ヤクザ金庫番失踪事件
第17話 テレポーター
かくして霊能力者ショーン事件は解決し、その一週間後、俺とリリィはいつも通り特課の部屋にいた。
俺は自分の椅子に座って事件の後処理の書類を書いている。対するリリィは自身の椅子に座りながら爪をいじっていた。
こいつが仕事をさぼるのはいつものことなので、俺はもう強くとがめるのをあきらめていた。綺麗な形の爪をずっと眺めていたリリィは顔も上げないまま、ふと言葉を発した。
「ワンちゃん」
「なんだ」
「……セックスしよ?」
その内容に俺はさりげなく立ち上がると、手にしていた書類の束でリリィの頭をはたいた。
「ちょっと! わざわざ叩きに来なくてもいいじゃない!」
頭を押さえて抗議するリリィを無視して、俺は自分の席に戻って書類仕事の続きを始める。リリィは無視されたことが気に食わなかったらしく、音を立てて立ち上がると、俺の椅子を回転させて椅子の上に膝立ちになった。ちょうど俺にのしかかって押し倒す格好だ。
リリィは一つずつ自分のシャツのボタンをはずしていき、その下に隠れていた鎖骨や乳首が目の前にさらされる。
「ここまでしても、興奮しないの?」
挑戦するようなまなざしでリリィはこちらを見つめてくる。熱を帯びたその目を見た俺は、手を持ち上げると――リリィの額にべしっと軽くチョップをした。
「いったぁ! 何すんのさ!」
「お前がふざけているからだろう。……それより」
ちらりとリリィの腹に目を向ける。そこにはへその下あたりにゆるく包帯が巻かれていた。
「その包帯、まさかこの前の事件で怪我でも……」
「あー違うよ、違う違う。これはただの痣隠し」
手をぱたぱたと振りながら、リリィは俺の上からどいて戻っていく。
「痣?」
「そ、痣」
シャツの前を留めながらリリィは俺から離れていき、こちらを見ないままでつぶやいた。
「セックスの時に見られたくないから隠してるだけ」
そんなものがあるなんて今の今まで知らなかった。そういえば、ここでセックスするとき、リリィはかたくなにシャツだけは着たままだったような気がする。
じゃあなんで俺の時は脱いだんだ?
ボタンを留め終わると、リリィは俺の机の前にしゃがみ込んで机の上にべたっとへばりついて頬をそこに乗せた。
「ワンちゃーん」
「なんだ」
「キスしてもいい?」
嬉しそうに目を細めながらの言葉に、いつもとは違う何かを感じながらも、俺は書類から顔を上げずに答えた。
「それは精気とやらの補給のためか」
「……うん、そう!」
一瞬の間ののちにリリィはそう答える。俺は大きくため息をついてペンを机に置き、椅子を少し傾けてリリィにむかって両手を広げた。
「ほら」
「へ?」
「来るなら来い。しないのか?」
リリィは一瞬きょとんとした顔をした後、がばっと起き上がって俺の口に唇を乱暴に合わせた。その瞬間、頭の奥がぐっと引っ張られるような感覚がして、俺は精気を吸い取られているのだとぼんやりと理解した。
作業のためのキスは二秒ほど続き、リリィはゆっくりと口を離した。そこに名残惜しそうな様子があったのはきっと気のせいだろう。リリィは俺から離れると、うーんと伸びをした。
「あー、おなかいっぱい!」
「そうか、よかったな」
用は済んだので、リリィから目を逸らして書類と再びにらめっこを始める。
「ワンちゃん絶倫だねぇ、結構思いっきり吸い取ったんだけどなぁ」
俺の机の上に軽く腰掛けながら、上機嫌の様子でリリィは言う。俺は無視をした。先日あの場所で暴れた分の弁明の書類が必要なのだ。
「ねぇワンちゃーん」
「なんだ」
「僕って定期的にキスが必要じゃない?」
ちらりと目をやると、リリィが自分の唇をトントンと叩いたところだった。
「そうらしいな」
「でも実はセックスのほうが効率よく精気を受け取れるんだよね」
下品なジェスチャーをしながら明け透けな言い方をするリリィに辟易する。リリィはそんな俺の顔を、両手で包み込むように持ち上げながら言った。
「だから僕がもし死にかけたりしたら――その時はワンちゃんが僕を犯してね?」
その時のリリィの表情は欲によるものではなく、むしろ縋るような表情をしていた。何を要求されたのか少し経って理解した俺は、顔を持ち上げられたまましかめっ面になった。
「本気か」
「本気だよ、大真面目に言ってんの」
リリィはふっと笑んだ。
「目の前で死なれるよりはずっとずっといいでしょ?」
その言葉と顔に、俺は言葉を失い、何度か瞬きをすることしかできなかった。そのまま見つめ合うこと数秒。俺たちの沈黙を破り、特課の部屋のドアは音を立てて開かれた。
「大変です! 大変ですよお、特課の皆さんー!」
駆け込んできたのは特殊鑑識課のヒューガだ。俺たちはとっさに互いに突き飛ばしあうようにして距離をとった。ヒューガは俺たちを見比べ、申し訳なさそうに眉を下げた。
「あ、お邪魔しちゃった感じでした? すみません……」
「いいよいいよ、
「リリィ、余計なことを言うな。……で、何が大変なんだ?」
そうやってうながしてやると、ヒューガははっと我に返ったようで、大声でばたばたと手を動かし始めた。
「ああ、それですそれです! 本当に大変なんですから!」
「だから何が大変なん――」
「先日捕まえたネイザムが留置所からいなくなっちゃったんですよお!」
「なっ……!?」
ネイザムは先日の霊能力者事件の首謀者の一人だ。それがいなくなった? どうやって、そして何のために?
俺は立ち上がると、机に座ったままだったリリィに声をかけた。
「行くぞ、リリィ」
「えー」
リリィは面倒くさそうに唇を尖らせた。俺は大きくため息をついて、それからリリィのことをまっすぐに見た。
「えーじゃない。お前が必要なんだ」
俺の言葉にリリィはパッと表情を輝かせ、机からぴょんっと飛び降りた。
「そっこまで言うなら仕方ないなあ!」
上機嫌な様子で外に出ていこうとする背中を見ながら、俺は思わず半目になってしまう。
扱いやすいんだか扱いにくいんだか、よく分からない奴だなこいつは。
ちらりとヒューガを見ると、彼も苦笑いをしていた。
「置いてくよ、二人ともー?」
ドアの先から呼ぶ声に、俺たちは小走りで彼を追いかけた。
ニューカサブランカ市警、留置所。署の奥に位置するそこは、特課のすぐそばに存在していた。
俺たちが留置所に入ると、すでに現場に入っていた刑事たちから胡乱な目を向けられた。ほんの数週間前まで俺が所属していた、刑事部捜査一課の連中だ。
「ここは特課の管轄になったんですよお、皆さん出てってくださいねえ」
ヒューガがひらひらと手を振りながらそう言うと、刑事たちは嫌そうな顔をしながらも俺たち特課に現場を譲った。
当然の反応だろう。特課の仕事は他の課には秘密だ。そんな得体のしれない奴らに現場を取られるのは気分がいいものではない。事実、自分が捜査一課にいたころも、特課管轄になる事件があるたびに苦い思いをしていたものだ。
ぞろぞろと出ていった刑事たちを見送って、俺たちは改めて現場に向き合った。
「入り口にカギはかかってたの?」
「はい、しっかりと」
「こじあけた痕跡もありませんでした」
地面にかがみこんでいた特殊鑑識の捜査員がこちらを見上げて言う。リリィがそれを見下ろして微笑みかけると、彼は一気に顔を真っ赤にして床に目を戻した。
「もー! うちの課の人間をたぶらかさないでくださいよお!」
「知らないよ、そっちが勝手に僕に惚れてるんでしょ」
彼をかばうようにしてヒューガはリリィの前に立つ。リリィはすまし顔で目をそらした。俺はそんな彼らの間に入って、ヒューガに視線を送った。
「鑑識はもう入ったんだな?」
「はい、普通鑑識も特殊鑑識もすでに」
「だけど留置所でしょ? そんな殺風景な場所に手がかりなんてあるわけないよね」
「そうなんですよお。鉄格子も入り口のカギも、中に備え付けられたベッドもトイレも、ぜーんぶひっくり返して探したんですけど、何にも見つからなかったんです」
ヒューガはがっくりと肩を落とす。
「壁に脱出用の穴でも開いていれば話は別ですけどお……」
「うんそうだね、穴はなさそう」
リリィはぐるりと独房内を見回す。家具は最低限、窓は一つだけあるが鉄格子がはまっている。
「なら署内に協力者がいたとか、か?」
「ううん、その線はあるだろうけど、ここから出した後、どうやって出口まで逃がしたのかがわからないじゃない?」
リリィは独房の壁にとんっと肩を預けて言った。
「だから多分テレポーターの仕業だ」
テレポーター。言葉通りにとらえるなら、テレポート能力を持った人間か。
またカートゥーンに出てきそうな能力を出され、俺は無意識のうちに渋い顔になっていた。
「ちょっと視てみる」
リリィはベッドに歩み寄ると、荒らされたそのシーツの上に手を置いた。それから沈黙すること数秒。ぱちっと目を開き、リリィは眉間にしわを寄せる。
「やっぱり駄目だ。ろくに見えない」
立ち上がりながらリリィはこちらを振り向いた。
「テレポーターは痕跡をほとんど残さない奴らだからね。ここから追うのはまず無理かも」
俺は考え込み、すぐに視線を上げた。
「なら……別の線をあたるしかないな」
「そういうこと」
妙に楽しそうな目をしながら、リリィはニッと笑う。きっと面倒なこの事件を前にして、高揚して――言い方を変えるのであればワクワクしているのかもしれない。
「どこから情報をたどる」
「そうだね……手っ取り早いのはやっぱりあいつを頼ることだけど――」
「特課共」
突然背後から呼びかけられ、俺たちは独房の入り口を見る。そこにはレナート警部がドアを開いたままの姿勢でこちらを見ていた。
「署長がお前たちをお呼びだ。急いで行くように」
「早速だが本題に入ろう」
署長室に入った俺たちに、ニュー・カサブランカ市警署長リチャード・レイクは切り出した。
「君たちが追っている一連の事件だが、どうやら君たちが思っている以上に根は深いようだ」
しわだらけの顔を真剣な表情で固めながら、署長は俺たちを見た。ほとんどにらみつけるようなその視線に、俺はぐっと背筋が伸びる思いがした。
「必要であればいくらでも人員や予算を使って構わない。なんとしてもこの事件を解決してくれ」
思わぬ言葉を受け、俺は胸を張りながら大きくうなずいた。
「言われなくともそのつもりです」
「はぁい。分かりましたよ、園長先生」
――園長先生!?
突然の奇妙な呼び方に、俺はかたわらのリリィをバッと振り返る。リリィは涼しい表情をしていた。署長は苦い顔になった。
「ここではその呼び方はやめろと言ったはずだ、リリィ」
「はいはいごめんなさーい」
舌を出しそうなほどふざけた態度でリリィはそっぽを向く。署長はそれを咎めずに俺に向き直った。
「それからハウンドくん」
「は、はい!」
「君が捜査一課で担当していたあの事件だが――」
何のことを言われているのかはすぐに分かった。俺が捜査一課を追われる原因となったあの事件だ。
「……あれは特課の管轄だ。だが今はまだ捜査することは許さない」
目を細めながら署長は俺に宣告する。俺は腹の底から湧き上がってくる激情を抑え込みながら尋ね返した。
「どういう意味ですか」
「そのままの意味だ。もう行っていいぞ」
手をひらひらと振られ、俺たちを部屋から追い出そうとしてくる。俺は思わず食ってかかっていた。
「何故ですか! 捜査をすれば手がかりがつかめるかもしれないんですよ!?」
「駄目だ。だが、そうだな」
そこで一度言葉を切り、署長はじっと俺を見た。
「じきに捜査をすべき時が来る。それまで待ちなさい」
俺は言葉に詰まり、ぐっとこぶしを握る。署長は、前髪をいじって待っていたリリィにも目をやった。
「リリィも分かったな」
「はぁい、園長先生」
リリィは手をひらりと振り、やはりふざけた呼び方で署長を呼んだ。
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