第五十二話:月光、凶相を染めて
第五十二話:月光、凶相を染めて
「フベさんからだ――」
「なんて? というかボス、落ち着こう? ね?」
「ちょうどいい敵がいるらしいよ。バトルジャンキーだって。〝エンヴィー〟?」
「行くにしてもちょっとお兄さんと水浴びに行こう! ね!?」
「時間が無い。ギリー乗せて、間に合えばもう一勝負出来る」
「せめて水被ってから! 楽しいのはわかったから、少し熱を冷まそうって!」
「雪花――」
「……はい、なんでしょう」
「――此処で死ぬ? それとも来る?」
銃口を額に押し当てられ、動きを止めた雪花はひきつる喉を抑えながら、消え入りそうな声で答えを返した。
遠くで悲鳴が聞こえた気がして、あんらくは片目を細めて背後を振り返った。鬱蒼とした森の中、木々の合間を見透かすように視線を向けるも、特に怪しい影は見当たらない。
足元でアレンが機嫌良さげに尾を打ち振り、うぉんと吠えながら軽やかな足取りで立ち止ったあんらくの背に頭突きをする。
「んだよ、アレン」
陸鰐との遭遇後、あんらくの失くした片腕の代わりを務めてくれているアレンは、尾を振り続ける事で何か嬉しいことがあったのだとあんらくに訴える。
それを何となく読み取ったあんらくは残った片腕でアレンの頭を撫でながら、前方を行くフベに声をかけた。
「フベ、狛がなんかやらかしたらしいぜ」
「……おや、勝ったみたいですね」
声をかけられ、振り返ったフベは、頷くアレンの様子を見て狛犬の勝利を確信する。それは良い、と頷きながらにっこりと笑みを浮かべ、少しだけ考える素振りを見せてから静かにアレンに向き直った。
「アレン、あれ出来ます? 感覚の共有、耳で良いです」
うぉん、と吠えながら頷くアレンに、フベが再び微笑みながらそれを要求。少しして繋がったらしいと頷くアレンに、フベは小さく囁くように何かを口にする。
聞き取ったあんらくが片眉を上げ、そう上手くいくか? と小さな疑問を口にするも、フベは出来ますよ、と取り合わない。
「ならいいけど、いつもの客だぞ」
肩をすくめながらあんらくは顔を上げ、来訪者の存在をフベに伝える。索敵スキルを持たないフベは僅かだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに普段通りの眠たげな瞳に戻る。
穏やかとも、笑っていないとも取れる静かな目を前方に向け、小さく小さく舌打ちをする。
「見つけたぞ魔王! 後、あんらくとモンスター2頭!」
フベの更に前方。唸り声を上げながら背中の毛を逆立てるリクの視線の先に、1人の若い金髪の男が立ちはだかっていた。
オールバックにした金髪はきらきらと無駄に光り、手に装着されている灰色の手甲が木々の隙間から僅かに差し込んだ月光を反射して輝いた。
全身を濃い灰色の衣服で覆う男は童顔で、その表情の明るさも相まってとてもじゃないが25歳以上には見えない。同じ童顔でも雰囲気が違えばここまで違うのかと、あんらくはフベと目前の男を見比べるも、あんらくの視線の意味に気が付いたフベに睨まれ、呆気なく視線を逸らす。
「あー、なんだ。気にすんなよ。大丈夫だ、雰囲気は全然若くねぇから」
「フォローにならないフォローをありがとうね、あんらく君」
「今日こそ滅べ魔王! 前は負けたけど「あんぐら」でリベンジだ!」
半ば意図的に無視されているのを知ってか知らずか、金髪の男はびしぃと指をフベに突き付け、高らかにそう宣言。
イラつきも相まって半ばやさぐれた目で不快感を示すフベの表情をガン無視し、手甲を打ち合わせて気合の高さを見せつけてくる。
話を聞きそうにない外見と言動を裏切らず、男はフベの発言を全て無視。手甲を派手に打ち鳴らすという、野生の獣のような威嚇を行い、口上を口にしながらぐっとその腰が落とされて、妙な威圧感を撒き散らす。
「俺はPKギルド『ダブルキャット』所属の〝エンヴィー〟だ! アビリティは〝見習い拳闘士〟!」
「――話聞けよガキが。……おや、間に合ったみたいですね。あんらく君、下がって」
「ああ? あぁ、成程な。じゃあ俺は他の雑魚迎撃すんぞ」
「余所見すんなよ魔王! あんらくは片腕だから今日は戦わない、代わりにお前を討伐して――」
「ああ、エンヴィー君。今はまだ僕と戦う時期ではありませんよ。魔王と戦うには魔族四天王的な立場の者を倒さないとしまらないでしょう?」
「――四天王……それもそうだ。何だよ、〝どどんが〟とかいるの?」
「……あっさり納得すんなよ。しかも〝どどんが〟はいねぇよ」
なんて残念な頭してんだ、とあんらくはエンヴィーを見ながら嫌そうに顔をしかめるが、フベは悪乗りを始めたのか悪い笑みを浮かべながら人差し指を突き付けて高らかに宣言する。
「いいえ、一度とはいえ貴方に負けたことのある〝どどんが〟君など四天王の中でも最弱! 上には上がいるんですよ、今日は新しい四天王が君の前に立ちはだかります」
「マジでか!?」
「……そもそも四天王なんざ揃ったことねぇだろうが」
「うるさいよ、あんらく君」
小声でツッコミを入れるあんらくの足をフベが容赦なく踏み抜き、痛みに悶絶するあんらくを無視したままフベはますます芝居がかった動作で片手を上げ、こちらの方です、と邪悪としか言えない笑みを浮かべる。
フベの示す右腕の先、エンヴィーが期待と興奮の入り混じる視線を向ければ、次の瞬間、パン、と乾いた音と共に、エンヴィーの白い頬を熱が掠め、たらりと赤い血が流れ落ちる。
頬に手をやり、流れる血を受けたエンヴィーが興奮に打ち震えて唇を歪め、ずっと唸り声を上げていたリクが初めて嬉しそうな吠え声を上げる。
銃口から立ち上る煙に隠れ、その顔は隠されている。硝煙の臭いに紛れていた血臭が隠し切れずに漂い始め、むせ返るような血の匂いにあんらくが鼻面に皺を寄せた。
フベ曰く新四天王なる人物は愛銃を下ろし、ホルスターへ。その動作と共に煙が散り、その凶相を顕わにする。
傍らに伴った巨大なドルーウが地を這うような唸り声を上げる中、血塗れの顔の中で唯一汚れの無い瞳がエンヴィーを見据え、挑戦を受けるとでも言うように静かに構えの姿勢を取る。
「全身血塗れでまさに悪の四天王! 相手にとって不足無し!」
「……」
武者震いに浸っていたエンヴィーは
腰を落とし、足に力を入れ、笑みを浮かべたまま足場を蹴り込み、瞬発力の数値に物を言わせてエンヴィーが敵の懐に潜り込む。
全力の正拳突き。腰の回転と、拳の螺旋回転で最大まで威力を高められた突きが、敵の肋を打ち砕こうと唸りを上げる。
しかし胸部に迫る拳はトップスピードに乗る前に、敵の右手に手首を掴まれ強引に軌道修正。左の脇下を抜ける形で攻撃はいなされ、空いた左手がエンヴィーの顔面を真正面から鷲掴む。
左の胴ががら空き、と言いたいものの、手首を掴まれれば力は分散され上手く動かせず、左手は右手の正拳突きの為に後ろに引いた状態。
そこから前に突き出して反撃するには1拍遅く、そしてその1拍が致命的なことをエンヴィーは直感で理解する。
「……ぅ、ぉおお!」
死に物狂いで地面を蹴り、その反動で顔面を掴んでいた左手から全力で逃れる。右手はいつの間にか解放されており、特に抵抗も無く空中に退避。
そのまま着地と同時に更に距離を取ろうと考えて、自分の行動が誘導されたものであったことに遅まきながらようやく気付く。
どれだけ足を伸ばしても、全力で跳んだのだから着地まではタイムラグがある。
目の前で血塗れの顔を戦闘の喜びに輝かせ、壮絶な笑みを浮かべる敵の顔を見て、エンヴィーは喉からひきつった悲鳴を上げた。
木々の隙間から差し込んだ月光が、その赤黒く汚れた顔を照らし上げる。悪鬼のように口角を上げ、悦楽に浸るその凶相を。
「――【ブラスト】ォ!!」
伸ばされた左腕から熱波が散り、近くの木々を薙ぎ倒す程の爆発が起きたのは、その直後の事であった。
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