第9話オムライス、それは和製外来語であるらしい
朝は四時半起床でエリカさんとランニング。昼は事務所で妹のマネージャー業。夜はエリカさんの食事管理。そんな多忙な生活が二週間過ぎた。
暦も七月に入り、雨季もほとんど終わろうとしていた。
俺は事務所で、りつなの次回の撮影企画書の紙に目を通していた。
ふとするとあくびが漏れる。
「兄さん、またあくびしてる」
右斜めのパイプ椅子に腰掛けて、自作の弁当をつついていた妹が言った。
「昼は見るたび見るたび、あくびばっかり」
「そんなことねーだろ、ふぁふぁ」
「ほら、また出た」
ほんとだ。気づかないうちに疲れがたまっているのかもしれない。
妹が卵焼きを箸でつまみ上げて、何気なく聞いてくる。
「最近、ちゃんと寝てる?」
「まあ、一応は」
寝入りは悪くない、ただ起床時間が早すぎるのだ。
卵焼きを口に運んでから、ふーんと気にする風もなく合の手を入れた。
「ねえ兄さん」
食べ過ぎないためにか小ぶりの弁当箱をじっと見つめて、話しかけてくる。
「これ、食べたい?」
妹は弁当箱を俺の方に傾けて、左隅の小さいケチャップソースのハンバーグを指さす。
俺は尋ねた。
「なんで?」
「なんでもいいじゃないの。とにかく食べたいかどうかを訊いてるの」
理由を訊かれて、何故かけむに巻く。
食べて欲しいというのなら、食べてやるが。
「兄さんが食べないなら捨てちゃお、無理して食べると太っちゃうからね」
悪戯っぽく言って、妹は立ち上がり室内のゴミ箱に身体を向けた。
急いで俺が止めに入る。
「待て待て捨てるな、俺が食べる」
「ほーら、結局食べたいんじゃない。隠さなくてもいいのに」
ニタニタ笑って、俺を冷やかす。
噴飯ものだ、我が妹よ。
弁当箱を俺の前に突き出して、顎をしゃくって促す。
指先でハンバーグを持ち、いただく。
「おお」
俺は思わず声を出して驚いた。
こね固められた絶妙な焦げ具合のハンバーグの旨味とそれに絡むケチャップソースのまろやかさに、舌鼓を打たざるを得ない。
「兄さんの舌に合ってるでしょ?」
「ああ。もしかしたら母さんのよりうまいかもしれない」
「ほんとう? 私、お母さん超えた?」
「母さんの味付けは甘かったからな。こっちのほうが塩気があっていい」
「そうだと思った」
したり顔で妹は笑った。
こいつはさっき、この美味しいハンバーグを食糧廃棄しようとしていたのか。
「しかし、お前って料理上手かったんだな。練習したのか?」
俺は意外に思って尋ねる。
そりゃ、もちろんと頷いて、無駄にでかい胸を張る。
「一人暮らしするようになって頑張って覚えたからね、いつでもお嫁にできるよ」
「勝手にお嫁に行くのは許さんが、それはさておき味付けはいつも同じなのか?」
「うん、それがどうかしたの?」
「こうも俺の好みにぴったりだと、いつもと味付け違うんじゃないかと思ってな」
「わざわざ兄さんのために、味付け変えるわけないじゃん。そこまで慕ってくれてる妹だと思ってた?」
「聞いた俺が馬鹿だったよ」
今しがた食べさせくれたのも気分的なことか。
それにしても白飯の炊き方しか会得していない、料理などまっさらな俺とは雲泥の差だ。
「それで、兄さんは自炊できる?」
聞いてきやがった。俺は正直に話す。
「ご飯を炊くことは覚えた」
「ふーん、そう」
わざと興味なさそうに妹は横を向いた。
しばらく黙りこくって横を向いていた妹の目が、ちろりと俺の顔を窺い見た。
「ねえ兄さん?」
「なんだ?」
「よかったらだけど、料理教えてあげるよ」
「まあ、料理に関してはお前の方が先輩だからな。お前に指導されたら得られるものは多いだろうな」
妹は少しだけこちらに顔を傾け、よーく見ないと気がつかないほど微かに口元をほころばせた。
「土曜日空いてるでしょ、教えに行ってあげる」
「そりゃ、どうも」
ってことは妹が俺の住まいに来るのは、引っ越し以来二回目になるのか。
来る前に掃除しとこう……一応グラビアの雑誌隠しとくか。
土曜日になった。
最近の日課であるエリカさんとのランニングに出掛けた帰り際、エリカさんからこんな要望があった。
連絡先の交換である。
家族以外の女性の連絡先をもらうのは、実のこと言うと人生初なのだが別に邪なわけはない。
来れない時の連絡用に、と中高生の部活動連絡網みたいなものである。
正直、二週間も経っているので遅いくらいだ。
今はお昼時にさしかかり、部屋の掃除を終えた俺は約束の時間に妹が来るのを待つばかりだ。
噂をすればなんとやら、インターホンが鳴らされる。
ドアを開ければ、案の定妹が立っていた。
水色のチュニックにロングスカートで服装で、食材が入った買い物袋を提げている。
「兄さん、上がっていい?」
「いいぜ、遠慮すんな」
妹は上り框を越えると、真っ先にリビングに入った。
キッチン前のダイニングテーブルに買い物袋を置くと、指南役りつなの指示を待つ俺を厳しい目で見る。
「準備できてる、兄さん?」
「なんでそんな怖い目で見るんだよ」
「エプロンくらいつけてから意見したら?」
「すまん、すぐつける」
早々怒られてしまった。先行きが不安だ。
妹はテーブルの上にどっさりと食材を並べ、エプロンをつけおえた俺に人差し指を尊大に突きつける。
「まずはお手本見せるから、私の後ろでよーく観察してなさい」
大まかな説明を交えながら、慣れた手際で妹は料理を進めていった。
キッチンの傍で身を入れて、妹の説明を繰り返し口ずさんで頭に叩き込んだつもりだ。
出来上がった料理はオムライスで、妹はオムライスを載せた皿をダイニングテーブルに置く。
「味見してみて、鶏肉や玉ねぎの炒め具合とか、卵の焼き加減とか、舌で感じ取ること」
単純に美味しいとか美味しくないの判断ではなく、舌触りで調理のコツを掴め、ということらしい。
俺自身バカ舌ではないと自覚しているが、繊細な味を判別できるわけでもない。まあ、普通の味覚を持っていると思う。
とりあえず味見してみよう。
俺はスプーンでチキンライスを被さる卵ごとえぐって、咀嚼した。
舌で転がしてみる。
うーん、美味しいが詳密な味の秘訣はいまいちピンとこない。
一つだけ気づいたことだが、若干玉ねぎのシャキシャキとした噛み応えがある。
「あれだな、玉ねぎがまだシャキシャキしてる」
「それぐらいは、さすがに兄さんでも気づくのね」
「お前は一体俺をどう評価してるんだ?」
「別に、普通だと思うよ。それよりも、もう一つ工夫したことがあるんだけどわかる?」
「いや」
悔しいが俺は首を振った。
ふふふ、と妹は意味深に笑みを浮かべた。
「実はね、チキンと玉ねぎの切り方に工夫があるんだよ」
「その切り方って、どういう?」
「チキンと玉ねぎの対比を大体、二対三にしてるんだよ」
「そうするとどうなるんだ?」
「私てきに一番美味しいオムライスになる」
「それだけか?」
「うん」
ちょっとがっかりした。
もっと凄い理由があると思って聞いたのに。
「何よその、物足りないような顔。言いたいことがあるなら言ってみなさいよ」
「いや、別にいいんだ。美味しかったから」
「ふん、美味しくないと食べさせるわけないじゃん」
俺が本音を言うのをはばかったからか、少し不満げに鼻を鳴らした。
とはいえ妹の機嫌を取りたいわけでもないので、そろそろ成人後初の調理実習に挑みたいと思う。
「一度作ってみていいか?」
俺が許可をくれるよう投げかけると、いいよ始めちゃって、とあっさり諾した。
よし、やってやろう。
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