7.かわいい女の子さんなんだな

 あまりにも都合の良い話が続けば、逆に疑ってかかるもの。

 誰もがそうなのか、琴子だけなのかわからないけど。少なくとも琴子はそう。

 嫌いじゃない。むしろ好感度急上昇中。だから困っている。

 暗がりの部屋、窓際においている小さなソファーに寝そべって、琴子は今宵の月を見上げて悶々としている。


 母は『騙されても良い』なんて言っているけど、あの母はいつも猪突猛進タイプでぶつかって失敗して落ち込んで立ち直る、そんな人だから今はぶつかっている最中で周りが見えなくなっている状態といっても良い。こんな時、父がいたら『やめておけ』と言うに違いない。


 お父さんがいなくなったから、私がしっかりしなくちゃ。そう思うこともよくあった。それでも流石の母も自分が倒れて、身体が言うことをきかなくなったらものすごく大人しくなってしまったのだけれど。蛍の夜から、なにかが吹っ切れて『元のイノシシ母ちゃん全開』になってきたりして……。


 やっぱり。ここは私が警戒しておかないと。

 琴子も浮つきそうな心に言い聞かせる。


 財産を乗っ取ることを考えている人が『財産を乗っ取られたらどうするんですか』なんて自分から言わない――。母と一緒にあの時はそう思った。でも『詐欺師』なら、わざとそう言って逆に安心させるのかも?


 小さな家しか財産はないといっても、これを担保にしたらある程度のまとまったお金は用意できるかも。何かの手口で『お金がいるんだ』なんて困ったことを相談されて、用意しちゃう。いかにも詐欺師的パターンだって考えられる。


 名刺だって。それだけ人から集めただけかも知れない。仕事関係なのか、どのようにして集めたのか確かじゃない。


 疑い始めたら、きりがない。


 でも――。

 薄く透けている青み帯びた雲が月を隠した。

 でも。琴子もそんな人じゃないと思いたい。全てが彼の誠意に見えている。信じたい。

 疑っているのは『今までの自分』。彼を信じているのは『彼に出会った自分』。




 ―◆・◆・◆・◆・◆―




 彼と母のほうが割り切りも要領も良いので、庭の手入れの話は直ぐにまとまった。


 彼と母がファックスのやりとりまでするようになり、琴子が早く帰れる日の夕に、わざわざ彼が業者を連れてきてくれ、日程も決まった。


 もう梅雨明けも間近の晴天の土曜日。彼が知り合いの業者と一緒に、また大内家へやってきた。


「よろしくお願い致します」


 母と共に、先日初めて顔合わせを済ませた植木職人に挨拶をする。


「タキさんからの依頼だから、任せてください」


 『タキさん』。植木職人の彼はそう呼ぶ。高校生時代の後輩ということだった。

 じゃあ、彼も元ヤンキー? 琴子はすぐそう思ってしまう。でも。うん、確かに。植木職人の彼もそれっぽい風貌……かも? 琴子がそう思ってしまったのは『靴下』。植木職人の彼が、紫の靴下を履いているのを確認。それはもうひとりの元ヤンさんも同様。

「頼んだぞ、篠原」

「うっす、やるっすよタキさん」

 後輩に声をかけるお兄さんの足下も見事に『紫』。

 この前は赤だった、と琴子は思い出す。あまりにも二人とも『らしく』て、如何にも元ヤン男子軍団。

「あれ、琴子さん。なに笑っているの」

 琴子は首を振って誤魔化す。今はさらさらの黒髪でも、靴下は嘘つかないんですね――なんて言えなくて。

「さて。俺は草引きでもするな」

「私もやります」

 彼はいつもの半袖シャツにジーンズ。琴子もタンクトップに長袖綿シャツ、そしてジーンズ。日焼けよけの帽子にロングアーム手袋という完全防備。それを見た彼が笑う。

「女の子って大変だな」

 自分がかぶっている帽子の大きなひさしに彼が隠れてしまったので、ちょっとだけ見上げて彼の顔を確かめる。そんな彼はもう日に焼けて浅黒い。

「滝田さんは、外でお仕事をしているの」

「車庫で整備しているけど。まあ外みたいなもんだよ。整備で仕上がった車を外で洗車したりワックスがけをして引き渡すから夏はどうしても焼けるな」

 本当に車屋さんなんだろうと、思う。

「滝田さんがお勤めの車屋さんは、どこにあるの」

「え、ああ。こことは反対の郊外、空港の近く」

 ――会社の名前、なんていうの。喉元まで出かかって琴子は咄嗟にやめる。こんな詮索、厭らしい。そう思ったから出そうになった言葉を飲み込んだ。彼から話してくれるまで、待っているべきなのではないか。『信じてるなら』。それでも不安が収まらない琴子はつい。

「その車屋さんの社長さんはどんな方なんですか? やっぱり滝田さんと一緒で走り屋さんなの?」

 その問いに、彼が意外なことに出くわしたように目を見張った。琴子をじいっと凝視している。

「え。私、なにか変なこと聞きました?」

 下心を見透かされたのかと思い、琴子はどっきり固まった。

「いや、なにも。あー、そうだなあ。なんていうか……琴子さんはやっぱり女の子なんだなあと思っただけ」

「え、え。どういうことなの?」

 社長さんのことを尋ねて、『その質問、女の子だね』てどういうこと? わけわからない?

 だけど彼が笑い出してしまう。

「あはは。うちの店の社長だろ。うん、生粋の走り屋。俺と同じ独身、もう夜ブンブンいわして峠道を走るのが大好き」

「イメージ通り。車屋さんは車が好きじゃないと駄目なのね」

 でも、彼がもう笑って笑ってどうしようもなくなる。琴子はますます首を傾げた。なんでそんなに可笑しい話だった?

「いやー。やっぱ、琴子さんは、かわいい女の子さんなんだな」

 今度は琴子がぎょっとする。え、なに。いきなり『かわいい』て!? 『女の子さん』てどういう意図で言っているの? 意識しているだけにかあっと顔が熱くなってしまった。

「は、早くしましょう。お昼になっちゃう」

 ぎこちなく庭の片隅へと急いだ。彼も直ぐに真剣になって地面へとしゃがみ込む。

 作業を始めた彼も帽子を被る。車好きらしくF1レーサーが被っているようなキャップ帽。軍手をして、浅黒く焼けた手には小振りの三角鎌。それで地面をひっかきながら雑草を根こそぎにする。やっぱり手慣れていると思った。


 あまり庭の手入れをしたことがない琴子も同じ道具で頑張ってみるのだが、彼のように器用には出来ず、そして早くもない。梅雨明けが近い直射日光はじりじりとし、必死になっている分だけ汗を滲ませる。

 気がつくと、彼は庭半分向こうに行ってしまった。琴子は追い越されたところ、彼が琴子用に残したスペースをのろのろと片づけているだけ。


 庭木には脚立を登って高い木も丁寧に剪定してくれる篠原さん。彼もシャキシャキと枝を切り落とし進んでいるというのに。

 ちょっと情けなくなって、手際がよい彼をじっと見つめてしまっていた。

「琴子さん」

 彼が止まっている琴子に気がつく。出来ない女、『さぼっていないで、しっかりやれよ』と、何か小言でも言われるのかと構えた。

「充分だよ。俺とシノは、外で仕事すること慣れているからいいけど。琴子さんは室内のオフィスで長時間働けても、外は無理だって。中に入ってお母さんと休んでいいたらいい」

「そうっすよ。今日の日射し、完全に真夏日。熱中症とか馬鹿に出来ないんですよ。外で働く俺達がそう思うから。ねえ、タキさん」

 篠原さんまで――。

「そうだ。シノはお母さんに依頼されて仕事でやっているんだから当然だし、俺の場合は俺から『手伝う』と勝手に言い出したんだから。依頼主はなにもしなくていいんだよ」

 確かに、お金を払って依頼したからビジネスとしてはそうだろうけど。でも、言い方がとても優しい。この人達、ほんと優しすぎる……。陽射しの中、帽子のひさしの中へと、琴子はうなだれてしまう。

「いいえ。あと少しでお昼だから。うん、無理と思ったら止めるから大丈夫」

 やろうと決めた以上、彼らの優しさにこれ以上甘えて投げ出したくなかった。かといって、倒れたりして迷惑もかけたくないから、手元を懸命に動かし早くこの熱気から逃れようと働く。

 そうして目の前の雑草たちに集中していると、片腕が少し熱く感じた。

「無理しなくても」

 彼が隣に来てくれていた。彼の体温が肌に伝わる――。でも南側、日射しが琴子に当たらないようぴったりと日陰になるよう。すぐにわかった。彼のさりげない気遣いだって……。そのせいか、顔のあたりが少しだけヒンヤリしてきた。

「ちょっとしか出来なくて情けない。滝田さんがほとんどしてくれているし」

「琴子さんって、疲れていても疲れていないと言ってしまう頑張り屋なんだろうな。だからあのときも『徹夜明け』。真面目だから投げ出さない。堅実なんだ。お父さんの雰囲気、お母さんの雰囲気、この家を見ただけでわかるよ」

 そんなこと、琴子は初めて言われた。でも当たっているだろうし、たぶん、そう見られている。それでも琴子自身のことを、しっかりと語ってくれた人は初めてだと思った。

「ただ。両親に教えられるまま生きてきただけです。そうしていれば、『皆と同じように、同じ道で同じ事が起きて普通に生きていける』。当たり前だと決めつけていたんだと……最近はつくづく思うの」

 地面から削いだ雑草を彼に負けないよう急いでかき集める。そして彼も手を休めない。もう彼の軍手は真っ黒だった。

「俺やシノのように、馬鹿みたいにひねくれた時期なんてなかっただろう」

「そうね……」

 でも、違った。ある時から少しずつ……。

「でもね。待っているだけの自分だから三十歳過ぎちゃったのかなあとも思っているの。真面目に生きていれば黙っていてもちゃんと普通どおりに生きていけるって」

 でも、違った。真面目にさえ生きていれば――きちんと手に入れられるものが手に入る、適齢期に起きることが起きる。たったそれだけを信じて『待つばかりのスタンス』、馬鹿だったなと琴子は思う。真面目に生きてきたのに、どうして私はまだ結婚していないんだろうとか、真っ直ぐに生きてきたのに、どうして三十になった途端、父と母が倒れたんだろうとか。思わぬ出来事に振り回されているうちに、恐れている三十歳なんていつのまにか超えていた。落ち着いて気がついたら三十二歳。仕事と家を行き来するだけ、最後の頼みだった彼氏には避けられて破局。見合い話だって……。

 だけれど、琴子も母と同様。ちょっと違う考え方が芽生えてきていた。

 目の前の鎌を懸命に動かす、動かす。

「私ね、大人になるってこうしてお庭の手入れがちゃんと出来ることだと思うのよ」

「なにそれ」

 琴子が削いだ雑草を、今度は彼がまとめてゴミ袋に放り込んでいくコンビネーションがいつのまにかできあがっている。

「お洒落な大人とか、仕事が出来る大人とか。男性に愛される女性になるとか……。それもすごい素敵なことかも知れないけど、基盤はやっぱり『家を守れること』だと思うのよ。父が死んで母と二人になってつくづく思っている」

 そしてついこの間まで、そこから母と一緒に目を逸らしてきた。だからこの庭が荒れていた。

「自分の身の回りをきちんと綺麗に出来る、快適に暮らせる。生活が出来る。それが出来てからお洒落で、仕事に打ち込んで……だと思う……」

「うん、そうかもしれない」

 日射しの中、立ち上がっても彼は決して琴子に日射しを当てまいと影になってくれている。

 彼のティシャツも既にしっとり濡れていて、肌に貼り付いているのがわかる。首元も額も大粒の汗。長めの前髪もべっとり濡れて額に貼り付いている。それを軍手で拭うから、顔中に土。汗びっしょりの男の人、汚れていて。そんな姿で彼は琴子の側にいるけれど、全然嫌じゃない。会った時の男っぽい嗅覚にも驚かされたけど、彼ってどこか野性的。今日の彼も、とっても逞しくて頼もしい。

 そんな彼に見とれていると、彼が雑草を掃除しながら急にニコリと琴子に微笑みかけてきたから、どっきり……。

「安心したよ、俺」

 『なにが?』と、琴子は焦る気持ちを誤魔化すために、自分も軍手で顎の汗を拭った。

「ついこの間まではさ、お父さんがいなくなった悲しみから抜け出せていなかっただけだよ。俺らの周りでも片親になったやつら結構いるよ。三十過ぎると少しずつその境遇を食らうやつらがちょこちょこ出てくるんだよな。琴子さんもちょっと早かったな。そいつらが言うんだよ。肉親を亡くすと『三年は駄目だ』って」

「三年……」

 そろそろその三年が来ようとしているのは確かだった。

「それまではなにもしなくていいんだって、俺達は言い合う。いくつもそういう知り合い見てきたんだ。庭の世話していた主がいなくなった家は外観も荒れるよ。庭も荒れている。俺、琴子さんのこの家を見た時『一緒だ』って思ったわ。シノにもそれ話した。あいつも二十代で母親なくしてるからさ」

「そう……でしたか」

 最後に酔芙蓉の枝を切っている篠原さんの植木職人姿を遠く見る。

「すぐにわかるんだって。主が亡くなって活気が無くなった庭だとか、何か事情があって庭まで気配りが出来なくなった家とかはあっという間に庭の相が変わるらしい。それはそれで仕方がないその家の歩みの途中、荒れる時期もあっておかしくないとシノは言うね。その時期が過ぎ去って、庭が再び生き返るのがまた嬉しいんだってさ。だから、今回も直ぐに引き受けてくれたよ」

 『そうだったんだ』、琴子は立ち上がりまた汗を拭う。篠原さん、自分とたぶん同世代。自分だけかと思っていた……。

「庭の手入れを始められたということは、琴子さんとお母さんがお父さんの死を受け入れて、前へ歩き出して、お父さんが残した家を今まで通りにして生きていこうと思えるようになったんだよ。だから、安心した」

「私の周りに同じような境遇の人がいなくて……。私一人だけみたいな気持になっていたけど。私、やっぱり甘ったれなのね」

 また泣きそうになったが。でも今の琴子は直ぐに微笑みに変えられる。目の前で汗だくの彼も笑ってくれていた。

「誰だってそんなもんだろ。気にすんなよ。わかってくれない人もいっぱいいるかもしれないけどさ。誰もが通る道、我が身になってわかってくれる時も来るよ」

 うん、と琴子も笑顔で応えられる。

「あの、本当にありがとう」

「もうさ、それ、ヤメねー?」

 また不満そうな顔。怒っているような顔をする。でもだんだん琴子も慣れてきた。これもきっと彼にとっては『普段にみせる真剣な顔』なんだって。

「俺もシノも、家族亡くして乗り越えようとしている知り合いの家を何度か手伝ってきただけだから。同じように気になっただけだって」

 また。特別じゃない。いつもやってきたことだって彼は言う。でもそれって……。

「滝田さんも篠原さんも、友人を大切にしてきたんですね」

「ふつーじゃねーの、それって」

 貴方達にはね。その普通がなかなか手に入らないこと多いと琴子は思っているけど、彼らには『普通で当たり前』だなんて羨ましい。つっぱっても仲間は大切――という彼ら独特の精神なのだろうかと思ってしまった。

 庭、あと半分。まだ少しかかりそうだが、彼と並んで黙々と草引きに庭掃除に勤しむ。


 しばらくすると、母が縁側に出てきた。


「ねえ、ねえ。ちょっと早めにお昼ご飯作っちゃったのよ~。暑いし、少し早いけど休憩したらどうかしら」

 彼が笑顔で立ち上がる。

「いや、お母さん。グッドタイミング。今日は昼までは頑張れそうになかったんで。早めに休んで午後早く片づけます」

 頑張れないなんて、嘘。汗びっしょりでも彼の集中力も動きもまったく衰えてなかった。意地だけで頑張りそうな琴子が頑張りすぎないよう、彼が先へ先へと片づけてしまうのもわかっていた。タフそうな顔して、そんな『昼まで無理』なんて疲れた顔――。嘘つき、全部、琴子を休ませようとしている彼の優しさ。

「あらあら、汗びっしょり。これ冷たいおしぼり使ってね」

 お兄さんも、脚立から降りてきた篠原さんも嬉しそうにおしぼりで顔を拭い、首を拭く。オヤジくさいとかよく敬遠される仕草なんだろうけど、今日の彼らはすっごく『男らしい』と思う。

「あ、お母さん。このホース使ってもいいですか」

「いいわよ」

 しかも庭用のホースを手に取ったかと思ったら――。そこから出てくる水を頭からかけている!

「はー、これが一番きくな!」

「いいなー、タキさんっ。お母さん、俺も借りて良いですか!」

 母もちょっとビックリしながらも、もう笑っている。

「いいわよ、いいわよ。バスタオル持ってくるわね。ほんと、男の子って豪快ねー、いいわー」

 そのうえ、二人でホースで水の掛け合いまでしてふざけ始めたりして!

「うっわ。兄貴、ひでーー」

「どーせ、直ぐに乾くんだろ」

「くっそ。俺だって」

「うわ、馬鹿。やめろよ!」

 ノリが……高校生みたい。いい大人になったはずの男二人が――と琴子は思ったのだが、やっぱり笑っちゃう。

 そして琴子も思った。

 ――私も、騙されても良い。

 ううん、違う。『彼には騙せない』。彼は嘘をつかないって自信がある。

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