第5話 女優
部屋の入口で固まる俺に気付いたのか、リリィとヒューガもまた現場の奥からドアの近くまでやってきた。
「なになに、何事?」
「どうしたんですかあ、ブラッドさ――アシュレイ・ビヤンド!?」
俺の背中から顔を出した二人は、彼女の姿を認めて俺同様に目を瞬かせていた。ただし、リリィだけはほんの数瞬後には彼女を探るような目を向けていたが。
「二人は中に戻っていてくれ。俺が相手をする」
リリィの表情から不穏な雰囲気を感じ取った俺は、二人を部屋へと押し込めると、廊下の先で彼女と話しはじめた。
「アシュレイさん……何故こちらに?」
彼女のような有名人がマネージャーの一人もつけずにこんな寂れたアパートに来るだなんて普通に考えてありえないことだ。
しかしアシュレイは目を伏せながら神妙な顔で切り出してきた。
「この部屋のベティ・アルマンさんは女優を目指されていた方で……風の噂でその、殺されたと聞いたものですからつい……」
「……なるほど、そうでしたか」
女優志望だったというのは初耳の情報だが、それならばアシュレイとなんらかの接点があってもおかしくない。俺は詳しい事情を聞こうと彼女に声をかけようとし――その直前に、意を決した様子のアシュレイの言葉に遮られた。
「あの、刑事さん、実は私の姉が行方不明なんです!」
――行方不明。
急を要する話題に一気に顔が強張る。きっと彼女がここに来たのは、ベティの心配というよりもこちらが本題だ。
「姉さん、行方不明になる前にベティさんと会っていたらしくて」
不安で仕方がないといった様子で彼女は目を泳がせ、それから涙目で俺へと詰め寄ってきた。
「もしかしたら同じ事件に巻き込まれてるんじゃないかって私、心配で……!」
その勢いに気圧されて俺は思わずのけぞった。
近い。ものすごく近い。
涙にぬれた睫毛も、潤んだ黒い瞳も、艶やかな唇も、ついでに言えば大きく胸元が開いた服も、何もかもが近い。
ほとんど反射的に顔が赤らんでしまうのを自覚しながら、俺は硬直していた。アシュレイはそんな俺の手を取ってさらに何かを言おうとしてきた。
しかし、それを遮る手足が横から伸びてきて、ほとんど突き飛ばされるようにして彼女は俺から引きはがされた。
「あげないよ」
冷え冷えとした声色で俺とアシュレイの間に立つのは、俺に背を向けたリリィの姿だった。
「これは僕のワンちゃんだからね」
ちょうど俺の鼻あたりの高さにリリィのつむじがある。至近距離で揺れる金髪が視界を遮っており、俺にはアシュレイがどんな顔をしているのか分からなかった。
「そう」
ややあって発せられたアシュレイの声は、とても平坦なものだった。
「残念です」
まるでさっきまで泣きそうになっていた女性のものとは思えない声にぎょっとしながら、俺はリリィを押しのける。だがそこにいたのは、先程と同じように今にも目から涙を流しそうになっているアシュレイの姿だった。
俺はまるで幽霊か何かでも見たような気分になりながらも、とりあえず彼女の認識を正そうとアシュレイに声をかけた。
「俺はこいつの犬でもなんでもないので。ただの冗談なので気にしないでください」
「うるさい! 空気読めないワンちゃんは黙ってて!」
振り返ってこちらにぎゃんぎゃん噛みついてきたリリィからも、先程の真剣な雰囲気は消え去っており、俺はいよいよ白昼夢でも見ていたのかという気分になった。
だが何度まばたきしてみても、目の前にいるのは重要な証言者といい加減な上司だ。俺は今見たものは気にしないことにして、職務を全うすることにした。
「アシュレイさん。そのお姉さんについて、詳しくお話を伺ってもよろしいですか?」
「はい……」
顔を伏せたままアシュレイは頷く。
「姉が姿をくらませたのは十日前のことです。十日前、姉はベティさんも通っている女優のスクールに顔を出していました。ああ、姉も女優なんです。……あまり売れてはいなかったんですけれど」
「なるほど、そこで足取りは途絶えたと?」
「はい、帰り道にベティさんと姉が一緒にどこかに行ってしまったらしいというところまでは辿れたのですが……」
「姿をくらます理由に心当たりは? その、失礼ですが、恋愛関係だとか」
彼女はゆるゆると首を横に振った。
それもそうだ。心当たりがあるのなら、ベティ・アルマン殺害と同一犯だなんて考えないだろう。
「……でも」
アシュレイはふと思い出したような顔をした後、鞄からあるものを取り出した。
「お役にたてるかどうか分からないんですが、これを」
手渡されたそれは、一枚の封筒だった。折り曲げられていた封を開けて、中を取り出してみる。傍らのリリィもそれを覗きこんできた。
「以前、姉が私に渡してくれたものなんです。これが一体何なのかは分からないんですが」
それは一枚のカードだった。真っ黒な背景に、赤色で複雑な何かの紋様が描かれている。これは、重なり合ったコウモリか何かだろうか。
「私が提供できる情報はこれぐらいです」
アシュレイは申し訳なさそうに顔を伏せ、それから胸の前で軽く手を組んでこちらにずいっと近づいてきた。
「刑事さん、どうか姉をよろしくお願いします……!」
ほぼ同時にリリィが俺の前に出て、彼女から俺を隠そうとする。数秒間見つめ合った後、アシュレイはそのまま踵を返して去っていった。
「……ワンちゃん」
彼女が歩いていった方を睨みつけたまま、リリィは口を開く。
「あれは駄目。よく分からないけど駄目だってことは分かる」
その声色はいつになく真剣で、彼にしか分からない何かを察知したのだということは鈍い俺にも理解できた。
「できれば近づかないでほしいけど……まあそうもいかないよね」
ちらりとリリィはこちらを見る。彼は柄にもなく、少し困ったように眉尻を下げていた。何か答えようと俺が口を開きかけたその時、現場の部屋の中から騒がしい足音が近づいてきた。
「ブラッドさん、リリィさあん」
ばたばたと音を立てて部屋から転がり出てきたヒューガは、俺たち二人を視界に入れると、やけに興奮した面持ちでとあるものを差し出してきた。
「リリィさんに言われた場所をひっくり返してたら、変なものが見つかったんですよお」
俺とリリィは手渡されたそれを凝視する。
件のアシュレイが残していったカードと、全く同じものがそこにはあった。
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