第21話笑顔、失くして。恋、失する

「それじゃ、服は洗って返しに来るね」 


 他人の家に長居するのも悪いとりつなが暇乞いをするためソファから立ち上がると、ろくも同じく腰を上げた。


「帰る前に、質問していいですか?」


 ろくの探る目でりつなの顔を見た。


「何かな?」


 りつなはろくの真面目な視線も、気付いていない様子だ。


「お姉さんはなんで川を流れてたんです?」

「なんでかな?」


 私にはわからないと言うように、眉を上げてそう言った。

 ろくは力抜くため一息ついて、再び探る目をする。


「川に流れているあなたを見つけて、たかし君と岸に上げて、その時からずっと疑問だったんです。水着でもない、かといって着替えも持っていないときました。誰かに襲われでもしたんですか?」

「ううん、誰にも襲われていないよ。私はただ川で涼んでただけだよ、そしたらいつの間にか君達に助けられてた」

「それと定かではありませんけど、僕は聞いちゃいました」

「何をかな?」

「私は負けたんだって、すこく悔しそうに唸ってました」


 りつなは愕然と目を見開いた。

 ろくは彼女から視線を移さずにいる。

 誰も予期しなかった沈黙の中、りつなの驚きは徐々に引いていった。私、馬鹿だなと自嘲的にごく小さく呟いた。

 

「話したくないなら無理には聞きません」

「未練たらたらだね、私。ね?」


 りつなは頑張って口元に笑みを作ろうとした。すでに泣く一歩手前の表情になっていた。

 ろくが質問が不躾だったことに気付いて、慌てて言葉を継いだ。


「お姉さんのこと何も知らないのに、踏み込んだこと聞いてるんですね僕」

「ううん、いいの。はたから見れば、くだらないことだと思うから。だって単なる失恋だもん、自分で勝手に恋して、自分で勝手に落ち込んでる。君達二人は、少しの間だけど気持ちを楽にさせてくれたよ」

「おい、姉ちゃん」


 テレビの前に座りゲームに興じているたかしが、りつなが言い終えたところで口を挟む。


「失恋っていったか。確か漢字で失う恋って書くんだよな」

「そうだよ、たかし君。珍しく漢字を間違えていないじゃないか」

「うるせー。話の邪魔をするな」

 

 耳に障るというように言った。

 ろくが口を噤むと、たかしはテレビから視線を外し、りつなを舐めまわすように見た。

 

「え、何?」


 たかしの奇妙な熟視に、りつなは戸惑った。

 たかしが見定めて口角を上げる。


「おい、姉ちゃん。俺は姉ちゃんのこと可愛いと思うぞ」

「可愛いか、二十代にもなって可愛いは通用しないよ」


 たかしの拙い寸評に、りつなは肩を落とした。


「とりあえずよお、姉ちゃんは失恋はしてねーと思うぞ」

「どういうことだい、たかし君?」

「ろくは黙ってろ」


 ろくは不満に眉をしかめた。

 友人の不機嫌も意に介さず、たかしは続ける。


「だってよ、人に恋している限りは恋を失ってはないだろ。失恋とは呼ばねえんじゃねーのか」

「相手の気持ちが届きそうもない離れた場所にあるのに、闇雲に追いかけても追いつけないよ。相手の恋を私は失ってるんだよ」

「俺にはわかんねー。でもよ、これだけ言わせてくれ」


 たかしは白い歯を見せて、大きく笑う。


「女は笑顔でいなきゃ損だぜ」

「そうだね、わかった。出来る限り笑顔でいることにする」

「おうよ、それがいい」


 ろくが妙に相通じている二人の掛け合いを、ポカンとして聞いている。

 たかしはテレビ画面に視線を戻した。

 少しだけ笑ってりつなはお暇を告げる。


「服貸してくれたし、お風呂まで入らせてもらっちゃって、ほんとに二人ともありがとう。明日か明後日には返しに来るからね」

「は、はい。わかりました」


 ろくは見惚れたように彼女を見て返事をした。

 りつなは親切な少年の宅を後にした。自宅に帰りつくまで、悲しみに押しつぶされないために微笑を浮かべ続けたまま。


 


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