第18話 眼鏡をかけた会計係

 金をいくらでも使ってもいいと言われたのなら、向かうべきところは一つだ。ジャケットを羽織って銃をホルスターに入れ、特課の部屋を出ようとしていた俺たちだったが、そんな俺たちの前に立ちふさがった人間がいた。

「通してよ、ヒューガ……とゆかいな仲間たち」

「いやです」

 低い位置からヒューガは俺たちをにらみつけてくる。その後ろに立つ鑑識の上着を羽織った人間たちも、むすっとした不機嫌そうな表情で俺たちを通すまいとしていた。

「そこ通してくれないと捜査に行けないじゃない。僕のやる気がいつまでももつと思わないでほしいよね」

「ウッ……そ、それでもだめです。絶対に、絶対に行かせませんからね!」

 両腕をいっぱいに広げて、ヒューガは俺たちを威圧してくる。

「なんであんな奴頼るんですか! あんな小汚くて意地汚くて生き汚い奴のところになんて!」

 もし彼が犬ならガルルルっとうなり声をあげていただろう。ああ、犬で例えるなら多分小型犬の――チワワかポメラニアンあたりがイメージとして合うか。

「僕たちで十分でしょ! ねえ、ブラッドさんもそう思いますよね!?」

 どうでもいいことを考えていたところに急に話を振られ、俺はびくっと肩を震わせてから、改めてヒューガに向きなおった。

「ヒューガ」

「なんですか!」

「お前たちは俺たちがシルバの情報を頼るのが嫌なんだよな?」

 俺の言葉にヒューガはこくこくと首を縦に振った。俺は首をかしげて、素朴な疑問を口にしてみた。

「じゃあ、お前たちがシルバよりも有力な情報を見つけてくればいい話じゃないのか?」

 その瞬間、その場の空気が固まった気がした。何か失言しただろうか、と周囲を見回していると、ヒューガは両手のこぶしを握り締めながらこちらに食ってかかってきた。

「そっ、そこまで言うならやってやろうじゃないですか!」

 ヒューガはびしっと俺のことを指さしてくる。

「あとでほえ面かかないでくださいよお!?」

 困惑で何も答えられないでいるうちに、ヒューガは俺たちに背を向けて大股で歩き去っていった。残された特殊鑑識課の面々もやる気満々といった面持ちで散り散りになっていく。

「……何なんだ」

 状況が理解できずに俺はぽつりと呟く。リリィはそんな俺の肩にぽんっと手を置いた。

「はー。意外とひどいこと言うよねワンちゃんって」

「……そうか?」

「そうだよ」

 もう何度か肩を叩き、リリィはドアの外へと歩き始める。俺は慌ててそのあとを追った。

「さあ、お金はいくらでも使っていいって言われたしね。手っ取り早くいこう」



 当たり前だが先日来たのと同じ場所に情報屋のオフィスはあった。一見すると探偵事務所だとは分からない薄汚れたドアを、リリィは蹴り開ける。

「いる? いるよね、シルバ! この僕が来てやったよ! さっさと情報よこして!」

 前回同様にずかずかとリリィは歩みを進め、シルバのデスクの前で立ち止まった。シルバは背もたれにぐったりと体重をかけ、顔を上に向けながら爆睡していた。

「何寝てんの! どうせ僕たちが来るの分かってたんでしょ!」

 バンと音を立ててリリィはデスクに両手をつく。シルバは顔の上にのせていた本を持ち上げてゆっくりと椅子に座り直し、こちらを見た。

「相変わらず騒々しいな。そんなに焦らなくても情報は逃げないぞ?」

「うるさい。お前の調子に合わせてるといつまで経っても情報がもらえないってこっちは分かってるんだよ」

 つまり色々とどうでもいい話をして、周囲を煙に巻くタイプか? とするとリリィのこれは同族嫌悪なんじゃ――

「ワンちゃん、今余計なこと考えた?」

「え、いや、考えてないぞ」

 ぶんぶんと首を横に振ると、リリィは俺をじっと睨みつけてきた。目をそらしてごまかそうとしていると、そんな俺達には構わず、シルバは煙草を一本取り出して火をつけ始めた。

「そんなに喧嘩するなよ、唯一無二の相棒なんだろう?」

 思い切り吸い込んだ煙を、リリィに向かってシルバは吐き出す。リリィはげほげほと咳をした。

「くっさ!! 僕の前でそんなもの吸うのやめてくれる!?」

「なんだ、そっちの彼も喫煙者じゃないか。そっちはよくて、俺はだめなのか?」

 ゆらゆらと指に挟んだ煙草を揺らしてくるシルバの言葉に、リリィはきょとんとした顔をした。

「えっ? だってワンちゃんのは意外といい匂いだし……じゃなくて、大体それ煙草じゃないでしょ!」

 煙草じゃなかったら一体何なんだ。

 内心でツッコむが、二人はそんな俺の疑問などお構いなしに口論を続けていた。

「お前の香水も十分くさい部類に入る気はするがなあ」

「うるさい! これは仕方ないやつでしょ!」

「仕方ないって言ったって、他にも方法はあるだろう。例えば消臭剤を使うとか」

「僕の前で消臭剤とかいう単語出さないでくれる!? つい最近ワンちゃんに言われてトラウマになってるんだから!」

「おお、知ってるとも。知ってて使ってるんだよ」

「このぉ……!!」

 飄々としたシルバにリリィが食ってかかる形でどこまでも口論は止まりそうになかった。俺はあっけにとられて一分ほどそれを見ていたが、ハッと正気付くと、二人の間に割って入った。

「あー待て待て二人とも」

 すさまじい形相で振り返ったリリィに睨みつけられる。対するシルバは背もたれに体を預け、煙草らしきものをふかしていた。

「そろそろ本題に入ってもいいか」

 二人をきょろきょろと見比べ、異論がないことを確認する。シルバはそんな俺たちを見て、煙草らしきものを灰皿に押し付けた。

「いいとも。何から知りたい?」

「ネイザムと彼を逃がしたテレポーターについて」

 簡潔にリリィが用件を述べる。シルバは机の中を漁った。

「テレポーターの情報は直接はないぞ。だが、お前たちの知りたい情報なら持ち合わせている」

 机の上に投げ捨てられたのはクリップで止められた数枚の資料。

「中華系ヤクザ『クイント』。一連の事件の手がかりはそこにある」

 リリィはそれを拾い上げ、内容に目を通す。俺も上からそれを覗き込んだ。

 『クイント』。中華系のヤクザである彼らはニューカサブランカ市の裏社会の中でも有数の巨大組織である。表向きの顔は人材派遣会社フォードラゴン社。

 そこまで読んだところで、リリィは目を上げてシルバを見た。

「お前でもそれ以上は把握してないの?」

「いいや。把握しているとも。だが確証はない上に、これ以上突っ込めば俺の身が危ない」

 眉を顰める俺たちの前で、シルバは大げさに腕を広げてみせた。

「俺は安全圏から情報を売買するのがお仕事だからな」



「フォードラゴン社かあ」

 シルバを訪ねた後のその足で、俺たちはフォードラゴン社に足を運んでいた。フォードラゴン社の社屋は、近代的なガラス張りのエントランスを有する高層ビルだった。

「話には聞いてたけど来るのは初めてなんだよね」

「同感だ。ここがヤバい会社なのは有名な話だからな」

 自動ドアをくぐって中へと入っていく。建物の中には、スーツ姿のビジネスマンめいた男女がまばらに歩いており、その奥にはこの会社の受付があった。

「直接来ちゃうなんて意外と大胆な手を取るね」

「署のヤクザ担当課を通していたら余計な時間と手間がかかってしまうだろう」

「僕、ワンちゃんのそういう大胆なところ大好きだよ」

「そうか、それは何よりだ」

 ぼそぼそと言い合いながらその受付に歩み寄る。受付の女性は見知らぬ俺たちの姿を不審に思ったのか、困惑の目で俺たちを見上げてきた。

「こういう者なんですが、こちらの社員の方に少しお伺いしたいことがありまして」

 俺が警察手帳を取り出すと、女性は驚いた顔で慌ててどこかへと電話をかけはじめた。待つこと数分。受付の女性は申し訳なさそうに眉を下げた。

「すみません、上の許可がない方をお通しすることはできないんです」

「そこをなんとかしていただけませんかね」

「すみません私の一存では……」

 謝罪を繰り返す女性に俺は進退窮まってしまって、食い下がることしかできなかった。かたわらのリリィはわたわたと対応する女性を睨みつけている。美人の威圧だ。さぞかし効果があることだろう。

 どんどん顔色が悪くなっていく女性にリリィは歩み寄り、耳元で何かをささやこうとした。きっといつも通りの人を誑かす言葉だ。

 だがその寸前に女性の背後に一人の人物が現れた。

「何か問題でも?」

 女性の肩に片手を置いたのは、眼鏡をかけた銀髪の男性だった。見た目から判断するのならば、見るからに会計係といった面持ちの男だ。ただ、口から覗く妙にギザギザの歯は印象的であったが。

 彼はにこにこと笑いながら女性をかばうようにして俺たちの前に立った。

「こういう者なのですが、少しお話を伺えますか?」

 再び警察手帳を出し、男に見せる。男は笑顔を貼り付けたまま答えた。

「お引き取りください。それとも……」

 そこで言葉を切り、男は笑顔を消して俺たちを見た。

 ――しまった。こいつヤクザ者か。

 懐に手をやって身構える俺たちに、男は再びにこっとさわやかな笑みを浮かべた。

「捜査令状などはお持ちで?」

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