第23話 ニューカサブランカ中央銀行(後)

「お、お待たせしました! どうぞこちらへ!」

 息を切らせて戻ってきた行員につれられて、銀行の奥へと連れられる。石造りの巨大な通路から関係者用の通用口へと通され――ふと俺は、とある男と通路ですれ違ったのに気がついた。

 それは大して特徴のない五十代ぐらいの男だった。だけど何故か彼に見覚えがある気がして、俺は彼を目で追って軽く振り返った。

「ワンちゃん?」

 傍らを歩くリリィに声をかけられ、俺は一度視線を前へと戻す。だがどうしても違和感はぬぐえずに、リリィに返事をしながら俺は再度、男に振り返った。

「あ、ああ、なんでもな……」

 しかし、俺たちの後ろには誰の姿もなかった。まるでさっき見た男は幻か何かだったかのように。

「……消えた?」

 ぽつりとつぶやき、立ち止まる。見間違いだったのだろうか。数秒間俺は歩みを止めていたが、周囲が俺を怪訝な目で見てくるのに耐えられず、目を前に戻した。

「いや、なんでもない。案内してくれ」

「は、はあ……」

 納得したようなしていないような声を上げて、行員は俺たちを再び先導しはじめる。俺たちが応接室らしき場所に通されたのはそのほんの数十病後だった。

 応接室にはいかにもこうした客人への対応係だという然をした男性が、俺たちを待っていた。行員と男は椅子をすすめてきたが、俺たちはそれを断り、早々にヤクザから渡されたあのカギを取り出した。

「時間がないから、単刀直入に聞く。このカギが何か分かるか」

「……当行の貸金庫のカギですね。間違いありません」

 俺からカギを受け取った応接係は、カギを見てすぐに断言した。そして、低い位置から俺たちを窺うように見上げてきた。

「こちらがどうかされましたか?」

 自分たちが何か不手際をしたのではないかと不安でならないのだろう。傍らのリリィはそんな行員たちの不安を早口で取り除いた。

「とある事件に関与している可能性があるんだ。開けてもらえない?」

「分かりました。今ご案内します」

 ぺこりと頭を下げると、応接係は早足で俺たちを銀行の奥へと導いていった。俺たちもその後ろを大股で歩いていく。

「貸金庫……ってことはヤクザから持ち出したカネはその中だろうね」

「ああ。そいつ、カギをなくして焦っているはずだ。だったら……」

「――だからよぉ、番号が分かって本人確認が取れてんだから、この貸金庫さっさと開けろよ!」

「困ります、お客様……カギがないと開けられないんです……」

「あんだと!? 俺をなめてんのか!?」

 俺たちの歩いていく先から、大声が響いてくる。

「……分かりやすい相手で助かったね」

「ああ。さっさと確保して事情を聞こうじゃないか」

 さらに歩く速度を上げ、行員を追い越して貸金庫の広間へと歩いていく。広間では担当の行員につかみかかる男と――その隣に立つネイザムの姿があった。

「おやおや、特課のお二人じゃあありませんか」

 いち早く俺たちに気づき、ネイザムは俺たちに声をかける。俺たちは警戒から、ネイザムに接近せずに足を止めた。

「どうしてここにいるのかという顔ですね」

 ネイザムは相変わらずのにやにや顔で俺たちを見た。

「私、組織の中ではかなりの有望に見られていましてね。わざわざ助け出されるぐらいには期待されているんですよ」

 大げさに腕を広げてネイザムは宣言する。俺とリリィは目配せをして、彼に詰め寄ろうとした。

「これなら、私が能力をいただける日も近いというもの」

 能力をいただく?

 どういう意味なのかとリリィを見ると、リリィは険しい顔で彼を睨みつけていた。そうしているうちに時間をかけすぎたのだろう。隣でわめいていた裏切り者の男は、こちらの存在に気づいて振り返った。

「サツか……!」

 男は俺たちを認識すると、口論をしていた行員の肩を掴んで自分の盾にした。銃を取り出しかけた俺たちは手を止めざるをえなかった。

「動くなよ。こいつは爆弾だ」

 妙なことを言い出した男に、俺たちは固まったまま相手の動きを窺う。そんな俺たちにネイザムは勝ち誇った声をかけてきた。

「残念でしたね。この方には触れたものを爆弾にすることができる能力があるんですよ」

 俺は奴らの位置を確認する。俺から見てネイザムは手前に、奥には裏切り者の男が人質を取って立っている。

「さぁ、貸金庫のカギを渡してください。その中身を持って帰ることが私の任務なのですから」

 差し出されたネイザムの手を睨みつけ、俺は懐からカギを取り出した。ネイザムは俺を見てにやにやと笑っている。

 油断しきっている。今がチャンスだ。

 俺はカギを手に持ったまま奴らに近づき――一瞬の隙をついて、行員の方へと踏み込んでその手を取った。

 行員の肩から男の手が離れ、彼はそのままたたらを踏んでこちらへと倒れ込んでくる。俺はそれを受け止めながらさらに後ろに下がろうとし――

「ワンちゃん、離れて!!」

 突然飛んできた鋭い声はリリィのものだった。リリィは俺と行員の間に入ると、俺から彼を引きはがし、俺に覆いかぶさるようにして、その場から飛び退いた。

 怯えに満ちた行員の目と目が合う。行員はネイザムを巻き込んで倒れ込む。――直後、猛烈な光りと音が銀行内へと響きわたった。

 巻き上がった煙にせき込み、なんとか目をこじ開ける。そこに広がっていたのは、バラバラになった行員の背広と、ほとんど原型をとどめていないネイザムの死体だった。

「ネイザム……」

「チッ、なんだよ死んでんじゃねぇか!」

 轟音の去った後に響いたのは、今し方行員を爆殺した男だった。男は大げさなジェスチャーで地団駄を踏む。俺は一瞬あっけに取られた後、再び銃を取り出そうとした。

「動くんじゃねえ」

 直前に放たれた冷たい声に、俺はどうすることもできず動きを止める。俺を見る男の手の中には一つのライターがあった。

「新しい爆弾だ。今度は銀行丸ごと吹っ飛ばせるヤベェやつだぜ」

 歯を見せて笑いながら、男はそれを俺に見せつけてくる。何も言い返せずにいると、男は俺の傍らへと目をやった。

「おい、サイコメトラー」

 声をかけられたリリィを振り返る。

「この死体に触れ」

 リリィの顔色は真っ青だった。俺よりも少しだけ爆発に近かったせいで、その服にはネイザムの血がべったりと張り付いている。俺はリリィをかばって立った。

「待て、今こいつは使い物にならな……」

「うるせぇ! 触らなきゃ俺を保護してくれる組織の場所が分からねぇじゃねぇか!」

 まるで子供のように癇癪を起こす男に何もできず、俺は距離を取るしかできなかった。あの爆弾はきっとあいつの手を離れてすぐに起爆するのだ。さっきのように強硬手段を取れば、この銀行ごと俺たちはおしまいだ。

 爆発前に俺たちはともかく、せめて行員や客だけでも逃がさなければ。

 背後のリリィを振り返る。リリィと目が合う。彼の口は、小さく「大丈夫」とだけ動いた。

 無言のまま、リリィはふらふらと死体の残骸へと歩み寄っていった。

 俺たちに注目されながら血だまりの中にひざをつき、手を伸ばす。そこで手を止めたのは、恐怖からだったのかもしれない。その手は細かくふるえていた。

 だが男はそんなリリィの後頭部を掴んで、死体の残骸へと押しつけた。

「ほら早く! 情報とやらが見えるんだろ!!」

 粘性のある液体がリリィの頬と髪を汚す。咄嗟に地面に突かれた手は赤色の液体に触れてしまい、リリィは抵抗できないまま「それ」を視せられる。

 びくんと痙攣した後、リリィは男の手から逃れた。

「う、ぉえっ……」

 腹を押さえてリリィは床に向かって胃の中身を吐き出す。男はそんなリリィをゴミを見るような目で見下ろした。

「チッ、汚ねぇな」

 頭に一気に血が上る思いがした。だが、ギリギリで理性が俺の手足を踏みとどまらせた。

 ダメだ。ここで動いたら俺たち全員がおしまいだ。

「で、どうなんだよ、サイコメトラー! 早く教えねぇとこの爆弾がバンだぞ!」

 爆弾を掲げながら男は吠える。リリィはなんとか体を起こすと、震える声で答えた。

「わ、分からない」

「ああ!?」

「分からないんだよ。妨害されてるんだ」

 その言葉に激昂したのだろう。男はリリィへと歩み寄ると、その腹を思い切り蹴りつけた。

「じゃあ俺はどうやってあいつらのところに行けばいいっつーんだよ!!」

 男の叫びが貸金庫の広間にわんわんと響く。それに答えられる者はいない――はずだった。

「それは無用な心配だ」

 いやに冷静な声が響き、俺は部屋の奥を見る。爆弾魔の男もそちらを振り返った。そこにはついさっき見たあの五十代ぐらいの特徴のない男が立っていた。

 男の手にはアタッシュケースが握られており、それを見た爆弾魔の目が見開かれる。

「カネは手に入った。お前はもう不要だ」

 音もなく男の姿が消え、爆弾魔のすぐ隣へと瞬間移動する。

「テレポーター……!」

「さようなら、使い捨てくん」

 男がテレポーターだと俺たちが自覚するのと、男が爆弾魔の手を掴んだのはほぼ同時だった。

 その瞬間、爆弾魔の姿は俺たちの頭上へと移動し、体勢を崩したその手からライターが離れる。

 ゆっくりと落ちてくるライター。その側面は明滅する。そして落下していく先にいるのは――

「リリィ!!」

 俺は咄嗟にリリィへと飛びかかると、全身で彼を隠すようにして覆い被さった。

 直後、猛烈な光と轟音と熱を感じ、俺は意識を失った。



 次に目を開けると、そこにはほとんど光のない空間が広がっていた。

「う、ぐ……」

 体の上に乗っていた小さな瓦礫らしきものを持ち上げながら、俺は体を起こす。

「生きてる、のか……?」

 見上げると、遙か上方に光源が見えた。きっと瓦礫の切れ目なのだろう。しかしその瓦礫は、何故か俺たちを避けるように、ドーム状に積み上がっているようだった。

 一体何が起こったのか。それを理解する前に、俺は自分の下で身じろぎする存在を思い出した。

「リリィ!」

 慌てて体をのけると、そこには体を丸めて倒れるリリィの姿があった。か細い息をするその体をなんとか楽な姿勢にしようと仰向けにする。

「う……ワン、ちゃん」

 横たわったリリィは、震える指を俺に伸ばしてきた。

「キス、して……」

 一瞬考えた後に、それが精力の吸引を意味していると理解し、俺は素早く唇を合わせる。

 躊躇いはなかった。緊急事態だ。恥なんて考えている場合じゃない。

 しかし、いつものような何かを吸い取られる感覚はほとんどなかった。

 困惑しながら口を離すと、リリィは相変わらずぐったりとしながら呻いた。

「う、足り、ない、このまま、じゃ……」

 わき腹を押さえてリリィは体を丸めようとする。その表情は痛みを耐えているようで――

「怪我でもしてるのか!?」

 そう悟った俺は、リリィのシャツの前を開け、その腹にかけられていた包帯を素早くはぎ取った。そこに隠されていたものに、俺は目を見張った。

「これは……」

 黒ずんだ肌。不自然にへこんだわき腹。包帯を取ったことによって鼻をつく独特の腐敗臭。

 この腹はどう見ても、生きていない。

「あは、ワンちゃんには、見られたく、なかったなあ」

 視線を上げると、うつろだったリリィの目がほんの少しだけはっきりとして、こちらを苦笑いしながら見つめていた。

「僕の、ここね、腐ってるんだ」

 息も絶え絶えといった様子で、リリィは自分のわき腹へと手を添える。その傷は柔らかく、力を込めれば指が埋まってしまいそうだった。

「僕が、「死」に傾くと、この傷も、腐ってく」

 どうすればいいのか分からず傷とリリィの顔を交互に見ることしかできない。リリィはそんな俺から目をそらし、潤んだ目で天井を見ながらぽつりと呟いた。

「死にたくないなあ」

 リリィの瞼が落ち、その体はぐったりとしたまま動かなくなる。

「おい、リリィ! リリィ!!」

 何度肩を揺さぶってもリリィは反応を返さない。それどころかどんどんその顔色は悪くなり、体温も下がっているように感じた。

 ダメだ。このままではリリィが。

 慌てて辺りを見渡し、耳をすませるも、救助の音は聞こえてこない。それどころか生きている人間の姿も俺たち以外には見えない。

 そうしている間にもリリィの体温はますます冷えていき、俺はどうすることもできないままリリィを見下ろすことしかできなかった。


『だからもし僕が死にかけたりしたら――』


 ふと、つい今朝方に聞いたリリィの声が脳裏に響く。まさか、そんなことできるはずがない。だって相手は死にかけてるんだぞ。でも、


『目の前で死なれるよりはずっとずっといいでしょ?』


 記憶の中のリリィが微笑む。心臓が跳ね回る音が耳の奥で響いている。俺は震える拳を何度か開け閉めし、ごくりと唾を飲み込んだ。

 伸ばした指先がリリィの白い肌に触れる。その体温は、もうほとんど失われていた。

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