第16話 ほのかな変化
赤いパトランプを勢いよく回し、サイレンを響かせながら、俺の乗るパトカーは目的地めがけて突き進む。俺の運転する車の後ろには、捜査一課のパトカーも続いてきていた。殺人が行われている証拠をほぼ掴んでいるのだ。彼らが動くのも妥当なところだろう。
「くそっ、間に合え……!」
ハンドルをきつく握りながら、俺は独り言ちる。道を譲る乗用車たちの間を縫って、俺のパトカーは目的地へと走っていった。
膝に顔をうずめたままどれだけの時間がたっただろうか。不意に自動ドアが開き、一人の男がリリィの前に姿を現した。
「ネイザム……!」
立ち上がり、彼に警戒の目を向ける。彼は余裕の笑みを浮かべた。
「そんなに睨まないでくださいよ。まだあなたには危害を加えていないじゃないですか」
平然とした顔で笑むネイザムに、リリィは身構えて隙を窺う。
「無駄ですよ」
ネイザムはリリィから目を離さないままで言った。
「ここで私を伸しても、この施設から逃げ出すことはできない。……それはあなたもわかっていることでしょう?」
「……チッ」
悔しいがその通りだ。ここで彼を気絶させても、武装した集団に囲まれて逃げ切れると思うほど、自分は慢心していない。動きを止めたリリィに、ネイザムは満足そうな表情を浮かべた。
「僕に何をしようっていうの。……どうせ、よみがえらせるためだなんて口実なんでしょ」
「……そこまで察しているのなら話は早いですね」
口元に笑みをたたえたまま、ネイザムはリリィに歩み寄る。
「
リリィの顔をねっとりとした視線で見つめ、ネイザムは提案した。
「その力を我々のために使うのであれば……あなたの命は保証しましょう」
その言葉にリリィは自分の予想が当たっていたことを確信する。
妨害されたサイコメトリー、そして教主の知らない百合の一族のことを知っているということは、答えは一つ。
「なるほどね、君がアシュレイやショーンへの情報源ってわけだ」
答えは無言だった。だが崩されないその笑みが答えのようなものだった。
「さあ、力を使うのか、使わないのか。どちらがお好みです?」
首を傾けてネイザムは問う。リリィはそれをにらみつけ続け、数秒後にぷっと噴き出した。
「何がおかしい」
声を上げて笑うリリィを険しい目つきでネイザムは見る。リリィは背を伸ばしながら答えた。
「残念ながらね、そんなことは僕にはできないんだよ」
リリィの唇が弧を描く。
「僕は一族の中でも落ちこぼれだからね」
馬鹿にしたような声色の言葉。その言葉を聞いたネイザムの神経質そうな顔は大きくゆがむ。
「なるほど。それがあなたの答えですか」
絞りだすように放たれた言葉に、リリィは笑みを崩そうとしないまま彼を見る。
「ではあなたには予定通り死んでもらうことにしましょう」
絶望的な事実を述べられても、リリィの口元は笑みの形で固まっていた。
――この笑顔は強がりだ。だけど、たとえ死ぬとしても、こいつらの思い通りに怯えて死んでたまるもんか。
「百合の一族のデータは希少ですからね。ゆっくりと殺してあげますよ」
自動ドアが開き、教主と護衛の五人が入ってくる。ネイザムは教主を振り返った。
「教主様」
彼は偉そうに胸を張ってこちらに歩み寄ってくる。ネイザムは、大げさなしぐさでリリィを指した。
「どうぞこの男に施しを」
武装した男たちに両脇を抱えられ、跪かされる。教主の手の平がリリィの頭に当てられる。
「大丈夫ですよ」
ネイザムはリリィを見下しながら言い放った。
「殺されてもちゃんと生き返りますから」
リリィの頭をつかむ教主の指に力が入る。
どうする。この男に能力を使われたらもうおしまいだ。こいつらの思い通り、生きるしかばねになってしまう。どうする。どうすればいい。
マーカスの最期を思い出す。血を噴き出して無残に死んでいった彼を思い出す。そこで初めてリリィは怯えの表情を見せた。
――いやだ。
いやだ、いやだ! 死にたくない……!
リリィはぎゅっと目をつぶり、絶望に備える。しかしその時――遠くから何かを破壊するような爆音が響いてきた。
「なんだ……!?」
教主は振り返り、リリィの頭から手を放す。護衛たちも教主を守るようにリリィのそばから離れていった。そしてほんの数十秒後、爆音とともに入り口の自動ドアが歪み、ドアとドアの間に隙間ができる。
その隙間に手をかけ、力づくで引き開けた人物がいた。
「リリィ!!」
「なっ、自動ドアだぞ!?」
ドアの向こう側から姿を現したブラッドに、護衛たちは一瞬あっけにとられ、彼に銃を向けるのが遅れてしまった。
「ワンちゃん!!」
その隙をついてリリィはブラッドのほうへと駆け出す。背後で護衛たちが銃を構えるのを感じる。だけど大丈夫だ。この距離ならなんとかドアの向こう側まで逃げられる。
しかしブラッドまであと二歩というところで足首をひねってしまい、リリィは無様にバランスを崩した。それを見たブラッドは――何の迷いもなく、リリィに飛びついて自分の体で彼をかばった。
――だめだ! そんなことしたらワンちゃんに銃弾が当たってしまう!
「離してワンちゃ……!」
その言葉を言い切る前に複数の銃声がはじけた。同時に鉛玉がこちらに向かって飛んでくる。
そして放たれた銃弾は猛烈な勢いで二人に向かって飛来し――二人のどちらにも当たらなかった。
「え」
二人が傷を負わなかったことにその場の誰もが驚き、一瞬だけ動きを止める。
そして一番初めに硬直から解けたのはブラッドだった。
ブラッドは構えていた拳銃を護衛のうちの一人に向け、発砲した直後に彼らのほうへと駆け寄った。
こちらに銃口を向けようとしていた男の足を払い、倒れこんだところを撃つ。残り三人。だが、そこまで近づいてしまえばもう、ブラッドの独壇場だった。
数度の銃声と、男たちの悲鳴。
ほんの十数秒の間に武装していた五人は、あっという間に制圧されてしまった。
そういえば射撃の腕がいい、ってサイコメトリーで視えたっけ。
そんなことを思いながらへたりこんでいると、ブラッドは教主たちに銃口を向けて言った。
「残念だったな。お前たちの企みはここでおしまいだ」
その言葉に、リリィは何故か心臓が跳ね上がるのを感じた。
あれ。ワンちゃんってこんなに格好良かったっけ。
どきどきと大げさに動く心臓を押さえながらそれを見ていると、その頃になって他の刑事たちも現場に突入してきた。
観念した教主とネイザムの手に手錠をかけ、刑事たちはブラッドの伸した男たちを調べ始める。ブラッドはその場を離れると、リリィへと歩み寄ってきた。
「リリィ、無事か」
その息はいまだに上がっており、彼が全力でリリィを助けにきたということを雄弁に語っていた。
「大丈夫、何もされてないよ。……ちょっと疲れただけ」
「そうか」
うつむきながらリリィが答えると、何を思ったのかブラッドはリリィの体をひょいっと持ち上げて、お姫様抱っこ状態で歩き始めた。
「なっ、何するの!」
さすがのリリィもこれには動揺し、ブラッドの顔を見上げて暴れだした。
「変態! えっち! 下ろしてよ!」
「けが人を下ろすわけにはいかないだろう。……お前、さっきので足をくじいただろうに」
冷静に正論を述べられ、リリィはうっとうめいて自分の足を見る。確かにひねってしまった足は痛くて、自分ひとりで歩くのはちょっと時間がかかりそうだ。
そのまますたすたと歩いていってしまいそうになるブラッドを見上げて、リリィは猛烈に抗議した。
「じゃあせめて抱っこにしてよ! その無駄に太い腕の上に乗せるとかさあ!」
ブラッドはその剣幕に一瞬驚いた後、リリィの言うとおりに彼の尻を自分の腕の上にのせて、その腕を首に回させて歩き出した。
その体勢でもやっぱり不満は消えず、リリィは何かを言おうとして、止めた。
「ワンちゃんってあんなに馬鹿力だったんだ」
代わりにそうつぶやくと、ブラッドは平然と答えた。
「俺でも驚いてる。いざという時はどうにかなるもんだな」
そんな他愛もない会話をしながら二人はパトカーに向かって歩いていく。
リリィは何故だか耳が赤くなるのを感じながら、ブラッドの肩に顔をうずめた。
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