第8話ダイエット革命(酢キャベツ)
今日の朝は昨日と、大違いだった。
アパートに着くと、車の外に出た俺に待ちわびていた様子で、外階段を降りてエリカさんが近づいてきた。
挨拶もなしに深く頭を下げた。
「ごめん、昨日は迷惑かけた、もうあんな勝手なことしない」
「エリカさん、謝られてもなんて返せばいいか」
困った。昨日の事は誰が悪いでもないし、チョコ菓子を食べたことに咎があるわけでもない。
そりゃダイエット中だけど、エリカさんに無理強いはしない。
「顔をあげてください。昨日の事は忘れて、今日からまた始めればいいんです」
俺が諭すように言うと、エリカさんは顔をあげて断固たる表情になった。
「グラビアに戻れるようになるまで、あなたの指示に従う。だめ?」
「ええっ、俺の指示に従うってことはエリカさんの意思がないじゃないですか」
「あなたの指示に従うのが、私の意思。自分の弱い心に打ち勝つためにも、そうするのが一番」
「チョコレート禁止しますよ?」
「覚悟できてる」
「食事も管理しますよ?」
「承知」
エリカさんは本気だ。瞳に痩せたいという強い思念が宿っている、気がする。
俺は最後の質問をする。
「途中で投げ出さないでくださいよ?」
「挫折なんて言語道断」
「わかりました」
俺は頷いて応じた。
「じゃあ早速、ランニングの時間を二倍にします。今の量じゃ足りません。俺は仕事があるので二倍できませんが、エリカさんは今のルートを二周走ってください」
「わかった」
「それじゃあ、行きましょう」
俺は仕事の合間を使って、ネットで調べた効力の大きいダイエット法をメモ帳にまとめた。
妹をマンションに帰した後、直行でエリカさんのアパートに車を飛ばした。
インターホンを押すとエリカさんが出てきて、部屋に上げてもらった。
夕食のメニューを確認することより先に、俺はちゃぶ台にちぎったメモ帳のページ数枚を叩きつけた。
「エリカさん、今すぐこれをしましょう」
「酢キャベツダイエット?」
「そうです、すごい効果が見込めますよ」
俺が自信をもってエリカさんを真っすぐ見ると、エリカさんは困った表情をした。
「でもキャベツも酢もない」
「そうですか、どっちも売っていてまだ開いているお店、近くにありますかね?」
「たしか私の出身の隣町に、九時までやってるスーパーがあった」
俺は腕時計で現時刻を確認する。
「今が六時五十分だから、間に合いそうですね」
「走っていくの?」
「まさか、俺の車に乗ってください。車ならすぐ
でしょうから」
「助かる。じゃあ財布持ってくる」
「いいですよ、俺が払いますんで。場所だけ誘導してください」
「私の事なのにあなたが払うのはおかしい」
「キャベツとお酢だけなんで、たいした金額じゃありませんから」
「……わかった」
エリカさんは少しの間きょとんとしてから、一つ頷いた。
俺は助手席にエリカさんを乗せ、車を出した。
そこ右、とかそこ左、とかそこ真っすぐ、とか、極めて短い案内通りに車を走らせること三十分ほど。
店内明るいスーパーに到着。
店前の駐車場の適当なスペースに停めて、エンジンを切って俺とエリカさんは車外に出る。
「そういえばエリカさん、ジッパーのポリ袋って家にあります?」
「ある。けどどうして?」
「酢キャベツを作る時と保存に使うんです、詳しいことはメモ帳に書いてあるんで後で読んでください」
そんな会話を交わしながら、店内に入る。
時間が遅いからか、ちらほらと仕事帰りらしい人が買い物をしている。
「エリカさん、お酢のある場所わかります?」
「わかるけど、順々に回ってく。キャベツとお酢だけ買うと目的がばれる」
「たしかにそれもそうだ」
見え透いてダイエットをしていることがわかってしまう。女性は極力人に知られず綺麗になりたいものなのかもしれない。
食料品をじっくり見て回るふりをするエリカさんの後ろに、せかさず着いていった。
こうして優先すべきキャベツ一玉とりんご酢一本、エリカさんが買い物の目的を偽装、とか言ってマヨネーズ一本とケチャップ一本を追加で買った。
なるほど、調味料を買いに来たように見えないこともない。
買い物を終えたアパートへの帰り道、指示をもらうことなく運転する俺に、助手席で何故かは知らないがお酢のラベルを眺めていたエリカさんが、唐突に顔をこちらに向けて言った。
「酢キャベツって効果どれくらい?」
「どうだろう、もちろん個人差はあると思いますけど、二週間で三、四キロ落ちるはずです」
「そんなに痩せるの、驚いた」
運転中で表情を窺えないのでわからないが、エリカさんは驚いたらしい。
「痩せたら、暑い長袖を着なくてよくなる」
「瘦せたらスタイルに自信が持てるからゆとりのある服を着なくてもよくなる、ってことですか」
「鋭い」
「……あんまり嬉しくないな」
またも口が勝手に喋った。ろくでもない目利きが身についてしまっている。
その後いくつか受け答えしているうちに、アパート前に戻ってきた。
別れ際、エリカさんが買い物袋からマヨネーズとケチャップを取り出して助手席のシート置いた。
「この二つ、使わない。あなたのお金で買ったから返す」
「使わないんですか」
「基本、何もかけない派」
そう答えて、車のドアを一息に閉める。
エリカさんに代わり赤と白の二本のボトルを乗せて、ようやく家路につくことができる。
アパートを離れる間際、目の端でバックミラーにエリカさんが無表情に片手を掲げるのが見えた。小さくその手を振っている気がした。
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