第4話 手がかり
俺とのキスを済ませたリリィは、これまでとは打って変わって上機嫌な顔で、勢いよく遺体安置室のドアを押し開けた。
「お待たせ、クソ医者!」
「口が悪いですね、リリィさん」
哀れにもギイギイと軋むドアを受け止めて、俺も部屋の中へと入っていく。リリィはスキップでもしそうな足取りで遺体へと歩み寄っていった。
「いつも通り前情報は無しです」
「分かってるよ、先入観なしに視ろって言うんでしょ」
遺体にかけられていた布をめくり、トールはリリィに道を譲った。
「ではリリィさん」
わざとらしく腰を折り、トールは微笑んでみせた。
「良い旅を」
フンと鼻を鳴らすと、リリィは遺体の顔の方へと近づいた。俺もその後に続き、遺体に近寄る。
リリィは珍しく真剣な顔で目を閉じ、遺体の額へと手をやった。真っ白な指先が温度をなくした肌にそっと触れ、そのままリリィは動きを止める。こうして近くでサイコメトリーを見るのは初めてだ。俺は固唾を呑んでリリィの動きを注視していた。
「……駄目」
不意にリリィはそう言うと、遺体から手を離した。
「干渉されてて上手く視えない」
「干渉?」
「何かに邪魔されてるってこと。そんなことも分かんないのぉ?」
心底馬鹿にしたような声色で、振り向いたリリィの顔はいつも通り人を馬鹿にした傲慢な表情に戻っていた。俺が苛立ちを隠すことなく眉間にシワを寄せると、リリィは何がおかしいのかくすくすと俺を見て笑い出した。
「となると多分相手も
どこか能天気な声色でヒューガは言う。超能力者。つまりリリィと同じような能力を持った奴らという意味か。
リリィの能力については未だ半信半疑だったが、これだけ周りの人間が頼りにしているのだ。俺自身、リリィの能力については『あるのかもしれない』ぐらいの認識にはなっていた。
だが、他の能力者となれば話は別だ。そんなカートゥーンじゃあるまいし、この街では能力バトルが繰り広げられているとでも言うのだろうか。
「意外といるもんだよ、見つかりたくないから隠れてるけどね」
「奴ら、ブラッドさんが想像しているような派手な行動は起こさないんです。社会の裏でこそこそと小銭稼ぎをしているのが大半ですよ」
まるで心を読まれたかのような返答に、俺は目を瞬かせる。するとリリィとヒューガはニヤニヤ笑った。
「だってお前、顔に出やすいんだもん。誰だってわかるよ」
「そうですねえ。分かりやすすぎます」
「……そんなに分かりやすいか?」
思わずトールを振り返ると、無表情のままこくりと頷かれた。口を半開きにしてきょとんとしていた俺を、ヒューガはパンと手を叩いて正気に戻した。
「まあそれはともかく」
この場にいる全員の視線を受けたヒューガは、ぐるりと俺たちを見回した。
「これでこの事件は捜査一課の管轄から外れました。遺体に不審な点があり、超能力者が関与している。つまりこれは特殊事件で、特課の管轄事案ってことになります。いいですね、ブラッドさん?」
唐突にそう問われ、俺は事態を察しきれていないということに気を遣われたのだと理解する。俺はやや考え込み、それからヒューガを見た。
「特課ってのはそういう課なんだな?」
「はい。特殊事件と呼ばれる超能力者関連の事件を秘密裏に片付ける課。それが特課です」
改めてそう言われると、現実味のない仕事だ。だが、仕事である以上は職務を全うするしかない。たとえそれが、俺には信じきれないものだったとしても。
「だったら俺が拒否する理由もない。役に立つとは思えないが、存分に使ってくれ」
上司にあたるリリィをちらりと見ると、リリィは低い位置から俺を見下して鼻を鳴らした。
「ふうん、いい心がけじゃん」
その言葉に含まれた面倒ごとに気づいた俺は、軽くリリィをにらみ返した。
「私用のパシリはしないがな」
「なんでさ! ケチ!」
憤慨するリリィをヒューガは「まあまあ」と抑える。そうしてから、リリィに死体を指し示した。
「リリィさんリリィさん、何も視えなかったわけじゃないんでしょう? それを教えてくださいな」
「……そりゃちょっとなら視えたけどさ」
ぶつぶつと言いながら、リリィは目を閉じて語りだした。
「赤い幕、たくさん並んだ席、眩しい光、何かが乗せられた台」
言葉から想起される情景を思い描き、俺は一つの場所を口に出した。
「どこかの劇場、か?」
「多分そうでしょうねえ」
何かが乗せられた台というのが引っかかるが、その特徴ならばおそらくは劇場で間違いないだろう。だが――
「それだけじゃ絞り切れないな」
「仕方ないでしょ、干渉されてるんだから!」
「責めてるわけじゃない噛みつくな」
ギャンギャンわめこうとするリリィを物理的に押さえ、俺はヒューガとトールに尋ねる。
「被害者が発見された現場はどこなんだ?」
「自宅ですね。ドアが開きっぱなしになっているのを不審に思った隣人が見つけたようです」
「発見時刻は朝の八時。血が抜かれているせいで、死後どれだけ経っているかは正確には分かりません」
「そうか……」
顎に手を置いて考え込む。だが当然ながらいい案が浮かぶはずもない。情報が足りなさすぎるのだ。
「このままここで推測をこねくり回していても仕方ないな」
「おお! じゃあ行動しましょう! 外に出ましょう!」
飛びつくようにしてヒューガは俺に詰め寄ってきた。傍らのリリィがうげっと嫌そうな顔をする。
「とりあえず、現場、行っちゃいます?」
なんでこいつはこんなにウキウキしているんだ。
ヒューガのテンションにドン引きしながらも、俺は首を縦に振って同意した。
現場は署から歩いて行ける距離にあった。
昼時前の街を、俺とリリィ、それからヒューガの三人は歩いていく。先頭のヒューガはスキップでもしそうな顔で、だぼだぼの捜査員服を揺らしながら歩いていき、俺たちはそれに困惑しながらついていく形だ。
「ねー、ワンちゃんー」
信号待ちで立ち止まった途端、ぐったりと背を丸めながら歩いていたリリィが俺の背中にごつんと頭をぶつけてきた。振り返るとぐりぐりと俺の背中に頭頂部をすりつけてくるリリィの姿が。
「もう一回キスしてくれないー?」
「は?」
「お腹が痛いんだよ。このままじゃ死んじゃう」
何も言い返せないでいるうちに、するりと腕を絡められ、小首を傾げられる。
「ね、ダメ?」
その瞬間の俺はきっと、心底嫌そうな顔になったのだと思う。俺はリリィを軽く振り払うと、冷たく言い放った。
「断る」
「ケチ!」
リリィは全身を使って俺に抗議の意を表明してきた。それに対しても俺が無視を決め込むと、リリィは今度は踵を返してどこかに行こうとした。
「いいもん、その辺のやつ捕まえて補給するから!」
俺は腕を伸ばすとリリィの襟の後ろを捕まえる。歩き出していたリリィは引っ張られて後ろにたたらを踏んだ。
「何すんのさ!」
襟の後ろを掴まれたままリリィは抗議してくる。だが「何をするのか」なんてこっちのセリフだ。
「職務中だ。何ふらふらしようとしてるんだ」
「ふらふらしてないよ! ただの男漁りだよ!」
「なお悪いわ!」
声を荒げてダメ上司を叱りつける。だが、上司は上司で男漁りとやらに行くのを諦めていないようで、思ったよりも強い足取りでぐいぐいと歩いていってしまいそうになるのを、俺は羽交い絞めで捕まえなければならなくなった。
「離してよバカ!」
「誰が離すかバカ!」
「わあ、お二人とも、もう仲良くなったんですねえ。良いことです良いことです」
「うるさい!」
「ヒューガは黙ってて!」
リリィは全力で羽交い絞めしているというのに執念で数歩前へと進む。いよいよぶん殴ってでも止めなければいけないだろうかと考え始めた頃、リリィはふと足を止め、道の脇に立つ巨大な看板を見上げた。
「……これ」
彼が見上げていたのは女性の顔が描かれた大看板だった。ウェーブのかかった黒髪に大きな瞳、ルージュの塗られた唇からは作り物の牙が覗いている。
「アシュレイ・ビヤンドだな。今話題の『カーミラ』の主演女優だ」
繰り返しテレビやラジオから流れてきた名前を口に出す。リリィは看板を見つめたまま目を細めた。
「なんだ、興味あるのか?」
「べっつにぃ?」
どこか含みのある言い方でリリィは否定する。そうしてからふいっと看板から目をそむけると、俺の拘束をいともたやすく抜けて、青に変わった横断歩道に向かって歩き出した。
「気が変わった。さっさと現場行こっか」
現場のアパートは繁華街に程近い治安の悪い地区に建てられていた。とはいえ昔からある煉瓦造りのアパートを改装して貸しているものであるらしく、外見だけは立派な建物だ。
「被害者の名前はベティ・アルマン、26歳。一人暮らしの女性です」
見張りの刑事の横を通り過ぎ、KEEPOUTのテープをくぐりながらヒューガは説明する。手にしたバインダーには捜査資料が十数枚挟まれていた。
「職業は給仕。勤務態度は良好。交友関係は狭く、数少ない友人もここ数か月連絡を取っていないようでした」
部屋の戸は開け放たれ、室内は鑑識が入った後のようでそこかしこに英数字のかかれた板が立てられていた。
その一つ一つが重要なマークなのだろうが――その中の一つをヒューガは躊躇いもなく蹴飛ばした。
「いやぁ、特殊鑑識課って普通鑑識課からはにらまれてるんですよねえ。必要以上に現場を荒らすからって」
ぎょっとする俺を置いて、ヒューガは高笑いでもしそうな表情で証拠品を踏みつける。
「だけど特課のお二人が一緒なら話は別です! 大手を振って現場をひっくり返せるってもんですよお!」
さあやりますよお! と叫び、手袋をさっさとつけたヒューガは部屋の奥へと駆け込んでいった。呆気にとられてその後ろ姿を見ていると、やる気なさそうに背を丸めたリリィが横に並んできた。
「アイツね、現場荒らしのヒューガって呼ばれてるんだよ。普通鑑識課への憎しみが半端ないの」
はい、と手渡されたのは白い手袋だ。
「特課関連の奴らは変な奴ばっかりだからさ、まあ諦めなよ」
変な奴筆頭のお前が言うのか。
そんなツッコミを飲みこんで沈黙すると、リリィは面倒くさそうにしながらも現場をひっくり返しにかかりはじめた。
なんだかとんでもないことの片棒を担がされているような気分だが、これも捜査の一環だ。そう思い込み、俺は手袋をつけて近くにあったクローゼットに手をかけた。
軋みながら開いたクローゼットの中にあまり服は入っていなかった。いや、男性のクローゼットに比べれば入っている方なのだろうが、過去に現場検証で見たことのある女性のクローゼットの中身はこれの比ではなかった。
職業が給仕だと言っていたから、あまり給料はよくなかったのかもしれない。
服を裏返してよくよくタグを見てみれば、男の自分でも知っているようなブランドものの服はほとんどなかった。ただ、一着だけ、妙に小奇麗なコートは入っていたが。
タグを見てみると、それはやはり自分でも知っているような有名ブランドのコートだった。
一着ぐらいならこういったコートを持っていてもおかしくないか。
そう納得し、クローゼットを閉めようとした俺だったが、コートに触れた拍子にその内ポケットから一枚の紙が落ちてきたことに気がついた。
足元に落ちたそれを拾い上げて開いてみる。そこには何度も街中で見たあの画像が印刷されていた。
「カーミラ、か。流行ってるからな」
彼女も流行りに乗ってカーミラを観に行ったのだろう。元あった場所にそのチラシを戻そうとしたその時、背後から控えめな声がかけられた。
「あの……」
「ん?」
振り返るとそこには現場の入口を見張っていた刑事が立っていた。刑事は困惑を極めた顔で俺の顔を窺ってきた。
「皆さんにお会いしたいと仰っている方がいらしているんですが……」
会いたい? 一体誰のことだろうか。
きっと警察関係者の誰かだろうと思いながら部屋の外に出た俺を待っていたのは、思いもよらない人物だった。
「あんたは……」
黒くウェーブのかかった髪、大きなサングラス、口元には控えめなルージュ。目元を隠していたサングラスを少しだけ持ち上げて、彼女は俺に名乗った。
「アシュレイ・ビヤンドと言います。……もしかしたら、ご存知かもしれませんが」
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