第22話先方の仕事をうちのグラドルは蹴りたいそうです
俺がエリカさんのマネージャーを引き受けてから、一週間が経過していた。
妹については、あまり話したいとは思わない。つい先日までは車で送り迎えをしていたのが遠い昔のように感じている。どうやら電車でどこにいくにも電車を利用しているらしい。あくまでらしい、ではあるが。何故定かではないかと言えば、今の俺には以前ほどあいつに関わり合うことがないからだ。
「待たせた」
打ち合わせ室の入り口に、エリカさんが現れた。
エリカさんは俺の隣の席に腰を下ろした。
「久しいよ、エリ~カ・ジョンソン」
今回の打ち合わせ相手、カメラマン兼雑誌編集者の望月は耳に障る甲高い声で、エリカさんの前にダンスでパートナーに手を差し伸べるようにした。
エリカさんは差し伸べられた手を、黙然と見下ろしている。
捻りながら手を引っ込めると、望月は唇をイラストのタコみたいに尖らせる。
「冷たいね~、エリカちゃん。この僕が君にどれだけの恩恵を与えたか、覚えてないのかい」
「……覚えてない」
相変わらずの無表情ですげなく否定した。
望月が仕方なさそうに、俺に嘲るような視線を向ける。
「で、木下だっけえ。エリカちゃんの新しいマネージャーっいう人は?」
「そうですけど」
「ふへへ、まだ青臭さがプンプン臭うよ。大学出たばっかだろぉ?」
「今年入社したばかりで、自分は未熟ですが。これでもグラビアアイドルのマネージャーとして、全うしているつもりです」
「ふーん、そう」
冷めた態度で、膝を重ねて足を組んだ。
イラっとくるが、仕事の上であるため眉を動かさず耐えた。
望月はエリカさんに顔を向け直し、下卑たにやつきを浮かべる。
「ところでさー、エリカちゃん。一時期消息不明だってけど、どこに行ってたのかなあ? できればその場所の住所まで、ね?」
俺が苛々として望月のいやらしい質問に、エリカさんがどう反応するか視線を転じると、エリカさんは眉間を徐々に狭めていた。
「どこかな、どこかな?」
「……蹴る、この仕事」
「うひー、怖い怖い」
下卑たにやつきをやめて、望月が椅子の背にもたれて身体を反った。
「蹴っていい?」
エリカさんは俺に判断を委ねて聞いてくる。
俺は望月を横目に、答える。
「エリカさんの意向に任せますよ」
「そう。わかった」
こくんと頷くとエリカさんは望月に再び向き直るが、相手の甲高い声の男はエリカさんから断られるのを避けるように静かに席を立った。
望月は書類を小脇に挟んで戸口の前で足を止めると、失望したと言いたげな興ざめた顔をした。
「嫌な顔をされちゃ仕事にならないね。エリカちゃんにはデビュー当時から期待してたが、その調子じゃ君のグラビア活動の行き着く先が思い遣られるよ。無能なマネージャーが付いちゃたからね」
「うるさい、帰るならさっさと帰って」
エリカさんが珍しく感情的な言葉を放った。正直、目を見張ってしまう。
望月はほうほう、とエリカさんが剣幕になるのを予期していたように、奇妙に薄ら笑った。
望月が去ってから程なくして、エリカさんが俺を振り向いた。その目が不意に驚いた。
「信じがたいものを見たような、そんな目してる」
「驚きましたよ。エリカさんが人に対してあそこまで怒るなんて、想像もしたことがありませんでしたから」
エリカさんは驚きの目が、いつもの無感情な目に戻る。
「怒って当然」
「どうしてです?」
「木下君は無能なマネジャーじゃないから、とても有能なマネジャーだから」
「はは、有能だと思ってくれてるんですか。ありがとうございます」
「それに……あれ、だから」
「あれって?」
急に曖昧な発言をするので、俺は訊き返す。
エリカさんはしばし感情のよくわからない目で俺を見つめ、顔を逸らして立ち上がって戸口に向った。
「どこに行くんですか?」
「お手洗い、着いてきたい?」
「いいです」
無言で席を離れたので、どこに行くのかと気になってしまった。さすがに異性のお手洗いにまでついていくマネージャーは、探してもこの世にいないだろう。
川流れから助けられた日から数日が経ち、りつなはろくが住まいとしているタワーマンションの一室に、借りた服を返却するため足を運んできた。
足取り軽いりつなの背後数メートル、ピンクの半袖Tシャツにジャラジャラ鎖の類を吊るしたデニムパンツの目立つ服装の女性がキャリーバッグ引きながら後をつけてきている。
半袖Tシャツの女性は、ドアのインターホンを押そうと腕を上げたりつなににじり寄る。
「おい、そこの女」
「えっ、あっ、はい?」
りつながどきんと背後を振り向く。
半袖Tシャツの女性は、疑わしげにりつなを睨みつける。
「うちに何の用だ。しょーもない勧誘なら、お断りだ」
「か、勧誘じゃないです」
「じゃ、なんだってうちの前に突っ立ってんだ」
「あ、あの……」
りつなが控えめに質問をしようと女性の顔を見る。
眉をひそめて少し億劫そうに、女性はりつなの言葉を待った。
「ろく君のお姉さん、なんですか?」
「ああ? だから何だってんだよ。つーか、でかい胸しやがっておめえ誰だ?」
でかい胸と言われて、りつなは反発する。
「これでもGです。あたしより胸の大きい人、たくさんいます」
「それじゃ、ワタシはどうなるってんだ。かろうじてBだぞ」
はっとした顔で思い出したようにりつなが言う。
「そうか、だからろく君から借りたあなたの服がきつかったんだね」
「……あん?……なんだと、てめぇ!」
女性もとい、ろくの姉はりつなの胸倉を掴み上げる。
「さっきから聞いてりゃ、ろく君から借りただあ、これでもGだあ、服がきついだあ、どこの奇人だおめえ」
「さっきのは口が滑っちゃっただけで」
「うるせえ」
「姉さんこそ、うるさいよ」
揉み合う二人の前で、唐突にドアが開いて声変わり途中の少年の苛々とした声が響いた。
ドアを開けて姿を見せた少年ろくは、自分の登場にポカンとしている姉とお姉さんを見て、不快げに顔を顰めて言う。
「マンションの廊下で大声出さないでくれ。うちの中にまで聞こえてたよ」
「おーう、ろく。姉ちゃん帰って来たぜ」
「そうだね、お帰り」
むすっとしてろくは姉に言葉を返した。
不機嫌な弟に、姉はりつなを解放させてやってからにこやかに尋ねる。
「どうだ、ろく。姉ちゃんの奮闘ぶり見てたか?」
「何言ってるんだよ。中継されたのは、ベスト8からだよ。ベスト16止まりの姉さんの試合を見られるわけないだろう?」
「なに! ベスト16は放送されねーのか?」
「そうだよ。僕が知ってるのは結果だけさ」
衝撃的な事実に、ろくの姉は口を開けて放心した。
姉弟を交互に見て、りつなが疑問を呟く。
「えっと。二人は姉弟で、ろく君は中学生でしょ、ろく君のお姉さんは……なにをしている人なんだろう、そもそも名前も知らないし……」
「姉さんはゲーマーだよ。それも国内ランキング4位」
「へえ、すごいね」
「つっても、スクエアー・ファイターズにかぎっての話だけどな」
純粋に誉めるりつなに、ろくの姉は謙遜の気持ちで言った。
謙遜はあったものの、褒められて嬉しいのか気分よくして話し出す。
「日本代表の一人として、世界大会のあったアメリカから帰ってきたんぜ。そしたら家の前に知らね―女性のお前がいたんだ」
「姉さん、このお姉さんは怪しい人じゃないよ。貸してた服を返しにきたみたいなんだ」
「おい、ろく。なんで勝手に私の服を貸すんだよ。姉ちゃんに連絡くらい入れろ」
五月蠅げにろくは姉に言い返す。
「国外通話は料金が高いんだから、仕方ないだろう。万が一、試合中だと姉さん自信が困るだろう」
「そりゃ、これでも一端のプロゲーマーだかんな。試合中は携帯はマナーモードだぜ」
「マナーモードって、いっそのこと電源を切るくらいの威勢はないのか」
姉のゲーマーとしての半端なスタンスに、ろくは弟ながら嘆いた。
りつなは姉弟の睦まじい会話を前に居づらそうにして、借りていた服を両手に持ち直す。
「あの、服返します」
「うん、あん」
服の入っているナイロン袋ごと、ろくの姉は受け取った。
「服貸していただいて、ありがとうございました」
重ね重ね頭を下げ、りつなはエレベーターに乗り込みタワーマンションを後にした。
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