白毛わかしらがが少し目立つが、それ以外に容姿として特徴的な部分は無い。悪くも無く良くも無くという容姿の中で、それだけが悪目立ちしているようだった。


「名前は“ヴォルフ”。アビリティは“見習いレンジャー”。新しく入ったんで、よろしくお願いしたい」


 男はぺこりと軽く会釈し、簡単な自己紹介を端的に済ませて見せた。悪印象をもたらさない初手だが、それ以上に没個性を狙い過ぎているような気がするのは、出会う人出会う人、個性が強すぎるきらいがあるからか。

 落ち着いた男性、という印象を抱いたまま会釈を返し、よろしくお願いしますと言えばヴォルフさんはこちらを見て少しだけ驚いたように目を見開いた。

 顔も髪も血でべったりでは最初の印象は最悪だろうが、それで距離を置くような人でもないらしい。寧ろ肝が据わっている様子でこちらに歩み寄り、会話の輪の中に自然に滑り込んで来る。


「エンヴィーが所属する『ダブルキャット』の他プレイヤーの監視をしていたが、エンヴィーの敗北を確認した途端に撤退した。いや、正しく言えば――」


 何かの報告だろう。ちらり、と気遣うようにこちらを見るヴォルフさんに、フベさんが気にせず続けてと促せば、彼は少しだけ躊躇した後に報告の続きを述べる。


「――正しく言えば、そこの……血塗れの人に即座にエンヴィーが仕留められた、という話だけでギルド構成員の半分は混乱に陥ったと言っても良い。実際に見て、尚更だ。フベとあんらくが無傷だったことも理由にあったが、これだけの精神的圧力の下、そういったものに全く物怖じしない切り込み隊長であるエンヴィーがいないことから、撤退を判断したらしい」


「ああ、確かに。悪鬼みたいですよ、狛さん」


「そうですか。自己紹介まだでしたね、“狛犬”です。アビリティは“見習い魔術師”です。よろしくお願いします」


「俺はこっちのボスに雇われてる、傭兵の“雪花”。同じく魔術師なんで、よろしくー」


 フベさんの含み笑いを適当に流しながら自己紹介。次により砕けた様子で雪花が名乗り、ヴォルフさんは頷きながら覚えた、と静かに呟く。

 どうやらエンヴィー属するPKギルド、『ダブルキャット』は様子見として送り込んだエンヴィーが死に戻りしたことで襲撃を断念したらしい。

 恐らく『ダブルキャット』ではなくエンヴィーがバトルジャンキーなだけで、他のメンバーは違うのだろう、戦闘よりも利益を求めているPKギルドは、余りにも損失がでかいと判断すれば、意外とあっさり引いたりすることも多いのだとか。


「さて、とりあえずの襲撃は躱せましたし、帰りましょうか」


「賛成だ、ニコニコ達とジジイはもう着いたみたいだぜ?」


「? どうやってわかったんですか?」


 くるくると指先を回しながらスクリーンを操作しているらしいあんらくさんがそう呟き、何故わかるのかと聞けば簡単だ、と言いながらステータス画面を開けという。

 素直にステータス画面を開けばメッセージ着信の文字が浮かび、点滅していて、指先でタップすればセーフティーエリア内ではないので、表示できませんと警告文が表れる。


「ああ、開けないけどワン切りみたいな感じには使えるんですね」


「到着したらメッセージ送信してくださいって説明したでしょう? 開けなくとも、予め内容を決めておけばこんな使い方も出来るんです……にしても早いですね。死に戻りでしょうか?」


「さぁ、どうだろうな。狛、わかるか?」


「とりあえずチビは死に戻りしてないんで、大丈夫そうですけど」


 モンスターが死に戻りした場合は即座に戻ってくるということはなく、プレイヤー達とはまた違った場所で肉体を得て復活するというのだから、チビ達と“繋げられる”時点でその心配は余り無いように感じられた。

 それを聞いたフベさんは何度か頷き、まあ大丈夫でしょうと言いながら森の中を歩き出す。


 ダッカス街道に沿った森の中の獣道。病に浮かされているような熱が過ぎ去り、一気に精神的疲労が押し寄せた自分はギリーの背に乗ったまま、ぽつりぽつりと報告会に参加する。

 頭を上げていると時折低い枝にぶつかりかねないので、うつ伏せになったまま、だらしなく脱力したままゆっくりと精神を落ち着かせる。

 構造的に同じような体勢が取れない雪花は何度か低い枝に額をぶつけた後、ぶつくさと文句を言いながら自力で森の中を歩き出した。


 見ている限りでは、モルガナがわざと枝にぶつかるように進んでいたとしか思えないのだが、雪花はそれに納得しているのか。あそこの主従関係は微妙なものがある。

 アレンは思いのほかあんらくさんに懐いたようで、片腕の代わりを立派に務めているようだ。リクに関してもフベさんを気に入っているようで、足元をうろつきながらちらちらと目を合わせようと見上げている。


 数時間前に見たチビとトトの反応を見ても、彼らはそれぞれあんらくさん達に預けても良いのではないかと思い始めていた。

 それぞれに聞いてみた時の反応も満更では無いようだったし、最終的には自分との契約は切らないと断言はしてくれたが、やはり自由に好きなところに行くことが一番の幸いだろう。

 これで街に戻り、全員分の軟膏を作り終えた後。その後の活動についても、考えなくてはならない。


「――でだ、そっちはどうなんだ?」


「あ? あぁ、えっとですね。こっちはPKギルド『カルーン』のギルマス、“ヒューマン・アイザック”とその契約モンスター6頭、全て殲滅しました。モンスターは死に戻りから戻るまでに1日はかかるようですから、今日中に挑んで来る可能性はかなり低いです」


「参考までに、どうやって仕留めたんです?」


「簡単に言えば裏切りです。元々、雪花の雇い主だったらしくてですね、紆余曲折ありましたがその部分を利用してモルガナが一突き、オシマイ、です」


「華々しい出落ちを飾ったと見ますが?」


「スクリーンショットが欲しければ差し上げますよ?」


「是非」


 にこやかに微笑むフベさんにスクショを送り、報告を続ける。仕留めたからには戦利品もしっかりあり、その中には現在においては希少価値の高い品や、他のプレイヤーから奪い取ったと思われるアイテムまで様々だ。

 有効利用するには人当たりが良く、策謀に長けたフベさんに渡すのが得策と判断した他、雪花への報酬も違う形で用意したので、しっかりと納得してもらっている。


「簡単に質問したところ、どうやらギルドのロッカーがパンパンになるほど、戦利品を溜め込んでいたようです。入りきらない物品は自分で所持、もしくはグルアに持たせていたようで、今回所持していた物は全て回収しました」


 回収した物品の数は多く、純粋に本人の持ち物であるとみられる魔符まふや水筒、食料を除けば、全てが盗品の可能性があった。

 ギリーに背負ってもらっている大きな袋にうつ伏せのまま手を突っ込み、覗き込んでからふとある可能性に思い至る。


「――ヴォルフさん、被害にあいませんでした?」


「……あぁ、恥ずかしいことにな。死に戻りしたくなければ寄越せと言われて、差し出したものがあるが」


「おや、良かったじゃないですか。狛さんは信用しても大丈夫ですよ、狼さん」


 語尾を濁したヴォルフさんに対し、フベさんがあっけらかんとそう言った。真意を問うようにこちらを見るヴォルフさんに、袋の中から小さな麻の袋を取り出す。

 中に柔らかい草を大量に敷き詰められたそれの中身は、中くらいの卵だ。それも、ギリー曰くただの卵ではなくモンスターの卵だという一品。

 自分以外にも同じように卵を入手していた人がいることにも驚いたが、それを知り、調べ上げ、片っ端から襲って奪うという行為を繰り返していた“ヒューマン・アイザック”にも驚いたものだ。


「これ、狼野郎の卵だって言ってました。貴方のですか?」


「――そうだ。だが」


「だが?」


 再び言葉を濁し、ヴォルフさんが言いよどむ。フベさんは黙ったままだし、あんらくさんはアレンと遊んでいてこちらの相談事にはノータッチを貫くつもりらしい。

 諦めてヴォルフさんの言葉を待てば、所在無さげに彼は呟く。


「――信じて、くれるだろうか」


「……あぁ」


 一瞬、何を言っているのか分からなかったが、すぐに合点がいった。要するに彼は、これが本当に自分の持ち物であると証明できるものを何も持っていないのだろう。

 見たところ契約しているモンスターもいないようだし、その方法に思い至らないのも無理はないが、その問題はとっくのとうに解決していた。


「大丈夫ですよ。ね、ギリー」


『うむ、この卵からは3人の人間の臭いしかしない。それだけで問題ない筈だ』


「あ、ああ……そうか。君の契約モンスターは鼻が良いんだったな」


 自分の問いを肯定するようにギリーが吠え、それを聞き取ってヴォルフさんがほっとした様子で息をついた。

 そのまま近くに来てもらい手渡せば、彼は心底嬉しそうに零れるような笑みを浮かべる。中身はなんだか分からないらしいが、彼は自分とはまた違った経路でその卵を手にしたらしい。


「自分も持ってるんですよ、卵。自分は完全に偶然でしたけど、ヴォルフさんはどこで知ったんですか? 卵の話」


「俺は仲良くなった街のNPCから聞いた。魔法道具の店の店主だ。そういった魔法道具とかが好きで、初日から入り浸って質問攻めにしていたら気に入られたらしい。最終的に扱いに困っているという卵を店の奥から引っ張り出してきて、長々と説明を受けた」


「そういう方法が……」


 五号と名乗るケット・シーが言っていた通り、竜脈で獲れた卵が、裏で秘密裏に取引されるというのは本当の話のようだ。

 その店主はどうやら持ち込まれて押し付けられたあげく、持て余して処分に困っていたようだが。


「NPCの犯罪者が押し付けていったそうだ。ケット・シーに追われているとか何とか、店主はケット・シーはおとぎ話の存在で、実在しないと言っていたがどうだか……」


「あ、いますよ。ケット・シー。竜脈に。危ない性格の二足歩行の猫です」


「……なるほど。店主は卵は竜脈で獲れるものの、竜脈を守る大いなる番人がいるから、迂闊に手を出してはいけないと言っていたが」


「危険なモンスターが多いですし、卵もそうぽんぽん落ちてませんでした。寧ろ、数時間彷徨ったんですけど、タイミングの問題なのか1つも見ませんでしたよ」


 大分長く竜脈を彷徨ったものの、地面に転がっている卵など1つも見なかった。ケット・シーによれば未回収の卵は通路にぽんと置かれているらしいので、これは単に自分にそこまでの運が無かったか、ちょうど回収後のことだったのかはわからない。

 自分も同じく卵を持っている身としては、卵の安否を左右する情報は少しでも多い方が良い。ヴォルフさんもそれに同意し、恐らくは正規の方法で辿り着くのであろう卵の情報を教えてくれた。


「こんなところか。他は……まあ、俺も知らない。卵を保管していたNPCもよく知らないらしい。研究している奴は根こそぎ“選定の日”を境に消えたらしいし、あるとすれば研究者が書いた書籍がどこかにあるかもしれない、くらいだ」


「また書籍、ですか。大変ですね」


「全くだ」


 ヴォルフさんの溜息が消えるのと同じくして、ようやく深い森を抜けた。少し先にみえる“始まりの街、エアリス”の一部を見上げ、その巨大さに未だ慣れないまま近付いていく。

 ここまで来てしまえばもうPKプレイヤー達を覆い隠す物は無く、周囲を見渡しても怪しい影は1つも無かった。

 程なくして街に踏み込み、本当の安堵感に皆が一斉に緊張を解く。視線を集めながらも見慣れた料理店の前で扉を叩き、自分達は今度こそ無事に帰還したのだった。




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