第四十四話:一方的な再会宣言

 


第四十四話:一方的な再会宣言




 かつて、この箱庭の世界で大きな戦争があった。


 その戦争は広く、長く、魂が復活できなくなるまで、誰もが力を振るって戦い続けた。


 新しき神と古い神の、どちらに従うのか。それが争いの根本こんぽんであった。学習性AI達は思考する。感情を持ち合わせているからこそ、彼等は新しい命と呼ばれる。

 新しい神が現れることへの反発から、彼等はその力でもって世界に抗議する。


 娯楽としての、スポーツとしての、互いを認め合うための戦いではなく、相手の存在そのものを否定し、叩き壊すための争いだった。

 AI達は思考する。箱庭の世界であっても、与えられただけの役割であったとしても。その一つ一つの決断は、ロールプレイに則ったものではない。


 故に彼等は決断しただけである。そしてその決断を境に、箱庭の世界は本物へ化けた。彼等も、神も、世界のルールだけは破らなかったからこそだが、それでもこの世界は本物足る世界と成った。


 あるAIは決断する。古き神が滅ぶのならば、我らも世界も、此処で終わるべきものであると。


 あるAIはこう叫ぶ。古き神が望んだのは、世界の終わりではなく、その続きだと。


 またあるAIは新しき神の為に、勇者の名を借りて世界に参じた。神に反するものは粛清しゅくせいすると、与えられた力で真っ当に、ルールを守った上で争った。


 本物の世界のように、失われた記憶も多い。AI達の中で口伝されてきた技術やものが、この戦争で多く失われた。

 勇者に切られた者は復活できず、未だ、竜脈の中をさまよい続ける。


 私はただそこに居た。戦場のど真ん中に運び込まれ、祝福の力を利用された。私はただ何もしなかった。


 悲鳴が飛び交い、戦いにいて、不毛という意味を知り、世界はようやく、美しい箱庭から、泥臭い現実に堕ちた。

 学習性AI達は負の感情をこれでもかと学び取り、今再び、爆発する時を待ちかねている。






 奇跡のような出会いの記念に、昔話をしてあげようと獣王は言った。いずれ必要になる、この世界の古いお話。この世界の転換期てんかんき。恐らくは、“選定の日”に深く関わる大戦争。

 語り口は静かで朗々と暗闇に響き、聞く者の心にひどく自然に入り込む語調ごちょうと声だった。


「じゃあ、望んで戦争を巻き起こしたんじゃない?」


『そうとも言えるし、そうとも言えない。私はただ何もしなかった。決断しなかった、選ばなかった、選択しなかった、迷わなかった。望んでいないこともなく、望んでいたことでもない。ただ――』


「ただ、その場を去らなかっただけ?」


『その通りだ。私は自分が選択した結果が、何かを引き起こすことを良しとしなかった。でも今は素敵なことだと思うよ。自分で考え、選び取ることは全てにおける分水嶺だ。この先、変わるも変わらないも、生かすも殺すも、会うも会わないも全ては一番最初の答えにって起こる』


「分水嶺……」


 落ち着いた声色で獣王は話す。瓦礫に腰を下ろした自分の横で、静かに座りながら黒猫はゆっくりと言葉を重ねている。

 最初は警戒をしたものの、すぐにその警戒は解けた。お話がしたい、という彼の意を汲み、自分はこうして貴重な時間を過ごしている。


『分水嶺さ。私が此処で君と話しがしたいと口に出した決断も、君がそれを了承した決断も、全ては尊い。未来は無数にある。私が君を殺してしまった未来も、君が私を攻撃した未来も、或いは出会いさえしなかった未来もある。全てはタイミングと、常に求められる決断の結果だ』


「互いに、話をしようと決断したからこそ、今がある?」


『そうだね。すれ違うことも出来た。嫌われることも、嫌うことも出来た。憎むことだって、不可能ではない』


 どうしてか悪い方向ばかり喩えを上げる獣王にムッとして、自分はゆっくりとその小さな頭に手を伸ばす。

 空中に出し直したファイアがふらりと揺れて、長い影が正面に落ちた。動く影は一足早く獣王の頭に触れていて、それを横目に静かに問う。


「触って良い?」


『良いよ』


「ありがとう」


 静かに、その柔らかい頭に触れる。さらさらとした体毛に、思ったより毛が少ない硬めの耳、頭蓋ずがいの感触が綺麗な丸を描いていて、手の形にぴたりとはまる。

 心地よい感触にさわさわと手を動かし、ゆっくりと毛皮の塊を抱き寄せるように腕を動かせば、黒猫は黙ったまま近くに来る。


「ねぇ、名前は?」


『ないよ。獣王だからね』


「なんて呼んだらいい?」


『どうして呼び名が必要なんだい?』


 そう言われて、はたと困る。ごくごく自然に、名前を聞きたかった筈なのに、そう言われてしまっては返せる言葉がない。

 獣王の緑の瞳が、長い影を見つめている。寄り添っているようにも見える影とは、実際の距離は随分遠い。


 分水嶺などと話を膨らませるから、こんな気分になるのだと思う。まるでもっと話しておかなければ、二度と会わない未来もあると、言外にそう言われているようで。

 寂しいとは少し違うが、そんなことはないと証明したいような、そんな反発心が生まれてくる。


「また会った時に必要だから」


『もう会うことは無いよ。私はこの世界に封印されている。ここから物凄く遠い場所に。祭りだからこうして魂だけで出向いたけれど、この身体も祭りの始まりと共に霧散する。もう会えない』


「次の祭りの時は?」


『この広い竜脈の中で出会えたのは奇跡的なタイミングと、君がこの道を選び、ここで休憩する決断をしたからだ。そうした出会いは重複せず、二度とチャンスは巡ってこない』


「……」


 ぐうの音も出ない正論。毎年チャンスがあると言っても、狙ってやるには確率が低すぎる。もしかしたらまた会えることもあるかもしれないが、それもまた一時の出会い。

 呼ぶ名前も必要無い程、短い間の出会いでしかない。


 でも自分はもっと話してみたい。静かな声。綺麗なフォルム。毛並みは柔らかで、抱き上げたらきっと安心できる温かさがあるだろう。

 しかし、封印された獣王にとって、身体はあって無いようなものだ。好きな時に会うことも、一緒に居ることも出来ない。


「……獣王もモンスターだよね?」


『そうだね』


「契約できる?」


『できるよ、モンスターなのだから』


「自分が封印を解いたら、自分と契約してくれない?」


『……君とは会ってまだ数分だけれど、何が気に入ったのかな? 獣王としてのプレミア? 莫大な力? それともこの見た目? 』


「話を聞きたい。色々と」


『話?』


「だってこのままじゃマトモに話も出来ないから」


 自分はこの黒猫の何が気に入ったと聞かれたならば、その語り口と独特の思考だろうか。ネットの自由放送ならブクマをつけるだけで済むけれど、この猫にはそんな機能はついていない。

 話す機会と、場と、時間。それを得るためには獣王を封印から解放し、自由に会えるようにしなくてはならない。

 そう切々と語って聞かせれば、獣王はひくりと静かに鼻を鳴らす。


『竜の背に乗り空の壁を抜け、樹海を通り、恐ろしいモンスターがいる湖に潜り、大蛇の棲む洞窟を走り、もっともっと先へと進んで、ようやくたどり着けるような場所だけど』


「竜はこれから育てる予定だから」


 大丈夫、と自信満々に竜の卵を差し出せば、猫は驚いたように目を丸くする。一番最初の、難しい関門を抜けられてしまったことに腹立ちを示すわけではなく、逆に呆れを示しながら更に獣王はつらねて言う。


『辿り着いたとしても、勇者がかけた魔術の神髄を知らなければ解除は出来ない』


「メインアビリティは魔術師だから、勉強する」


 まだ見習いだけれど、自分こそがあんらくさんを追い抜いて大犯罪者になる気なのだから、そんな封印くらい解ける大魔術師になるんだと豪語すれば、猫は重ねて不意をつかれたと閉口へいこうした。

 文句を言いたげに目を細め、実際に口にする。


『君はまるでしつらえたようなプレイヤーだ。運営の派遣社員かい?』


「ううん。しがないインドア系マルチ人間」


『君の出で立ちはアウトドア系そのものだと思うけどね』


 リュックに括られたアドルフの毛皮と爪のナイフ、更に茶は無いがお茶請けとして出したアドルフの肉を見つめながら、獣王は胡乱気うろんげに肉を噛む。


「また会えたらいいなと思っただけだから、会えないなら会いに行くよ」


『私の封印を解けば君は見事に世界の敵だ。私は今度は自分の意思で世界を荒らす。邪悪な猫と呼ばれた理由は、ひとえに私の趣味にある』


「趣味?」


『大量殺戮』


「あ、ダメだねそれは」


 涼しげな顔で答えた獣王に、引き攣る頬で相槌をうつ。確かにそんなものを趣味にしていれば邪悪と呼ばれるのも納得だし、封印されるのも仕方がない。

 自分が今殺されていない理由は、大量殺戮にならないからか、気紛れからか。知性と穏やかさは、必ずしも善良さに繋がらないということを示しながら、獣王は尾を一振りする。


『つまり――』


「でもまた、会いに行くよ」


 早々に諦めろというような発言をしようとした獣王の言葉を遮って、そう言えば緑の瞳が瞬く。

 振られた尾がひゅっとしなり風を起こし、宙に浮かぶ炎がぶわりと膨らんで揺れる。苛立ちを示すような行動に目を細めながら、ゆっくりと立ち上がる。


「じゃあ、また」


 立ち上がり、一方的に再開を約束し、立ち去ろうとする自分を獣王は黙って見送った。寄り添っていた影が離れ、後には猫の長く伸びた影だけが残される。


 通路に出た自分の後ろで、にゃおんと猫の声が聞こえた。




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