第6話 姉の所在と敏腕探偵

 ドアを開けるといつも通りリリィが盛っていた。

 ただし今日は突っ込まれる側ではなく、いや、突っ込まれてはいるのだが、口の方でをしている最中というやつだった。

「リリィ」

 心の底からの軽蔑を込めて名前を呼んでやると、リリィはソレから口を離し、俺の方を振り返ってきた。

「あ、ワンちゃん。君も混ざる?」

「誰が混ざるか!!」

 ふざけたことを抜かしてくるリリィに声を荒げる。だが縮み上がったのはリリィではなく、リリィにいた警官の方だった。

「仕事の邪魔だ! さっさと出てけ!!」

 ハリーアップ! と付け加えてやれば、警官はずり下げていたズボンを持ち上げ、慌てて逃げ去っていった。

「君って本当に間が悪いよね、ヤってるわけじゃないんだから見逃してよ!」

「してるようなもんだろうが! このビッチ!」

 俺の罵声を意にも介さず、リリィはちり紙で口を拭いながら自分の椅子へと歩み寄り、いつも通りふんぞり返って座った。

「で?」

「あ?」

「調査は終わったんでしょ。どうだったの彼女の姉」

 手首を裏返してこちらを指さされる。ついでにナチュラルにこちらを見下すような視線を受けてしまえば、眉間にしわが寄ってしまうのは当然だ。当然のはずだ。

 奥歯を噛み締めて苛立ちを押し殺し、俺はリリィの机に両手をついた。

「リリィ」

「何?」

「彼女の姉の情報が上がらない」

「は?」

 俺を指さしたままの手はそのままに、リリィは眉をひそめる。俺は調査資料をリリィの前に少し乱暴に置いた。

「書類上は存在しているんだ。住民票もあるし、彼女が通っていたスクールの名簿にも名前がある。だが、彼女の交友関係は全く見つからない。スクールの生徒ですら彼女を記憶している人物はいなかったんだよ」

 リリィは俺の置いた書類を細い指でつまみ上げると、それをめくって目を通し始めた。

 書類上存在している人物。しかし誰の記憶にもなく、やがて書類すらも残らない。とある過去の事件が頭をよぎり、俺は自然と机の上で拳を握っていた。

「まさか……何者かによって記憶操作と存在抹消を」

「馬鹿だねワンちゃん、ほんと馬鹿」

 手にしていた書類を投げ出しながら、リリィは俺を鼻で笑ってみせた。一体何が可笑しいのかと顔をしかめて彼に視線を送る。リリィは書類の一番上をつまみあげると、角を合わせて折り目をつけはじめた。

「そんなの簡単なことじゃないか。彼女――アシュレイには姉なんて元々いなくて、彼女の証言が全てまるっと嘘っぱちってことだよ」

 俺が苦労して集めてきた情報の書類が、紙飛行機になっていく。リリィの折れそうなほど細くて白い指が、ゆっくりと力を込めて紙を折っていく。

「嘘だと……? 名簿や住民票に名前はあるんだぞ」

「そんなもの、作ろうと思えばいくらでも作れるさ。その手の仕事をしてる人間って多いんだよ意外に」

 よっと、とか言いながら、リリィは紙飛行機を飛ばす。手首を使って投げられた紙飛行機はほんの数秒浮遊した後、床めがけて墜落した。

「だがどうしてそんな真似を」

「それも決まってる。僕たちにこれを渡すためだろうね」

 そう言ってリリィが机の中から取り出したのは、ジップロックに入れられた例の黒いカードだった。

 これを渡すため。だが何のために。そもそもこのカードは何なのか。

 次々と疑問が浮かんでは消え、口を閉ざす。するとその時、背後から突然とある人物の声が響いた。

「失礼しまあす」

「うおっ!?」

 低い位置から俺を見上げていたのは、特殊鑑識課のヒューガだった。俺の影から顔を出したヒューガを覗きこむようにしてリリィは尋ねた。

「ヒューガ、それについて何か分かった?」

 それ、と示されたのはヒューガの持つもう一枚の黒いカードだ。ジップロックに入ったそれをリリィに手渡しながらヒューガは苦笑いをした。

「うーんそれがさっぱり」

「……鑑識でも分からないのか?」

「何の変哲も無いプラスチックのカードなんですよ。ICカードというわけでもないようです」

 指紋の類も一切ないみたいですし、とヒューガは若干不機嫌そうに呟く。俺はリリィの持つカードを改めて見て、顎に手を置いた。

「もしかして何かの会員証とかか?」

 リリィはちらっと俺の方を見た後、カードをジップロックから出して直接触れた。きっとサイコメトリーを行ったのだろう。僅かに目を細め、それから椅子から立ち上がる。

「ちょっと外出てくるよ。ワンちゃんも来て」

 珍しくジャケットを羽織りながらの言葉に面食らいながらもその後ろをついていこうとする。そんな俺たちの前に立ちはだかったのは、むっと顔をしかめるヒューガだった。

「リリィさん、まさかシルバのところに行くんじゃないでしょうねえ」

 地を這うような声で尋ねてくるヒューガに、リリィはへらっと笑って返した。

「まさか。そんなわけないでしょ」

 すれ違いざまにヒューガの肩に手を置きながら、リリィはドアの向こうへと消えていく。

「僕は君たち特殊鑑識課のことを信頼してるんだから」

 長い足を動かしてすたすたと歩いていってしまうリリィを追いかけて署の外へと出る。玄関を出てしばらく歩いたところで無言のままのリリィに俺は声をかけた。

「リリィ、どこに行くんだ?」

「シルバのとこ」

 即答されたその言葉に俺は目を瞬かせる。その名前はついさっき聞いたものだ。ついさっき、ヒューガが行ってほしくないと全身で表していた人名のはずだ。

 彼らを信頼しているというのは嘘だったのか。そんな視線を向けると、リリィは振り向こうともせずに背中で答えた。

「信頼してるよ。ただ彼らには届かない領域もあるってだけで」

 目の前の信号が赤になり、立ち止まる。

「あいつらは鑑識であって探偵ではないからね」

 信号のネオンを睨みつけながらリリィは言う。中天に登った昼の日差しが照りつけてきた。

「そのシルバってのは何者なんだ?」

 リリィは少しだけ振り返ると、嫌そうに、だけど口角は上げながら答えた。

「探偵だよ。それも飛びっきりのね」



 リリィが俺を連れていったのは、繁華街の裏道の一角にある事務所だった。その近辺は繁華街の裏だけあって治安が悪いことで有名だ。つい数日前も別の課で、薬物取引を検挙したという話を聞いたぐらいだ。

 そんな事務所の戸を乱暴に開けると、リリィはだだっ広い汚れた事務所の中を足音荒く奥へと入っていった。

「シルバ、いる? いるよね?」

「おう、いるよいるよ、いますとも」

 人の気配がない埃のちり積もったソファを通りすぎ、書類の積み上がった作業机へと歩み寄る。そこではソファを大きく倒して眠りこけていたであろう人物が、うんと伸びをしていた。

 俺たち二人が作業机の前に立つと、体のあちこちをばきばきと鳴らしたその髭面の男は、俺を視界に入れて破顔した。

「お、そっちが噂の新入りワンちゃんか? ドッグフード食べる?」

「は……!?」

「ああ、ドッグフードより骨ガム派か? ごめんごめん、気が利かなくて」

 流れるように自然と罵倒され、咄嗟に何も返せずに硬直する。そんな俺の代わりに怒った――のかどうかは分からないが、リリィは手の平をバンと机に叩きつけた。

「うるさい黙って。さっさと情報寄越しなよ。君のことだからもう調べはついてるんでしょ?」

「はは、相変わらず百合のお姫さんは短気だねえ」

 リリィの怒りを真っ向から受けても一切動じずに、髭面の男――シルバは笑うばかりだった。それでもなおリリィが彼を睨みつけ続けると、シルバは俺たちの方を指さして尋ねてきた。

「欲しいのはその黒のカードが何なのか、で合ってるかな?」

 リリィは内ポケットからカードを取り出して不機嫌そうに見せる。シルバはにっと笑った。

「代金はいつもの場所に」

「分かってるよ。早くして」

「急かすなって。まあ事は一刻を争うんだけどな」

 軽い調子で放たれたシルバの言葉に、俺は顔が強張るのを感じた。それはリリィも同じのようで目を見開いたまま硬直している。シルバはそんな俺たちを見て心底楽しそうに笑うと、机の中から一枚の紙を取り出した。

「これは――カーミラのチラシ?」

「そ。まあこれ自体は問題ないんだよ。問題は同じ劇場で行われるパーティの方」

 チラシに書かれた劇場の地図をぐるぐると示しながらシルバは言う。

「なんでも血なまぐさくて悪趣味なパーティが開かれてるらしいぜ。件の事件で出た死体はそのパーティの被害者ってわけだ」

 血なまぐさいパーティ。それがどんなものなのかシルバはそれ以上語ろうとしなかった。だがあんな奇妙な死体が出ている以上、ろくでもないものだということだけは確かだ。なんとしてもそれを阻止しなければ。

「おい、パーティはいつ行われるんだ」

「今夜だぞ?」

 とぼけたような顔で言われ、俺は再び驚きで硬直してしまう。そんな俺を下から覗きこむようにしてシルバは口角を上げた。

「ちなみにこれを逃すと次、いつ行われるかは分からないぞ?」

 挑発するようなその言葉に、俺は怒鳴りそうになりながら、しかし怒鳴るような内容もなく、拳を握りしめることしかできなくなった。そんな俺の横で、調子を取り戻したらしいリリィはシルバの頭を見下ろしながら鼻を鳴らした。

「じゃあ今夜、僕たち二人で行くしかないね」

 そのまま立ち去ろうとするリリィだったが、その発言の意味を遅れて理解した俺はそんな彼の手を取って引き留めた。

「待て」

 リリィは不機嫌そうに振り返る。俺はリリィの持つカードに目をやり、それから苦言を呈した。

「アシュレイはわざとこのカードを俺たちに渡してきたんだろう。つまりこれは罠なんじゃ――」

「罠だと分かってても行くしかないでしょ」

 温度のない声でリリィは答える。

「特殊事件に対応できるのは、なんだから」

 その表情は何も感じさせないようでもあり、覚悟を決めているようでも、諦めているようでもあった。

 俺たちだけにしか対応できない。確かにこれは普通の事件じゃないんだ。事情を知らない普通の刑事課が担当したら、余計に多くの被害が出るかもしれない。

 だけど俺たちなら?

 たった二人の特課。超能力者に対応できるかもしれない唯一の課。二人しかいないということは、仮に失敗して使い捨てられたとしても、大した損失にはならないということだ。

 そこまで理解して、俺はリリィの手を掴んだまま沈黙することしかできなかった。すると、リリィはふっと頬を緩めると、逆に俺の手を取って微笑んできた。

「ああ、ワンちゃんはただの弾除けね」

 指で銃を作り、BANG! とこちらを撃つ真似をしてくる。

「ちゃんと壁ぐらいにはなってね?」

 その物言いにむっと顔をしかめながら、リリィの手を振り払う。リリィは小さく笑った後、シルバに背を向けたまま尋ねた。

「ところでシルバ」

 シルバは体を起こし、椅子に背を預ける。リリィは忌々しそうに尋ねた。

「今の情報の出所って聞いても?」

「聞かなくてもお前にはお見通しだろうに」

 チッと、リリィの舌打ちが響く。そのままリリィは来たとき同様、大股で事務所から出ていった。開け放たれた事務所のドアを閉めてから彼を追いかけると、リリィは無駄に長い足でダンボールを蹴飛ばしていた。

「胸糞悪い」

 がっと段ボールの上に足を乗せ、リリィは前髪をかき上げる。

「情報流したの、あのアシュレイとかいう女だ」

 目を細め、綺麗な顔を歪めて悪態をつく。

「あの女、何もかも自分の手の平の上だって思ってる輩だよ」

 歯ぎしりしながらいつも通り爪を噛もうと指を持ち上げたところで、俺は手をかざしてそれを下ろさせた。

「そう苛立つな。今からそいつの鼻を明かしに行くんだろう」

 リリィは俺の顔をきょとんとした顔で見上げ、それからニッと笑った。

「当然」

 それだけでリリィの機嫌は直ったらしい。軽い足取りで歩いていくリリィの後ろを俺はついていこうとした。

「そういえばワンちゃん」

 ふと立ち止まり、リリィはこちらを見上げてくる。その目は珍しく心配そうな色を含んでいた。

「パーティのドレスコードに合うようなスーツって持ってるの?」

 あ、と声が出て固まる。

 刑事生活を続けて十数年。そんなパーティに出る機会なんてなかったし、そんなものを持っているはずもない。

 俺の動揺を察したのか、リリィは慰めるように俺の背中をポンと叩いた。

「貸し衣装屋に寄ろっか。代金は経費で落とそう」

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