第三十五話・半:千蝉、哭く
第三十五話・半:
あはんなことを、しまくること。字面にするとすごく酷い。枝の上にヤンキー座りをしてニヤニヤする男を睨めば、それにすら嬉しそうにニヤつく始末。
人それぞれ目的は自由だし、確かにVRが普及して真っ先に登場したのはそっち系の、大人の欲望を人に迷惑かけない形で満たしましょう、というものだったが、それにしたってファンタジーゲームでそれを言い切るのはすごい勇気だ。真似できない。
「……あはん?」
「お、良いねぇ! もう一回言って、その声で!」
「ギリー、お腹すいてない?」
『腹ペコだ。食べていいのか?』
「たんまたんま! 俺の言い分も聞こうじゃないか。良いだろ別に、少なくないよこんな目的!」
「さぞリアルでもナンパ慣れしてそうだから、そっちでやったら如何でしょうか」
これは単に嫌味の話だ。どう考えてもリアルでやるメリットはない。現実の肉じゃなきゃ興奮しないとかの人はいるが、単純にリスクという面にのみスポットを当てるのならば、リアルなんかよりVRの方が断然良いに決まっている。
自分だって、リアルより性観念が曖昧なVRでなら、疑似的な恋人ぐらい作れるかもしれないと考えたことはある。対象は男でも女でも構わないが、仮初めでも愛があればいいなとは思う。まあそれはとりあえず置いといて。
「……まさかとは思いますけど、バイですか?」
「バイでもあるし、正しく言うなら全性愛! パンセクシュアル! 中身が女の男の子でも、中身が男の女の子でも、男でも女でも大丈夫だよ。俺。性別に囚われない男だから」
「要するに何でもいいんですね」
「物凄く嫌な言葉で言い表したね。人間皆同じ! あんま変わんねぇよ、性別なんて……って男友達に話してドン引きされたのは良い思い出」
「……それでVR。難儀ですね、ある意味」
バイ、もしくは何でも可というのなら、恐らくリスクとして危険視しているのは性病のリスクだろう。
自分の性別が性別なだけに、思春期に無駄に調べた知識は伊達じゃない。同性同士、特に男同士の場合に性病のリスクが跳ね上がるのは本当の話だし、それ以外にも色々と物理的な問題があるという。
愛だけでは何ともならない部分も多いし、単に遊ぶだけにしても、恋人ごっこをやるにしても、VRというのは使い捨ての肉体だ。大変都合がよろしいだろう。
調べるだけ調べ上げて、どうしたらいいのか分からなくなったのも良い思い出だ。相手も何もいなかったし。
「そうなんだよねー。ってことで、俺と遊ばない? 気が向いたら」
「気が向いたらですね。とりあえず今はピンクなことより、戦闘の方がブームなんで。協力してくれるなら雇います。裏切ったら地の果てまで、うちのドルーウ軍団が追いかけて闇討ちしますんで、裏切りとかはお勧めしません」
「軍団!? まだいんの!」
「後4匹。餌で釣ればもう1匹ぐらいは動かせます」
「う、わー……」
リスクもないし、後腐れも無さそうだし。気が向いた時に試すには悪くない見た目でもある。でも、ピンクなことにも興味はあるが、今は戦闘の方がマイブームだ。
こちらの戦力を提示して、裏切りの目を出来るだけ潰す。しつこく追いかけるつもりだと明言しておけば、合理的にリスク回避を計算する相手には有効だろう。
「で、いくらで雇われてたんですか?」
「さっきの男女は恋人さんらしいんだけどね。それのプレイのお手伝いをするっていう俺にとってはご褒美みたいな契約で……」
「1日3食の美味しいごはん。オヤツ付き。適度な戦闘に、共闘時の戦利品の分配は全体から人数割。とりあえず期間はテストプレイ終了まで。その他、個別に得たものは徴収しない」
「……1日1回、ワンタッチとか」
「どこを?」
自分を乗せたギリーが男を凝視し、ガチガチと牙を鳴らして威嚇する。こちらからは見えないが、男の引きつった表情を見るに、とても素晴らしい顔をしているのだろう。ぐっじょぶ、ギリー。
「それ怖いよ! トラウマになるよ!」
「ギリー、破談になったら食べていいよ」
『承知した、主』
「わかった、わかった。それでいい。ついでに君との魔術研究ってのもつけくわえて」
「魔術研究?」
「一人だと限界がある部分があってね。これでも真っ当にゲームはやってるから」
「……ふーん」
どうせ、強くないとナンパに成功しないとか。あらゆる場所に出張する為にも強くなくちゃいけないとか、そんな理由だろうが真面目にゲーム攻略に取り組む意欲はあるらしい。
自分も魔術師として色々と調べてみたい所だったし、考える頭が増えることはやぶさかではない。どうも魔術大全とかの書物があるらしいし、魔術も魔法もしっかりとした理論の元に成り立っているもののようだ。
「さっきの魔術……【フラッド】って」
「ああ、見習い魔術師、2つ目の水冷系スキルだよ。洪水って意味。系統の話はもう学んだ? 属性とか、原色の話とか、精霊との関係についてとか」
「は? いえ全然……」
「まだサポート妖精と連絡がつくようなら、聞けば詳しく教えてくれるけど。俺が教えても良いよ。手取り足取り腰取り……あ、冗談だから。うん、ゴメン!」
「精霊……原色。そういえば、仲間の精霊術師の詠唱にもありましたね。原色たる精霊、って」
「そう。この世界には系統の数だけ精霊の種類がある。これがまず1つ目のヒントだと思う。魔術大全によれば魔法系の全ての現象は、限りなく自然現象に良く似た魔力の塊であると称され……ま、今ここで急に話してもわかんないか。後でゆっくり本を見ながら教えたげる」
「興味深いです、お願いします」
「ん、その為にもさっさと攻略を進めて、もっと情報を集めないと。俺等もう井の中の蛙ってレベルじゃないよ。この世界広すぎ。まだ世界の一ミリも判明しちゃいないんだもん」
「そんなに?」
「そう。世界に8つの大陸があるのは知ってる?」
「8つの大陸……ですか。そこはリアルと大差ないんですね」
「大陸だからね、そこは変わらない。その内の1つ、竜王が眠り、勇者エアリスが存した大陸。それがここ、ログノート大陸。リアルのイメージで言えば旧オーストラリアくらいかな、大きさ的には」
竜王が眠る大陸。草原に突き立つ白い大岩。竜爪岩(りゅうそうがん)と呼ばれたそれの由来は……。
「あ……じゃあ竜歴って、竜王が由来なんだ」
フベさんが言いかけた由来の話を思い出す。暦が新しくなり、その名前もが変化したというその名の由来。竜王が棲み、崇められるからこその由来だろうか。竜に纏わる話はぽつりぽつりと小耳に挟むし、統括ギルドの看板にも丸くなった竜が描かれていた。
「お、そうそう。今は竜歴3年。ゲームに必要ないって知らない奴も多いけど、知ってる奴はちゃんと知ってる情報だよ。他にも、ほら。耳を澄ませて?」
「耳……?」
言われるがままに耳を澄ませる。時刻は既に9時近く、暗い闇に埋もれる森の中で、そっと耳を澄ませて辺りをうかがう。
リン、と鈴が鳴るような音がした気がして、疑問の目を男に向ける。男はもったいぶった様子で腕を広げ、軽やかに枝から地面へと降り立ち、自信ありげに顔を上げる。
「そろそろだよ。モンスターの一種でね。ログノート大陸、初秋の名物。今日は
「せんせん……の、いつつき?」
りん、という音がまた1つ。涼やかな音が耳朶に響き、どこかさっぱりとした空気を引き連れて、世界に音の波紋が広がっていく。
また1つ、鳴ったような気がする程度の、か弱い音。波紋となって空気に馴染み、より静けさを強調して、夜の中に溶けていく。
「千の蝉が鳴く風流な夜。この世界の日にちは何月何日ではなく、36の節気によって表される。1つの節気に
――風流でしょう、『
男のそんな声と共に、微かで頼りないだけの鈴の音ははっきりと、しっかりと森の中に反響する。
力強い最初の音を皮切りに、一斉に聞こえる蝉の声だという涼やかな音の群れ。ヒグラシに良く似た声が、荘厳ささえ醸し出しながら闇に埋もれた梢から溢れ出す。
唐突に現れた虫の声に、圧倒されながら辺りを見回すも、その姿形には触れられない。ギリーが心地よさそうに耳を伏せ、じっくりと聞き惚れるように目を閉じる。
「すごい……」
「でしょ。これが聞きたくて出張ってたら用心棒に誘われてねー。うん、やっぱ街の人達が言うように今日が一番綺麗な声」
「うわ、すごい。すごい……!」
「お、テンション高いねー。嬉しいねー。音の湖って呼ばれててね、森の中で静かにこの音に浸るのは、風流人の証なんだってさ」
「すごい! 綺麗! うわぁ、夢みたいだ!」
大音量で響いているのに煩さいなどとは欠片も思わず、ただ透明な声に感動する。冷たく澄んだ水の中に浸っているような、そんな感覚さえ覚えながら声の主を探してぐるぐると足を動かす。
どこで鳴いているのだろう。どれだけの数がいるのだろう。本当に千もいるのだろうか。こんなにも美しい声の中に、浸れることなど夢のようだ。
「わぁ、すごい鳴いてる……! どれくらい鳴いてるんですか? すごいすごい、楽しい!」
「うーん、昨日は夜中まで鳴いてたよ。今日はもう少し長く鳴いているんじゃないかな」
「ギリー! 近くに湖とかないの? 足とか浸しながら聴きたい!」
『む? むむ、湖か。小さいが、近くにユニコーンの泉があったな、確か』
「連れてって……お願いっ」
『ふむ、こっちだ』
「お、おお? どこ行くのー?」
「近くの泉で聴くんです。風流にッ! もっと風情よく! ……あ、明日とかアンナさんに水羊羹とか作ってもらって皆で来よう!」
水羊羹、葛まんじゅう、涼やかな和菓子をお供にしたらもっと風情があるに違いない。透明感ある蝉の声には、それくらいの舞台を整えるのが道理だろう。
花見も、月見も、夕涼みも、どれも大好きな季節の楽しみ方だ。庭先でそっと味わう程度だとしても、長年続けてきた季節を感じる行事は外せない。
この世界の中にもそれがあるというのなら、正しく楽しまなければ無粋というものだろう。今だけは緊急事態なのも置いておいて、この綺麗な世界に浸りたかった。
ギリーの案内で辿り着いた泉は小さく、森の中にぽっかりと浮かびあがっていてひどく幻想的だった。いつの間にか月が顔を出していて、月明かりに照らされた泉の中央には見慣れた大岩。
ど真ん中に突き立つ竜爪岩が煌めいて、どこか泉の水を浄化しているような気さえする。靴を脱いで裾を捲り、裸足のままそっと足先を浸けて縁に座る。
柔らかな下草の上に腰掛けて顔を上げれば、空には満月。足首は冷やりと冷たく涼やかで、耳には鈴を転がすような華麗な音が響き続ける。
後ろで腕組みしながら満足そうに男が頷き、いいねぇと言いながら、彼もまた世界に浸る。
「いいねー、風流、風流……あ、女の子口説くのに良い時期と場所かもしんない。チェックしとこ」
「ダメです。ここは自分の場所ですから、いたらギリーがガブガブしますよ」
「マ・ジ・でー……? うっわ、穴場だと思ったのに」
「いいなー、綺麗だなー。冷たくていいなー、涼しげだし、綺麗だし、いいなー。ねー、ギリー? 楽しいねー、ねー?」
『うむ、主と一緒で素晴らしい』
「楽しそうだね、マジで。見てるこっちが楽しくなるほどなんだけど」
そんなに喜ぶとは思わなかったと呟かれ、確かに喜び過ぎかなと自分自身を振り返る。それでもこの風情あるイベントは素晴らしすぎて、素直に喜ぶ以外の道が浮かばない。
結局はギリーを背もたれに空を見上げ、大きな月を見ながら足を動かし、冷たく柔らかな水の感触を堪能する。目を閉じて、耳を傾け、音の洪水にどっぷりと浸り込む。
「……最高」
「そりゃよかった」
「ついでにお名前を聞いておきます」
「ついでね、ついで。俺の名前は〝
「〝狛犬〟です。よろしく、雪花さん」
目を閉じたまま、ギリーを撫でながら名前を確認。用心棒として雇った雪花さんは楽しげに笑い、すとんと隣に座りこむ音がする。
「呼び捨てで良いよ。それで、雰囲気あるけどディープキスとかしちゃわない?」
「……ギリー、ごー」
『……』
「え、犬と? 犬とキス? ちょっと待ってそれは経験ないよ、VRでも許されないもんだ、ぁちょっと! 待ってちょっと! ごめんホント悪かったから!」
「あー、綺麗だなー……」
世界は信じられないほどに清らかで綺麗だった。『哭き蝉』の声はいつまでも、泉の水に反射して、小さな広場に響き続ける。
ギリーとの攻防戦にからくも勝った雪花から、始まりの街、エアリスに伝わるこの時期の節気についての書物の一節を教えてもらい、この世界の奥深さをまた味わう。
一節を
初秋の月夜。涼しげな風を孕んで、千蝉、哭く。
秋の第一の節気なりて、これの声に初秋と解す。
後に
王霊転じて黄麗とし、ハリマ
花を授けられし者こそが、後に王と
三王の
三王よ、穏やかにあれ。
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