13.社長さんに、かわいくご挨拶

 ――『社長? 生粋の走り屋。俺と同じ独身、もう夜ブンブンいわして峠道を走るのが大好き』。

 あれって自分のことだったんじゃないのー。なんで教えてくれなかったのー!? でも、琴子もジュニア社長と同じように思った。いちいち自分から『店を持っている経営者』だなんて言わないところが『彼らしい』と思う

 ――『俺、一介の整備士だよ』。

 きっとあの言葉も嘘ではない。彼はつねにその心積もりで、ただたくさんの車を愛しているうちに『店を持つようになり』、それが広がって『会社』になっていたのだろう。

 ――『いやー。やっぱ琴子さんは、かわいい女の子さんなんだな』。

 あの意味がやっとわかった。ジュニア社長が言ったとおり『車に興味がない、女らしくかわいいことが一番の女の子さんにはわからない』という意味だったのだと。

 だが、目の前のジュニア社長がどこかホッとした嬉しそうな笑みを見せていた。

「安心した。あの男なら琴子と交際していると言っても任せられる」

 お兄さん的存在だったジュニア社長にそこまで言わせる男、彼はそういう男になる。それでも琴子はまだ困惑している。

 そして社長が急におかしそうに笑い出した。

「どうかしましたか?」

 煙草を吸って、ひたすら肩を揺らして笑っている。

「いや、昨夜さ。滝田君が俺にさ……、『彼女に惚れているんです。大事にしますから、任せてくれませんか』なーんて、俺に言うの。俺、琴子の家族じゃないのにな。まあ、兄貴みたいな上司だけどさ」

「そ、そんなこと、彼が言ったんですか!?」

 かあっと琴子の身体も頬も一気に熱くなる。上司にそこまで言い切るだなんて!? でも、彼はそういうきっぱりけじめをつける男でもあると琴子は急に納得してしまう。

 昨夜、彼が琴子を迎えに来たあの時点では、まだお互いの気持なんてきちんと確かめ合っていなかったのに。あの時、彼は既に琴子のことを『惚れている』と堂々と言ってくれたなんて。しかも上司に。嬉しいけど、やっぱり彼にはびっくりさせられてしまう。

 ジュニア社長も、やっと落ち着いた笑みで煙草を灰皿に消した。

「ここらで評判の経営者だよ。一匹狼的な生き方をしているかと思えば、中小企業ばかりの地方の特性もきちんと踏まえて人付き合いもできて、なにより困った人間を放っておけない。ヤンキー共が『兄貴、兄貴』と慕って集まるのも、彼の責任感を信じて車を任せたい男達も、彼のそんな人柄に惚れてしまうんだよな。俺もそうだもん。愛車を預けて良かったから、家族の車も全部任せることにしたんだから」

 あの男、いい男。ジュニア社長がそうまとめる。

「確かに、母もそう言っていました。責任感ある働き者。それに転んだ母をすぐに助けてくれたんです」

「だろ。お母さんのお墨付きまであるなら問題ないな。しっかり捕まえておけよ」

 だけど。そこで社長が、龍星轟のロゴマークを見つめながらふと呟いた。

「でもな。これほどの男が独身のまま。ちょっとそこは気になるな。忘れられない女がいたのか、女より車なのか。『結婚』に踏み切れないなにかがありそうだな」

 ドキリとさせられた。そして、社長もつい言ってしまったといわんばかりに慌てて琴子を見た。

「いやいや。でも、あの男がはっきりと琴子に惚れていると言い切ったんだから。あ、だから琴子も安心していないでちゃんと怖じ気づかずに頑張れよってこと」

「ご心配ありがとうございます。大丈夫です!」

 もう、異性関係丸見えにされちゃって恥ずかしいから琴子もムキになって照れを隠した。

 しかし、琴子も社長同様、昨夜から少し気にしていた。特に『誰かを一生懸命愛していたのだろう』と感じてしまった女の勘。

 忘れられない女性がいるのか。でも、あんなにきっちりしている彼がそんな後ろめたい愛し方するとは思えない。車好きが高じて結婚できないの方がしっくりする?

 だが。琴子自身もひとつ、はっきり言えることを胸に秘めている。

 もう結婚するとかしないとか。今はそんなことどうでもいい。今はとにかく、彼とどこまでも一緒にいて深く愛し合いたい。それだけでいい。

 だって。もう彼をとっても『愛しているんだもの』。きっと結婚しなくても愛していける。そんな気がするほど。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 でも、やっぱり許せない。今まで言い出せるチャンスはいっぱいあったと思う。

 かわいい女の子さんですって? しかし琴子自身も広告とかワッペンとか車のステッカーとか、気付くチャンスはいっぱいあったはずだった。

 一日中、琴子はこれまでの英児の言動を思い出しては、彼が密かに琴子の反応を見て楽しんでいたかと思うと腹が立ってきてしまう。

 それに昨夜も。『琴子はかわいいな。しっかり者のくせに……』。あれもきっと『しっかり者のくせに、時々なんにも知らない女の子』とからかっていたんだとわかると、今度は妙に気恥ずかしくてまた頬が熱くなってしまう。……でも。その時の、わざわざ車を路肩に止めてまでしてくれたあの熱いキス。彼のどこか嬉しそうで安心したような優しい眼差しとか、その時の慈しんでくれる唇とか……。

 あーんダメダメ。もう許しちゃっている。

 身体も頬も熱くなるばかり。朝はあんなに眠かったのに。彼の正体を聞いてから、また興奮して目が冴えて、脳がハイになっているのが自分でもわかっていた。

 

 その状態で今宵も残業を終え、琴子は会社を出る。

 ジュニア社長がこれまた帰りにニンマリ『滝田君が待っているんだろ。俺も送りオオカミ卒業かー』なんて冗談を言い放って帰っていった。

 そのとおりであって、琴子の携帯メッセージには夜の八時ごろには既に【九時ごろ、会社前の道で待っている】というメッセージが入っていた。

 事務所と印刷会社横の暗い道を歩いていると、まだ稼働している印刷所の灯りを避けた曲がり角、外灯の下に黒いスカイラインが停まっているのをみつけた。そこへと向かう。

 黒い車のトランクを見て、琴子は改めてため息をつく。本当だ。あのロゴマークのシールが丸形、デザイン違い長方形型の二種類、貼ってある。派手好きな元ヤンの趣味かと思っていたのに。彼にとってはトレードマークだったなんて。

 運転席を覗くと、くわえ煙草の彼が外灯の光を頼りに何かの帳面を眺めている。琴子のノックに気がつき、慌ててそれを閉じた。ああ、お店の帳簿なのかもと思ったりする。運転席のウィンドウが開いた。

「おかえり。乗って」

 促され、琴子も助手席に向かう。

 シートベルトをして落ち着くと、彼がじっと琴子を見つめていた。ハンドルを落ちつきなくさすって何か言いにくそうな顔をしている。

「あー、えっと。あのさ。三好ジュニアさん、昨夜のこと、なんか言っていた?」

 ジュニア社長から自分の素性を知らされたかもしれないと覚悟してきたのだろうか。いつもの琴子なら素直に『聞いたわよ』と返したいところだったがそうは返さない。

「なんにも。プライベートのことは薄々わかっても聞いてこないし、触れてもこないわよ。職場だもの」

 平然と返してみる。すると彼が何故かホッとした顔になる。琴子は眉をひそめた。何故、自分が社長だってばれなければ安心するような顔をするのだろうかと。今だって本当は言い出せるチャンスだったのに。何故そこまで隠すのだろうかと。

「そっかー。あっはは」

 あっけらかんと笑い飛ばしたりして『いつまで隠すつもりなのか』と、逆に琴子の中に若干の不信感が芽生えてしまう。

 車が走り出し、しばらくしてから今度は琴子からカマかけてみる。

「英児さんのお勤め先に行く時、どんな服を着ていこうかな。英児さんのところの社長さん、本当に怒らないの」

「大丈夫だって」

 でしょうねえと琴子は上機嫌で運転している彼に、呆れた目線を密かに向ける。

「社長さんも英児さんぐらいのお兄さんなのよね。英児さんのような人なのかしら」

「かもなー」

「社長さんは、どんな匂いがする男性なのかしら。やっぱり英児さんに似た匂い?」

「はあ。琴子は俺の匂いだけ嗅いでいればいいんだよ」

「だって。きっと英児さんと同じ匂いがすると思うの。社長という男の人の匂いも気になる。なんか急に男の人の匂いが気になっちゃって」

 むっとした顔で、彼が黙り込んだ。けっこう分かり易いんだなあと、琴子は笑いたいけど素知らぬ顔をなんとか保つ。

「女の子って、社長とかが好きなんだな」

「そうねー。経済力あって、責任感もあって、魅力的だけど」

 ますます彼が不機嫌な顔で無言になっていく。怒ると怖いことは知っているから、琴子もどこかでやめなくちゃと思うけれど、彼もなかなか強情で『どうしてそこまで黙るのか』を教えてくれるるまでは引くもんかと琴子も意地になってしまう。

 英児から口を開いた。

「経営ってさ、融資してもらって、金回してなんぼなんだよ。借金ない会社なんてないんだからな。それが経営ってもんで……」

「大変ね。英児さんのお店の社長さん。私、別に社長さんの経済力なんて興味ないけど」

 彼がはっと我に返った顔。自分のことをいつの間にか語っていたと気がついたのだろう。琴子はひっそりほくそ笑んでしまう。

 郊外にある琴子の自宅に向かうのだが、英児が遠回りをして走っている。その家に向かう途中の河原沿いの暗い道を走り始めたところで、また彼が路肩に車を止めてしまった。

 暗い河川敷で、スカイラインのライトを消してしまうと真っ暗になる。もう蛍も見えない、いない。でもそっと川のせせらぎが聞こえてくる。

 そんな静かな空気の中、彼が思い詰めた顔で暫く黙っている。『言おうか、言うまいか』思いあぐねているのか、また落ち着きなくハンドルを撫でている。

「私、やっぱり。社長さんに『かわいくご挨拶』するね」

「あれ、冗談だから」

 この前は琴子が知らないのをいいことに、それを楽しんでふざけていたのに。今度は真顔で拒否ししている。琴子の心が、彼が造り上げた架空の社長さんに移らないか案じている?

「だから。社長にかわいい挨拶なんていらねーから」

 もう。自分で仕掛けておいて、琴子が願ったとおりに『かわいくする』といったらそんな追いつめられた顔をしている

 そんな彼を見て、琴子はそっと微笑んでしまう。ほんとう憎めない人。じゃあ、これで最後の仕返しと意地悪。

「私、かわいく言うからね。『私、英児さんに惚れているんです。大事にしますから、任せて頂けませんか』て――」

 唖然とした英児の顔。そしてばつが悪そうに黒髪をかいて、琴子から目を逸らしてしまった。琴子の挨拶の言葉は、彼が三好ジュニア社長に挨拶した言葉そのままだったことに気がついたようだった。

「やっぱ、三好さんから聞いているじゃねーかよ」

「どうして黙っていたの。英児さんが社長さんじゃない」

「俺、車しか興味ねーから」

「社長という肩書きで、私が見る目を変えると思ったの?」

「社長、社長って。金を持っていると見られたり、借金があるって見られたり。俺は琴子には車好きの俺を見てもらいたかったんだ。俺、本当に整備士のつもりで店やっているから。店を一生懸命やっていたらいつの間にかそうなっていたんだよ」

「うん。英児さんなら、きっとそうだろうと……、うちの社長から英児さんのことを聞いて、私もすぐにそう思ったわよ。車が好きでいつのまにか社長になっていたのねて」

 『本当かよ』と、彼がやっと琴子の目を見た。

「本当よ。『社長さん』、もう一度、ご挨拶するね。『私、英児さんに惚れているんです。大事にしますから、まかせ、』……」

「琴子!」

 最後まで言わないうちに、運転席から彼が凄い勢いで琴子に飛びついてきた。またすぐにキスをされるのかと思ったから思わず目をつむってしまったのに。

『きゃっ』。琴子の身体はがくんとシートを倒されひっくり返っていた。その上にまた容赦なく英児が覆い被さっている。

「やっぱオマエ、思った通りの女だった」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って、待ってっ」

 すっごく手早いってことのこと? 狭い助手席で倒され覆い被され、抵抗できないのをいいことに、英児の手があっという間に琴子が着ているカットソーをめくり上げていた。しかももう彼の手は琴子のランジェリーの下に滑り込んで、きゅっと片胸の感触を楽しんでいる。

「だめ……ここじゃ」

 静かで暗い河原道。どんなに交通量が少なくても、時々通る車に変な風に思われるのは……。違う。彼に触れられたら、自分でも堪えきれなくなってしまうからが正しいと琴子は思い改める。

「昨夜、眠れていないだろ」

 優しくゆっくり彼の手が琴子の肌を撫でる。琴子もこっくりと頷いた。

「俺も。日中もハイだった」

「私も」

 被さる彼が、あの目尻のしわを優しく滲ませる笑みを見せてくれる。

「今夜もそうしたいけど。琴子の目、すごく疲れているな。今夜はぐっすり眠ろう」

「うん……、そうする」

 今度は琴子から彼の黒髪を撫でた。それだけで、彼がとても狂おしい顔とするから、琴子も切なくなってしまう。

 今宵も互いに寄せた唇が深く交わった。

 琴子の唇を吸いながら、英児が囁く。

「俺の店、俺の自宅でもあるんだ。だから、今度、俺の部屋で……じっくりゆっくり……」

 『店に来い』と誘ってくれた訳をやっと知る。

 それでも英児の手が、どこまでも琴子の肌を惜しそうにして離してくれず。

 琴子もそのまま流されてしまいそうなほど彼の背中にしがみついてしまい、素直に帰るには少し時間がかかってしまった。

 


 

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