第15話 動く死体

 ブラッドが門の向こうに消えていった直後、ネイザムはリリィの手を取ってにっこりと笑った。

「リリィ様」

 その表情に思わず顔をしかめてしまう。そしてリリィが顔をしかめたのはその表情だけが理由ではなかった。

「きっとあなたなら残ってくださると思っていました」

 サイコメトリーで手から伝わってくるはずの情報が、ネイザムからは伝わってこなかったのだ。いや、正確には伝わってきたのだが、いやに混濁した情報で、リリィはうっとうめいてその手を振り払った。

「さぁ、こちらです」

 手を振り払われたことを意にも介さず、ネイザムはリリィを施設の中へと導いた。リリィは緊張した面持ちでそのあとをついていく。

 ワンちゃんは大丈夫だろうか。一応指示の紙は渡したけれど、まずあれに気づくかどうか、そしてそれを読み解けるかどうか。

 まあ最悪、職務放棄で警察からの追手が来ると思えば、長期的に見れば見つけてくれるのだろうけれど――多分それじゃあ間に合わない。

「リリィさん!」

 エントランスから脇道へと通された先の部屋には、血に濡れた服を着替えなおしたマーカスの姿があった。マーカスは飛びつくようにしてリリィに近づいていくと、リリィの手を取った。

 その瞬間流れ込んできた情報に、リリィは嫌な予感が的中してしまったことに気づき、ぎゅっと眉の間を寄せる。

「どうかしたんですか? おなかでも痛いんですか?」

「……ううん、なんでもないよ」

 さりげなくマーカスから手を放し、一歩だけ距離を取る。マーカスはそんなリリィの態度に気づかないまま、目を輝かせて言った。

「あのですね! 僕、これから空の国に行くんです!」

「……空の国?」

「はい! 一度死んで復活した者だけが行ける楽園なんですよ!」

 その言葉にリリィは目を細めた。

 これも予想通りだ。さあ、問題は僕がどうやってそこについていくかだが――

「マーカス、リリィ様」

 突然ネイザムが部屋に入ってきて、笑みを崩さないまま言葉を発した。

「空の国へ行く準備が整いました。さあ、一緒に行きましょう」

「えっ、まだリリィさんはよみがえっていないのに?」

「彼は特別なのです。さあ、行きますよ」

 困惑した表情のマーカスと一緒にリリィもその後をついていく。

 なぜだかわからないが、好都合だ。――いや、むしろピンチに自ら突っ込んでいるとも考えることはできるだろうけれど。

 二人がつれていかれたのは、ドームの裏側にある通用口だった。そこに停まっていたのは、一台の大きな輸送車だ。

 乗り込むと、その中には簡素なソファと椅子が備え付けられ、窓には鉄格子がはめられていた。

 マーカスはそんな車の様子になど一切疑問を抱いていないようで、軽い足取りでそれに乗り込むと、机の中央に置かれていたお菓子に手を伸ばし始めた。

 背後ではネイザムがにこにこと笑いながらこちらを威圧してきている。リリィも輸送車に乗り込んで、マーカスの隣に座った。

 やがてエンジンがかかり、二人を乗せた輸送車はどこかに向かって走り出す。リリィは傍らでお菓子に夢中になっているマーカスに声をかけた。

「ねぇ、マーカス」

 マーカスはお菓子で頬を膨らませながらリリィを見上げてきた。

「……君の人生は幸せだったかい?」

 悲しそうな顔でリリィはぼそりと問いかける。マーカスは満面の笑みを浮かべた。

「はい! とっても幸せです!」

 お菓子を手に持ったまま、マーカスは大きくうなずく。

「あの施設はご飯もくれるし、住む場所だって用意してくれる。それに教主様に僕は不死にしてもらって、空の国にも連れていってくれるんですから!」

 派手なジェスチャーでマーカスはその喜びを全身で表した。

「僕だけ先に空の国に行ってしまうのはさみしいけれど」

 マーカスはちょっとだけ目を伏せる。それはきっと罪悪感からだろう。

「でも、きっとあの子たちも僕の後を追って、こちらに来てくれるから大丈夫なんです!」

「……そっか」

 わずかにほほ笑むと、リリィはマーカスに体を寄せてその肩を抱いた。

「リリィさん?」

「……なんでもない。ちょっと人肌恋しくなっただけだよ」

 そのまま輸送車はいずこかへと走り続け、ほんの二十分ほどで車のエンジンが止まる音がした。

「マーカス、リリィ様、つきましたよ」

 がちゃりと開かれた扉から、はしゃいだ様子のマーカスが飛び出ていく。リリィはそのあとを追いかけ、あたりを見回した。

 連れてこられたのは殺風景な場所だった。広い土地の中にぽつんと一つの建物が建っており、その周囲に広がるのは庭というよりも空き地のような印象を受けるものだった。

「さあお二人とも、こちらへ」

 何の疑いもない表情でマーカスはうなずき、建物の中へと入っていく。リリィもそれに続いて中に入り、一度振り返った後、彼の背後にあった重いドアは音を立てて閉められた。

 建物の内部もまた、殺風景な場所だった。ドーム状のあの拠点も確かに白を基調としていたが、それに輪をかけてくすんだ白――いや、むしろ、汚れた灰色の壁と床が続いている。

 そこでようやく異様な雰囲気を感じ取ったマーカスは、先導するネイザムへと駆け寄った。

「あの、ネイザム様、ここって空の国なんですよね……?」

「ああそうだとも。ここで君たちは幸せに暮らすんだよ」

 嘘など一切感じさせない声色で、ネイザムは優しくマーカスに答える。マーカスはほっと胸をなでおろすと、後ろを歩いていたリリィへと歩幅を合わせた。

 やがて二人は一つの部屋に案内された。その部屋は入口の自動ドア以外には何もなく、窓も、家具すらも存在していない。その中へと入れられると、ネイザムは自分は中に入らずにドアを閉めてしまった。

「えっ、ここって……?」

 再びマーカスの顔に困惑の色が広がる。リリィはこわばった表情でマーカスを見下ろした。

 あの時、リリィはマーカスに触れてしまった。だから、きっともうすぐそれが始まるということを分かってしまっていた。

「リリィさん、怖い顔してどうしたんです?」

 不安そうな表情でマーカスはリリィを見上げてくる。リリィは真剣な顔を崩さないまま膝をつき、マーカスと目を合わせた。

「マーカス、あのね」

 リリィは真剣な顔で語りかけ――その時、は始まった。

「え」

 喋ろうとしたマーカスののどから、血が噴き出した。まるであの時の再現のように血は流れ続け、マーカスの体は派手な音を立てて床に倒れこんだ。

 何が起こったのかわからないままマーカスはか細く息をする。

「う、あ、リリィさん、くるしい、」

 血の海の中でもがきながら、マーカスはリリィを見上げようとしてくる。

「たすけて、ください、リリィさん……」

 震える手を伸ばされ――リリィは一瞬それを取ろうとしてしまった。

 だけど駄目だ。それだけはできない。

「う、あう、やだ……」

 マーカスは血の泡を吐きながら、リリィに縋り付こうとしてくる。

「死に、たくない、よぉ……」

 ぼろぼろと涙を流す彼の体は見る見るうちに腐っていき、崩れていく。

 ここで彼の手を取れば、きっと彼にとっての最後の慰めにはなるのだろう。だけどそれはできない。できないのだ。

 だって、自分はサイコメトラーで、こういった人間に触れてしまえば、死に引きずられてしまいかねないのだから。

 ここで触れてしまえばきっと自分もここから出られなくなる。リリィはぐっとこらえて手を握りこんだ。

 しかし――


『おにいちゃん』

『苦しいよ……助けて……』


 小さな手、震える彼女の指。

 それは過去の光景だった。過去に救えなかったあの子の声だった。

「――メアリー」

 ぽつりとつぶやくと、リリィは縋ってくるマーカスの手に、手を伸ばそうとした。血まみれのその手が、かつて見たあの子のものと重なる。だめだ、あの手を握らなきゃ、今度こそ離さないでいなければ。

 しかし、おそるおそる伸ばされた、震える指先が触れ合う直前、マーカスの体は急に脱力し、その手も地面に落ちた。

 ぱしゃりと音を立てて血が跳ねる。スーツに血が飛ぶのを見ながら、リリィは泣きそうな顔で奥歯をかみしめた。

 分かっていた。よみがえった彼に触れた時点で分かっていたことだ。不死の力なんて存在していなくて、一時的に蘇生しているだけなんだって。近いうちに、彼は再び死んでしまうんだって。

 だけど動揺を抑えきれず、リリィは伸ばしかけた手をぎゅっと握ってうつむく。

 自動ドアが開き、教主ショーンと数人の武装した男たちが入ってきたのはその時だった。

 うつろな目で顔を上げ、そちらを見やる。教主と男たちの他に、清掃員らしき人間たちもなだれ込んできて、マーカスの遺体をまるでごみのように持ち去っていった。残った数人の清掃員も、リリィの足元に広がる血だまりを清掃していく。

 そんな彼らをにらみつけながらも、リリィは立ち上がり教主を見た。

「何の用。僕にこれを見せたかったってだけじゃないだろうね」

「ええまあ。あなたにこれを見せたかったというのも理由の一つではありますが」

 教主はにこやかな笑みを浮かべて言った。

「あなたは自分からは死んでくれなさそうだったので、手っ取り早くここに連れてきたんです」

 表情とは裏腹のおぞましい内容に、リリィは気おされそうになるのを必死でこらえて尋ねた。

「一つ質問があるんだけど」

「なんでしょう?」

「……君の能力は他人を不完全な不死にする能力、で合ってる?」

 にらみつけながらの言葉に、教主は一瞬ぽかんとした後に堂々と答えた。

「ええ、そうですよ。私はこの力を完成させるために、あの子供たちで実験をしているのです」

「じゃあ君の能力は他者に不死性を付与するだけで、超能力者にするわけじゃあないってことだね」

 何を言われているのかわからず、教主は困惑のまなざしをリリィに向ける。リリィは重ねて尋ねた。

「自分で行使できる超能力を付与することができるってわけじゃない。そうでしょ」

 教主の答えは沈黙だった。

 今の質問はカマかけだ。これに反応がないということは、自分の心配は思い過ごしだったということ。

「よかった。……僕の思い違いだったみたい」

 超能力を付与する能力。よく知っているその能力をもし彼が持っているのであれば問題だった。杞憂に過ぎなかったその懸念も解消し、リリィはいつも通りのふてぶてしい態度に戻って教主を見やった。

「で、よりにもよってなぜ僕をここに? 警察をターゲットにするだなんて自殺行為でしょ、馬鹿なの?」

 馬鹿にされた教主は一瞬青筋を立て、それから平静を装って丁寧に答えてきた。

「あなたが必要だったんですよ。私もよくは知らないんですがね」

 ――知らない? いったいどういうことだ。

 目で問いかけるが、教主はその疑問に答えようとはしなかった。

 これ以上、ここに長居するのは得策じゃないか。

 リリィは目の前の男たちをにらみつけた。

 犯罪行為の証拠は掴んだ。逃げられる前に確認しておきたいことも確認できた。――幸か不幸か疑念は杞憂に終わったが、それでも一つ収穫だ。

 ならばあとは、自分がここから逃げ出すだけ。

 リリィは身構えながら男たちを観察した。

 教主を除けば相手は武装した男が五人、こちらは丸腰の一人。――多勢に無勢か。なんとか突破できなくもないが――その後、この施設のドアを閉められてしまえば意味はない。

「ああ、どうぞ安心してください」

 警戒するリリィに教主は微笑みながら両手を広げる。

「データを取りたいので処置を施すのは後になりますが――あなたもじきに彼らの仲間入りをすることになりますよ」

 ちらりと教主が見たのは、僕の足元に残る血だまりの後だった。

 彼らに殺されて、復活させられ――また殺される。

 自分の未来をそこに見て、リリィは顔をこわばらせたが、すぐに傲慢な表情に戻ると、教主のことを鼻で笑ってみせた。

「ふふん、君たちは一つ誤算をしているよ」

 教主は怪訝な顔でリリィを見る。リリィはまっすぐに教主を見て宣言した。

「僕は死なない。だって僕の有能な部下が助けにきてくれるからね」

 爛々と光るその目に圧倒されて教主は一歩後ずさったが、すぐに正気に戻ったのかリリィのことをにらみつけて吐き捨てた。

「その強がりがいつまで続くのか見ものですね」

 護衛に付き添われ、教主はドアの向こうに消えていく。それと同時に清掃員たちも部屋を退出し、部屋の中にはリリィ一人だけが残された。

 緊張から解放されたリリィは、くずおれるようにして床に膝をついて座り込んだ。このままでは自分は殺される。助けが来る保証はない。

 立てた膝を抱え、膝の間に顔をうずめる。

「ワンちゃん……」

 ぼそりとつぶやいた声は、誰にも届かないまま消えていった。

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