135話 『弟と霧の種』

「息子って……」


 ルイ老人が冗談っぽく口にした、赤子像が「わしの可愛い息子」である、という言葉。

 それを聞いて桜は最初「彫った作品として、愛着を持ったという意味での『息子』かしら?」と考えたが……ルイ老人が放つ空気・・が、そうでは無いと物語っている。ただの作品では無い。


「息子のユーレイが宿っているとか? それとも息子をモデルにしてるとか」

「御明察。死んだ、一番最初の息子をかたどった物だよ」


 老人はそう言って、上を見ずに手だけで空を指差した。

 天国にいる、という意味だろう。


「最初の息子と言うと、さっき話してたエジプトの?」

「いいや、すまないね。それは本当は二番目の息子なんだよ」

「ふーん……お爺ちゃん、ちょくちょくどうでも良いような嘘をつくわね」


 呆れた桜の言葉に、老人の意識内で呆然としていたリオがハッと気付く。


「そ、そうだ……嘘……嘘ついてたの? どうして、ルイ!」


 先程の話によると、ルイ老人と赤子像はもはや霧を完全に制御している。

 それはつまり『宇宙を消せる』と同義。

 しかし今までルイ老人は「自分では霧の力を引き出せない」と言って、別の適正者を探していた。


「騙してたんだね……」

「ああ、そうだ。わしは嘘が好きでね」


 思えば五万年前、『川に流された振り』をして部族を抜けたあの時から。

 ルイの人生は、嘘を基盤として構成されていた。


「……許さない……許さないよ……!」

「許さないなら、何だね?」


 老人は心の中で、足が無く這いつくばる少女を冷たく見下ろした。

 リオの生首は悔しそうな表情で、目と口から黒い霧を漏らしながら睨み付ける。


 しかし、睨む以上は何も出来ない。

 リオは、力の持ち主であるルイ老人と赤子像に対して、何も出来ないのだ。


「まあ、安心したまえリオ」


 ルイ老人は、いつもの好々爺たる笑顔に戻る。


「わしは、わし自身を殺したくないだけだ。いつの日か必ず霧の適正者を探し、リオのお望み通り宇宙を消して、仲間を沢山作ってあげよう」

「…………ほ、ホント? 約束だよ」

「ああ約束だ」


 リオは猜疑心さいぎしんを残しながらも、今はルイ老人の言葉を信じるしかない。

 それに今まで、老人が霧の適正者探しを真剣にやっていたのは確か。この『約束』に、多少の安心を覚えてしまう。


「あら。つい今さっき裏切られてたのを知ったばかりなのに、もうお爺ちゃんを信じちゃうんだ。おバカなお子様ねえ。同じくらいの歳だけど、うちの賢く可愛い莉羅ちゃんとは大違い!」

「う、うるさい! うるさいうるさい! 黙って! ばーか!」


 桜の言葉に、リオが喚く。


 今のリオの言葉はルイ老人にしか聞こえない……はずなのだが。

 桜はいつの間にか、自分でも気付かない内に超能力で適応し、自然と聞こえるようになっていた。


「霧の適正者探しねえ。なんなら、あたしをスカウトしてみる?」

「いや、桜くんには適正が無い。他に大きな『力』を持っているようだからね」

「あらそう」

 

 こうやって会話している間にも、桜は必死に「老人の倒し方」を考えていた。

 余裕の態度でいるようだが、内心結構焦っている。

 攻撃が全く効かない。一方、ルイ老人の霧は多少なりとも桜へダメージを与える事が出来る。服が溶ける程度ではあるが。


 大魔王の力の方がグロリオサより強大なはずなのだが、これではどうしようもない。

 長引けば、いつか大魔王の魔力もガス欠になるかもしれない。そうなっては負けだ。


 一方、内心も本当に余裕なルイ老人は、「適正者探し」の話題を続けた。


「一番適正があるはずだと、わしが目を付けているのは……」


 ルイ老人はそう言って、遠くで見学している子孫達を見た。

 特にその先頭にいる、九蘭百合。


「……あれ? 何か、家長いえおさがこっち見てるような」


 と百合が視線に気付く中、ルイ老人は右手人差し指の先に、ビー玉程の小さな黒い霧の球体を作り出した。

 桜は眉をひそめ、尋ねる。


「攻撃再開ってわけね。それは、何かの必殺技かしら?」

「ふふっ。これは『霧の種』とでも言おうか。亡者達の力が詰まっていてね。適正者に種を植え付ければ、霧の力が暴走するのだよ。まあ無理矢理だから、さほど力を引き出せないがね……宇宙を滅ぼすには、程遠い暴走……」


 その説明が終わると同時に、ルイ老人は黒い霧の『種』を放り投げた。

 子孫である、九蘭百合に向かって。


「待っ……!」


 桜は慌てて叫んだが、黒い霧の『種』は既に発射されてしまった。


 別に百合が再び暴走しようが、桜の丈夫な体には傷一つ付かない。

 ただ以前のように超能力で地球全土にバリアを張り、全ての『物質』を守らねばならない。

 老人へどうやって攻撃しようか決めあぐねている現状で、別の事に魔力を裂くのは頂けない。

 実際ルイ老人の狙いも、桜のエネルギーを消費させる所にある。


「メンドーな事、してんじゃないわよ!」


 桜は霧の種の進行を妨害しようとした。

 しかし風も電磁場も、念動力も効かない。

 桜自身の体で止めようと、霧の動線上に立ちふさがった。


「無駄だよ桜くん」


 ルイ老人が右手の指をパチリと鳴らすと、『種』が速度を増した。


「ええっ、あれ!?」


 ゆっくり動いていた『種』が突然早くなり、スローボールと高速ストレートの使い分けに混乱するバッターのように、桜は一瞬戸惑い霧を見失ってしまう。

 霧は桜を突き抜け、百合へ突進する。

 そこで百合は、自分に迫って来る小さな黒い球体に、ようやく気付いた。


「……あれ、何?」


 首を傾げる百合を見て、ルイはもう一度指を鳴らした。

 これで霧は『無』の状態を解除し、人間に当たる・・・ようになる。

 今一度、百合を暴走させる。



「九蘭先生!」

「うにゃっ!?」



 百合より一瞬だけ早く『種』を発見していたテルミが、百合を突き飛ばした。

 背が低く軽い体が存外遠くまで吹き飛び、百合はズザーっと地面へ転ぶ。

 霧の『種』は百合でなく、テルミの左わき腹にヒットした。


 そして、


「あぐっ……」

「……にー、ちゃん……?」


 妹である莉羅の目の前で、テルミは地面に膝を付き、うつ伏せに倒れた。

 そのまま目を閉じ、口を閉じ、息をしなくなった。


「え……にーちゃん……」

「ま、真奥くん!?」

「おい少年!」


 莉羅や百合、クイズ忍者が驚く。

 そして桜も、呆然と立ちすくんでいる。


「テ……テルちゃん……?」

「おや。適正者ではないテルミくんに当たってしまった……不味いね。普通の人間にアレは耐えられない」


 そのルイ老人の台詞通り。

 莉羅が兄に触れ、確認すると……


「……に、にーちゃん……死……死んで……る……」


 完全に事切れていた。


 莉羅の言葉を聞き、他の殺し屋達も驚いた。

 殺す予定で無い者の命は奪わない。組織内で暗黙の了解となっているそのルールを、不可抗力気味とは言え、まさか家長いえおさが破るとは。


 莉羅の隣で百合が目を見開き、無言で地面に崩れ落ちる。

 莉羅も同じように失神したい気持ちだった……が、ショックを受けている場合では無い。自分の右頬を叩き、気持ちを強く持とうとした。


「ねーちゃん、魔力! 助けるから!」


 莉羅が叫ぶ。

 いつものボソボソとした口調では無く、ハッキリとした声を腹から出して。

 妹の声を聴き、桜も『莉羅は死んだ者を生き返らせる技術を知っている』事を思い出した。そしてその蘇生術のためには、桜が魔力を貸与する必要があるという事も。


「わ、わかってるわよ莉羅ちゃ……わかって……魔力、貸すから!」


 桜も叫んだ。

 魔力を貸す方法は簡単。ただ「貸す」と言えば良い。

 それだけのはず……なのだが、


「……!? ねーちゃん、魔力が……来てないよ……!」

「え……?」


 桜の魔力が、莉羅に届かなかった。


「ど、どうして? どうして?」


 普段冷静な桜が、狼狽えている。

 もう一度「貸す」と叫んだが、やはり魔力は届かなかった。

 更に五回ほど叫ぶが、無駄。


「な、何で……何で……テルちゃん……テルちゃん! テルちゃん!」


 いつもはすんなりと魔力を貸し出しているはずなのに、どうして今に限って出来ないのか。

 まるで何かに阻害され、出口を塞がれてしまったように。

 大魔王のエネルギーが、桜の中から出て行ってくれない。


 莉羅は「落ち着いて、ねーちゃん」と、なだめるように言った。


「混乱して、『魔力が自分の物で無くなりつつある』……とにかく、冷静に……!」

「う、ぐ……ぅぅう!」


 桜も冷静になろうと努める。

 しかしいくら絞り出そうとしても、どうしても魔力を貸すことが出来ない。



 その様子を見ながら、ルイ老人は白い髭を撫でていた。


「しまった。良き友人を殺してしまうとはね……わしとした事が、失敗失敗」


 またもや冗談っぽい口調。

 その軽い態度に、桜の頭に血が上り、思考が真っ白になる。

 顔が紅潮し、手足が震え、視界がぼやけた。


「あああああああああああ殺す殺す殺す!」

「落ち着いて、ねーちゃん……!」


 莉羅の言葉は耳に入らず、桜は激高しルイ老人へ殴りかかった。

 だが老人の体は攻撃を一切受け付けず、全てすり抜ける。


「返せ! 返せ! 返せ! テルちゃんを返せええええ!」


 霧に当たった衣服が溶ける。

 腕が、胸が、腿が露出する。

 しかし桜は恥も外聞も無しに、殴り続けた。

 桜が放出し続ける魔力に耐え切れずヒーローマスクに亀裂が入り、顔の右半分が見える。


「ああああああああ! 何で! 何で! 何で当たらないのよ! 殺す殺す殺したいのに!」

「ふーん。いい気味! あはははは!」


 リオが笑っている。

 ルイ老人は棒立ちで攻撃を受け流しながらも、一応・・心配そうな顔でテルミの死体を見ていた。

 横たわるテルミの前で、莉羅が何やらブツブツと呟いていた。「兄を助ける」と言っていたが……あの不思議な少女の事。こうなってしまった今でも、兄を助ける算段があるのだろう。



 そして、まだまだ殴り続ける桜。

 しかしどうしても、老人に当たらない。


「さて桜くん。そろそろ冷静になりなさい」


 ルイ老人は子供を――いや、孫や曾孫をたしなめるような口調で語りかける。


「姉がそのような不埒な恰好で暴れていたら、テルミくんも浮かばれないだろう。どれ、あがないとして葬式費用はわしが出そうではないか」

「~っ!? あああ、がああああああああああッッ!」


 老人はわざと桜を怒らせている。


 百合を再度暴走させるのは失敗したし、個人的に仲の良いテルミまで殺してしまったが……こうなってしまっては、この状況を利用するべきだろう。

 桜を挑発し、エネルギーを無駄遣いさせる。

 そして桜はまんまと策にはまり、膨大な魔力を拳に込め放出し続けている。


「そう怒るな桜くん。無駄な労力を消費するばかりだぞ」


 老人がその『無駄な労力』を引き出すための煽り文句を言った、その時だった。




「もっと怒るんだ桜……うん。それで良い」




 と。

 桜へ語り掛けるような台詞が、桜自身・・・の口から出た。

 ルイ老人も不自然さに気付き、白い髭を撫でながら小さく首を傾ける。


 そして、その髭を撫でる右腕が、




「つかまえた」




 ばきり、と骨が砕けた。


 直後に桜は手を離し・・・・、ルイ老人から数歩分離れる。

 それに遅れて老人に走る、突然の痛み。


「……何?」


 手首が折れている。

 老人は数万年ぶりに、心からの驚愕を覚えた。


 あり得ない。

 部下達の実体有る毒霧とは違い、ルイ老人は実体が無い『無』の霧。

 攻撃、それも『掴んで折る』なんてのが通用するはず無い。


 だが実際に桜は老人の手に触れ、へし折った。

 その桜は先程まで取り乱していたのが嘘のように、静かに落ち着き払っている。


「ど、どうしたのルイ? 霧になってるのに、なんで怪我してるの!?」

「……うぬ……一体これは……」


 折られた右手を見ながら、心の中で会話するルイ老人とリオ。

 二人に答えるように、桜がゆっくりと口を開いた。


「無のエネルギーと化した身体。でも『世界』から消えてしまったわけでは無い。何故ならばキミ・・の身体はこうやって目に見えて・・・・・いる。その知覚情報と、『魂』は……」


 桜は楽しそうに、しかし、どこかぎこちない笑顔をヒーローマスクの下で浮かべて言った。



「時空の因果で繋がっているのさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る