劇画家 宮谷一彦
初めて宮谷一彦の作品(肉弾時代:完全版)を読んだのは大学1年生で、あの時は18歳の終わり頃だった。
確か1998年頃だった。
当時はその卓越したデッサン力に裏打ちされた精緻な画力と、彫琢されたネームに衝撃を受けたものだった。
作中に散りばめられた宮谷のエキセントリックなセンテンスは私の脳ミソを激しく揺さぶり、そして私の前頭葉に深い傷跡を残し、そしてその傷の痛みは今も私の作風に大きな影響を与え続けている。
彼の作風に、私は確かに興味を持った。
しかし、それ以上に興味を持ったのは、彼の歩んできた人生だった。
入手できたのは、いくつかのマンガ表現史にチラっと書かれた数少ない彼についての記述と、インターネットの断片的な情報だけ。
宮谷は、60年代後半から頭角を現し始め、劇画による革命を叫び、時代を挑発し、70年代に時代の寵児と言われ、そして80年代には公の場には殆ど作品を発表しなくなっていた。
宮谷は何を考えていたのか。
実際に会って話をした事がないのでわからないが、おそらく彼は心の奥底に絶望と深い悲しみを抱えていたように思える。
2000年代前半にインターネット上に公開された彼の寄稿をいくつか見たことがある。
彼はその中で、現代の日本人のメンタリティの愚劣さについて幾度も触れており、つまりそれは彼の絶望が火を噴いて怒りへと変わっても、それでも人間を信じたいあの気持ちの発露…のようにも見えた。
あくまでそれは当時20代前半の私が感じ取った感触でしかなく、それが何なのかもよく分からなかった。
だが、彼のあの気持ちはどうやら、やはり裏切られたらしい。
あれから20年ほど経った今の私は、当時の宮谷と同じ気持ちを心に抱えている。
私も裏切られたのだ。
今の私は、日本人が大嫌いだ。
過去の経緯から、そして現状を見るにつけ、日本は滅亡して然るべきだと思っている。
宮谷は祖国を捨てて海外に移住したいと言っていた。
私だって、そうしたい。
彼には、教養があり、品性があった。強く、優しく、悲しみを知っていた。
彼の作品はまさに暴力とエロスの讃歌であったが、しかし根底には弱者への眼差しが見えた。
彼の作品は、権力に対する異議申し立てであった。
彼は絶望と悲しみを知るくらいには、一個の肉弾だったからだ。
私は、20年かけて、私は宮谷に少しくらいは近付けただろうか。
私は、彼のように孤独な肉弾として生きる事になるだろう。
覚悟の上だ。
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