第二話:運営は鬼、はい復唱
第二話:運営は鬼、はい復唱
【スタート】――と、開始キーワードを音声入力し、システムから混乱防止のために目を閉じるように促されてから、数秒後。
最初に感じたのは風。
それから柔らかなそれに混じる、青臭い草花の匂い。無味乾燥な空間が
期待を胸にそっと目を開けば、眼前には見渡す限りの草原に、所々に突きだす白い巨岩の群れ。
空は青く快晴。雲一つない青を背景に、何かの群れと
視線を素早く右に向けても左に向けても、音声ネットで聞いたような
遠くには見慣れない生き物たちが群れを成していたり、点々と散っていたり、あまりにリアルな『映像』に驚きを隠せない。
「……え、何これ。サーバー平気なの?」
聞きかじったネット知識で呆然とそう呟けば、空中に亀裂が生まれ、そこからルーシィが転がり出る。
三回転くらいしてからぱたぱたとその小さな羽を動かし、くらくらしますーとか言いながら、ふよふよと目の前に飛んできた。
『大丈夫ですよー。むしろそこに命かけてますから。他のとは別格なんですよ。テストプレイヤー全員びっくりしてると思います!』
「うん……本当に異世界みたい」
自分がVRMMOについて調べた時は、サーバーの質が悪いとタイムラグのせいで視界が
『普通こんなにスムーズに動いてません。他社のはもっとカクカクしてますからね……あー、二か月前に出たトンボトンボオンラインとかはウチに近い演算らしいですけど、あれは遠景部分は全部ぼかしてますし』
「トンボ……? というか、なんかルーシィふらふらしてるけど、目眩とかあるの?」
『あるんです、それが。再現できる限界までリアル嗜好ですからね! 落下する時とか凄いんですよ?』
「へー……」
『ちなみにあそこに見えてるガゼルっぽい群れ、あれはリゼットっていいます。数も多い基本的なモンスターですね。一応、全部に個別のAI入ってますから、サモナーとかのスキルがあれば話せます』
ルーシィが指差す先、10メートルくらい先で草を食むリゼットとやらは、確かに図鑑で見たガゼルのような姿をしていた。
色は全身真っ黒で、額にエランドのように捩じれた長い角が一本だけ生えている。良く見れば蹄の部分に白い模様があり、個体ごとに少しずつ違いがあるようだ。
どれも草を食みながら抜け目なくこちらをちらちらと覗き見ていて、警戒されていることがよくわかる。
「個別AIってホントだったんだ……。というか話せるんだ」
『はい、そのための死に戻りシステムですから! ある意味、モンスターもプレイヤーも
「はい先生」
ぺらぺらとよく喋るルーシィの説明の内、半分は聞き流しながら気になる部分だけ尋ねていこうと手を上げれば、ルーシィは嬉しそうに空中で一回転してみせる。
『なんでしょう!』
「契約ってなに」
『ありゃ……説明書、読み飛ばしましたね? ――契約とは! サモナーなどのアビリティが無くとも、学習性AI入りのモンスターなら魂の欠片を交換し、パートナーに出来るというシステムです』
ただのAI入りモンスターや動物は意思疎通が出来ないから契約不可、でも会話が出来るならどんなモンスターとでも契約し、連れ歩けるシステムというものがこのゲームにはあるらしい。
もちろん〝サモナー〟などの契約とは違い色々とステータスが下がるとかの制限があって、他にも魂の欠片を交換することで――とルーシィは早口で説明を続けるが、自分にとっては初めて聞く単語ばかりで理解が追い付かない。
とりあえずサモナーなるものはアビリティの一種だろうと想定し、自分はそれよりも気になった単語についてを聞いてみることにした。
「ね、ルーシィ。魂の欠片っていうのは?」
『む……えーとですね。まず、この世界の現象は、全て論理的に説明できるように出来ています。全てのプレイヤー、キャラクターとしての村人等、モンスターも全て、この世界の法則を元に作られているんです」
「ふんふん、サポート役のルーシィとかも?」
『そうです。ルーシィちゃんも例外じゃありません。そしてそれを論理的に説明するための設定が、魂です』
どうやってわかりやすく自分に説明しようかを悩みながら、ルーシィはいつのまにか持っていた細い小枝をひょい、と振ってみせる。
すると小枝の先端が光り、空中に紅く光る線が現れた。ルーシィはそのまま小枝を動かし、するすると空中に何かを
――人。
簡略化された人型が描かれ、その中心に魂と書かれたハート形。そしてそこから赤い線がぐるぐると身体の内側を巡っているように渦巻き、これがこの世界の『身体』の構造であるという。
『いいですか、まず――』
そこからの話は、長いので割愛しよう。
結論として言えば、この世界には魂という概念があり、その一部を交換することで、同じく魂を持つモンスターと〈契約〉することが可能なのだということが言いたいらしかった。
他にもざっくりと、PK可というルールのために〈瀕死〉状態というシステムがあったり、そもそも〈死に戻り〉とはどういうものか、ということにまで細かいルールがあるのだとルーシィは言っていた。
ゲームらしいゲームはこれが初めてなのだが、何だか色々と毛色の違うMMOらしい。たまの贅沢で見る実況動画とかでは、もう少しわかりやすい設定のファンタジーゲームが多かったのだが、何だか早くも情報量に圧殺されそうな勢いだ。
「うーん……色々あるんだね。でも、それならモンスターとの戦闘も楽しそうだ。殺してもまた賢くなって帰って来るんでしょ?」
『そうですねぇ、民間人を入れないテストプレイではAIの学習により甚大な被害が出ました。マジ、モンスター恐怖です』
「あれが?」
思わずリゼットの群れを指さして首を傾げる。すると、ルーシィは大真面目な顔で頷きながら、「あれが」と復唱した。案外おとなしそうだが、そうでもないらしい。
そのまま何となく草原に座り込み、のんびりとリゼットの群れを眺めながらふと空を見れば、気がつかないうちに長い時間話し込んでいたのか、空の端が急激に橙色に染まってきていた。
夕刻が近いのか、リゼットの群れもどことなくそわそわしながら辺りを警戒し始めている。
『リゼットは草食モンスターですが、他のゲームみたくサクサク狩れるモンスターじゃないんですよ。彼らの角は薬の原料にもなりますが、それを狙って結構な被害者が――』
小枝を放り投げながら、今度は熱心にリゼットについて語るルーシィの向こう側で、突然リゼットの一頭が急にいななきのような声を上げて走り出した。他のリゼットも一斉に、群れ単位で走り出す。
慌ただしい大移動に何だか嫌な予感がすると思った瞬間――視界の端に黒い影が
「ふ、ふーん……そうかぁ、意外と凶暴なんだ。じゃあモンスターと契約するのって意外と難しいのかな……名前をつけて、了承されたら契約できるんだったよね?」
眼前に広がる大自然の中、夕焼けは段々と空を侵食し、橙色の部分が徐々に広がっていく。純白の岩は赤く染まり、ふわりと肌寒い風が吹き抜けていく。
そんな絶景の中を、先ほど
5頭の群れは沈む太陽に向かって走っていったが、道中、自分を見つめる瞳には、無機質なAIにはあり得ないほどの熱量があった。
『難しいと言えば難しい……ですかね。こればっかりは相性でしょうから……』
で、でもモンスターと契約出来れば色々とお得ですよ、とルーシィはわざとらしく明るい声で言う。彼女もあのモンスターの群れを見ていたはずだが、あくまでも言及しないつもりらしい。
『契約したモンスターとは感覚を共有したり出来るんです。モンスター側の属性が変わったりもしますし、もふもふ大好きって人も多いですし!』
「……便利そうだね、それ。でも契約ってことは破棄できるの?」
『あ、それはですね。モンスター側からの契約破棄はいつでも可能ですが、その反対はありません。プレイヤーが契約破棄したい場合、そのモンスターを殺すことで自動的に契約が破棄されます』
「……そう」
それは何とも、皮肉をこめたシステムだろう。運営はそこまで考えて実装しているのだろうから、それはそれで面白いというか葛藤があるというか。
『……ところで、いつまで現実逃避するんです?』
日が暮れちゃいますよ、と首を傾げて言ったルーシィは、ぱちぱちとその綺麗な目を
「……」
そう、現実逃避とはよく言ったもので。実は自分は途方に暮れていたのだ。
「……どうして〝始まりの街、エアリス〟じゃなくて、草原にいるんだ?」
そう、草原。見渡す限りモンスターと草原しかない空間。
ルーシィの言う通り、時刻はもう夕方になりつつある。
街? それは何? 美味しいの? みたいな心境だ。
『あれ? 言ってませんでしたっけ? テストプレイヤーの皆さんは、実力を計るために〝始まりの街、エアリス〟から30キロ圏内のどこかにランダム配置するって』
「聞いてないよ」
間髪入れずにそう返すも、ルーシィはくるくる飛び回り勝手気ままだ。
『一応、フィールド上に点在するセーフティエリアの中からって話ですけど、これもあと5分くらいで消えますし……出発しましょう?』
あと5分……あと5分しか無いのか、と自分は思わず閉口する。
そうなのだ。自分達がこれほどまでに悠長に、フィールドのど真ん中で喋っていたのには理由がある。
今立っているこの場所が、モンスターが侵入してこないセーフティーエリアだからだ。確か説明書に書いてあった。
フィールドにランダムに出現、消失する、モンスター侵入不可、PK不可、【スキル】使用不可の絶対空間。それがセーフティーエリアだ。
そうでなければいったい誰がこんな危なげなところに座り込んでいるのだろう。今までの話の間、ハイエナのようなモンスターと、リカオンのようなモンスターの群れが2回ほど横切っていった。
――彼等の様子は、獲物を狙う捕食者の顔だった気がしてならない。熱視線を送る黄色い瞳を思い出し、思わずぶるりと身震いをする。
『あ、ちなみに持ち物は初期装備と初期スキル。サポート妖精のルーシィちゃんだけでーす!』
「ファンタジーの定番、ポーションは?」
『人生誰もが0からのスタート!』
「武器は? アイテムは?」
『自分の力で立ち上がれー!!』
もう何を言っても無駄な気がする……。真上に向かって馬鹿っぽく拳を振り上げるルーシィを責めるのは諦め、説明書に乗っていた通りに発声する。
「……【メニューオープン】」
途端にシステムがキーワードを感知し、ステータス画面を開いた時と同じようなものが眼前に表示された。
ゲーム内時刻は16時33分ですと表示されたメニュー画面が現れる。ゲーム内時間で16時きっかりに草原に降り立ったはずなのに、30分も話し込んでいたらしい。ログアウト時間まで後22時間27分と表示されている。
冊子には、通常のゲーム時間は現実時間の3倍の
ゲーム内時間の速度の設定を4倍にまで引き上げたということが書いてあったので、やけに残り時間が長いのはそのためだ。
テストプレイヤー選別の面接時に、何かよくわからない検査を受けたのもこの異常な時流設定のためなのかもしれない。
長く遊べるというのは良いことだ。わくわく感を引きずったまま視線を移し、アイテム欄を見れば急に絶望的な気分になった。
「ええ……なにもない。金もない。棒切れすら持ってない」
『何もないって酷い! ルーシィちゃんいるじゃないですか!』
気を取り直して他に何かないのかと覗き込めば、今度は液晶のようなステータス画面に自分の顔がもろに映りこんでいることに気付き、自然と眉をひそめてしまった。
引きこもりゆえに自分でカットしているざんばら髪。
髪型も弄れば良かった――と思うがもう遅い。設定したのは虹彩の色だけだ。目が見えなくなってから初めて自分の目を見たが、確かに瞳は設定どおり。
日本人にありがちな焦げ茶色の虹彩ではなく、初期設定の薄い黒になっていた。
自然と流れで、酷評も賛美も出来ない顔の造作に視線が移る。中の上。よく言えば上の下的な顔の左頬には、幼い頃の火事が原因で出来た火傷の痕跡。頬から目の下にかけて三角形となり残るその不愉快な色に、更に眉間に皺が寄る。
「【ステータスオープン】」
ここ! ほらここ! と何やら喚いているルーシィと、自分の不愉快さを無視し、押し込めつつ、今度はステータスを開いた。
金が0フィートとか表示されているのはバグだと信じたいと思いつつ、ステータスを
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
名前:狛犬
-アビリティ(1)
No.1“見習い魔術師”……アビリティ特典:MP5%上昇
スキル発動の際の出現座標設定……A:視線による補助を使った座標決定。指先、もしくは掌から魔力放出。魔力の位置を踏まえ、視線のピントを合わせた部分に魔法陣が出現する。
-PS
なし。
-AS
No.1【ファイア】“魔力の火”…(火炎系・火属性)消費MP1~10 熟練度0%
効果:詠唱により魔力の火を生み出す。詠唱:“火の精霊に似る 線を繋ぎ点火する 【ファイア】”
No.2【ウォーター】“魔力の水”…(水冷系・水属性)消費MP1~10 熟練度0%
効果:詠唱により魔力の水を生み出す。詠唱:“水の精霊に似る 線を繋ぎ流れと為す 【ウォーター】”
No.3【ウィンド】“小さな風の刃”…(風雲系・風属性)消費MP1~10 熟練度0%
効果:詠唱により小さな風の刃を生み出す。詠唱:“風の精霊に似る 線を繋ぎ刃と化す 【ウィンド】”
No.4【アレナ】“小さく砂に変える”…(地極系・土属性)消費MP1~10 熟練度0%
効果:詠唱により小さな石や土より砂を生み出す。詠唱:“土の精霊に似る 線を繋ぎ脆く【アレナ】”
-ステータス
体力(HP):9/9
魔力(MP):8/8
筋力:8
瞬発力:9
速度:12
運:4
物理攻撃力:0
物理防御力:5
魔法攻撃力:0
魔法防御力:5
斬撃系攻撃力:0
斬撃系防御力:5
精神力:95/100
-装備品
・麻の服
・麻のズボン
・麻の靴
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…………」
とりあえず、ステータスが低いのか普通なのかわからないが、どうも低い気がするのは気のせいだろうか。気にしてはいけないのだろうか。
まあ気のせいだということにして、とりあえずの攻撃手段になりそうなものを確認していく。セーフティーエリアが消える前に、最低限の準備をしなければならない。
見れば、火、水、風、地の四代元素と思しきの魔術スキルが4つ。水は攻撃にならなさそうだが、風なんかはまともに攻撃スキルのようだ。
初期の自由選択で選んだのは〝見習い魔術師〟。説明を読んでの感想だが、自由度が高そうなアビリティに興味を覚えたからだった。
「この……消費MP1~10ってどうやって調節するの?」
ふと、気になる一文を見つけてルーシィに声をかける。
今までの画面越しのゲームなら、魔術の発動の前にどれだけ魔力を使うのか設定する、とかなんだろうが、あいにくここはVR。そんな悠長な時間があるわけはない。
もしや詠唱を始める前に手動で設定するとか――と、怖いことを想像していた自分は、色んな意味でその予想をぶっちぎられる。
『感覚です』
「……は?」
『魔力放出は慣れてくれば出来るようになります。慣れればどのくらい放出したかもわかりますし、位置の誘導にも使えます。自転車に乗るように覚えるんです! VRの中で翼が生えて空を飛んで、飛んでくる砲弾をひたすら避け続ける不毛なゲームあったでしょう! それと同じです!』
「…………」
予想外のことが多すぎる、と思いながら溜息を吐く。
魔力放出――基本は指先からか、掌からが放出しやすいらしい。
ステータス欄の〝見習い魔術師〟の下にある、出現座標とか書いてある部分を指先でタップすれば、スキル発動の際の出現座標設定はAが選択されていますと表示される。
AというからにはBもあるんだろうか……と思いつつも、いくらタップしても他の選択肢がない様子に、たとえあったとしても今現在使える物ではないと判断する。
『試しにスキル使ってみたらどうですか? 魔法系のスキルは使えば使うほどMP上がりますし、熟練度も上げなきゃですし。一回やればあんがい感覚が掴めるかもしれませんよ? スキル発動しなくても魔力を放出するだけとか出来ますし』
「出来るのか……」
『あ、ほら。丁度いいですよ。セーフティーエリアが閉じます。……ああ、魔術の詠唱文は表示できますよ! スキル欄から常時表示設定が出来ます!』
「……うぇ」
見ればルーシィの言う通りゆっくりと淡い光が消えていき、セーフティーエリアが消失する。このフィールド上にランダムに出現、消失するセーフティエリアは設定こそ面白いが、いざ目の前で消えて行くと心細さが半端ない。
続けて、遠くから何かの遠吠えが聞こえ、思わずぎくりと身体が強張る。
半分不可視みたいなものではあったが、絶対の信頼を置ける守りが消え、初めてどこにも安全などないと知る。
前後左右、上も、下も。
――危険。
無意識にそう察知し、VRの中ではあるが感覚を研ぎ澄ます。これはむしろ現実よりも効果があるかもしれない。VRは所詮脳内現象といわれている。脳が神経を研ぎ澄ませれば、付随して意識も研ぎ澄まされるらしい。
油断なく気を巡らせて辺りの危険を察知しようと警戒する。空は真っ赤に染まり果て、じわじわと夜が忍び寄ってくる。
まずは〝始まりの街、エアリス〟まで、ここからどれぐらいの距離があるのか、どの程度の時間をかければ辿り着くのかを確認し、考えなくてはならない。
「……ルーシィはどこまでサポートしてくれる?」
『出来る範囲なら、何でもです。そこは気に入った相手なら、好きなようにと言われています』
「なら、ここから〝始まりの街、エアリス〟までどのくらいかわかる?」
武器はない。持てるものは覚えたての4つの魔術だけ。それもまだ一度も試していない。効果を発揮するかすら怪しいものだ。
遠吠えが近くなっている。いつの間にかリゼット達だけではなく、小さな鳥系モンスター達までもが静かに姿をくらましている。
30分も話し込んでいてはいけなかったのだ。リゼット達がこちらを警戒しながらも草を食んでいるという状況を、のほほんと見ているべきではなかった。
自分よりも危機察知能力が高いであろう彼等が反応する前に、少しでも〝始まりの街、エアリス〟に向けて歩を進めるべきだったんだ。
周りには誰もいないし、何もいない。何もない。
夕陽に焼ける草原。赤く反射する白い岩。遠くの森は闇を孕んで、人を真っ向から拒絶している。
――わくわくする。
抑えきれない本音が零れる寸前、ルーシィの静かな声が夜の匂いを乗せた風と共に聞こえてくる。
『検索完了。距離、30キロメートルです』
「……はあ!?」
わくわくしたが、その前に仰天した。
『多分、運が4だからですよ。最高に遠い場所に配置されましたねー』
「ふざけんなオイ! 30キロメートルって、んな無茶な! 何かに乗れるわけでもあるまいし! 一番遠いところじゃん! 外側も外側じゃん!」
『あはははー……』
気まずそうにくるくる回る妖精を掴んでぶん投げたい気分になったが、いや今はそんなことをしている場合じゃないと思い直す。
安全地帯は消え失せた。どこにも逃げ場はない。目的地は、巨大セーフティーエリアと冊子に書かれていた〝始まりの街、エアリス〟。ここから30キロ(いっちばん遠い)。
「詰んだ」
『まだ詰んでませんよ!? とりあえず歩きましょうって!』
「なんかもう怠い……死に戻りしたら街までワープしたりしない?」
『……ここに戻されるだけですよ? ……あ、1キロ先から何か走って来てます。おそらくドルーウの群れです』
「――見た目、その他の解説!」
ルーシィの忠告を聞き、間髪入れず走り出す。もう何年もまともに走っていない現実の身体はともかく、VRの身体はよく動いた。
隠しステータスが高いのか、鼻も耳もよく利く。1キロ先だというが、何となく方向がわかるのがより恐ろしい。
微かに荒い息遣い、ふんわりと漂う血の香り。草原を踏んで走る音、かちかちと牙の噛み合う音まで聞こえてくる。本当に幻聴のように微かに。意識すればの話だけど。
『さっき横切っていったリカオンみたいなモンスターです! 夜行性で、群れで行動するモンスターです! 雄雌ごっちゃ! 体高平均1メートルのモンスターです! 地極系モンスター!』
「自分より早いじゃん! くっそこのままじゃ追いつかれる!」
予想以上に早い、早い、早い。
通常の生き物の早さじゃない。こっちも走ってるっていうのに1キロの距離を5分足らずで詰めてきている!
地面に突き立つ巨大な白い岩を避けつつ、丈の短い草原が続くフィールドをルーシィが指差した方向とは真逆に走り続ける。
「時速何キロあるんだよ!?」
『そういう相棒も信じられない時速出てます! 目安で覚えといてください!』
「何を目安にするんだよ、もう見えるくらいに迫ってるんだけど!?」
『げ、迎撃してください! ドルーウの晩御飯なんてルーシィちゃん嫌です!』
必死になって走るが、もうすぐ後ろに迫っている。肩に乗ったまま後ろを見て顔をひきつらせるルーシィの解説が、余計に悪い状況を煽る。煽られ過ぎて今のステータスはきっと、精神力などかなり下がっているんじゃなかろうか。
『5頭です! 5頭!』
「知ってるよ、ちくしょう……! 死ぬよりマシか……『詠唱文表示』!」
魔術スキルの詠唱文を視界の端に表示しながら振り向き、後退りしながら状況を確認する。
こちらから見れば渡り鳥の群れのようにも見える、V字型の隊列。先頭にいる一番身体の大きい個体がおそらくリーダーであると判断し、その脚を止めてやろうと思い付きを実行する。
「……〝土の精霊に似る 線を繋ぎ脆く〟【アレナ】!」
最も効果範囲を指定しやすいのは指先と判断。細かな位置を指定したいがために、ピストルを模した指先を向け、リーダーの着地地点を予測する。
詠唱しながら視線による補助を利用し、スペルを叫び発動を願う。指先から何かが抜けていく感覚に背筋が震え、一瞬ぴりっとした刺激が頭に走った。
瞬間――ぶわりと指先から放出される赤いもやのようなものが見え、それが一瞬で円形の魔法陣を組み、赤い線が瞬時に発光する。
――ギャウッッ!
次の瞬間に悲鳴。
魔法陣が浮かんだ地面の一部が細かな砂と化し、ものすごい速度でそこに踏み込んだドルーウのリーダーが足を取られてもんどりうつ。
リーダーが転んだことにより混乱したのか、他の4頭のドルーウが急停止し、慌てて自分と距離を取りながらリーダーへと心配そうな吠え声を上げる。
その隙をついて更に詠唱。生き残るための道筋を見つけるべく、詠唱を開始する。
「〝水の精霊に似る 線を繋ぎ流れと為す〟【ウォーター】!」
見える――見える。
詠唱の開始と共に指先から赤いもやが溢れ出て、スペルが完成する前に赤いもやが形をなして魔法陣を描いていく。
冷静に観察しつつスペルを唱えれば、その瞬間に魔法陣が発光し、透明な水がばしゃりと溢れる。
先程の砂地に水が溢れ、一瞬で直径30cmほどの小さな沼を作り出した。消費MPは今までで2。残りは6――道は見えた。
『わ、わ……! 何無駄撃ちしてるんですか!?』
「――うるさい」
わめくルーシィをあしらいながら、自分は迷わずに反転。そのまま全力で走り距離を取る。
ある程度離れた所で、隙を見せないようにバックで下がりながらドルーウ達の様子を見れば、多少は警戒する気になったらしい。
唸りながら囲い込もうと、体勢を立て直した5頭が一斉にばらけて走り出すのを尻目に、もう一度詠唱する。
「〝土の精霊に似る 線を繋ぎ脆く〟【アレナ】」
詠唱しながら意識する。もやが指先から放出される感覚に意識を集中し、より多く搾り出すイメージ。
ぶわりと先程の4倍ほどの量が放出されたところで意識的に引き締め、放出をストップ。スペルを唱えて魔法陣を砂の海に変換する。
4倍の魔力で作り出された砂の海の大きさは先程よりも大きく、広く――草原の一部を2メートルほどの砂原に変えていた。
ステータスを見れば魔力の分母が増えている。おそらくスキルを使った分、上昇したのだろう。
残りMP 4/10。
『何してるんですか!? 囲まれちゃいますよ!』
「…………」
ルーシィの声は聞き流し戦闘に集中する。リアル過ぎて実際に迫り来る恐怖心とせめぎ合いながらも、逃げるのは止めて、広く囲み込もうとするドルーウの一頭に向かって走り出す。囲い込まれたら勝機は無い。
速度の数値が良かったためか、加速が早い。ドルーウがそれに反応し、何やら突然足を止め、後退りをしながら大口を開けるという妙なモーションを取った瞬間――危険だと瞬時に直感する。
一瞬、対処を迷って唇を噛むが、下がるよりも向かって行って飛び越えたほうがいいと判断。そこそこの瞬発力を利用し、下がるドルーウに肉薄するために加速。
速度の数値も手伝いあっという間に距離を詰め、地面を鋭く蹴ってドルーウの頭に着地、そのまま蹴りつけて空中に跳べば、一拍遅れて背後に置いてきたドルーウの口から不愉快な吠え声が反響する。
『ッ――ヴォオオォォオオオゥ!!』
『【遠吠え】のスキルです! 自身と味方のステータス1%上昇。効果範囲内にいる相手に0.5秒間の硬直の効果があります!』
「何それ怖い!」
ルーシィの悲鳴じみた解説に、冷や汗を流しながら包囲網の一部を突破。慌てて右サイドから走ってくるもう一頭が同じように口を開けたのを見て、イチかバチかこちらも大口を開け
『――ヴオォオオオォオオゥ!!』
「――オォォオオオ!!」
獅子吼はやはり効果が無く、モンスターのスキルによって一瞬の硬直が訪れる。
強張る全身――顔を庇おうと反射で前に突き出した腕が震え、自分の身体が凍り付く。【遠吠え】を撃ったドルーウは隙あり! とばかりに、そのまま大口を開けて飛びかかって来る。
しかし、このままでは終われない。目前に迫る牙の群れに、混乱から恐慌におちいる寸前、アドレナリンにより加速した思考が、ほとんど無意識の反射で迫る大顎を下から弾く。
掌底により下顎を打ち抜かれ、無理に口を閉じさせられたドルーウが怯んだ。
その瞬間またしてもぴりっと頭に刺激が走る――が、それを無視して全力で回し蹴りを打ち込もうとし、背後から走ってくる足音に
「……ッッッ!」
そのまま紙一重で地面を蹴り、真横に跳ねとぶ。瞬間――背後から飛びかかってきたドルーウが怯んだドルーウと相打ちになり、きゃいんきゃいんと悲鳴を上げながら団子になり転がっていった。
ステータスを見れば時間経過による回復により、残りMPは6/10。回復が遅い! と思いながら舌打ちをすれば、視界の端に新たなスキルを取得しましたとNEWの表示が点滅しており、スキルが増えていたことを今更に知る。
『こここ、怖いです! ルーシィちゃんもマトモな戦闘は初めてです何これ! 怖いぃ!』
「うるさい、黙ってろ!」
一喝してルーシィを黙らせながら即座に足を動かして、転がる2頭から距離を取る。
様子を見るように距離を取っていた残りの3頭が走り出したのを横目に確認しながら、砂の海との距離を目算で計り、ドルーウと自分の間に砂の海を置こうと誘導のために再びダッシュ。
狙うは5頭が真正面から突っ込んでくるタイミング。包囲網を突破した自分をもう一度囲い込もうとするよりは、5頭でいっせいに跳びかかってくる可能性の方が高い。
「〝火の精霊に似る 線を繋ぎ点火する 【ファイア】〟!」
意図がばれないように貴重なMPを1だけ使い、転がった2頭が起き上がるまでの他3頭への足止めも兼ねて、砂の海を隠すように魔術の火を放つ。転がっていった2頭もその隙に起き上がり、5頭がこちらに向かって走ってくる。
草原に引火し、パッと燃え上がる炎にドルーウ達は怯まない。だが黄色い瞳に映るのは炎だけで、その先にある砂の海には気が付いていない――はずだ。
「〝水の精霊に似る 線を繋ぎ流れと為す〟!」
即興の作戦を信じ、今まで以上に力を込めて――残っているMPを全てつぎ込む勢いで魔力を放出。一瞬だけ燃え上がった火が消えていくのを待たずに、突っ込んでくるドルーウ達が砂の海に足を取られる、その一瞬――、
「――【ウォーター】!」
――狙い通りに、自分は魔術スキルを発動していた。
『う……わわ! 凄いです!』
砂の海の中心部に出現した魔法陣が発光し、溢れんばかりの勢いで
『ギャウウウ!』
足を取られて動けないドルーウ達が哀れな声を上げるのを見下ろしながら、ぜーぜーと肩で荒い息をしながら立ち尽くす。
残りMP0。疲労感たっぷり。新取得スキル2つ――目の前でもがくモンスター5頭。
「……ほんとに、疲れた」
初戦闘は、こうして幕を閉じたのだった。
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