134話 『姉妹』

 桜は右腕をぶんぶんと振り回し、『黒い霧』を散らそうとした。

 しかし霧は形さえも変わらず、桜の右腕に纏わり付いたまま。


「やぁ~ん。あっち行ってよ、もう! ふー! ふー!」


 桜はあえて過剰に大袈裟なリアクションを取りながら、息を吹いて霧を飛ばそうとしてみた。

 だがやはりビクともしない。

 溜息だけでアフリカ象を軽々吹き飛ばせる桜の肺活量でさえも、ルイ老人の能力の前では意味を成さなかった。


「なら燃やしちゃえっ」


 桜の右腕が、火炎放射器よろしく激しい炎を上げた。

 だが霧は炎の中でも燃えたりせず、変わらずそのままの姿でいる。


「風もダメ。火もダメ。冷気は……」


 当然、冷やしてもダメだった。

 マイナス百℃の冷気で生成された雪が、黒い霧に当たった瞬間に『消える』。

 儚く幻想的とも言える光景。ただしその美しさに対し、桜は特に興味を示さない。


 次は念動力サイコキネシス

 しかし霧は動かない。


 更に次は電磁場を発生させ、霧への干渉を試してみた。

 当然のように、それも無意味。


 桜の発生させた強力な磁場の影響で、屋根の大穴から砂鉄や鉄片が飛び出して来た。

 しかし鉄達は、あたかも黒い霧をわざわざ避けているような軌道を取った後に、桜の腕に張り付く。

 大きめの鉄片は避け切れずに、霧へ触れた部分だけがスッと消えてえぐれた。


「ふーん。この霧が浮いてるトコだけ磁力線が遮断……というか、消されちゃってるみたいね」


 と考察している桜の様子を見て、ルイ老人は静かに微笑んでいた。


 ヒーローが実験に夢中なのをこれ幸いと、老人は両手に霧のエネルギーを集中させ溜め込もうとしている。

 桜に対抗出来るだけの破壊力を得るためだ。

 軽い攻撃では力負けしてしまう。強大な攻撃で一気にケリを付けないといけない。


 一方の桜は、霧について頭を悩ませる。


「う~ん。風や炎や念力や磁力をまるごと『消しちゃう』から、あたしの攻撃が効かないのかしら? それともあの黒い霧はそもそも、『物理現象をねじ曲げる』的な力を持ってたりするのかな?」

『原理は、前者……だよ。でも……結果として、後者に……なってる……ね』


 莉羅がテレパシーで桜に情報を伝えた。

 桜は「なるほどね」と呟き、とりあえず電磁場の能力を切った。鉄片が屋根瓦に落ち、高い音を立てる。

 ただ霧は鉄と違って、相変わらず腕に張り付いたままであった。


 桜は心の中で、莉羅のテレパシーに応える。


『でも莉羅ちゃん。どうしてあのお爺ちゃんの黒い霧、あたしの超能力を消しちゃえるのかな? 前に子供先生が変身した姿や、皮被りおち●ちんドラゴンも、黒い霧だったけどさあ。同じ色でも何か違うみいね』

『それは……簡単に言うと、密度の……問題』

『密度? ただギッチリ詰まってるってだけで、あたしの力に――大魔王ギエっさんの力に対抗できるワケ?』

『えっと……ね……』


 桜が呈した疑問について、莉羅は黙って考え込む。

 言われてみれば、ちょっとおかしい気もして来た。

 特に不思議なのは、桜の手袋が消えてしまった件だ。


 桜が有している大魔王の力が未だ不完全であるとは言え、それでも『暴走していないグロリオサの霧』よりは遥かに強いはず。

 しかし現にルイ老人は、手袋だけとは言え桜の超能力を打ち破った。

 そして逆に桜の攻撃は、ルイ老人の霧に通用していない。

 それはつまり、老人本体にも攻撃が通用しないという事。


 桜の超能力を遮断出来る程に、『消す』力が強い。

 霧の能力が、完璧に研ぎ澄まされている。

 となると、考えられるのは……


『……えっと……ね……ここまで、出来るのは……九蘭琉衣衛るいえが、霧の力を……制御……』



 そこまで言って、莉羅は急にテレパシーの送信を停止した。



「……いや、あり得……ない」


 と深刻な口調で呟く莉羅の様子に、兄であるテルミが気付く。


「どうしたのですか莉羅?」

「う……ん……んー……」

「?」


 莉羅は兄におざなりな返事をした。

 自分の言いかけた台詞――超魔王ライアクが導き出した結論と、違う解釈をしてしまった事に、莉羅自身が驚いている。


「……うー、ん……確かに、オーサより……上手く、扱ってる……けど……でも……」

『ちょっとー莉羅ちゃん? どうしちゃったのよー、急にテレパシー切っちゃって。お姉様寂しいー!』


 桜が心の中でそう叫んだ。

 莉羅はテレパシー送信をやめたが、受信は維持していたので、一方的に桜の考えが送り込まれている。

 しかし莉羅は考え込み、姉に言葉を返さない。


 そんな妹の難しそうな顔を遠目でちらりと見て、桜は察したように小さく頷いた。 


「まあいいや。大体分かっちゃった」

「分かったとは、何をかな?」


 ルイ老人がゆったりとした余裕の口調で相槌を打った。

 この会話もまた時間稼ぎである。 

 しかし桜は、


「こういう事よ! うりゃうりゃー!」


 と。

 老人の思惑などお構いなし。

 唐突に、ルイ老人へ向かって超能力の連続攻撃を放った。


 炎、冷気、電気、風は先程破られたとは言え、一応基本技として繰り出し。

 念動力サイコキネシスでの圧迫。伸張。ねじり。切断。

 分子レベルへの干渉と破壊。


 思いつく攻撃方法を、片っ端から全て試してみた。

 しかしどの攻撃もルイ老人の体をすり抜ける。

 行き場を失った攻撃は、空に飛んで行ったり、足場にしている巨大アリーナの屋根に激突したり。あれよと言う間にアリーナは全壊。

 それだけでは飽き足らず、敷地内にある別の建物群にも被害が及び始めた。


 建屋崩壊に巻き込まれぬように、テルミを初めとする見物人達は一斉に離れた場所へと避難。

 一部の殺し屋達は「うわー俺の部屋がー!」と嘆いている。


 そして桜とルイ老人は、土の地面に立った。


「まだまだまだまだー! どりゃあああ!」


 アリーナを粉々にした後も、桜はしばらく攻撃をやめなかった。

 更に一分半程度続け、ようやく攻撃を終了。

 九蘭家の土地は半壊していた。


 しかし、やはりルイ老人の体には傷一つ無い。

 何事も無かったかのような表情で、その場に佇んでいる。


「終わったかね?」

「うん、まあ一応ね。一旦終わりにしといたげる」

「では話を戻しても良いかね、空手少女ガール。一体何が分かったというのだね?」


 老人の、二度目の問いかけ。

 それに対し桜は、


「まあちょっとね。すっごく単純な事なんだけど」


 と。今回は攻撃では無く、きちんと言葉で返す。


「莉……いえ、物知りな女の子が昔言ってたのよね。『オーサの霧』は制御不可能。力を極めた途端に暴走して、宇宙ごと全部消しちゃう。ってね」

「ほう。よく知っているね」


 桜の口からオーサという単語が出て、ルイ老人は態度にこそ出さなかったが、内心驚いた。

 老人の意識内にいるリオに至っては、


「何で……何でコイツが、兄ちゃんを知ってるの……!? ううぅ……」


 と動揺し、また精神が不安定になりかけている。

 だがこの哀れな首無し少女は、憎しみの心を持ってなんとか正気を保ち、桜のヒーローマスクを睨み続けた。

 そして老人は、桜の言葉に改めて返事をする。


「確かにきみの言う通りだ、空手少女ガール。この霧の力は、『制御すればする程』に、『制御出来なく』なる。強さと破滅。表裏一体の能力だ」

「そうよ……そう……兄ちゃんの力を完全に身に付けたら、爆発・・して宇宙を……」




「それ、嘘でしょ」




「……ふっ。ふふふ……」


 にべも無く言う桜に、ルイ老人はつい笑ってしまった。

 子孫である桜の優秀さを喜び、そして桜が霧の適正者では無い事に嘆く。

 この皮肉な状況を、我ながら可笑しく感じてしまったのだ。


「……嘘? え……ルイ……でも兄ちゃんは……え?」


 リオは切断している頭を、つい手から落としてしまった。その顔には「意味が分からない」という表情が浮かんでいる。

 そして莉羅はいつもの無表情で――しかし額に一筋の汗を流し、黙って桜を見ていた。


「お爺ちゃん。あなた本当は、霧の力を完全に制御してるでしょ? もっと本気出してみなさいよ」

「……ふふふふっ。面白いね、桜くんは」


 ルイ老人は自分の頭にポンと手を置き、わざとらしく「まいったね」というジェスチャーをした。

 桜はすかさず「古いリアクションね!」とツッコむ。

 お互いふざけているようだが、この余裕のおふざけ・・・・はつまり、桜の考察を肯定しているからに他ならない。


 莉羅もその『おふざけの真意』を察し、唇をキュッと噛みしめ、隣に立っている兄の手を強く握った。


「どうしたのですか莉羅。姉さ……キルシュリーパーさん達は一体何を話しているのですか」


 莉羅以外の見物人達は、桜とルイ老人の会話までは聞こえていない。

 兄の問いかけに莉羅は「ん……」と小さく頷き、同時に少しだけ冷静さを取り戻した。

 まだ考えを整理出来ないので、テルミの質問へは答えられなかったが……とにかく、再び桜とのテレパシー会話を再開する。


『ねーちゃん……それは、あり得ない……』

『あら莉羅ちゃん。どうして?』

『黒い霧が、宇宙を消す現象を……「暴走」という言葉で、表現してる……けど……正しくは、「解放」……だから。霧の力を、引き出す程……解放に、繋がって……制御、不可能に……なる。本来の、力の持ち主……オーサが、そうだった……から』

『ふーん。ほーほー』

『それに……今の、本当の、力の持ち主は……九蘭琉衣衛るいえでは、無くて……赤ちゃん像、だし……だから、やっぱり……過去の、例を……考えても……』



『それは、本当に莉羅ちゃんの意見?』



『え……?』


 淡々と語る莉羅の言葉を遮り、桜は自信たっぷりに述べる。


『オーサは過去の人間よ。そして超魔王も過去の存在。それは分かるわよね、莉羅ちゃん?』

『う……ん……』

『超魔王の記憶――他人・・の考えじゃなくて、今のあなたが見て判断しなさい、莉羅・・

「…………うん」


 莉羅はいつの間にか、テレパシーではなく自分の口で返事をしていた。

 珍しく――珍しく、本当に珍しく『姉らしい言葉』を発する桜に、つい圧倒されてしまったのだ。


 莉羅は姉の言う通り、しっかりと自分の目で見た。

 と言っても、千里眼技術を用いた超常的なヴィジョンだが。

 とにかく自分の目と頭で、ルイ老人、そして屋敷内にある木彫りの赤ん坊像をしっかりと見た。


 超魔王の記憶という先入観を、一旦全て忘れて。


 すると莉羅は、今まで見落としていたモノを発見した。

 とても単純な仕掛け。

 先程、姉が怒涛の連続攻撃を繰り出したおかげで、この仕掛けの糸が見えやすくなっている。

 どうして今まで気付かなかったのか、莉羅自信でも不思議だ。


 きっと姉には、最初から『これ』が見えていたのだろう。



「木彫りの像……そっか……役割を分担、して……『二人』……」



「『二人』で! 霧と相性バツグンな『二人』で制御してるから、暴走せずに力を全部引きだせてるんでしょ。片方が引き出し、片方が抑制する。そのバランス! お爺ちゃんと、気持ち悪い赤ちゃん像の『二人』で!」


 桜は偉そうに腕を組み、自信満々に言い当てた。

 ルイ老人は嬉しそうな顔になり、その意識内にいるリオの生首は、目と口をあんぐりと開け呆然とした。


 そして老人は軽口を叩く。

 これもまた、肯定のおふざけ。


「気持ち悪いとは心外だな。わしの可愛い息子だぞ」

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