147話 『魔王対策はセクハラ技に限る』

「主従か……」


 泥人形は、まさに人形そのものな無表情となり、桜の言葉を復唱した。

 桜がしゅ、自分がじゅう

 それは泥人形にとって好ましくない事実……だった。昨日までは。



 遥か昔、別の宇宙で一人の少女に憑りついた時に学んだ――憑りつくという表現は間違えているのかもしれないが、それは今どうでも良い。

 泥人形は、少女が死ぬまでから出られなかった。

 あくまでも宿り主の『力』としての存在でしかいられなかったのだ。


 少女が主。泥人形が従。

 桜の言葉はまさに、当時の泥人形の考えと同じものである。


 どうして『従』でしかいられなかったのか。その理由は単純だ。

 あの少女とは、相性が悪かったのである。

 とは言っても、泥人形が憑りつけるだけの適合性はあった。だが充分では無かった。


 比べて桜は完璧だ。

 まるで最初から泥人形の『力』の器として存在しているような。奇跡とも言える抜群の相性。


 その奇跡に加えて、地球に来てからの泥人形は主従関係を覆すため慎重に事を運んでいた。

 桜が母親の胎内にいた頃から、徐々に徐々に力に慣れさせる。桜の肉体、思考、思想、趣向、家族、友人、住む環境。全てをくまなく観察し、タイミングを計り続ける。

 そうして昨日、ようやくそのタイミングが訪れた。


 乗っ取り工作はほぼ成功しつつある。

 実際、桜の体はもうほとんど泥人形のものとなっている。



「……と、思ってたのにね」



 泥人形は無表情なまま、心の中で残念がる。


 桜はいつの間にか『主従関係』の法則を理解している。

 誰に教えられた訳でも無く、天性の勘で気付いている。

 泥人形の存在を今日知ったばかりなのに、全て察している。

 要は旗の取り合いであることを悟っている。


 この悟りは――


「まず~い。って顔してるわね」


 桜は泥人形の内面を見透かし、ふざけて煽るように言った。

 ただし泥人形の顔は、ピクリとも動いていないのだが。


「僕は今そんな顔してたかな? 何も表情を作って・・・いないはずだけど」

「そうね。能面みたい。でも焦りってのは雰囲気で分かるものよ。あんたみたいな泥のオバケでもね」

「オバケか。なるほど言い得て妙だね。僕は確かにオバケのような……」


 などと、軽口を叩こうとすると、



「どりゃあああああああああああッッッッ!」



 再度、桜の拳が飛ぶ。

 だが泥人形も、同じ不意打ちを二度喰らいはしない。


「乱暴だね」


 と言って、難無く避けた。

 が、


「うりゃあああああ! すりゃああああああ! ぶっころ!」


 桜の追撃。それを避けてもまた次の追撃。更に追撃。


 泥人形が一歩下がり避けると、桜は一歩前に進んで殴りかかり、音速を越える拳が鳴る。

 泥人形が飛び跳ねて避けると、桜も跳ねて蹴りを放ち空を斬り、巨大な空気の鎌が飛ぶ。

 泥人形が屈んで避けると、桜は上空から追撃し地面を抉る。

 ここは桜自身の精神内なので、地面を傷つけて大丈夫なのかどうかは疑問だが、ひとまず気にせず地割れを起こす。


「避け! んな! ってば! もう! ムカ! つく! わね!」


 と、叫びながら何度も殴り付けるが、


「ふふっ、避けないと危ないじゃないか」


 泥人形は余裕でささっと避ける。

 その二人の動作が何度も続いた。


「何で当たんないのよ! おりゃあ!」

「やれやれ。落ち着きなよ桜」


 攻防の中、泥人形は冷静に考えていた。

 桜が主従関係の法則に気付いたとしても、やはりまだ自分の方が圧倒的に有利だ。


 確かに桜は強い。

 同じ力を使っているのに、単純な破壊力だけなら泥人形以上の出力を誇っている。

 目を見張る才能であると、改めて実感した。


 もう一度桜の攻撃を喰らってしまうと、おそらく泥人形は負けてしまうだろう。そうして再び意識の牢獄に閉じ込められる。もしくは、消滅する。

 しかし、当たらなければ問題無い。

 桜の格闘術は祖父と母から学んだもの。その学習過程を泥人形は全て見ていた。攻撃パターンは分かっているのだ。


「総合的にまだ、僕の方が有利みたいだね」

「はぁ? 有利なら避けんな!」


 と叫ぶ桜のかかと落としを、泥人形は横に飛び跳ね避ける。


「桜は今の僕にとって、二番目に大切な人だけど……でも邪魔をするなら」


 泥人形は着地するなり、右手を上げ指を鳴らした。

 すると頭上に、ホログラムのように絵が浮かび上がる。

 丸や四角、婉曲した線。何やら幾何学的な模様の集合。

 

「寂しいけれど、桜の人格には消えて貰わないとね」


 模様が光る。

 これは大魔王が考案した『統括魔力の四元素(地水火風)への同時複合変換、および破裂消滅』理論を応用し作った魔術方程式の図。

 四元素ではなく、桜の精神を燃料として破裂エネルギーを作るように調整してある。つまりピンポイントで桜の人格だけを消し去ってしまう、泥人形にとってこの上なく都合良い魔法だ。


 桜はこの魔法を知らないのだが、


「なんかヤバそう!」


 という事だけは分かった。

 慌てて避けようとするが、しかしこの魔法は対象に直接触れずとも発動出来、更に発動までのタイムラグがほとんどない。

 簡単に言えば、避けられない。

 有無を言わさず、桜の全身が熱くなる。


っ」


 と感じると同時に、桜はすぐさま念動力サイコキネシスを発動した。


 魔術理論など関係ない。

 桜が桜たる由縁。それは美貌でも知性でも無く――道理をねじ曲げ、無理矢理にでも自分の思い通りにする信念と自信と行動力である。



「みゃああああっっっ!」



 と叫び、桜が泥人形の魔法をかき消した。

 どうして奇声を上げたのかというと、


「痛い! いったい! ホントに痛っいい! もー!」


 凄く痛かったから、呂律が上手く回らなかったためである。

 超能力に目覚めて以来、久々に感じる痛み。

 しかしとにかく桜は無事だ。


「……そんな力技で、この高等な魔術を打ち消せるものなんだね。僕も知らなかったよ」


 泥人形は感心したような呆れたような口調で言った。


「でもさすが桜。まさかこの魔法を防御するなんて、まったく人間離れした格闘センスだよ」

「うっさい! ばーぁか!」


 痛みのお返しだと言わんばかりに、桜が懲りずにまた殴り掛かる。

 しかしやはり泥人形には当たらなかった。


「あーもう! あーもう!」

「忠告しようか桜。無駄に殴ったり蹴ったりしてるせいで、どんどん魂を消耗しているよ」

「おだまり!」


 と強がってはみるが、確かに泥人形の言う通りだ。

 桜は少し反省し大きく息を吸い、一旦怒りを鎮めようと努めた。


「……あの泥マン。タコどもとは違って簡単にはボコれないようね……もう一発当てさえすれば、ぶっ壊せそうなのになあ…………うん? タコ?」


 たまには独り言を口にしてみるものだ。

 桜の脳裏に、ふと良さげなアイデアが浮かんだ。


 これはイケる……かどうか分かんないけど、やってみる価値はあるかも。


 と考え、桜はさっそく行動に移す。


「ふふーん! 心眼流亜系真奥派・奥義!」

「おや、まだやるのかい」


 奥義という言葉を聞き、泥人形は再び避けに徹するため身構えた。

 そして桜は、


脱兎だっとレコーダーの陣!」


 そう叫び、回れ右して走り出した。

 豊かな胸を大きく揺らし、あっという間に去って行く。

 ちなみにこれは流派に伝わる奥義でもなんでも無く、桜が今考えた技と技名である。なので泥人形の記憶にも無い新技。

 というか、ただ逃げただけ。


「…………?」


 泥人形は桜の行動が理解出来ず、戸惑った。

 先程まであんなに好戦的だったのに突然逃走する訳がない。それもプライドが高い桜なら尚更だ。

 そんな固定観念があるため「逃げた」という考えさえも浮かばず、逆にますます身構えてしまう。


「…………もしかして、逃げたのかい? 今更?」


 と状況を理解するまで、『避ける事に神経を集中』したまま、ゆうに五秒も経過してしまった。



 そんな泥人形の隙は、まさに桜の思うであった。

 たった五秒。しかしへ干渉するには充分。




 ◇




「テル……ちゃ……」


 オープンテラスのテーブル。

 微動だにしなかった桜が、突然かすれた声を出した。


「姉さん!?」


 姉の呟きに、テルミは慌てて耳を傾ける。

 今の声は泥人形か、それとも桜本人か。後者だ。何となくそう感じた。

 莉羅も兄と同じ考えで、桜の口を注視する。


 無事でしたか、無事だったわよ、などと言う社交辞令な台詞は無しで、桜は急いで本題を語る。

 泥人形が『外との会話』に気付くまでの短い時間しか無いのだから、簡潔に要点を述べねばならぬ。


「……寝蛸起壺陰明ねたこおきつぼいんめい……」

「え?」


 奇妙な文字の羅列を聞き、テルミはつい首を傾げた。

 だが桜には詳しく説明する時間が無い。


「……お姉様にチューして……ベロいれて……おっぱいとか揉みなさい……これは命令よ」

「……は?」


 卑猥な台詞にもう一度首を傾げるが、再び桜は何も喋らなくなってしまった。


「寝起きダコ……いや、ええと……どこかで聞いたような……」


 テルミは目を閉じ、必死に記憶をたどる。

 幸いあまり苦悩せずに、すぐに思い出すことが出来た。


「心眼流奥義、寝蛸起壺陰明ねたこおきつぼいんめいの型――ああ、ありましたね……そういうのも……」


 それはテルミ達の実家道場に伝わる、武術奥義の名前である。

 母と姉が得意とする技。

 数週間前に桜が、テルミ相手に直々に実演した。


「なる、ほど……ね」


 莉羅も思い出し頷いた。

 

「確かに、あの奥義を……使え、ば……ねーちゃんの、やる気と……生命エネルギーを……大幅強化、して……泥人形に、打ち勝てる……かも……ね」


 泥人形の完全無表情ほどではないが、感情表現に乏しい莉羅。

 そんな莉羅が、非常に『嫌そうな顔』でそう説明した。


「……やるしか、ない……かも……ね……にーちゃん、が……ねーちゃん……に」

「こ、こんな、人が大勢いる場所でですか? 血の繋がった姉弟同士で」

「……人は、見てるけど……姉弟って、ことは……他人には、分からないから……ね」


 心眼流奥義、寝蛸起壺陰明ねたこおきつぼいんめいの型。

 押し倒して耳に息を吹きかけたり、体中を撫でたり舐めたり吸ったり揉んだりし、相手を脱力させる秘伝。

 簡単に言えばセクハラ攻撃である。

 訴えられたら確実に負けてしまう、リスクが高すぎる最上級奥義だ。


 そんな奥義を「自分にかけろ」と、姉が弟に命じたのである。


「……うぬぬ……状況が、状況だから……仕方、ない……かも……しれない、けど……ぐぬぬぬぬ……」


 莉羅はそう唸った後、残っているジュースを全て一気に飲み干した。



 桜が決めた二十四時間期限リミットまで、残り一時間。

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