137話 『姉と霧の行方』

「愛しい弟は無事だったみたい。一安心だね」


 そう言って桜は前髪をかき上げた。黒く滑らかな髪と共に、シャンプーの香りがふわりと風に乗る。


「ところでさ」


 桜は視線を弟から、ルイ老人の左腕へと移した。

 ルイ老人とその中にいるリオは、得も言えぬ威圧感を覚える。


 特にリオは、桜の滑舌が流暢に戻った辺りから、ずっと顔を強張らせ押し黙っていた。

 手足を小刻みに震わせ、過剰に相手を恐れている。

 そんなリオの恐怖心などお構いなしに、桜は穏やかな口調で話を続ける。


「それ、まだ攻撃しないのかい?」


 桜はルイ老人の顔を既に見ていない。

 リオの震えた様子を確認しようともしていない。

 今興味があるのは、左手に溜まっている高濃度な霧のエネルギー。ただそれだけを見ている。


「もう許容限界まで膨れ上がってるよ? 早くしないと、どんどん『力』が漏れちゃってる。勿体ないなあ」

「…………そうだな。確かに勿体ない」


 おおよそ五万年ぶりに『焦り』の感情が沸くルイ老人。


 左手の中で成長させた、宇宙をも破壊する程の圧縮エネルギー。

 だがこの『力』でさえ……先程までの桜ならともかく、の桜には効かないと予測しておくべきだろう。


 少なくとも、「攻撃しろ」という誘いに乗ってしまうのは愚かな行動である。

 桜は明らかに打ち消す、もしくはカウンターの手段を持っているのだ。

 どうにか桜の隙を突き、確実に仕留める必要がある。



 それにただ『効かないだけ』『反撃されるだけ』なら最悪構わない。

 それよりも、それ以上に、


『今ここで攻撃してしまうと、不味い事態になりそう』


 そんな気がする・・・・

 気がする。つまりはただの勘だ。

 しかし幾年も超常現象と共に生きて来たルイにとって、この勘こそが重要。



「……今日はもうやめておこう。蘇生したばかりのテルミくんに、まだ手当などが必要だろうしね」


 ルイ老人は大袈裟に肩の力を抜き、戦意は無いとアピールした。

 ただし用心のため、体の霧化はまだ解除していない。


 逃げ腰なルイの態度にいつも文句を言うリオも、今回は黙っている。

 首の断面から、いつも以上に大量の霧が沸いていた。


「やめちゃうの?」


 桜は抑揚のない声で一度そう言った後、


「……ああ。言い直していい? んー……やめちゃうのお~ぉ?」


 と、こちらも大袈裟に残念そうな声を出した。

 まるで感情の籠った『声を出せる』こと自体を、楽しんでいるように。


「でも困るなあ~ぁ。攻撃して貰わないと」


 またもや大袈裟な口調で言う桜。


「そのエネルギーが頼りだったのに。宇宙越えウサギくんのはあれ・・に解かれちゃったし……リオの場合は、リオ本人が乗り気じゃ無かったせいか、まだ残ってるんだけどなあ」


 とにこやかに言って桜は、弟妹の方をちらりと見た。

 莉羅はハッと息を呑み、テルミの服を掴む。


 そしてルイ老人は、桜の台詞に警戒した。

 ウサギやリオ云々の部分はよく分からない。しかし「エネルギーが頼り」という部分から察するに、カウンターやそれに類する搦め手を用意していたのだろうか。

 やはりここはリスクを冒さず、一旦退くのが正解のようだ。


 リスク。

 そうだ。元々は勝算があって、女ヒーローと戦おうとしていたのだ。

 桜の身に何が起こったのかは分からないが、勝算が崩れかけた今、無理して戦うのは好ましくない。




 ………………




「……勝算?」




 ここに来てルイは、己の思考の中にある矛盾に気付いた。

 勝算なんて、本当に最初からあったか?

 そんな戦いの計算をした覚えが、無い。

 確かに、桜の能力がまだ未発達であると見抜いてはいたが……しかし、それでも……


 昔、百合に言ったではないか。「空手少女ガールには誰も勝てぬ」と。

 あれはお得意の嘘などでは無い。本心からの言葉。

 勝てないのを承知で、百合の修行に利用しようと考えていたのではなかったか。


 それを、どうして今……


「……リオ。覚えているか? どうして我々はテルミくんを『誘拐した』のか」


 ルイ老人は、意識内で少女に尋ねた。

 テルミをクイズ忍者に誘拐させた理由は、「霧の力への適正を再確認したいから」であった。

 だが今ルイが問題としている点は、そこではなく。


「家に連れて来なくても、わしはいつでもテルミくんに会える。そして適正テストなどは、場所を選ばずどこででもやれる。それを何故、わざわざ桜くんを挑発させるような方法で……」

「わ、分からないよ! だって突然……そうした方が良いような気になって……あ、あの時はルイもそうしようって」

「……うむ、そうだったか」


 五万年ぶりの焦りが、更に膨れ上がっていく。

 加えて新たな感情も。月並みな表現だが、嫌な予感がしてきた。

 忘れてしまった行動の原因を思い出そうとして、記憶をどんどん過去へと遡らせる。


 そしてまた、ふと気付いた。


「……わし達は、あの時どうして『エジプトから日本に移住した』のだったか」

「わ、分からない! 覚えてないよ!」




「気付いちゃったみたいだね」




「……っ!?」


 ルイ老人は後ろを振り返る。

 桜が一瞬で老人の背後に回り、肩をぽんと叩いたのだ。


 老人の身体はまだ霧のまま。

 他の暗殺者達の霧とは違い、物理干渉が不可能である『黒い霧』。

 だが桜は触れている。


「どうして霧を掴めるのよ……!」


 ルイ老人の意識内でリオが喚くように言った。声が裏返っている。


「さっき言った通りだよ。たとえ無のエネルギーに化けても、そうやって姿を視覚情報として残している限り、魂が丸出しなんだ」


 桜は優しくニコリと微笑み、リオの問いに答えてあげた。


「当たらない。すり抜ける。それは、『無のエネルギー』が宇宙の物理法則から外れた存在になるから。ふふ……たった・・・の五万歳でその本質を身に付けているとは、凄いねお爺さん。さすがこの惑星の神様。いいや、『神様になろうとしなかった者』……かな?」


 ルイは言葉が出なかった。

 肘から先に激しい痛みを感じる。が、桜に超能力をかけられてしまったのか、呻き声さえ出せない。

 左手に溜め込んでいた霧のエネルギーが、どんどん破壊されていく。


「でもは、本質の更に本質を知っている。だから『無に触れる』……ああ、この説明がもし間違っていたら訂正して欲しいな」


 再度、桜は妹を見た。

 莉羅は返事をせず、ただ黙って見ている。


「どうやら正しいみたい。そうだ! この機会にもっと何でも教えてあげるよ。ルイお爺さん、それにリオ。確か『どうしてここに来たんだっけ?』なんて、哲学みたいな疑問を持っていたよね」

「……う、うううううううぅぅうう」


 リオの生首が唸る。

 穴と言う穴から、黒い霧が吹き出している。


「ううんリオ、キミは難しい話が苦手かなぁ。じゃあ簡単に説明しようね」


 はつらつとした魅力的な笑顔で、桜が語る。


「僕がキミをこの宇宙へ呼んだんだよ。無のエネルギーでも、霧のドラゴンくんでも無い。リオ。キミ個人を」

「な、な……何で……?」


 リオは震える声で尋ねた。「何を言っているの?」ではなく、「何故呼んだの?」と。

 桜の言葉を、もはや微塵も疑っていない。

 

「それはね、僕は僕に会いたかったから。宇宙を越えた先で『僕の力』に逢ってみたかった。川の上流で捨てた空ビンを、下流の浜辺で見つけてみたい。そんな遊び心さ。まあそれがこうやって、足りない力の補給スタンドになってくれているんだけど。ラッキーだよね」


 桜はそう説明しながら、ルイ老人の左腕に溜まっているエネルギーを壊し続けた。

 目に見えぬ作業であるが、例えるなら大量に転がっているゴムボールを一つ一つ潰していく。そのボール内に入っている小さな砂粒をかき集める。そんなイメージ。


 その砂粒とは、呪い。


 そして高濃度に圧縮された毒霧および亡者達のエネルギーは、リオにも繋がっている。

 つまり今、桜は『リオにかけられた大魔王の呪い』を吸い上げているのだ。


「リオの他にも、宇宙を越えるウサギくん、なんてメルヘンな子も一緒に呼んでるんだよ。この二つの強い力に引かれて、他の力もたくさん集まっちゃったみたいだけど。あの『本の世界を作る力』まで来てたのは、僕も驚いたよ。あははは」

「よ、呼ばれ……あなたに……あ、あぁあ……はぁ、はぁ……」


 リオの呼吸が乱れる。

 本来は呼吸など必要無い、亡者であるにも関わらず。


「おっと、呼んだってのとはちょっと違うかも。正確に言うと、『僕の力』がいつか辿り着く場所と時間――つまりはこの宇宙。地球。日本。東京。そして今――を計算して、現地集合だよって指示しておいた。ほら、あの時にね」

「あ、あの時……」


 グロリオサの力から大魔王の呪いが回収・・されるにつれ、リオの記憶もハッキリとしていく。


 思い出す。

 大昔、まだ持ち主がいない『力』として数多の宇宙を彷徨っていた頃。

 出会った大男。

 自分を大魔王と呼んでいた……


「【思い出したかリオ! ぐはははははは!】」

「ひっ……!」


 桜が突然、地球には存在しない言語で喋った。

 だがリオにはテレパシーで意味が伝わる。

 声こそ違うが、あの時に出会った大魔王と同じ喋り方。同じ雰囲気。同じ魔力。


「あははは、ごめんごめん。驚かせちゃったね。でもこれで大体分かったよね? ルイお爺さんとリオが桜と戦いたくなったのは、その指示のせいさ。僕と惹かれあったってコト。ふふっ、ロマンチックだよね」


 桜は操る言語を日本語に戻した。

 ルイ老人から手を離し、自分の顔前で両手指先を合わせ、可愛らしく謝罪のポーズを取る。


 呪いは、全て回収し終えた。

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