第7話 デートと潜入

 190センチを超える俺のサイズであっても、幸運にも貸し衣装屋にスーツはあった。簡単には持ち込めないだろうが、肩下のホルスターに一応銃をねじ込み、ジャケットを羽織って手首のボタンを留めながら着替え室から出る。

「ふうん、まあまあいいんじゃない?」

 とはリリィの談だ。

 そういうことに慣れている――気がする彼に言われたのだから、多分それなりに形にはなっているはずだ。

 日も沈み始めた頃。いつもよりも念入りに撫でつけた髪型で、劇場への道を歩く。最初は浮かれた様子のリリィの後ろをついていく形で歩いているだけだったが、リリィはいきなり振り返ると、ほとんど飛びつくようにして俺の腕に腕を絡めてきた。

「ふふん」

「……なんだ」

「エスコートしてよ。当然でしょ?」

「は?」

 漂ってくる強い百合の香りも相まって、思わず威圧するような声が出てしまう。だけどリリィはそれを意にも介さず、俺の腕を引いて歩きながら、暮れゆく空に向かって妙に明るい声で言った。

「パーティに男二人が連れ立って行くなんて不自然だってこと」

 確かにそうかもしれない。招待状らしき例のカードがあるとはいえ、今回の任務はパーティへの潜入だ。目立つようなことは避けるのは妥当な判断だろう。

「お前が女のふりをするのか」

「まさか。僕もスーツでしょ」

 今日は、という言葉にひっかかったが、リリィの言葉は全くその通りだ。俺は引きずられるように歩きながら尋ねた。

「だったらどうして」

「男二人でも恋人同士なら少しは怪しまれずに済むじゃない?」

「……そういうものなのか?」

「そういうものなんだよ」

 若干納得できていなかったが、一応筋は通っているように思える。俺はむっと顔をしかめながらも、電灯と店からの明かりに照らされた大通りを二人で連れ立って歩いていった。



 パーティ会場は劇場に併設されたホールだった。開会直前のホールの前には人はまばらで、俺たちは少し離れた物陰に隠れながら警備をにらみつけた。

「どうやって銃を持ち込む。何か策はあるのか」

「まあね。僕に任せておいてよ」

 リリィは物陰から顔を出し、入口へと目を凝らす。

人気ひとけはなし、警備は一人。……いけるね」

 ついてきて、と言うが早いか、リリィは上機嫌な足取りで警備員へと近づいていった。警備員は純朴そうな青年だった。

「ボディチェックをさせていただきます」

 両手を挙げて危険物の有無を確かめられる。何度か服の上から確かめられ、当然といえば当然ではあるが、肩の下のホルスターの存在はすぐにバレてしまった。

「お客様、すみません。こういったものの持ち込みは禁止されておりまして……」

 俺の服の下に隠された銃を見て、警備員は眉尻を下げる。すぐに通報や拒絶をしないあたり、気の弱い性格なのかもしれない。

 だがどうする。ここで彼を伸して中に入るのは簡単だが、その場合パーティ自体が中止されてしまうかもしれない。どうするつもりなのかとリリィを見ると、リリィは俺のことなど一切気にせず、警備員に近づいて彼の手を両手で取っていた。

「ねえ可愛い警備員さん」

 体をぐっと寄せて、彼の目をのぞきこむ。

「今度一緒にイイコトしない?」

 リリィの言葉に動揺し、警備員はすぐに答えを返すことができずにいるようだった。そんな彼の両手を胸の前まで持ち上げてさすりながら、リリィはさらに彼に顔を寄せる。もうほとんど額がついてしまいそうなぐらいだ。

「たっくさん楽しませてあげるよ」

 にっと細められた目は肉食獣のような色を含んでいた。警備員はその雰囲気にのまれ、ごくりと唾を飲み下す。

「その代わりにこの人を通してあげてほしいの」

 任せろとはこういうことか。だが確かにこれは陥落寸前のように見える。

「で、ですが……」

「こいつ僕の護衛でさ。こいつと銃がないと僕怖くて中に入れないんだ」

 わざとらしくしなを作ってリリィは彼にさらに顔を寄せ、唇と唇を深く触れさせた。その行為が終わるまで嫌な顔をしながら待っていると、リリィはゆっくりと彼から顔を離し、自分の唇を舐めた。

「これはその前払い」

 解放された警備員は、可哀相にほとんど腰砕けになってしまっていた。

「ね、いいでしょ?」

 リリィは首を傾げ、ほのかに色づいた唇は弧を描く。警備員はリリィから目を離せないままこくこくと首を縦に振ることしかできずにいた。

「ありがと」

 そう言うとリリィはもう一度だけ警備員の顔に口づけを落とし、俺に声をかけて中に入ってこうと――したのだが。

「あ、そうだそうだ。これ、僕の連絡先」

 警備員のもとにすたすたと戻っていったかと思えば、手帳の一ページに何かをメモして彼の手に握りこませた。

「いつでも好きな時に呼んでね?」

 耳元でそっとささやいて、それから先に進んでいた俺のところへと戻ってくる。彼がリリィを見る目は完全に熱に浮かされたようなものになっていた。

 可哀相に。後日がっつり頂かれるんだろうな。

 まあそれは置いておくとして、とりあえず一つだけ気になったことを俺は口に出してみた。

「おい、恋人役じゃなかったのか」

「そこは柔軟に対応していこうよ、ほら腕組んで」

 満面の笑みで俺の腕を取ってきたリリィからはやっぱり濃い百合の香りがした。強すぎるその香りに閉口しながら隣を歩いていくと、すぐにパーティ会場にたどり着いた。

「建前上は金持ちサークルの懇親会ってとこか」

「だろうね。さすがにこの人数が共犯だとは思えないから、このパーティの後に何かがあると見るべきかな」

 入口に書かれていた文言を信じるならばそうだろう。リリィはパーティ会場にいる百人は下らない多人数を見回しそれから、慣れた様子でウェイターを呼び止め、二人分のワインを貰ってきた。

「職務中だぞ」

「飲まないほうが変でしょ。ほら、早く飲んで飲んで」

 グラスを押し付けられ、跳ねたワインが服につきそうになるのをなんとかバランスを取って避ける。そんな俺の横でリリィは上機嫌な顔でグラスを傾けた。

 妙にさまになっているその様子になぜかしかめっ面になりながら、自分も酒をあおる。

 数分後、照明が落ち、主催者らしき男の挨拶が始まる。その内容を聞き流しながらリリィの方を見ると、すでに二杯目のワインを受け取ったところだった。

 まばらな拍手が響いて、会場は再び明るくなる。リリィは大きくグラスを傾けてワインを飲み干すと、俺に向かって空のグラスを振ってみせた。

「ワンちゃん、お酒弱いの?」

「いやそうでもない」

 お前のように捜査中にどんどん飲むような無知性は持ち合わせていないというだけだ。

 そんな言葉を乗せてにらみつけてみたが、当然のごとくリリィに届くはずもない。

「ふふ、僕はそんなに強くないよ」

 そう言って妖艶に笑むと、三杯目のワインを取りに行こうとふらふらと歩きだした。そんなリリィの手からグラスを奪い取り、手の届かない場所へと持ち上げる。

「だったらそんなに飲むな」

「やだ飲む」

 リリィは通りかかったウェイターに新しいグラスをもらってしまい、俺はため息を吐きながら空のグラスを返した。また一口、二口とワインをあおり、白い肌がほのかに赤らんできたころ、リリィは俺に自分のグラスを押し付けてきた。

「持ってて。料理取ってくる」

「は?」

 止める間もなくリリィは料理の方へと歩いていってしまう。ぽつんと一人残された俺は、急に居心地の悪さを感じて目を泳がせながらまた一口だけグラスに口をつけた。

「ほらあーん」

 戻ってきたリリィは皿に乗せた肉料理を乱暴にフォークでついて俺の口のそばへと持ち上げてきた。当然俺はそれを避けた。

「誰が食うか」

「もーノリが悪いなー」

 けらけらと笑いながら皿を近くのテーブルに置き、リリィは俺にしなだれかかってきた。両手にグラスを持っているせいでろくに抵抗もできずされるがままになる。触れた場所からリリィの体温が服越しに伝わってきた。

「おい」

「んー?」

 呼びかけてみてもとろんとした目でこちらを見るばかりでろくな返事をしてこない。俺はグラスを置いてリリィを壁際に引っ張っていった。

「おい!」

 酔ってるのか。仕事中だぞ。

 そう言いかけたが、それに先んじてリリィは俺を至近距離から見上げてきた。

「ねぇワンちゃん」

 引っ張られてたたらを踏みかける俺の足に、長くて細い自分の足を絡めて、リリィは熱い息を吐いてくる。寄せてきたその体からはやはり、百合の濃いにおいがした。

「少しはそういう気になってきた?」

「は?」

「僕を抱きたくなってきたかって聞いてんの」

 俺は、何を言われたのかを理解するために目を何度かまたたかせた後、即答した。

「いや、全く」

 その答えはどうやらリリィのお気に召さなかったらしい。俺から離れると割と大きな声で癇癪をおこしはじめた。

「どうしてさ! こんなに僕が誘惑してあげてるのに!」

「男を抱く趣味はない」

「ひどい!」

 ひどいのはお前の脳みそだ。

 そんな言葉を飲み込んで、その代わりにリリィの手へと手を伸ばす。そして一瞬驚いたような顔をしたリリィには構わず、その手の甲をつねり上げた。

「いったぁ!」

 リリィは手をかばいながら俺からバッと距離を取る。俺はリリィの前に仁王立ちになって警戒する猫のようなポーズになっているリリィを威圧した。

「あまり目立つようなことはするな。分かったな」

「ちょっと、こっちが上司なんですけど!」

「うるさい。だったらもっと威厳や真面目さを出してみせろ」

 まるで子供のように頬を膨らませて拗ねるリリィの手首を掴んで、パーティ会場のさらに端へと連れていく。リリィは手首を掴んでからは、あんなに暴れていたのがウソのようにおとなしく俺の後ろをついてきた。

「ここで皆様にスペシャルゲストをご紹介いたします」

 照明が薄暗くなり、司会進行の男が言う。舞台が見えるところへと移動してみると、ちょうど一人の人物が壇上に上がったところだった。

「今を時めく大女優、アシュレイ・ビヤンド氏です!」

 アシュレイ・ビヤンド。

 カードを使って俺たちをここに呼び寄せた人物。その本人の登場に、さすがにリリィも緊張した面持ちへと表情を変えていた。

「こんばんは、皆さん。このような場にお招きいただけたこと、とても光栄に思っています」

 その表情は決して俺たちの前に姿を現した時の哀れっぽいものではなく、劇場で見ることのできるような堂々とした女優の顔をしていた。

「私はいつも皆さんに活力をいただいています。皆様が私のために劇場に足を運んでくださることが私にとってはエネルギーになっているのです。こうして人からエネルギーを得るという意味では、それこそ私が演じるカーミラに似ているのかもしれません」

 エネルギーを得る。吸血鬼カーミラ。

 傍らのリリィは目を細めて彼女をにらみつけていた。俺も挨拶をする彼女をにらみつける。

 その時、ふと。

 彼女がこちらに視線をよこした、気がした。

 その視線を真正面から受けた俺は、体が硬直してしまい、指一本動かせなくなってしまった。だというのに血液は全身を妙に勢いよく流れ始め、心臓の音が大きく響き始める。脂汗が浮き、息は荒くなっていく。なんだ。俺は、なにを見ている。

「ワンちゃん!」

 押し殺した、それでも鋭い声でリリィは俺のことを呼んできた。視線を少しだけ落とすと、俺の手を掴んで、真剣な面持ちでこちらを見上げてくるリリィの姿があった。

「しっかりして。言ったでしょ、あいつはヤバいって」

 リリィのささやき声を聞くうちに、跳ねまわっていた心臓も徐々に落ち着いていき、残ったのは汗のせいで下がった体温だけだった。

「悪い、油断した」

「次やったら見捨てるからね」

 つんっと顔を背けてリリィは言う。いつも通りのその様子に少しおかしくなってしまう。リリィの言動のおかげで多少リラックスした俺だったが、その直後に聞こえてきた司会の言葉に再び全身をこわばらせることになった。

「なおこのパーティの後には、招待カードをお持ちの方のみが参加できる、アシュレイ氏主宰の演奏会がございます。そちらに参加される方は、係の者の誘導に従って――」

 ――これか。

 俺たちはちらりと視線を交わした。リリィは最初から酔っていなかったかのようにはっきりとした目つきでにやっと笑ってみせた。

「演奏会、か」

「ここからが本番ってわけだね」

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