第5話消息不明のグラドルを見つけ出せ
夕暮れが迫ってきた頃、俺と森野さんは例の路地のアパート周辺に戻ってきたのだが、森野さんがアパートの近くの電柱の下に一枚の紙きれを見つけた。
拾い上げた紙きれを、俺に見せてくれる。
「りくくん、これ意味わかる?」
紙切れはメモ帳の一枚のようで、判読不能な文字群が紙の上方に横一列並んで書かれてあった。
右横、左斜め下、左横、赤……とここまで書かれて途切れている。
なんだ、これ。文字の方向に進めってことか。でも赤って、何を指してるんだ。
とりあえず文字の示す方向へ順番に視線を向けてみる。
左下の後の赤、赤いものには視線は行き当らなかった。
間の抜けた挙動する俺に、森野さんが肩を叩く。
「りくくん、この字よく見たらエリカちゃんの字にそっくりだと思うんだけど、お姉さん間違ってるかな」
「俺が知るわけないじゃないですか。会ったこともないのに」
エリカちゃんの字にそっくり、ということはもしかしたら紙きれを落としたのはエリカ・ジョンソン本人かもしれない。
ひとまずこの紙切れは持っておこう。俺はスーツのポケットに意味不明の紙きれをつっこんだ。
そのあと日も落ちて、アパートの前でエリカ・ジョンソンなる人物を待ち受けたが、それらしい姿はとうとう現れなかった。
だんだんと森野さんの勘やらを信じた自分を、情けなく感じてきた折だった。
「ねえりくくん、あそこに誰かいるわ」
「へえ?」
森野さんが目を向けるその先にはアスファルトの道に光を注ぐ街灯があり、光の下で買い物袋を持つ何者かが驚いた様子で数歩後ずさり、俺達から逃げようと袋を放って夜道を駆けだした。
逸走して遠ざかる不審者に、俺が目を凝らしていると森野さんが背中を叩いて前に押し出す。
「りくくん、あの人を追いかけて。エリカちゃんに似てたわ」
「森野さんは?」
「私はここで待ってるわ」
俺はにこやかに見送られ、森野さんの言うエリカ・ジョンソン似の不審者を追いかけた。
普段から体力維持のためにトレーニングなどをしていない俺でも、徐々に不審者との距離が縮まっていく。不審者の身なりは頭の後ろで尾のように括った髪とオレンジのフード付きパーカーに白のスカンツ。どうやら女性のようだ。
角を曲がり、路地を抜け、ガードレールのある歩道を真っすぐをひた走る。
歩道橋の階段が走る先にそびえていた。
不審者の方は疲れが出始めたらしく、歩道橋を駆け上がる速度が急に遅く体が前屈みになっている。
追跡劇の終りもすぐそこまで来ていた。
階段を昇りきって少し進んだところで俺が不審者の肩を掴もうと手を伸ばした時、がくんと不審者が膝を折ってくずおれ手をついた。
呼吸を急ぐように荒く息をして、こわごわと後を追いかけてきた俺を首だけ振り向いた。
その瞳につと怯える揺らぎが見えた。
俺は言葉を選んで、危ない不審者にしてはあり得ない臆病な瞳を見たまま尋ねた。荒かった息が次第に穏やかになっていく。
「ごめん、追いかけたりして。そのせいでけがしなかった?」
俺達から逃げ出した女性は、首を懸命に横に振った。
突然力が抜けたように見えたのでほっとした。次には真っ先に聞きたいことを口にする。
「エリカ・ジョンソンさんですか?」
「あ、あ」
答えることに躊躇うような間を、俺は黙して待った。
「あなたは?」
俺の問いは違う問いになって返ってきた。
「木下陸人、といいます。○○事務所でマネージャーしてます。あなたはエリカ・ジョンソンで間違いありませんか?」
控えめに頷いた。
「社長に頼まれて、エリカ・ジョンソンさんを探してるんです」
「社長?」
「末次社長と言えば、わかると思います」
末次社長という言葉に女性は一変して強気な瞳で、俺を見据えた。
「社長に言っておいてくれるかな、もうグラビアはやめるって」
「なんでです?」
「あなたには関係ないと思う」
「でも、やめるにしても社長と直に話し合ってからにしないと」
「会いたくない」
「なんでですか?」
「……その……とてもグラビアができる身体じゃないから」
エリカさんは恥ずかしそうに俯いた。
どういうことだ。グラビアができる身体じゃないとは?
「どこか、ご病気でも?」
「違う、太った。だからグラビアできない」
「ぷっ」
俺は思わず噴き出してしまった。
エリカさんがさらに暗く俯く。
「やっぱり、笑われた。グラビアアイドル失格、私」
「そんなことないですよ、少しくらいのサバ読みは許容範囲です」
「少しじゃない」
少しじゃないって、どれくらい太ったんだ? 本心、正確な数値を訊いてみたいがデリカシーに欠けるので、野獣っぽい欲望を必死に抑えた。
代わりに異なった質問を投げ掛ける。
「でもなんでさっき逃げたの? 太ったことと関係があるの?」
「麗華先輩がいたから」
「森野さんとも会いたくない?」
エリカさんは小さく頷いた。そして俺にくぎを打つ。
「私が事務所に顔を出さない理由、他の人に言い洩らさないで」
「はい、わかりました」
「あと一つ、頼みごとがある」
「他に何かあるんですか?」
「あなたのこと信用して頼むけど、私の弱い心を鍛えて欲しい」
俺は呆然とエリカさんを見た。
冗談で言っている様子ではない。
「弱い心を鍛えるって、そもそも俺にできることなんですか?」
「グラドルのマネージャーだよね?」
「ええまあ、一応は」
「それなら問題ない。サポートしてくれるだけでいいから」
「はぁ」
どうしよう断るのは気が引ける。でもサポートだけだよな。
俺はサポートの詳しい内容を知りたく、真面目な表情のエリカさんに尋ねる。
「サポートって具体的に何を?」
「朝のランニングと、夕食の栄養管理、それに誰かに支えてもらいたい。一人で取り組んでもすぐ言い訳付けちゃうから」
「それって俺じゃないとダメなんですか。俺以外の人でも成り立つような」
エリカさんが見定める視線で俺に瞳を据える。
何かを判断したらしく、一人で頷いた。
「あなたなら、信用できる。やっぱりあなたにサポートしてもらいたい」
「俺にですか、できますかね」
「大丈夫、できる」
エリカさんは頬を綻ばせた。信用されている、そう思うと俺の気持ちも動いた。
「エリカさん、俺でよければ全面サポートしますよ。仕事してますから多少不都合な時もあるとは思いますが」
「気にしなくていい、迷惑かけるつもりはないから」
歩道橋の上で俺とエリカさんの、二人だけのダイエット契約が成立した。
俺はふと懐古する。
そういえば、母親にもダイエットを手伝ってほしいと頼まれたことがあった。あの時の二の舞となるのは嫌だ。
しっかり情報を取得し、調査と比較をして、ダイエットサポートに臨もう。
さもなくば、有望な一人の逸材がグラビア業界から消えてしまうであろう。
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