17.いいな、それ。俺も食いたい

 母が確信犯なら、娘も確信犯。ある目的のために。

 その土曜日も、琴子は出かける。

「早いね。英児君のところにいくんでしょ」

 玄関でスニーカーを履く娘を見て、母が呼び止める。

「うん。ちょっとね。彼の部屋をあれこれ片づけたいから」

「大丈夫なの。営業中に彼のお店に行っても」

「うん。先週、また夕方に訪ねた時に、今度は顔見せというか挨拶をしておいたから」

 本当のことだった。初めて英児のお店兼自宅を訪ねた翌週も、琴子は閉店の時間に合わせて出向いた。今度は少しだけ早めに。スタッフが残っている時に会いに行った。だけれど、それも英児と『打ち合わせ済み』で、閉店後、店長の彼から『つきあい始めた彼女。時々、俺の二階の自宅に訪ねてくるからよろしく』と正式に紹介してくれた。

『大内琴子です。よろしくお願いします』

 事務員の男性は気前よく迎えてくれ、整備士のお二人は、穏やかにニッコリしている男性、意味深な笑みで英児をからかっている男性、そして琴子が一番構えていたあのおじ様は案の定『ふん』と無愛想だった。挨拶はそれだけで終わり、店も閉まったので皆帰宅し、琴子は英児と共に彼の部屋で週末を過ごした。

 彼の部屋で、約束通りに手料理を作ってあげたり。相変わらず、ベッドだろうがどこだろうが部屋の中では薄着で気ままに愛し合ったり。そして夜遅いドライブに出かけたり。本当に今がその時とばかりに、英児と二人きりを楽しんだ。平日の仕事が終わった後も待ち合わせ、とにかく会える時間は会って二人で過ごした。

 そして先週の日曜には英児が再び、琴子の母に招待される。庭の手入れが終わったお礼と称しての再度の招待。それから母が『英児君』と呼ぶようになった。

『今度、お母さんも一緒にドライブに行きましょう。俺、もっとゆったり乗れる車を借りてきますから』

 英児は母にもきちんと気を配ってくれた。母が寂しがらないように――。母と娘だけの家族だからと、いつも気にしてくれている。

 その気遣いが、自分と亡くなった母親との経験を活かしているのだろうかと思うと、琴子は申し訳ないような、そして切ない気持になってしまう。

 そしてまた週末の土曜が巡ってくる。琴子は慣れたように、この日も英児の龍星轟宅へ向かう。

「行ってきます」

「遅くなるなら、連絡しなさいよ」

「はい」

 いい大人である娘がひとまずきちんと帰ってくるので、母もあまりうるさくは言わない。

 いや、一度だけ。『けじめ、ちゃんとしておきなしさいよ。大人だから多くを言わなくてもわかるわね』とビシッと釘を刺された。それがだらだらしたお付き合いにしないことだったり、あるいは順序が逆にならないようにしなさいとか、もしくは万が一逆になっても泣くようなお付き合いで終わらないよう、その時はけじめをつけられるようにしておきなさいなど、そんなことだろうと琴子は思っている。ただ母には『彼には結婚が決まった人がいたのに、よくわからないけど辛い別れをした過去があるようだから、不用意に結婚のことは言わないで』と、英児が再度の招待で夕食に来ることになった時、前もって伝えてはいた。だから、母も本心は『最後はけじめをつけてくださいね』と英児にほのめかしたかっただろうに、それを言わず触れず、英児が気に入っている明るく気さくなお母ちゃんに徹してくれたのが、娘の琴子にもちゃんと通じていた。

 年頃の娘ならば、またそれもハラハラする親心だろうけど。大人になった娘だからこそ、判断は委ねても、『ここでまた躓いたら、もう後がない』なんて心配もしてくれているのだろう。

 急に現れた娘の恋人。それは母を助けてくれた男性。故に母は気に入っているだろうけど、そこは母としては複雑な心境のようだった。

「英児君に、よろしくね」

「うん」

 見送ってくれた母を後に、今日の琴子は、紺のポロシャツに、ベージュのサブリナパンツ、そしてスニーカーで出かける。いつもよりラフな格好で。

 今日も日射しが強い、夏真っ盛り。シャワシャワ賑わしい蝉の大合唱の道を歩いて、琴子はいつも通り、空港行きの路線へ向かう。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 夏の日射しが容赦なく降り注ぐ龍星轟の店先には、今日もピカピカの車が並んでいる。

 紺の作業服を着た男達が夏の熱気がこもるガレージや直射日光の店先で、黙々と作業に打ち込む姿。

 だが琴子は店先を避けた道を選び、今日は店の裏側へと辿り着く。そこから事務所裏と英児の自宅階段がある通路へはいる裏口へ、そのドアを開けて到着。

 暗いままの店舗兼事務所裏の通路。明かりが差し込んでいるのは、英児の二階自宅と店舗をつないでいるドア。そのドアが開いているので琴子はそっと覗く。

 事務員の男性がノートパソコンに向かっている。そして店のガラス壁の向こうで、車を洗車している作業服姿の英児を見つける。だがその英児を見つけ、一人ひっそりと微笑んで気を緩めていたら、そこで事務所のデスクに座っている作業服姿の男と目が合った。

 あのおじ様だった。半袖の紺作業着姿、腕を組んでデスクで書類を眺めているところ。

「おはようございます。おじゃまいたします」

 営業中の午前。こんな時間に訪ねてきてしまったので、あからさまなしかめ面を見せられる。『わかりやすいオヤジだよ』と英児から聞かされているから、琴子も心構えは出来ている。しかし、そのおじ様が席を立って、こちらに来てしまう。

「タキ、呼ぶか」

 と、とんでもないっ。緊張で言葉にならず、琴子は首を振るだけ。

「いえ。キッチンのお掃除に来たんです。あまり使っていないみたいだったので。彼にはお昼まで知らせないでください」

 男一人暮らし、ほぼ外食という英児の生活。キッチンも最低限使えるだけのものしかなかったので、先週はものを揃えるのに大変だった。

「それ。なんだ」

 おじ様が、琴子がもっている紙袋とレジ袋を指した。

「お昼に冷たいうどんか素麺でもと思って持ってきました。家でたくさん余って困っていたので、母が持たせてくれたんです」

 ふうん。と、おじ様が顎をさすり、琴子を見下ろしている。

「つけあわせは」

 なんで、そんなに聞くの。琴子は眉をひそめるが、笑顔を保って返答する。

「穴子と、茄子と、ユキノシタの天ぷらです」

「ユキノシタだあ?」

「庭にあって、私の家ではよく天ぷらにするんです」

「庭から取ってきただとー?」

 いちいち顔をしかめて反応するので、琴子は何を言われるのかとドキドキしてしまう。

「いいな、それ。俺も食いたい」

 はい? 琴子は目を丸くし、すぐに返答は出来なかった。

「昼飯になったら、二階まで取りに行くな。武智ー、俺の今日の昼休みいつだ」

 事務員の『武智さん』に、おじ様が確認を取る。

「矢野じいの今日のシフトは、十二時半からかな」

 バインダーのシフト表を見た彼が、ちょっと笑いを堪えながら答えている。

「ということだ。その頃、行くな」

「は、はい」

 それだけ言うと『矢野さん』は、背を向け店の外に出て行ってしまった。武智さんだけがクスクスと笑っている。だけど彼も琴子には話しかけてはこない。だから、琴子も邪魔にならないようそっと二階に上がった。

 二階に上がって、琴子はバッグから鍵を出す。『合い鍵』だった。英児がすぐに作ってくれた。それで彼の自宅に入る。

 入ってすぐに、琴子はまだ終わっていないキッチンの整理に掃除をする。先週のうちにだいぶ琴子が使いやすいように道具も材料も揃えた。あとは使い勝手。それを済ませるとすぐにお昼時間が目の前。

 英児に内緒で来たから、英児のシフトがわからない。揚げたてじゃなくてもお昼があるのは喜んでくれるだろうと思ってはいたが、それでも矢野さんに頼まれてしまったのでその時間に合わせて調理開始。

「暑い~」

 キッチンの窓や、部屋中の窓を全開にしても暑い夏の日。

 クーラーもあるけど、この季節、すぐに冷房病になるので、必要以上なるべく当たらないようにしている。それでも天ぷらをあげ、大鍋に湯を沸かしての調理は汗だくになる。

 料理をしながら、琴子は『何故、急に食べたいなんて』と考えていたが、どうにもわからないまま。

 英児の店の外周には、土地を拓く時に残してもらえたのか大きな団栗の木や百日紅の木がある。団栗の木陰から時折ざわざわとした風が来て、少しだけ涼しくしてくれる。その側で桃色の百日紅の花も揺れていた。遠く蝉の声。どこか昔懐かしい風の音と風情が暑さを和らげる。元の土地の持ち主が植えていたのだろうか。

 天ぷらを揚げ終わった頃だった。

「琴子!」

 リビングに作業着姿の英児が現れた。

「なんだよ。来ているなら来ていると言ってくれてもいいんだからな。てっきりまた夕方に来るのかと」

 あ、結局。矢野さんが教えてくれたんだなと琴子は思った。それとも武智さんが教えたのだろうか。

「お昼になったらここに戻ってくることわかっていたから。言わないでとお願いしたの」

 だが英児はとても嬉しそうに出迎えてくれる。彼らしく、琴子が何をしていようがすぐに駆け寄ってきてすぐに力いっぱい抱きしめてくれる。そして、キスも。琴子が何をしていても……。

「やだ、もう。料理中」

 でも琴子も同じ、いつもあっという間に溶けあってしまう。菜箸を手探りでどこかに置くと、琴子も英児の背中に抱きついて思いきり唇を愛した。そして英児の手も、もう『お馴染み』。ポロシャツの下からするする入って、ランジェリーの下に潜ってあっという間に柔らかく肌に触れてしまう。

 互いの身体から湿った熱を感じる。真夏の汗をかいた身体。そして肌も汗でじっとり湿っている。それでも英児の汗で濡れた黒髪の生え際に琴子はキスをして、そして英児は汗ばむ琴子の肌を撫でている。

 今日も二人で匂いを嗅ぎ合って、それで再会を噛みしめる。窓からざざざと団栗木陰の涼しい風。いつまでも離れず口づけ、熱くなる一方の二人を冷ましてくれているのか、諫めてくれているのか。

「今日は、ラフなんだな」

 言葉を交わしても、二人は互いの唇をついばみながら……。

「うん。お掃除したかったから」

 ――と言うのは実は『建前』。実際は他に目的があったが、まだ英児には言わない。

「つまんないな。いつもの女らしい琴子を楽しみにしているのに。家事用の着替え、この部屋に置いて行けよ」

「そうね、そうする」

 英児の手がじっくり背中を撫でている。でも、その内に肌を撫でて楽しんでいるだけかと思ったら、いつの間にかポロシャツを背中も胸元も半分以上めくりあげていたので琴子はびっくり。

「もうー、やめて」

 そこでやっと琴子から離れ、脱がされるのではないかと思うほどめくられていたシャツの裾を引っ張り下げた。英児ならやりかねない。そこまでしたら琴子の両腕をあげさせて、さらっと脱がして抱きついて、あちこち吸い付いてとか――。絶対にやりかねない。今日まで既に何度かやられていた。

 そんな怒る琴子を見て、英児はニンマリ見下ろして笑っているだけ。もうホントに『この悪ガキ』と言いたくなるこのごろ。

「俺の昼休み、一時半からな」

 悪戯して悪かったとばかりに、耳元にちゅっと英児が口づけを残してくれる。それだけすると、今度は彼のほうから潔く背を向け、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 愛してくれる時は集中的に濃厚にべったりというくらいの彼だけれど、いざ方向を変えると、その気持ちの切り替えも素早い。

 リビングの窓から店先を見下ろすと、揺らめく熱気の中、車の洗車を始めた英児の姿が見えた。その横顔は『滝田店長、滝田社長』。この店を守る男。

 土日で、龍星轟にやってくる車もよく入ってくる。来店してきた顧客にも、気の良い笑顔で出迎える彼も格好良くて、琴子は暫く眺めて微笑んでいた。



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