-35話 『像と霧』

 今より約五万年前。

 地球は最終氷河期のまっただ中。

 世界中に点在する旧人類は、食に困り徐々に衰退。逆に現生人類ホモサピエンスはアフリカから世界へ旅立ち、その勢力を徐々に拡大させていた。


 そんな時代。

 現在で言う西アジアに、狩りや採集をしながら土地を渡り歩いているホモサピエンスの小集団がいた。


 彼らが今拠点にしている、洞窟の入り口付近。

 十三歳の少年……いや当時の感覚では青年が、先を尖らせた石を別の石で打ちながら木を彫っていた。

 カンカンと響く音につられ、青年の友人がやって来て尋ねる。


「ルイ。何ヤッテル?」

「息子の供養をしようと思って」


 ルイと呼ばれた青年は顔を上げ、そう返事をした。

 彼は硬い香木を彫り、赤子の像を製作している。

 それは昨日さくじつ産まれた直後、母体と共に亡くなってしまった、彼の息子を模した物だ。


「供養。どうして。ルイの子、花と一緒、埋めタゾ」


 友人が首を捻った。

 この部族には原始的な宗教観が有り、死を敬い恐れる風習があった。その一環としてルイの妻と子は、沢山の花と共に地中へと埋葬されている。


「あれだけでは、気持ちの整理が付かなくてね」

「整理? 気持ちヲ? でも気持ち見えナイ、持てナイ物。それをどうやって整理スル。相変ワラズ、難しいコト言ウ。変わった奴ダ」


 確かにルイは変わっている。

 明らかに他の者達とは違っていた。


 その頃の人類はまだ声帯が今ほど発達しておらず、流暢に会話が出来なかった。

 しかしルイだけは、スラスラと素早く発声できる。

 その上、頭も良い。

 周りの者達が百聞いて一しか理解できないような事柄を、ルイは一聞いただけで千も理解できた。


 容姿もそうだ。

 その頃の人類は平均的な現代人に比べ、口が多少前に突き出ており、額が狭く、頭頂が平ら。つまりは『猿っぽい顔』であった。

 比べてルイは、口元が平らで、額も頭頂も現代人並。

 ただ当時は妊娠中や出産時の事故で、頭骨が歪んだまま産まれてくる者も少なくは無かった。なので、顔の形を気にする者はあまりいなかったのだが。



 進化の先取り。

 ルイは、星に選ばれた者だった。



 選ぶと述べたが、それは言葉のあや。

 星に意思があるのではない。


 それは別の宇宙、別の惑星でも、たまに起こる現象だ。


 高度な知的生物――地球で言うと人間――が誕生し文化形成を行うと、それまで星には存在しなかった新種の生命エネルギーが発生する。

 その生命エネルギーは長年かけて星に馴染んで行くのだが、馴染みきるまでは歪みが生じてしまう。

 その歪みが許容量以上に溜まり、破裂すると、いわゆる『奇跡』や『神変』と呼ばれるような出来事が起きる。


 本来なら数千代以上かけて進化する『先』の結果を、唐突に誕生させてしまうのだ。

 簡単に言うと、「原始人が未来人を産む」。

 しかもただの未来人ではなく、その能力を如何なく発揮出来るように超能力まで備えている。



 進化の先取り現象が起きた惑星には、数人の天才達が生まれる。

 この天才達は文明の発展に大きく貢献し、後の世の人々から『神』と呼ばれるようになる。

 つまりルイもその神。しかも第一号。

 もっと具体的な言葉を使うならば、『地球で初めて知能と超能力を合わせ持った生物』である。

 第一号であるため、その超能力も原始的で弱いものではあったが。



 進化した先の人間故に、仲間達より手先も器用だ。

 今彫っている木彫りの赤子像も、今にも動き出しそうな程に見事であった。


「ルイ、やっぱりお前、何かヲ作るの、上手い。ソレ凄い」

「ふふふっ、ありがとう」


 友人は像を見て感心している。

 当時の人々の中にも、趣味として壁画や彫刻を嗜む者はいた。

 ルイの芸術は、それらを遥かに凌駕する出来栄えである。


「でもルイ。木、いつか腐る。オレの父ガ作った匂い木の杖、もうボロボロ。今ちょうど捨てようと思っテタ」


 友人はそう言って、朽ちかけた棒を掲げた。

 ルイが今彫っている像と同じ香木で出来ている。


 この部族の材木防腐処理は、あまり発達していなかった。

 そもそも防腐する必要性も薄かった。狩場を渡り歩く生活をしているため、住居や倉庫を建築する機会が無いからだ。

 狩猟採集に使う木の道具には、一応樹液等を付けて少しだけ腐りにくくしている。しかしそもそも、腐るより前に折れてしまうケースの方が多かったため、最初から使い捨て感覚。

 樹液以上の防腐処理を考案するのは、逆に非効率となってしまう。


 当然ルイも、この赤ん坊像がすぐに朽ちてしまう事は承知している。


「分かっているさ。ただの気休めのようなものだ」


 そう言って、寂しそうに微笑んだ。




 しかし、像は中々腐らなかった。



 数年後にルイの友人が死んだ時も、像は彫ったばかりの頃と変わらずにいた。

 更に数年後、ルイと同世代の者達が全て死んでしまった時も、像は相変わらず綺麗なまま。

 更に数年後、ルイの息子と同世代の者達が全て死んでしまった時も、同様であった。


 その頃、ルイは部族の長老となっていた。

 三十歳。他の仲間達より遥かに長生きである。


 当時この部族の平均寿命は十五歳程。

 それは子供の生存率が極端に低かったせいもあるが、それを除外して考えても、殆どの者は二十歳までに病気や事故で死んでしまう。


 そしてまた更に数年後。ルイも像も未だに若々しかった。

 さすがに仲間達にも気味悪がられ始めたので、ルイは事故で川に流された振りをして、部族から抜けた。


「どうやら俺は、他の奴らとは何かが違うみたいだね」


 などと呟いてもしょうがない。

 まずは新天地を目指し旅をしながら、一人で生きる術を考える。


 狩猟採集は一人では効率が悪い。

 本来なら仲間達と一緒にやるべきなのだが、今はそれを望めない。

 とりあえずは簡易的な罠で狩れる小動物や魚、木の実等を食べて過ごした。

 だがそれも数日で飽きる。


「たまには大型獣の肉も食べたいものだ」


 小動物より大型獣の方が旨いと言う訳では無い。だが日頃慣れ親しんでいたのは、部族皆で分けて食べる大型獣の肉。

 鹿の先祖である獣を遠目で眺めながら、ルイは溜息をついた。

 すると突然、鹿がルイの顔を見た。お互い目が合う。


「おや、何か用かな鹿くん?」


 少々茶目っ気を出して話しかけると、鹿が近づいて来た。

 ルイが鹿の頭に触れようと手を伸ばすと、その獣は突然我に返ったようで、慌てて逃げ出す。


「何だろうね、今のは」


 当時は家畜犬もまだ存在していなかった。動物が人間に懐くなど、有り得なかった時代。

 だがその後も、猿や鳥が同様にルイへと近づき、触れる直前で逃げ出していった。


「……ふむ」


 ルイはこの時、初めて『自分の超能力』に気付く。

 それはテレパシー。

 心に直接話しかけられ、思考が単純な獣はルイを仲間だと勘違いし、近くに寄って来たのだ。


 テレパシーは、やり方さえ知っていれば誰にでも出来る『技術』だ。

 ただしルイはそのやり方を知らない。知らないにも関わらず技術を使えた。そこが『超能力』。

 ルイが生まれつき持っている、後の世に魔力や神力や妖力と呼ばれるようなエネルギー。その力を消費し、無理矢理テレパシーを発動したのである。


「何だか知らんが、ありがたく利用させて貰うとしよう」


 ルイは早速超能力を使い、鹿を狩ろうとした。

 鹿の心に話しかけ、罠の場所までおびきだす。

 罠とは、崖の下の地面に木片を何本か打ち込み、それらの先を尖らせた物。

 超能力で誘導されて来た獣は崖から落ち、杭に突き刺さって死ぬ。


 そうやってルイは無事、目的の肉へとありつけた。

 久々にご馳走を食べ、満足する。


 残りの肉は他の獣に分け与えようと考える。

 とりあえず木の上へ登り一休みしていると、遠くに虎の先祖が通りがかっているのを発見。

 彼ら肉食獣は基本的に自分達で狩った獲物しか食べないのだが、テレパシーでおびき寄せ、鹿肉を「仲間が狩った獲物」と勘違いさせ、巣に持ち帰るよう促した。


 後片付けも済んだルイは木の上で微睡まどろみながら、何となく木彫りの赤ん坊像を思い出していた。

 部族を出る時に、そのまま置いて来てしまったが……今頃はおそらく、死んだと思われているルイの供養のため、川底に沈められているだろう。


 そんな事を考えながら居眠りしていると、



「○×○ゥ△×ァ○××オーサ……」



 聞きなれぬ言葉が頭に響く。

 テレパシーに目覚め、感知能力が高まったせいだ。今まで聞こえなかったものが、聞こえるようになっていた。


 ルイは、肉体が眠ったままで、意識の奥底で目覚めた。

 暗闇。よく見ると、濃い黒い霧が漂う場所だ。

 そんな霧の中に、数多の亡者が彷徨っていた。

 亡者たちは皆、何やらぶつぶつと呟いている。


「××△〇×ォ××〇……」

「○×○ゥ△×ァ○××オーサ……」

「〇〇ェ〇△×◇……」


「別の部族の言葉かな? どういう意味なのだろうね」


 一を聞くだけで千を知るルイでも、流石に『別宇宙の言葉』は理解出来なかった。

 ただ、苦しさ、悲しさ、そして憎悪の感情は伝わってくる。


 そして中でも一際大きな憎悪を持つ少女が、ルイの目に止まった。

 彼女は首を切断され、頭と胴が離れていた。その頭を左腕に抱えている。

 更に、両足の膝から下が無く、地面を這うように動いている。

 首や足の傷口から、血の代わりに黒い霧が吹き出していた。


 その痛々しい姿に、ルイはつい眉をひそめた。


「×△ゥ■〇〇ァ△……」


 少女はルイに気付き、近づいて来る。

 言葉こそ分からないが、ルイは彼女に興味を持った。

 口頭とテレパシー、両方を使って同時に呼び掛ける。


「きみは誰だい? ここは、どこだい?」

「〇ェ〇×〇◆×」


 やはり言っている内容は理解出来ない。

 しかし相性が良いのか、少女の記憶がおぼろげながら伝わって来た。


「……きみ達は、他の世界から来たというのかい?」


 悠久なる旅路の記憶の断片が、何となくだが頭に流れ込んでくる。

 他の世界。それは山や海を越えた先、などとはスケールの違う話。

 本当に、この世ならざる場所。

 空を越え、その先を越え、更にその先にある。


 少女たちは、数多くの異なる世界を旅して来たらしい。


 そんな別世界にも、様々な生き物が住んでいるようだ。

 形、色、言葉が違う者達。

 中には、我々とそっくりな『人間』もいる。


「人間、か」


 姿が同じだけでなく、環境や文化まで似ている世界もある。

 そこでルイは、ふと考えた。

 

 もしや、その中には、自分や妻や子に似ている人間が、仲良く暮らしている世界もあるのだろうか……



「……行ってみたい」



 別に今更、家族に会いたい訳では無い。

 ただ純粋な好奇心。

 単純な興味から、ルイはそう呟いたのであった。

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