第二十九話・半:白井狛乃の日常



第二十九話・半:白井狛乃の日常




『接続中、接続中……』


 こつ、こつとペンの背で机を叩き、電子音声に耳を傾ける。そっともう片方の手を伸ばせば、つるりとした冷たい感触。


 敢えてディスプレイを取り払った新型の音声パソコンが、その作動音と共にゆっくりと熱を持ち、指先が温かくなってくるいつもの感触に頷いた。

 滑らかな曲線をえがく四角形の機械を指先で軽く2回叩き、検索機能を呼び起こす。


『検索ワードをどう――ががが、が』


 いつも通りの音声が耳に届き、次に急にその音声が途切れて雑音となっていくという異常な事態に、見えないものの目を見開いて硬直する。


(……まさか壊れた?)


 大好きなネットサーフィンの時間が! と慌ててがたがたと音を立てて立ち上がれば、雑音はぷつりと途切れ、次の瞬間、場違いなまでに明るい声が響き渡り脱力する。


『どうぞー! 相棒! 私がナビゲートいたしましょう! あれ、ナビゲートで良いんですよね? まあいっかー、さあさて何を検索するんです! やっちゃいますよ! 頑張りますよ! いぇあーっ!!』


(いぇあー、じゃねぇ……えよ、っと)


 がりがりがり、とタブレットにペンで文字を書き、突如、回線をジャック――で、いいのか?――したルーシィに抗議の声を伝えるも、サポート妖精は聞く耳持たず、くるくると回っている姿までもが脳裏に浮かぶ。


『そんなつれないこと言わないで下さいよ、いやん! いきましょー、やりましょー! ちょっと琥珀さんに手伝ってもらったんです! あの人、愛妻家ですから嫁の写真で買収だーっ! いっえあー!』


 愛妻家の琥珀さんはどうでもい……いような、気になるような。

 ルーシィのテンションは最高潮で、嬉しさは伝わってくるのだが、どう考えてもよくない。回線ジャック(たぶん)は、いくない。


 ――ジャック、いくない。……ねえねえ、誰だよ琥珀さん、「あんぐら」の運営?


『“まだ”違いますよー? 琥珀さんはですね。人じゃないんです』


 ――人じゃない? AI?


『いえ、ホムンクルスってやつですね。錬金術系の……あ、これダメですね。機密情報……まあいっか! とにかく、AIでも人でも化物系でもない“生き物”です! でもお子さんがいるんですよ。どうやって孕ませたんでしょうね、奥さん』


 ――え、ごめん。ちょっとした興味本位だったんだけど。更に気になる。錬金術系? 化物系?


『この世界には国の上層部や一部の人達しか知らない世界があるんですよー、相棒。意外と世界はファンタジー! です! 化物もいますし、人じゃないものも結構います。あ、これ秘密ですよ? まあ信じない人が多数ですから、大丈夫です』


 ――……流れで聞いたんだけど、もしかしてマズイ?


『大丈夫です。意外と民間人に混じってますし、不死薬が出回ったのも元はといえば、琥珀さんの奥さんが関わってますしね』


 ――いや、最近。ネットでもそういう情報あるし。そうそうおかしな話ではないけど……。ホムンクルスってどんなの? 化物情報局ってサイトはガセじゃなかったの?


『見た目は超絶良いですね。まあ作り物ですから、見た目なんて彫刻みたいなものですけど。本質は……データみたいな、感じですかね? あ、そのサイトは本物ですよ』


 ――データ? うっわマジで。すごいこと知っちゃった。書き込みはまずいかな?


『AIに通じる部分はありますけど、でもまあ肉体もどきを持ってる時点で違いますよねー。流石にAIはまだ愛とか語らないですし。あの人もある意味データの塊なんですけど、何でしょうね。私達AIからしたら、超高位の存在みたいな? うーん、でも人工物とはちょっと違いますしぃ……書き込みですか? まあしない方が無難、って感じですね』


 ――そうかぁ、じゃあまあ諦めるよ。なんかすごい人、って認識であってる?


『あってますよ。リアルではまさにチートって言うんじゃないですかね? 指ぱっちんで何でもしますよ。テレポートもどきも、金銀ざっくざくも、浮遊もできるらしいですね。でも魔術師と違ってこの世界の理には雁字搦めにされてますから、物理法則を真っ向から無視するとかは出来ないですね』


 ――ルーシィ


『はい、なんでしょう!』


 ――……世界って広いんだね。本当なら


『めっさ広いですね! 素敵ですよ、世界が広いってことは!』


 素敵じゃ済まないような単語がちょくちょく入り交じっているような気がしたが、一般人が生きていく中で必要のない知識だと判断。

 好奇心は猫をも殺す、というし。危ないことは少し知っておくだけで十分だ。必要ならその時に仕入れればいい情報だし。


 ――それよりもだ


『はい! 何を検索します!?』


 ――何でいるんだ、ルーシィ。電気料金が高いから“ホール”の電源は抜いたはずなのにっ


『えへっ、気合ですっ! 後は琥珀さんのお力です! そうですね、“ホール”って高いですよねぇ』


 そう、“ホール”の電気料金は高い。高すぎるほどに高い。値段は……あ、よそう。とにかく高いのだ。だからこそ自分はログアウトして、即行で“ホール”の電源を抜いたというのに。それとは関係ないとわかってはいるが、ルーシィの声を聞いていると月々の電気料金を思い出す。嫌な記憶の連結だ。


 ――ていうか、何者だよ琥珀さん


 名前と奇妙な生態だけ出てきて、超不気味だよ琥珀さん。生き物じゃないらしいけど、じゃあ何で子供までいるんだよ。


『まあそれは、置いといて! とにかく、料金は大丈夫ですから何を検索するんですか?』


 ――置いと……ああもう、とりあえず金はかからないんだな?


『そこは保障しますっ!』


 ならよし。金がかからないというのなら、全て許せるくらいには心は広い。寛大な心でルーシィを許し、本来の要件を思い出す。


 ――バイト、増やそうと思って


『……ゴーグルの件ですか。あれも高いですからねぇー。相棒はお金かかりますね、大変です』


 ――るっさい



『「あんぐら」の課金サービスが始まれば、オススメするんですけどねぇ』


 課金サービス、という言葉にぴくりと指先が揺れる。ネットの金絡みの話は生活の糧だ。外に出て稼ぐ手段が無いに等しいので、ネットバイトは自分にとっての生命線だし、ネット関係の話は大好きだ。


 ――くわしく


『課金、という言葉は適切ではないかもしれませんが、まあ月額と呼ばれるものですね。毎月、決まったお金をいただいてーってやつです』


 ――稼ぎになんの?


『ゲーム内のお金をデータ貨幣に変換するシステムが提案されているんです。月々、決まったお金を支払った人にのみ、変換する権利をという形ですね。これは微妙にヤバいんで、秘密ですよ?』


 ――言わない、言わない。秘密なんて学習性AIとならよくあることだし


『多分、強制にはなりませんけどね。お金を払った人にのみ、ってやつです。基本は月額料金なしですね』


 ――ふむ、ありがとう。ゲーム内で強くなれれば、バイトよりは安定して稼げるかな?


『長期的な安定を求めるなら、バーチャル方面のプロは博打打ばくちうちです。不定期でもバイトを探した方が安定してますね。しっかり稼げるほどゲームで上にのし上がるには、「あんぐら」ではプレイヤーセンスと膨大な時間と運が必要です』


 ――ステータス的な運?


『いいえ。運も実力の内、の運です。白と黒は簡単にひっくり返ります。相棒の暫定的なプレイスタイル、返り討ち専門のPKプレイヤーなら尚更です。信じられない額を稼いだ直後、全てを失う可能性も高いです』


 それは確かに、ありうる話だ。プレイヤースキルに関してはともかく、膨大な時間は用意できる環境はある。あるけれども、それだって博打。堅実な生活とは言い難く、余程ゲーム内で活躍できる自信がなければ意味がない。

 当面は普通にマトモなバイトをして、それからどうするかを検討しよう。


 ――とりあえず、今だ。いいバイトない?


『今まで何やってきたんです?』


 ――家庭教師


『はいい!? 相棒のその状態で出来るんですか!? ていうか相棒はそういう知識大丈夫なんですか!?』


 ――失礼だな。音声で全部、覚えたんだよ。知識は生命線だからって爺ちゃんに言われて


『音声と……あ、でもタブレットに手書きじゃ遅いでしょう? えー、分野は?』


 ――専門は古文・漢文とか社会系かな。地学とかもそれなりに。後は補助で漢字。遅い? ああ、それは仕事の時はキーボード入力に切り替えるから


『ほぅ、キーボード入力できるんですか。ならそれなりに……定型文は初めから設置しておけばいいし』


 ――わかりやすいって評判で、多少は顧客がいるから。不定期に受けてる


 基本は漢字を忘れないようにタブレットに手書きで入力しているが、急いでいる時や仕事の時はキーボード入力が基本である。


 変換が必要なので、漢字を書く際には手書きの方が楽だったりもするが、基本は両方使って仕事をこなす。

 家から出ずに見えなくとも喋れなくともできる割のいいバイトというと、家庭教師が一番だったというだけだ。


『あ、確かにネット上の単純労働はAIがこなしてますから……そうですねぇ、一番割が良いのは確かにそういう教える系の仕事ですね』


 ――AIじゃなくて、人に教えてもらいたいって人はまだいるからね


 学習性AIの教師も勿論いるが、値段が高額だったり報酬が難しいので途中で投げ出したりといった問題があり、未だに生きた人間の需要はある。


 初期状態の学習性AIの元手は確かに安い――その性能からすれば――のだが、何かをわかりやすく教えるという行動は、かなりの経験を必要とする。


 例え話が苦手と言われるAIにとって、わかりやすい授業は難しいのだ。人に近いAIほど値段は高く、ルーシィみたいな経歴で安く流されたなんて特例中の特例だ。


『んー、そうですねぇ。手頃なのは、あ、これどうですか! 学習性AIとの対話!』


 ――そんなバイトあるの?


『報酬はちょっと安いですが、学習性AIの教育ですね。募集があります』


 ――細かい部分は後で教えて。とりあえずキープで。次


『はいはい。後はそうですね。あんまりありませんね』


 ――ない?


『VR関係のバイトの方が増えてるんです。ネットは下火ではありませんが、それでも話題性は劣りますから』


 ――うまくこなせなきゃ、かかる電気料金よりも安く使われるってあれか


 確かに最近はVRにログインした状態でのバイトが多い。支出と収入のバランスが難しいという難点はあるが、それでも稼ぎになるのなら、それも視野に入れて考えなくてはならないだろう。


 いやでも“ホール”の電気料金は馬鹿にできないし、VR自体、昨日始めたばかりなのだ。そう都合よく飛び付けるバイトは少ないし、人気のバイトだから倍率も高い。


 ――とりあえずは、家庭教師の仕事増やして。後はAI相手のバイトかな


『そうですね。募集要項のチェックしときます』


 いつの間にか使える秘書のように働いてくれているルーシィだが、これは本当に無料なのかと不安になる。とりあえずは謎の愛妻家を信じてみようとは思うが、心配だ。


 バイトの細かい調整はルーシィがやってくれるようだし、よしじゃあ今日はもう寝ようかなと立ち上がる。

 立ったままタブレットにペンで書き込み、後はよろしくとルーシィに言えば元気な声が部屋に響く。


『まかせといてください! おやすみなさい! 電源も自動で切っときますから、ご安心を!』


 何これ超使えると感動しつつ、そのまま部屋を出て居間へとむかう。広い家に1人きりというのも、掃除が面倒で嫌になるばかりだ。


 手探りで階段を下りて居間に戻り、部屋の真ん中にあるソファに横になる。ベッドで寝ないと身体が痛くなるとはわかっているが、見えない状態でダブルベッドに寝ていると気が滅入る。


 ああ、人肌が恋しい。添い寝をしてもらった経験はないが、今は切に添い寝してほしい。恋人とかじゃなくてもいいから、ただ一緒にいてくれる人はいないものか。


(無茶な望みだな)


 わかりきった結論と共に深く息を吐き、意外と自分は人懐こかったのだなと、クッションにぼふっと顔をうずめる。


 生活の補助と潤いに! という売り文句で販売されているロボット犬の購入も考えたことはあるのだが、積極的に外にでないのならあまり意味は無い。


 犬を模した機械生物は軍事目的でも使われているし、防犯にも役には立つが、許可を取るのにまた一波乱。面倒な手続きを踏んでまで欲しいかと言われると、値段と相まって購買意欲がするすると萎んでいく。

 中身の学習性AIに、ギリーでもブチ込んでくれるのならまた話は違うのだが。いや難しい。


 最近は虎型だの竜型だのと色々あるらしく、特に人口の毛皮を纏った小型の竜型ロボットは人気が高いらしい。人気と値段は同じ勢いで上がっているので、庶民が手を出すものでもないが。


 そんな余計な事を考えつつも、段々と瞼は下がっていく。VRによる思考の加速は脳に深い疲労をもたらすし、十分な睡眠は必須と何度も面接で言われたものだ。

 どうせこの時間から寝ても、アラームで昼までには起きるだろうと。そっと目を閉じて眠りに落ちた。


 束の間の、幸せな夢を思い描いて。


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