136話 『姉と何か』
「時空の因果?」
ルイ老人は折れた右手首を再度霧化し修復しつつ、眉間にしわを寄せ、桜を見た。
どうも様子がおかしい。
桜はルイ老人から五メートル程度離れた場所で、酔っ払いのようにユラユラと揺れながら立っている。
ヒーローのコスチュームは破れ半裸状態だが、それを気にしているのかいないのか。
豊満な胸を自分自身の手でわし掴みにし、隠した……かと思うと、すぐに手を離し再びさらけ出し、次は鳩尾、腹、腕と、上半身の前面をくまなく触り、
その手つきはまるで昔のSF映画に出てくるロボットのようにぎこちなく、更に足元もおぼつかぬ様子。
半壊したヒーローマスクのひび割れから覗く右目は、焦点が定まっていないようにキョロキョロと回っている。
「何なのアイツ……弟が死んだショックで、頭がおかしくなったんじゃないかな? 急にルイの手を折ったのは驚いたけど……」
桜の様子を伺いながら、リオがルイ老人に囁いた。
ちなみに桜とテルミの関係については、ついさっき桜が暴れている最中にルイ老人から聞いていた。
「ねえルイ。今の内に殺しちゃってよ」
「ふむ……」
リオは簡単に言うが、老人は慎重に考えていた。
先程まで桜が醸していた、恐ろしい殺気が消えている。
膨大で、目を背けたくなる程に凶悪なエネルギー。それも感じなくなった。
桜という少女が、急に抜け殻になってしまったかのようだ。
だからこそ、おかしい。
嫌な予感がする。
「だが……」
とは言え、理由は分からないが桜の力が弱まり、隙だらけになっているのは確か。
リオの「今の内に」という言葉も、
「一理あるかもしれないな」
そう思い立ったルイ老人は、自身の左手をちらりと確認する。
桜との会話を長引かせ、両手に溜め込み続けていたエネルギー。
右手をへし折られた瞬間、速やかに左手へ全エネルギーを移動させ、何とか無事だった。
この『力』は既に、最大限成長している。
ルイの計算と直感では、桜を殺すとまではいかずとも、再起不能に出来るだけの力があるはず。
それはつまり、宇宙をも滅ぼしてしまうエネルギーであるのだが……
「この機に乗じて攻撃するべきか」
「いイよ。やリナよ」
「……っ!」
淡々とした台詞が、桜の口から発せられた。
しかし舌と唇がどこか固く、ハッキリと喋れていない。
そして、せわしなく動いていた桜の右眼球が突如ぴたりと止まり、ルイ老人を見据えた。
ただ両手は相変わらず、自分の体を触診し続けている。
ルイ老人は用心のため一歩下がり、腰を落とし両手を構え、相手の動きに備えた。一方のリオは、むくれて桜を睨んでいる。
てっきり放心状態になっているものだと思っていた桜が、言葉を喋った。
しかしやはり、先程までとは雰囲気が違う。
「桜くん、どうやら正気に戻ったようだな」
「うン、心配かケたね。でも
割れたマスクの隙間から一部分だけ見える桜の顔が、人形のように不自然に微笑んだ。
「でもその前に、少し待ってテくれないかな? この格好ノままじゃ桜が可哀想だからね」
「…………ほう」
ルイ老人は感心するように唸った。
桜のボロボロに破れていたコスチュームが、何の前触れも無く一瞬で、別の服にすり替わったのだ。
早着替え等では無い。
コスチュームを分子レベルに分解、変換し、新しい服に変えた。
桜のスタイルを強調するような、胸元が大きく開いたブラウス。タイトなスカート。
季節違いで寒そうな恰好。
しかし桜は震える事も無く、愛おしそうに服を撫でた。
「こノ恰好は桜のお気に入りなんだよ。テルミとデートした時に、褒められたのさ」
そう言って、頭に被っていたヒーローマスクも外す。
長くなめらかな黒髪が風になびき、秀麗な顔が現れる。
遠くで見物している暗殺者達がハッと息を呑んだ。雑誌やテレビのニュースで見た記憶がある。乗馬クイーンとして有名な、真奥桜。
その桜はマスクを超能力で消し、取り止めのない話を続けている。
「姉弟二人でパスタやクレープを食べたリ。たまに真剣な目をして見つめ合ったり」
この娘は、一体何を言っているんだ?
ルイ老人は訝しむと同時に、悪寒を覚えた。
額と首筋に汗が滲む。
更に一歩後ずさりし、様子を伺う。
そんな老人の動きを気にも留めず、桜は口を動かし続ける。
その滑舌が徐々に……いや、かなりの早さで滑らかになっていく。
まるで、口の筋肉の使い方に慣れて来たように。
「腕を組んで歩いたり。ふざけ合って楽しんだり。指を絡ませ手を繋いで、一緒に帰ったり。微笑ましいね、ふふっ……」
桜は
「へえ……ふふっ……『笑い顔を作る』のには慣れてたけど。でも、これが本当の『笑う』って事か。とっても素敵なんだね」
◇
「……うぅ」
桜を見て、いつも無表情な莉羅が泣きそうな顔になり、小さな唸り声を上げた。
しかし首を何度も横に振り、視線を兄の『死体』に戻す。
『わっ、わっ、わっ! わっ、わ、わ、わ、わらわのテルミが、わらわの、わらわの……わっ、わ』
『美少年があああああ!』
カメラ付きドローンと化している狐のぬいぐるみから、京都にいる九尾のキューちゃんと、都内異次元空間にいる大天狗
彼女達は、テルミの死に衝撃を受け慌てふためいている。
そして大天狗の隣で、ぬらりひょんは難しい顔をして黙りこくっていた。
莉羅はテレパシーで、三人に語り掛ける。
『お爺さん……キューちゃん……てんぐ……妖力、貸して……!』
『貸すのはいつもの事だから、別に良いがのう』
ぬらりひょんが返事をした。
莉羅はテレポートを使う際、たまにこの妖怪大将からエネルギーを貰っているのだ。
『何をする気かのう、莉羅?』
『にーちゃんを、生き返らせる……の』
『……ほほう。そう言えばさっきも、カラテガールに向かってそんな言葉を叫んでおったのう』
ぬらりひょんは、莉羅があのヒーローを「ねーちゃん」と呼んだことにも気付いている。
しかしこの場では追及しなかった。
ぬらりひょんに代わり、次は大天狗の
『生き返らせるだあ!? そりゃあイザナギも
『出来、る……。いつも、やってる……!』
しっかりと答える莉羅に、大天狗は「そうか。莉羅がそう言うんならそうなんだろうな!」と頷いた。
そして隣のぬらりひょんは、莉羅の言った『いつも』という台詞から『いつもカラテガールからエネルギーを借り、人を蘇生している』のであろうと察する。
『んじゃあ、貸すぜ妖力! ジジイから聞いてたが、貸すって言うだけで良いんだよな?』
『強情なお前さんにしては素直だのう。弟子がこう言うのならば、ワシも素直になるしかあるまい。貸す』
妖怪師弟二人があっさりと妖力を貸し出した。
貸すと言いつつも、返すアテは無いので実質は貸与で無く譲渡なのだが。
『うぐぅぁ! こ、こりゃキツいじゃあねえか……!』
『なんと、いつものテレポート用の妖力とは比較にならんのう……カラテガールは、こんな力をいつも莉羅にやっておるんか……』
妖力をごっそりと貸し出し、顔面蒼白になり肩で息をする二人。
ここでようやく、ずっと「わっ! わっ! わっ!」と混乱していたキューちゃんが正気に戻った。
『わらわも! わらわも、わらわ、わらわのテルミを蘇らせておくれやす! ええと、ええと、ええー』
『落ち着けよババア』
『かっ! か、か、貸すどす!』
こうして東山道、東海道、
特にキューちゃんの持つ『魅惑女帝カルドゥース』の力。
そして、ぬらりひょん――ヨクモに植え付けられている『グロリオサ』の力の一部。
この二つの膨大なエネルギーが、莉羅を通してテルミの死体へ流れ込む。
しかし。
『……まだ……足りない』
『ぬあああにいいい!?』
『たっ、足りないって、どういう意味どす! ぜえぜえ、はぁ、はぁ……えっと、つまり、た、足りないんどす!?』
生命が蘇るだけのエネルギー。
いつも桜は簡単に莉羅へ提供しているが、それは大魔王の魔力を持っているからこそ。
カルドゥースの力でさえも及ばぬのだ。
超常的な力の中でも更に超常的な力、その中でも更に更に超超常的な力が必要。
莉羅は更なる助けを求めるため、テレパシーの範囲を広げた。
『……赤鬼さんと、木綿さん……も、お願い……』
大将天狗の後ろで聞き耳を立てていた妖怪達。
その中でも特に妖力が強い者達に、懇願する。
『よく分からないが、貸すと言えばいいのかい。私なんかの力で良ければ貸すよ……うおっ!? うぐぐ……』
『貸す貸す……うひゃ……こりゃあ、しんどいもんじゃね』
鬼華と木綿さんはさっそく莉羅へ妖力を貸し出し、その後、急激に襲ってきた疲労で床へしゃがみ込んだ。
そして更に、
『莉羅ちゃん莉羅ちゃん! ウチも! ウチも貸すでありんすワン!』
『レンたんもれす! 貸すのれす!』
『……あり、がと……みんな』
チャカ子とレン、そして他の妖怪達も妖力を貸してくれた。
打算あっての事ではないが、以前から妖怪達と親しくしていたのが幸いした。
『おおう……だ、誰か犬神とかにも伝えやがれ! 妖力を莉羅にくれちまえ、ってな!』
『はっはっキャウン……ええぇ、犬神ってウチでありんしょー……? ウチ、もう莉羅ちゃんにあげんしたワン……キャイイーン』
『てめえじゃねえ、でっけえ方の犬神だ!』
大天狗は無理して足を踏み鳴らしながら、他の強い妖怪達を連れてくるように部下へ命令した。
そうして、大勢の妖怪達から力が集まる。
また、別の遠く離れた場所でも。
『莉羅ちゃん、久しぶりだな。よく分からないが緊急のようだし、事情は聞かないでおくよ。俺の力を貸す』
『あらぁんリラリラぁん! ウサちゃんに用事ですってぁん? えぇ? 貸すぅん?』
『うぅーん…………ひぅぅ!? ここはどこ!? あれ、えっ、あ! サラリーマンの神様ぁ! 何、何、何ですかぁ? ええぇえ、何で!? あはい分かりましたぁ、怒らないで! か、貸しますぅ!』
他人を超能力者にする超能力を持つ、根元。
力の大半は失ったが、元は宇宙を飛び越える程の力を有していた、ウサギのロン。
幸運と不幸を操る能力者、柊木いずな。(ちなみに彼女とその友人達はクイズ忍者に眠らされた後、道端に放置するのは可哀想なので近くのビジネスホテルに詰め込まれた)
彼ら、彼女らからも力を借りた。
「……足り……た」
そして、ようやく。
「……うう……ん?」
テルミが、目を覚ました。
『わっ! わっ! テルミ! わらわの声が聞こえるどすか!?』
「はい、キューちゃんさんですよね」
『そうどす! そうどす! 大親友のわらわどす!』
喜ぶキューちゃん。そして妖怪達。
「少年、起きたか!」
実は莉羅の真横にずっといたクイズ忍者も、テルミの復活を喜んでいる。
ただグロリオサの暗殺者達は、テルミは死んだと思わせて失神していただけ……程度に考えているのだが。
そうして妖怪と殺し屋がホッと一安心する中。
「にー、ちゃん……!」
莉羅が、兄の腰に抱き付いた。
「にーちゃん……良かった」
「莉羅。僕は一体……」
テルミは、百合を庇った後からの記憶が無い。
自分が死んでいた事実にも、まだ気付いていない。
ただ莉羅は、それをあえて教えようとは思わなった。
それよりも今重要な事は……
「……にーちゃん……あのね……」
莉羅は悲し気な顔を兄に向け、そしてちらりと『姉と老人の戦い』を見る。
「にーちゃん……ねーちゃんが……ねーちゃん、が……」
「姉さんが……?」
テルミは顔を上げ、戦いの場を見た。
桜はいつの間にかヒーロースーツを脱ぎ、私服姿になっている。
こんな大勢の前で正体を晒してしまっても良いのだろうか? とテルミが考えていると……
ふいに桜がテルミと目を合わせ、にこやかに笑った。
美しく、艶やかで、荘厳さも兼ね備える。とびっきりの笑顔。
しかし……
「…………違う。姉さんじゃない」
言いしれぬ恐怖がテルミの体を貫く。
肩が張って硬直する。
テルミは莉羅を庇うように強く抱きしめながら、桜の姿をした『何か』を見続けた。
ただ、見るしか出来なかった
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