第三十話:ゲームバランスと、世界の理
第三十話:ゲームバランスと、世界の理
暗闇から反転、一瞬で白く塗りつぶされる。
世界は光に包まれて、白井狛乃は“狛犬”となり、違う自分が目を覚ます。
「……」
視界に様々な色が溢れ出し、次に欠伸をするあんらくさんの声が聞こえる。アンナさんの作る料理の匂いに、温かい毛皮の感触。そういえば、【あんぐら】の中では唾液の感触まであるのだと、舌で唇を湿らせて実感する。
「あ、起きた? って言うと何か変だね。まあこっちでは、“おはよう”でいいかな?」
「ルーさん……おはようございます、ですかね」
ゆっくりと身体を起こし、ふんふんと鼻面を寄せて挨拶をしてくるギリー達をそっと撫でる。
苦笑しながら曖昧な挨拶をするルーさんに倣って頭を下げ、戻ってきた感触に手を握ったり開いたり。しっかりと感覚があることを確認し、立ち上がって伸びをする。
「時間は……最初の説明通りそのままだね」
「そのまま?」
「メンテナンス期間中は【あんぐら】での時間が凍結されるって話。ほら、食材とかが、どう頑張ってもログイン出来ない間に腐ったりしたら問題だから、それの防止だね」
「そういえば、そんな話をされたような。正式サービス開始後も、夜中はメンテナンス期間にするとか言ってましたね」
「廃人は夜中も蠢いてるしね。まあ、夜中は法律で“ホール”の使用自体が制限されているし。どっちにしろログイン自体できないから」
「じゃ、日付は変わってないんですね」
現在時刻は15:00。日付は変わらないまま、こちらでの時間はログアウトした直後というところか。一日が経ったというのに時間が止まっていたなんて、何だか妙な気分である。
そういえばこの世界における睡眠とは、どうなっているのだろうか。
「睡眠とか、いらないんですかね?」
「ひっひっひっ、一日ぶりですねド新人さん。この世界の身体は、睡眠を必要としてはいますが、数日に一回程度で十分なようですね」
「“狛犬”です。あ、そこは何かゲームですね」
「そうですねぇ、しかし排泄が無い時点でまあ色々とゲームですから。それでも一応は3日に1回ほどの睡眠を必要とするみたいですね。これは正式サービス開始後の最大ゲーム時間から計算しているんでしょうが、細かいですよねぇ」
ニコさんが言うには、この世界の身体は3日に1回ほどの睡眠を必要とするらしく、“ホール”の使用可能時間と上手く折り合いをつけているサイクルらしい。
テストプレイ中だけは例外的にその睡眠システムを取り払い、こうしてゲームとリアリティとの間を取っているとか。
「ゲームとしての折り合いの部分に、運営が歯軋りしてる図が思い浮かんだんですけど。気のせいですかね」
「多分、最高責任者あたりは嘆いてそうですよねぇ。ひっひっひっ」
今後も情熱の空回りにならなければいいですけど、というニコさんは、含み笑いをしながらナップサックに必要なものをつめていて、他の人達も各々が遠征の準備を始めていた。
自分も慌ててリュックサックを引っぱってきて、今までの戦利品からいるもの、いらないものをわけていく。
「食糧っているんですか?」
「全面的に……私が持つ」
「あ、アンナさんが管理するんですね。わかりました」
「そう。狩りを頼むかもしれないから、出来るだけ狛も武装して」
「じゃあ、出来るだけそっちに特化します」
後で緊急時の保存食だけは各自配布するというアンナさんに頷いて、言われた通りしっかりと武装のための準備をする。
晶石などの珍しいアイテムはアンナさんの家に保管させてもらい、リュックサックの内部には大量の弾薬と、おっちゃんから貰った鋏。林檎が2つと、大きな瓶に入れたお味見用ポーション1つ。
武器屋で補助の為に買ったナイフの内、1つは仕切りの中に放り込み、もう1つは銃と一緒に携行しようと外に置く。銃と一緒に買ったサイ・ホルスターを手に取って、装着する前にはたと気がつく。
「……ルーさん」
「ん? 何かな?」
「防具とかどうするんですか?」
そう――ファンタジーの定番、防具である。
がっちがちの鎧から、英雄のような綺麗なマント、私服のような防具に、革でできた防具、金属の防具、毛皮の防具! ありとあらゆる見た目と性能! ファンタジーにおいては物理的な防御だけではなく、特殊な力もあったりなかったりの正にファンタジー! 魔法に強かったり、切れにくかったり、能力の底上げもあったりするその装備品は、まさにファンタジー的アウトドアには必須の代物! あ、やばい興奮してきた!
「防具を買いにいきましょう!」
「あ、そこもツボなんだね」
わかりやすいねー、と渇いた声で笑うルーさんは、どうみても防御力皆無の私服のままで、このままモンスター狩りに出かけるには実に心もとない格好だ。
『平原震え
自分が“見習い銃士”のアビリティを取得し、ステータス上げに勤しんでいる間に、色々と準備をしていたのではなかったのかと問いただせば、ニコさんが間に入って説明をしてくれた。
「ひっひっ、防具はですね。検討はしたんですが、マトモなものが売ってないんですよねぇ。荒事は一部のNPCの間だけの話の様で、基本は動きにくい鎧なんて、この街では売れないんですよぉ」
「う、売れない!? ロマンの塊が売れないんですか!?」
「ロマンの塊とは言いようですね。反面、重くて高くて動きにくいっていう側面もあるんですよ」
この世界におけるステータスとは、ある意味名ばかりであり、ある意味絶対でもあるんです。とフベさんが言い、それを引き取ってニコさんが深く頷いた。
「狛犬さんがアビリティ取得に励んでいた時にですね。私達もスキルの効果の確認や、ステータス上の数値が、どの程度この身体に反映されるのかを調べていたんです」
「きっかけはあれだ、お前のスキルと、俺が貰ったこいつだな」
こいつ――『血錆のグラディウス』をすらりと抜いて、あんらくさんが刀身を睨む。
「こいつの効果は、最近のMMOと比べるなら、序盤の値じゃねぇ。ハンデがあろうが上昇値が高過ぎるし、実際にこれからステータス値が上がれば上がるほど、これの効果は段違いに跳ね上がる。おかしいんだよ、色々と」
特殊武器、『血錆のグラディウス』。
そのスキルの効果はMMORPGにおいて異常なまでの上昇値であり、普通はこんなゲームバランスが崩れるようなものは、序盤で手に入るようなものではないという。
例え存在しても大きな大会の優勝報酬、特殊なクエストの達成報酬。もしくは課金による入手など、その入手には強く制限がかけられるもので、こんな序盤に簡単に手に入るような武器はその存在からして
「小競り合いの前だったから放っておいたが、検証は必要だと思ってたんだ。狛、お前のスキルだってそうだぜ?」
「え? スキル?」
「【遠吠え】のスキルだ。後で手伝ってもらうからな。はっきり言って硬直系の効果はVRにおいてかなり有用な効果を持つ。こんだけ粘着質な運営が、そんな大々的にバランスを崩すようなことするわけねぇ。絶対に落とし穴があるはずだ」
同様に、こんな壊れ性能の武器が序盤にほいほい出てくる時点で、どうもおかしいという結論になったらしい。
他のゲームに慣れているからこその大きな違和感。昨今における通常のMMORPGにおいて、ステータス上昇の振れ幅はさほど大きくはならない筈。なのに、いくら特殊武器とはいえ、2倍やら3倍やらと、どうにも数字がおかしすぎる。
「いや、特殊武器だからこそ、だよ」
「だからこそ?」
首を傾げて問いかえせば、ルーさんが静かに『血錆のグラディウス』を見つめ、自分でもその言葉を反芻するようにゆっくりと語り出す。
「特殊武器はその性質上、個数自体が限られている。システム上、その入手数自体に制限がかかるんだから、そもそもMMOの性質には反発している。MMOの性質は、今も昔も“機会の平等性”だ」
「機会の……平等性ですか」
“機会の平等性”――それは、不特定多数のプレイヤー全てが主人公であるというスタイルをとる、MMOならではの大前提。
スタートラインは常に等しく、強さを得る機会はプレイヤー全員にくまなく平等に、平等に。それがMMOの基本であり、大前提だ。
確かにそういった知識を元に考えれば、まず特殊武器という存在自体が問題だ。世界に10本、世界に1つ。どちらであっても、誰かが手に入れてしまったらチャンス自体が消えてしまう。早い者勝ちとなり、PKによる奪取が可能な時点で多大なる争いが起きるだろう。
「無駄なPKを誘発するシステムはバランスが……いや、まずは前提条件が定まらないか。でもそういった予測が可能なほどの数値であるのに、そういうシステムがある理由は……」
「理由を探るのに必要なのは、【Under Ground Online】が、プレイヤーに何を求めているのか、ですかね」
フベさんの言葉に、みんながそっと顔を上げる。ルーさんが目を細め、ゆっくりと思考を重ねつつ言葉を紡ぐ。
「運営は営利目的でしょ。プレイヤーに何を求めるかではなく、プレイヤーにどういったものを提供しようとしているか、じゃない?」
「そういった受動的な意味で見るのなら、一昔前からすればこのゲームはあり得ないでしょうね。ゲームにそこまでのリアルさを出す必要は無い。レベルをさくさく上げられて、簡単に爽快感が得られるものが好まれる傾向にありました」
「不死薬が出回った現代において、このゲームはニーズにあっていると思うけど。娯楽の密度を上げたんでしょ。時間の制限がないからこそ、最近はこういったじっくり系の娯楽が好まれる」
「それでも賛否両論です。ゲームとは、MMOとはどうあるべきか、という問題。それは全て多重構造であり、どれか一方からの視点で定めて良いものでもありません。運営にとってのMMO、プレイヤーにとってのMMO、全て違います」
「互いにその部分で
「狛さんはMMOに馴染んでいないようなので、あまり違和感はないと思いますけどね。VRになってから、かなりゲームとしても変容したとはいえ、そもそもMMOというものはゲーム以前にコミュニケーションツールとして大々的に扱われていた時期もあるんですよ」
「コミュニケーションツール……」
MMO――正式には、Massively Multiplayer Online(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン)とは、日本語に訳するのならば大規模多人数同時参加型オンラインだ。
確かに字面上の意味をとるのならば、ゲームというよりも多人数によるコミュニティの色の方が強いように思う。
「うーん、【あんぐら】もそういった面が強いってことですか?」
「そうですね。個人的な感触としてはそんな感じがします。現実とVRの違いはその精度の違い、とはよく言われますが。高度な処理能力があるサーバーがあれば、その問題は解決できます」
だからこそ、今この【あんぐら】において現実との違いが中々見つからないのだと、フベさんは言う。
「排泄がないとか、睡眠が3日に1回でもいいとか。全部、理由さえあればいいんですよ。“そういう世界”だっていう根底のルールさえ決まっているのならば、この世界は“本物”になれるんです」
「止めることが可能な時点で、成り立たないんじゃないかな。その解釈は。世界からの退場が自由なんだし、そもそもその時点でゲームでしょ」
「だからログアウト中は睡眠状態になるんですよ。そして、アカウントの削除は世界からの消失となる。実際にゲーム的な部分は、神によって数値化されているだけと考えるのなら。この世界には神が存在し、その存在こそが世界を管理しているのならば――」
――これはゲームではなく、もう1つの世界とあまり変わらないんじゃないですか?
フベさんの言っていることは、わからなくはない。ここはVR、“彷徨い人”という役割を与えられた、ゲーム世界。
異世界のようなものだと思う。自由に行き来が可能な、現実とはまた違った世界。現実じゃない世界。違う自分がいる世界。
精神、意識。その意味では同じ1つのものだが、確かに違う自分がいる。盲目、失声症、半陰陽、孤独に怯える「白井狛乃」は、理想とする自分の姿、「狛犬」という魔術師になれる。
ルーさんがちょっと考えて、顎を撫でながらフベさんを見る。
「それは……国絡みの話として、かな?」
「ルーさんもVR関係者でしょう? あながち荒唐無稽な話じゃないと思いますけどね。そもそも医療に使うにも軍事に使うにも、VRの精度が現実と相違あるのならば本質的な部分では意味が無いんです。リアル、リアルと言っていますが、現実と情報量が違うのならば、現実で訓練しなければ意味がない」
だって生身の身体は1つしかないんですから、とフベさんが言う。
現実、異世界、ゲーム、遊び、どの言葉も曖昧且つ多様な意味を持つ。自分という意識と肉体を切り離すことが可能になってしまった現代において、現実の定義は元の意味から
「意識が存在し、知覚している現状こそが現代における“現実”です。つまり大事なのは僕達の意識は1つしかないけれど、VR技術によって僕等の身体は二分化された、というところでしょうか。肉体と精神は分離しないはずだったのに、VR技術によって現実が2つになってしまったんですね」
「……そうですねぇ、取り返しがつかない身体は1つでも、VRという技術によってもう1つの肉体が出来てしまった。そういう考え方ですかぁ。ひっひっひっ、フベさんはゲームとしてよりも、そういった面で見ているんですねぇ」
「それならそれで、ゲームの必要はないと思うんだけどな……。コミュニケーションツールとして、他の空間を作ればいいんじゃない? 個々の距離に囚われない、お喋りの場とか」
「それは……とと、この話題も楽しいですが、後にしましょう。とりあえずは特殊武器に対する予測を纏めて狛さんとアンナさんにお話し、本題の材料集めについて話しましょう」
フベさんがぱんぱんと手を叩き、ニコさんが心得たようにノートを具現化して片手を上げる。
「では、説明といっても推測の域をでませんのでぇ。そこらへんは悪しからず」
ふわりと手を振り、ニコさんが再びスクリーンを表示する。混沌とした情報の海、そこに目を向け、ニコさんはみんなの注目が集まった事を確認して頷いた。
「まずは、特殊武器の定義ですね。まず1つ目の条件は、この世界、つまりゲーム上に1つ、もしくは限られた個数のみ存在する武器、防具もそうです。2つ目の条件は武器固有アビリティを持っているか、です」
「武器固有アビリティって、武器がアビリティを持っているっていうことですよね」
「そうですね。今回はそもそもアビリティとは一体なんなのか、という部分から考えました。理由としては、まあこの世界がどこまでも原因と結果の間に、理由があるという構造からきています」
「アビリティは確か……資格、才能でしたよね」
「そうです。おそらくアビリティについても文献が存在するでしょうが、簡単に手に入る物ではありません。正確な情報は諦めて、とりあえず、アビリティはまず何に宿っているか、という問題から辿ります」
「何に宿っているか……?」
アビリティは資格、才能。プレイヤーもモンスターも、NPCも誰もが1つくらいは持っていて、死に戻りによっても紛失しないもの。
死に戻りで大事なのは、その魂。魂は不滅であり、再び新たな肉体に移された後も、アビリティは失われず、ステータスも下がらない。
「あ……てことは、アビリティは魂に宿ってるってことですか」
「正解です。そう、全てのアビリティは魂に宿っている。と、いうことは?」
「ということは……まさか特殊武器にも、魂が宿っている?」
「そうですよぉ。とりあえずは前提として、正しいものとして扱います。良いですか?」
「はい」
「その前提を正しいものとした時、特殊武器というものの立ち位置が大きく変わってくるんです。どうせ「あんぐら」のことですから、武器に学習性AIが入っていても驚きませんが、『血錆のグラディウス』にはAIは入っていません……多分」
「……はい」
「そして特殊武器の定義をユニークアビリティの有無ではなく、魂の有無と考えた時、特殊武器にのみ譲渡という項目がある点に説明がつくんです。つまり、正しい意味で所有している=特殊武器と契約している、ということですね」
「あ、それで持っていなくとも効果が発動する。と」
「PKによる奪取が可能なのは、死によって契約が途切れるんだと思います。それに、スキルの効果についてですが……これはもう、理屈があることを大前提にするのならば、おそらくは大きなデメリットが存在します」
性能が良すぎる特殊武器の、デメリット。確かにゲームバランス的にはそういったものが存在するはずだが、【あんぐら】においてゲーム臭さは意図的に
しかし、ゲーム的な部分での
「現実と同じように、一長一短。結局は、なんてことはありません。『血錆のグラディウス』は、強制的に“濃い魔力”に働きかけ、身体に過負荷をかけることで、その異常な
現実と同じように、無理を強いればダメージがある。そんな単純な原理を組み込むだけで、ゲーム的バランスと世界の理は拮抗する。
この世界のステータスや、死に戻りというシステムを
筋力が上がるのは筋肉が増えたからではなく、魂が成長し、より作り物の肉体に強く働きかけることが出来るようになったから。
特殊武器のスキルで筋力が倍になるのは、強制的に“濃い魔力”を動かして、肉体を無理に稼働させているから。
それはつまり――固有スキルというのは、多分にリスクを含んだスキルだということだ。
「筋力の強さは、魂の強さ。魂が肉体を動かす糧は魔力。体力として存在する“濃い魔力”が普段、意図的に使用できないことからも推測できます。体力的にはダメージがなくとも、入れ物という意味では絶対にダメージがある筈です」
「つーわけで、実験として仮説が正しいのか。意図的に使い続けて試してみることになった」
「あ、まだ試してないんですか」
「本当にそれで、一度死ななきゃ身体が動かないとかになったら面倒だからな。蜂退治と一緒にやった方がまだマシだろ」
「はぁ、そうですか。とりあえずの仮説が、そんな感じなんですね」
特殊武器の判別は魂の有無。魂が存在するからこそ、武器との契約が可能であり、契約しているからこそ武器自身が持つアビリティを使用できる。
「そう考えると、意外と制限が多いんですね。特殊武器って。所有して契約し、肉体への負荷を考え、対応するアビリティを取得する。確かに強いですけど、扱いが難しいですね」
「良い武器ほど気難しいもんだ。俺は好きだぜぇ、そういうの」
『血錆のグラディウス』をするりと撫でて、あんらくさんが獰猛に笑う。アンナさんも知識として納得したようで、じゃあ次はと続きを促す。
ニコさんが再び手を振ってノートを取り出し、不気味なほどにこやかな笑みを浮かべてみせる。
目的は軟膏作りの為の材料調達。事前情報は集められるだけ集めたというニコさんが、含み笑いと共に宣言する。
「目的地:ライン草群生地。“始まりの街、エアリス”より、およそ徒歩で1時間。出現モンスターの情報は、『ドルーウ』・『平原震え白蜂』・『グルア』・『トラッド種』、その他諸々。未確認モンスター多数、死に戻り報告多数。別名――」
――“薬師の墓場”と、言うんだそうです。
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