138話 『姉、毒霧、大魔王、』
「どうかなリオ。キミの疑問は解けた?」
「う、うぐぅ……う……ひっく、うぅぁ……」
リオは桜に返事をせず、すすり泣いている。
涙の代わりに、涙腺から霧が漏れた。
「可哀想に。泣かないでよリオ」
桜は『心底可哀想な表情』をした後、再び笑顔に戻った。
「そしてルイお爺さん。キミ
桜は次に、ルイ老人へ語りかけた。
ただ老人は桜の超能力のせいで身体が動かず、返事も出来ない。
「そこでキミは誰かに――ふふっ、ちびっこ先生に『無のエネルギー』を暴走させようとした。暴走した先生の力が、一瞬でもキミと赤ちゃん像の力を越える。そうすれば力の所有権を一旦ちびっこ先生へと譲渡出来る」
桜は、テルミ達の近くで失神している九蘭百合を見ながら言った。
「ちびっこ先生の霧が宇宙をいくらか破壊し亡者のエネルギーを補給したら、次はキミが先生を殺す。そうやって持ち主が死んでしまった力が、エネルギーを持て余し別の宇宙へと移動しようとする……その瞬間。キミと象は再び霧の所有者へと返り咲き、共に宇宙を越える……と。まあ、そんな計画だね」
ルイは金縛り状態で何も言い返せないが、もし体を動かせたとしても、やはり何も言い返さなかっただろう。
桜の推察は図星である。
超能力で考えを完全に読まれているのだ。
「でも二つだけ指摘したいな」
桜は指を二本立てた。
「一つ目は……お爺さんはずっと勘違いしていたようだけど、『亡者のエネルギー』を補給する必要は無いんだよ。確かに、亡者のおかげで『他人に霧の力を分け与える』ことが出来ていたけど。それはドラゴンくんの――力の本意ではない」
桜は指を一本折り、人差し指だけを立てたままにする。
「二つ目は、宇宙を越えるタイミングがシビアすぎて、ほぼ百%無理だってコト。でも、そうだね……限りなく零に近い、小さな小さな可能性は確かにあるかも。それにキミは失敗を恐れていないね。もしダメだったら、リオと同じように霧に取り込まれた思念になって、『力』の一部として宇宙を旅する……それも有りだと思ってる」
やはりこれも図星。
「ふふふっ、やめておいた方がいいよ。『力』として世界を彷徨うのは、とても暇で苦痛だから」
桜はそう笑って、またもや妹を見る。
「だよね?」
「…………」
莉羅は、やはり返事をしなかった。
桜は、
「そう言えば
と言って肩をすくめる。動作の一つ一つを楽しんでいる。
そうやってふざけている桜を見ながら、ルイ老人の意識内でリオが霧の涙を流し続けていた。
「う、ひっく……うぅ、あ……あ、あなた……ぎ、ギエ……」
「さて、これで質問タイムは終わり。次は僕、いいや桜の番だ。桜が望んでいたモノをやらせてあげたいなあ」
そう呟いて桜はルイ老人に背を向けた。
十歩ほど歩き、立ち止まる。
体の向きを変え、再び老人と対峙。
「桜が望んでいたモノ。それはグロリオサの本気の力と戦うってコト。でもルイお爺さんはマトモに戦ってくれないからなあ」
桜は、ルイの頭を指差す。
「それはきっと自信がないからだ。だって今の『宇宙災害グロリオサ』には不純物が多すぎるもの。それじゃあドラゴンくんが力を発揮し切れない。ドラゴンくんの自信の無さが、お爺さんの考えにも影響しているんだ。中途半端が一番いけない。一回綺麗にしないとね」
「綺麗に……え……?」
リオは息苦しくなった。そして胸が痛くなった。
桜が――いや『桜の口を借りている者』が何を言いたいのかは、おぼろげながら分かる。
怖い。
それはダメだ。
やめて。
あたしはまだ……
「いや。やだ……や……やだぁ……う、う、ああ~ん! わああ~ん!」
これまで陰鬱で呪詛めいた泣き声しか上げられなかったリオ。
しかし大魔王の呪いが解けた今は、生前のように『小さな女の子』らしい泣き方へと戻っていた。
「やぁあー! 嫌だあああ~! ごめんなさい、ごめんなさい! うああ~! うあああ~ん!」
泣きじゃくる生首を抱え、リオは這いずって逃げようとする。
しかし上手く進めない。進めた所で逃げられない。
首の傷、足の傷から、大量の霧が吹き出している。
「じゃあリオ。それに沢山の思念達。今まで長旅お疲れ様だったね」
「嫌だああ! うああああ~ん! 助けてえ! 助けて兄ちゃん! わああああ~ん! ああああああ~~~ん!」
「バイバイ」
ルイ老人の体が、大きく跳ねた。
それと同時に、リオと仲間の亡者達は消えた。
老人の意識中だけでは無い。
地球中の暗殺者達、そして赤子像の中にいる亡者達も、全て消えた。
強いショックを受け、ルイ老人は立ったまま気絶しかける。
その微かな意識で、老人は考える。
どうしてこうなった。
一体どこから間違えていたのだ。
この世に生を受け、五万年。
様々なアクシデントはあったが、概ね自分の思い通りに進んで来れた。
それをこんな所で。
あっけなく。
潰されてしまうと言うのか。
五万年もかけた、わしの――俺の計画が。
「違うよお爺さん」
ルイ老人の思考を読み、桜が口を開く。
「お爺さんが立てた計画は、順風満帆なまま今日終わるんだ。ただ目的を勘違いしていただけ。その勘違いも最後に正されて、結果として問題無く完了出来るってワケ」
「…………」
「キミは五万年間、僕が敷いてあげたレールの上を歩いてたんだ。ゆっくりと。たまに駆け足で。ね?」
その言葉を聞いた直後、ルイ老人は完全に気を失った。
老人の中に残るのは、黒い霧。
そしてその霧で構成された巨大な竜。
桜はテレパシーを使い、老人に巣食う竜へと語りかけた。
「やあ久しぶりだねドラゴンくん。早速だけど、一つ手合わせしてくれないかな?」
「グ、ガ、ガロロロ……」
竜の思考は単純だ。余計なプライドも持ち合わせていない。
以前負けた桜に再び挑む気は無かった。
長い首を地に付け、降伏している。
「つれないセリフ言わないでさ。桜がやりたがってたんだよ。どうか戦ってくれないかな?」
「バロロロロロ……グウウアアア……」
竜は身を縮めた。
とにかくその細い身をねじり、戦いを拒否する。
「ねえドラゴンくん」
「ゴロロロロロ……」
「戦いなよ」
「グ……!」
逃げ腰の竜に対する桜の態度が、少しだけ変わった。
まるで、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、怒ったように。
竜は悟った。
戦うしかない。
本来なら、竜にとって『全てを溶かし尽くし、大量の亡者達を霧に取り込む』のは好ましくない行動だ。
何故ならば、亡者の声がうるさくて眠れなくなるから。
そんな単純にして切実な理由。
なのでオーサの時も百合の時も、本当は暴走なんてしたくなかった。
ただ力の
霧の力は制御できない。
ただし本当に制御出来ないのは『霧の力』ではなく、『竜の癇癪』である。
そんな「本当は暴れたくない」竜も、今だけは事情が違った。
とにかく、目の前の少女が怖い。
こうなったらもう、亡者達が邪魔だなんて言っていられない。
宇宙ごと、桜を滅ぼしてしまえ。
霧の竜は初めて、自分自身の意思で『暴走』してみる事に決めた。
「グロロロロロロロ! グシュアアアアアア!」
ルイ老人の体が闇に包まれ、巨大な竜へと姿を変えた。
まずは体長十メートル程。
それが徐々に大きくなり、すぐに二十、三十メートル。
周りの地面や空気を消滅させながら、膨れ上がる。
その成長に、一番近くにいる桜は当然巻き込まれ、竜の霧の体へと埋っていく。
しかし桜は消滅しない。
笑顔を絶やさずに、抵抗もしなかった。
「あ、あれは何だ!?」
「ドラゴン!?」
「えええ、マジ、えええ!?」
グロリオサの暗殺者達が驚いている。
もっと遠くへ避難しようと、駆け出す者も出て来た。
「あのドラゴンは、前に九蘭先生が……僕達も一旦逃げましょう」
テルミは莉羅と左手を繋ぎ、右腕で失神している百合を抱え上げ、逃走の準備をした。
しかし莉羅は、
「……逃げなくても、へーき……だよ」
と呟く。
しかしその言葉とは裏腹に、震える手で、兄を強く握り返している。
不安で胸を一杯にしている弟妹。
そして姉は、霧に包まれた闇の中で朗らかに言う。
「うん! ありがとうドラゴンくん。じゃあバイバイ」
音も無く、一瞬で霧が晴れた。
逃げ出そうとしていた暗殺者達は足を止め、目を丸くしながら桜の姿を振り返った。
空から落ちる者もいた。霧の体となり、飛んで逃げようとしていた者達だ。
そうやって彼ら彼女らは、すぐに自分達の異変にも気付く。
ルイ、赤子像。
更に日本とエジプト、その周辺国にいるグロリオサの暗殺者達。
全ての者から、霧の能力が消えた。
「さて、これで丸く収まったね。桜は宇宙を救ったヒーローになったんだ」
桜は両手を広げ、満足そうに空を見上げた。
次に弟妹の方を見て、爽やかな笑みを浮かべる
「テルミ、怪我はない……よね。ふふっ、無事でよかった。桜もホッとしているよ」
「……あ、あなたは……姉さんは……」
姉さんはどうしたんだ。
そう言いたいが、動揺し上手く言葉を出せないテルミ。
桜はそんな弟の様子を愛おしく眺めた後、莉羅に向かって微笑む。
「
桜がゆっくりと近づいて来る。
莉羅は兄と繋いでいる手に力を込めて、桜を睨んだ。
「ねーちゃんを……返し……て」
「それよりさ『超魔王』。昔みたいに相談に乗って貰えないかな? ああでも前は一方的に僕が話しかけてただけだったね。比べて今は、こうやってきちんとお互いの言葉を交換し合える。なんて素晴らしいんだろう」
桜は立ち止まり「それでさ」と言って、大きく柔らかな胸に手を置いた。
「今度の僕は、何を演じれば良いと思う? 大魔王様? 泥人形? それともやっぱりこの姿を尊重して桜が良いかな? その場合は、お嬢様としての桜? ヒーローとしての桜? それとも、キミ達の姉としての桜?」
演じる、とは。
一体何を言っているんだ、とテルミは訝しむ。
「ねえ、キミはどれが良い?
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