第14話 頭脳労働

 門の外へと追い出された俺は、頭上から降り注ぐ雨粒のせいで濡れるジャケットもそのままに、『空の国』の施設を呆然と眺めることしかできなかった。

 一体何が起こったのか。なぜこうなってしまったのか。

「リリィ」

 今はもう門の向こうへと消えていった彼の名前をぽつりとつぶやく。一体どうして。あの儀式を見たから? なんでリリィはここに入信するだなんて――

 どうして。何のために。

 まさか、この場所でよみがえらせたい誰かがいる、だとか。

 様々な推測と憶測が脳裏をよぎり、崩れ落ちそうになりながらもなんとか踏ん張って立つ。

「……戻らなきゃ」

 消え入りそうな声が口から洩れ、ふらふらとよろめきながらも体は署を目指して歩き始めた。



「うわっ、どうしたんですかブラッドさん! びしょ濡れですよ!」

 ハッと正気に戻ると、目の前には心配そうにこちらを見上げるヒューガの姿があった。見回せば、ようやく見慣れてきた特課の部屋があるし、足元にはスーツに吸われていた雨のせいで水たまりができている。どうやら俺はいつの間にか署へと戻ってきていたらしい。

「あれ? リリィさんはどうしたんです? 一緒に捜査に出かけたんですよね?」

 ヒューガの問いかけに俺は一瞬情けない顔をしてしまったのだと思う。たとえるなら、親に置いていかれた迷子のような顔だ。実際のところ、俺の心中はそういう気持ちでいっぱいだったから。

 立ち尽くしたまま、低い位置にあるヒューガにぽつりぽつりと今日あったことについて話していく。

 俺たちの名前を知っていた謎の男。

 『空の国』の拠点。

 案内役の少年。

 少年の自死と復活。

 そして――リリィの裏切りにもとれる行為。

「なるほどそんなことが」

 そのすべてをヒューガは辛抱強く聞き終え、うんうんと何度もうなずいた。俺はさらにうつむいて自分のつま先を見た。

「今の俺にできることはもう何も――」

 意気消沈のどん底にいる俺を見て、ヒューガは俺のジャケットを何度か引っ張った。

「とりあえずジャケット脱ぎましょ? びしょびしょで見てられませんよ」

 ほら、脱いで脱いで、とせかされて、まるで親にされるようにしてジャケットを脱いでいく。びしょびしょのそれをはぎとられ、ハンガーにかけてつるそうとしたあたりで、ヒューガは身長がとどかなくてひょこひょことジャンプを始めた。

 その様子を見て少しだけ正気に戻った俺は、ヒューガからハンガーを受け取ってカーテンレールに引っ掛ける。――とその時、白くたたまれた紙のような何かが床にひらひらと落ちていった。

「……何だ?」

 ジャケットに入っていたであろう、見知らぬその紙片を拾い上げる。そこに書かれていた文字に俺は目を見開いた。


 僕の机。上から二段目。


 明らかに俺のものではない筆跡。妙に縦に長いこの筆跡は、間違いない。リリィのものだ。

 俺はとっさにリリィの机に駆け寄ると、引き出しの上から二番目を開けて、そこに入っていたものを机の上に広げた。

「これは……」

「あれ? この街の地図、ですねえ」

 覗き込んできたヒューガが間延びした声で言う。地図の上にはいくつか×マークがついており、何かの印になっているようだった。

「何の印かは分かりますか?」

 ヒューガに問われ、俺は考え込む。地図上のマークを一つ一つなぞりながら思案する。

 何だ。どこかで俺はこれを――

 ぴたり、と。住宅街の中にある×印に触れたとき、俺の脳裏にひらめきが走る。

 俺は慌てて自分のデスクの中にしまい込んだ、『空の国』の捜査資料を取り出した。その資料の中に示されたものと地図を見比べ、俺はうめくように言う。

「『空の国』の四つある拠点の位置だ」

 地図の印は資料にあった拠点の住所と完全に一致していた。俺は捜査資料を置き、顎に手を置いて考え始めた。

「リリィはこれを俺に渡して何を」

「うーん、よく分かりませんが、それを渡したってことはリリィさんは向こう側の人間になったわけじゃないってことじゃありませんかね?」

 人差し指を立てて俺に背を向け、まるで教師のようにヒューガは言う。

「リリィさんはあちらに残ってやるべきことがあった。外の捜査はブラッドさんに任せたい。だけど常に見張りがついていて、大っぴらには頼めなかった。だから服に伝言を忍ばせた」

 そこまで言うと、ヒューガはくるりとこちらを振り向いてニヤリと笑った。

「――っていうのはどうです?」

 ヒューガが告げたその内容に、俺は一気に視界が開ける思いがした。

 確証のない言葉だったが、信じてみる価値はある。あるはずだ。たとえそれがリリィの裏切りを信じたくないがためのものだったとしても、少なくとも俺は前に進まなければならないのだから。

「よおし! まずは整理しましょう」

 パンと手をたたいて、ヒューガは俺を見上げる。

「ブラッドさんたちを案内した少年は元浮浪児だとおっしゃってましたよね?」

「ああ。そして、誰かを生き返らせるということにはデメリットが大きく、浮浪児を生き返らせるにはメリットがなさすぎる」

 つい昨日リリィとこの場所で話していた内容を思い出しながら答える。ヒューガは考え込んだ。

「じゃあ、その子を殺して生き返らせることに意味があるとすれば――」

「……金か?」

「おそらくは」

 ヒューガはこくりと首を縦に振った。

「信者を集め、そのパフォーマンスを見せて金を巻き上げていたというのが妥当でしょう」

 あり得る話だ。目の前で奇跡を起こしてみせて、金を寄付させる詐欺というのは、俺が警察官になってからも複数報告されている。

 だが、ヒューガはそこでまた、ううんと思案を始めた。

「ですがわざわざ浮浪児を使ったという点にひっかかりますね」

「戸籍がないから、というだけでは不足か?」

「いえ、単に殺して生き返らせるだけなら浮浪児を使う必要はないじゃないですか」

 ああ、なるほど。

 俺はその言わんとするところを察して、ヒューガの言葉につなげた。

「最初から死体ではないものを使っているのだから、戸籍を気にする必要はないということか」

「そういうことです」

 こくこくと首を振るヒューガに、まるで小動物のようだという場違いな感想を抱きながらも、俺は考え込む。

「浮浪児を使った理由か……逆に浮浪児でなければならなかったということだよな」

「ですよね、浮浪児を使うことに何かしらのメリットがあったはずです」

「浮浪児を使うメリット……死んでも誰も気にしない……?」

 ひどい言い方だが事実ではあるだろう。元浮浪児だったような人間の前では絶対に言えない言葉ではあるが。

 俺の言葉を受けて、ヒューガは腕を組んでしばらくうなった後、ぽつりとつぶやいた。

「……もしかして不死の力というのはうそだったとか」

 その言葉に俺は眉間にしわを寄せて反論した。

「だが実際にあの子供は生き返ったぞ」

「それが不完全だとしたら?」

 目を見開いてそれの意味するところをくみ取る。

「もしかしたら生き返った後に、また死んでいるかもしれないってことか」

「そのあたりが妥当じゃないですかね。死んでもいい人間をわざわざ連れてきていたあたり」

 首を傾けて考えるヒューガを前に、俺も思案する。

 完全ではない不死の力。それをどう使うのか。信者は集金のために集めたはず。

「そうなると、集金のために集めた信者を殺すことに意味はないですよね」

「集められた浮浪児を殺しては生き返らせ、また死なせていた。というところか」

 一応の結論に至り、俺たちは再びリリィの残した地図に目を落とす。

「じゃあこの地図の意味は――」

「これをもとに浮浪児の遺体の廃棄場所を探せってこと、ですかね」

 ヒューガと目配せをして、俺たちは地図へと身を乗り出す。だが、すぐに俺たちは地図の上に手を置いて困り果てた。

「でもこれだけじゃさすがにどこに死体を捨てているだなんてわからないですよお」

「そうだな……どうすれば死体をうまく処理できるのかを考えないといけないからな……」

 手を置いていた机から離れ、俺たちは部屋を歩き回る。歩いた先から床が濡れていくが気にしている場合ではない。

「うーん、死体かあ……」

「死体について……死体の専門家……」

 ぶつぶつとつぶやきながら足を動かしていると、不意に入り口のドアが音を立てて開かれた。

「ああ、ここにいたんですねヒューガさん。探しましたよ」

 ひょっこりと顔を出したのは、白衣を着たの――

「あ」

「あ」

「はい?」

 俺たちの視線を一身に受けた検視官のトールは、怪訝な表情のまま固まった。俺たちはそんな彼の腕や服をつかんで、机の前へと引きずっていった。

「ちょうどよかった!」

「トールさんこっちです、こっち!」

「なんですか触らないでくださいよ汚いな」

 地図の前へと無理やりに押し出し、地図についた印たちを指し示す。

「この複数の施設から出た死体を運ぶ場所を探しているんだ」

 我ながら突然すぎる質問だとは思うが、藁にも縋る思いでトールに問いかける。

「お前だったらどこに捨てる」

「は? 突然なんなんですか一体」

 トールはこちらを振り向いて、心底迷惑そうな顔を向けてくる。ついでにつかんでいた手は振り払われた。

 だが、俺たちの必死さを読み取ったのか、トールはすいっと地図へと目を戻した。

「でもそうですね……」

 ゴム手袋をしたままの手が、地図の上を滑っていく。第一の拠点、第二の拠点、第三の拠点、第四の拠点。その全てをなぞり終わったトールは、こちらを見ないまま尋ねてきた。

「彼らにヤクザの後ろ盾は?」

「ない……はずだ。少なくともそんな情報は上がってきていない」

「でしたらかなり場所は絞れますね」

 トールは机の上に置き去りにされていた油性ペンを取り、郊外に広がる土地に次々と×をつけていく。あまりに迷いないその様子に、俺は思わずトールに問いかけてしまっていた。

「この場所はなんだ?」

「ヤクザ屋さんの縄張りですよ。ここに捨てようものならヤクザ屋さんがすっ飛んでいって懲らしめちゃうんです」

 平然と答えるトールに言葉を失う。トールは当たり前といった様子で言葉を続けた。

「ただでさえ警察にマークされてるっていうのに、その上、やってもいない濡れ衣を着せられちゃたまったもんじゃありませんからね」

「……ヤクザにバレないようにやっているという線は?」

「ないですね。何しろ彼ら、そういう感覚が鋭い人間を囲んでいますから」

 こちらを一切見ようともしないで、トールはそう言い放つ。俺は何もできないまま、トールの手が動いていくのを見つめていた。

「詳しいな」

「常識ですよこんなの」

 どうやらトールの常識は俺の知っている常識ではないようだ。

 ちらりとヒューガに目をやると、彼は背伸びをしてぼそぼそと事情を教えてくれた。

「トールって元浮浪児なんですよ。だからそういう裏社会の事情に詳しいんです」

「……へぇ、人は見かけによらないものだな」

「聞こえてますよ、ブラッドさん」

 苛立った声色でそう言われ、俺はおとなしく口をつぐむ。そうしている間にトールの手は止まっていた。

「この施設の位置、警察署の位置、ヤクザの後ろ盾はない」

 油性ペンのキャップを閉め、その底でとんとんと地図をたたいてみせる。

「だとすれば……ここですかね」

 トールが指し示したのは、郊外にあるごみ集積場にほど近い更地だった。

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