第17話不等辺記号の使い方の例は〇〇〇>〇〇〇だ
騒動は去った。
今日も事務所に通勤する。変わりのない日常だ。
妹と連れ立って事務所の自動ドアを潜る。
ドアの傍らから、冷たい視線を感じて咄嗟に俺は辺りを見回した。
「兄さん、後ろ」
妹に言われて、後ろを振りかえる。
何故か常に冷酷な目をしているスーツの女性が、俺を粗大ごみかのように見上げていた。
ぎょっとして数歩後退った。
「木下陸人さん、至急社長室に向うようにしてください」
早苗さんが感情のない声で告げた。
挨拶もなしに告げるだけ告げて、さっさと廊下に消えていった。
呆然としている俺に、妹がおちょくるように言う。
「兄さんの顔、なんか驚いた地蔵さんみたいになってる」
それはそうだろう。実際に驚いてるからな。
至急社長室へ、俺は妹と一旦別れ社長室を目指した。
社長室のドアを開けると契約書一枚で社長を混乱に陥れた女性、エリカさんが社長とテーブルを挟んで向かい合っていた。
末次社長は俺が敷居を踏み越える前に、救いの手が現れたかのように俺に勢いよく顔を向けた。
「木下マネージャー、やってきてくれた。彼女の隣に座ってくれるかしら」
呼ばれた事情も明かされず、俺は言われたままにエリカさんの隣に腰を下ろした。
社長は早速俺に急いて質問をしてきた。
「木下マネージャー、あなたがエリカさんのマネージャーになったという話、本当かしら」
「はい、昨日付けで」
「ほら、私の言った通り」
エリカさんは俺の返答が証明になったようで、そう言った。
社長が左手で自身の頭を支え、右手の平をひらりと俺に向けて訊いてくる。
「あなたはりつなちゃんとエリカさんを二人持ちするっていうの?」
「妹に関しては新しいマネージャーを立ててもいいって、母親が了承してくれました」
「まな、ね。またあの子はりつなちゃんに勝手で何か教え込もうとしてるのかしら」
「さあ、俺にも」
社長はグラドル時代の母を知っているからか、物憂げに溜息を吐いた。息子の俺も社長の気持ちがよーくわかる。
「陸人マネジャーのお母さんの話をしても仕方ない。早く、本題に入りたい」
エリカさんが俺と社長を見て、無表情に促した。
はいはい本題ね、と社長は姿勢を正す。
「それでエリカ・ジョンソンのマネージャーを木下陸人で成立させるとして、事務所内で公表しないといけないわけだけど、りつなちゃんには言ってあるの?」
俺は目線を逸らした。気まずい。
「まさか木下マネージャー、りつなちゃんにまだ言ってないの?」
「はい、タイミングがわかんなくて」
「今すぐ知らせてきなさい、エリカさんも一緒にね」
「私も?」
「当たり前よ。木下マネージャーがりつなちゃんのマネージャーをやめないといけなくなったのは、あなたが発端なんだから」
「わかった」
エリカさんは社長の説明で頷いた。
妹に聞き分けがあればいいのだが。
打ち合わせはまだ始まっていないはずなので、妹には廊下の自販機前の広いスペースに来るようメールしておいた。
果たして廊下の角から、長年聞き親しんだ妹の歩いている音が聞こえてきた。
「なあに、兄さん。話って」
陽気な調子でやってきた妹の顔が途端に引きつる。
妹の視線を追うと俺の隣に立つエリカさんがいた。
「その人、誰?」
俺を訝る。
「エリカさんだよ、お前始めてなのか?」
「知らない、こんな人」
妹の視線が不穏なものを湛えた。
エリカさんが前に出る。
「私、エリカ・ジョンソン。あなたが木下さんの妹さん?」
「だから、何よ。あたしは兄さんと話があるんだから、後にしてくれる」
「りつな。実は話っていうのは、俺とお前だけのことじゃないんだ」
はあ、と妹は顔を顰める。
俺は努めて笑顔で告げる。
「俺、エリカさんのマネージャーをすることになったんだ。それで……」
「ふざけてるの?」
妹が怒気を含み被せて言った。
妹の開いた口でのべつに言葉を発し、エリカさんを指を伸ばしきった指す。
「兄さん、ダメだよ。この女に篭絡されてるんだよ」
「篭絡してない、私の方から木下さんにマネージャーを頼んだ」
「口を挟まないで。あたしは今兄さんと喋ってるの」
妹は激して、エリカさんを突き離す。それじゃ話し合いにならないじゃないか。
「りつな、エリカさんもこの話し合いの当事者なんだ。口を挟むなんとことはしてない、きちんとした意見なんだ」
「……」
妹の目が険しく細められ、俺を睨む。
「兄さんはあたしのマネージャーでしょ。なんでその女ばかり味方するわけ?」
「俺がエリカさんを味方してるなんて解釈はやめろ。さっきのはお前の言い方があんまりだったから、注意しただけだ」
「この女はあたしからマネージャーを奪ったんだよ。本当に兄さんはこの女に篭絡されてるんだよ」
「奪ったなんて言い方やめろ。俺が自分で決めたんだ、篭絡されてない」
「……兄さんは私のマネージャーしてるより、この女の傍にいたいの?」
「言い方が気に食わんが、そういうことだ。エリカさんが俺をマネージャーにしたいと望んでくれて、それに俺が応えただけだ」
「……」
妹は俯いた。そして右手を後ろへ引き、強く拳を握った。
次の瞬間、拳が俺の顔の横から急接近した。
危ない、とエリカさんがはっとした声を出した。
俺はのけ反り、間一髪で横殴りの拳をかわした。
「突然殴るなよ。危ないぞ」
振り切られた拳は俺の顔の右前で凍ったみたいに静止し、ゆっくり力が抜けていく。
「せいぜい頑張んなさい」
顔は床を向いたままそう言って妹は拳を下げ、身を翻しおどけたように肩をすくめてみせた。
「丁度いいわ、これをきっかけに私も新しいマネージャーを探してみようかな」
妹は開き直り機嫌よさげで誰か良い人いないかな、と口にしながら廊下の角を曲がって立ち去った。
グーで殴りかかってくるとは予想だにしてなかったが、案外すんなりと受け入れてくれた。
もしかしたら妹も兄妹仲でいつまでも仕事するのを、やめようと考えていたのかも。それだったら早いうちに、相談すればよかった。
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