131話 『姉「五万て」』
「テルちゃん、莉羅ちゃん。ここでちょ~っと待っててね」
「あ、姉さん待っ……」
テルミの制止を聞かず、桜は高く飛び上がった。
天井をぶち抜き、屋根に大穴を開ける。
大量の瓦礫が、テルミと莉羅を
代わりに複数の殺し屋達が犠牲になった。彼らは霧に変化出来るので怪我の心配は無い……とは言え、急に屋根が降って来たらやはり驚く。
しかも桜は弟妹を守るため、飛び上がり際に念動力を駆使し、殺し屋達をその場から動けなくしてしまった。
動けないと言っても、足の先が地面にピッタリ固定されたような状況であり、霧化は可能……なのだが。霧ですり抜ける体になっても、その場から動けない状態で瓦礫のシャワーを浴び続けるのは生きた心地がしない。
そんな忍者風殺し屋達の悲鳴は気にせず、桜は屋根上で目を閉じた。『空間把握』の超能力を使い、九蘭家敷地内の全体像を確認する。
テルミ達が今いる棟から少し離れた場所に、広い建屋がある。ただ『広い』と言うのは簡単だが、その広さたるや、具体的に言うならば桜が通っている高校の敷地がすっぽり入ってしまう程。
一家族所有の家屋とは思えぬ、なんとも馬鹿でかい建物だ。
「さっすが金持ちね。いや金持ちすぎて引くわ! ホントにここ都内だっけ?」
あの巨大な棟は、九蘭一族の皆が修行およびスポーツ、レクリエーションなどに使用している。簡単に言うと体育館だ。規模的にはアリーナと言うべきかもしれない。
「まあでも、あそこなら暴れる舞台に打って付けね」
桜はそう言って軽く右足で屋根を蹴り、跳び上がった。そのまま、巨大アリーナの屋根に飛び乗る。
「
桜はそう言って、右足をドンと踏み鳴らした。
アリーナ内では無く、あくまでもアリーナの『屋根の上』で戦うのを所望している。
何故かと言うと、そっちの方が目立って気持ち良いからである。
「オラオラァ! ここまで来なさい、
桜は叫びながらルイ老人を指で差し、念動力で自分の近くへ引っ張り上げようとした。
しかし老人は「御老体と呼びながら、敬うつもりは無いようだね」と苦笑しつつ、涼しい顔。その場から動かない。
桜の超能力が効いていないのだ。
「ああそうだったわね。あのお爺ちゃんの霧だけは、何故か掴めないのよね」
桜は、以前ルイ老人と一戦交えかけた時の記憶を振り返った。
老人の霧は他のグロリオサ達の霧とは違い、念力や電磁場能力で実体を捉える事が出来ない。
緑色の霧では無く、力の本質により近い黒い霧だから……と言う訳でもなさそうだ。百合やドラゴンの黒い霧は、桜の念動力で容易く掴む事が出来た。
「ルイ! ぼーっとしてないで! 早くあの女を追いかけて、やっつけて!」
リオが老人の頭の中で喚いた。
この霧の少女は、『桜と老人の間に見えない攻防があった』という事に気付いていないらしい。
老人は小さく息を付き、
「ああ、分かっているさ」
優しくそう答えた後に体を霧に変え浮遊し、自ら桜の傍へと移動した。
アリーナの屋根に乗り、霧化を解き生身でヒーローに対峙する。
「あーらお爺ちゃん、逃げても良かったのに。随分と余裕な態度ね。年甲斐も無く無理すると、ポックリ地獄に行っちゃうわよ?」
桜は腕を組み、わざと相手を怒らせようと挑発した。
しかし、老人は変わらず落ち着き払ったままだ。
「それでお爺ちゃん、勝つ算段はあるのかしら? あんた程の使い手なら、あたしとの間に圧倒的な力量差があるってのも分かってるでしょうけど」
桜は懲りずに挑発を続ける。
だが台詞の内容は挑発でなく事実。
ルイ老人自身も、『大魔王』と『霧』の実力差はきちんと把握している。
「そうだね、分かっているさ。さて、どうしたものかねえ桜くん」
と冗談っぽく笑う老人。
把握していてもなお、落ち着き払っている。
一方、桜は相手が『カラテガール』でなく『桜』と呼んだ事に少々戸惑った。
正体がバレている……
…………
でもまあいっか。
マスコミや友人達にバレるのならともかく、相手は悪の組織の親玉。
悪の組織ごとぶっ潰せば、秘密は守られる。
桜は気を取り直し、老人が「桜くん」と呼んだ件はスルーしちゃおうと決めた。
「あー、オホン。じゃあともかくとにかく、今日であんたらグロリオサだかグラノーラだかは廃業でーす。あたしが引導を渡してあげるわねっ」
建物の下で見守っている殺し屋達に聞こえるように、大声で叫んだ。
そんな桜の様子を、ルイ老人は楽しそうに眺めている。すると、老人の意識内にいるリオが、再び語りかけてきた。
「ルイ! ルイ! あんな事言われてるよ! 勿論、勝てるんだよね!」
「うむ、そうだな……付け入る隙はあるだろう」
「その隙って、何!?」
リオはヒステリックに喚く。
そして桜も、
「その隙って、何かしら?」
と、リオと同じ質問を口にした。
先程のリオの台詞は、ルイ老人だけにしか聞こえないように話していた。
しかし桜は戦闘中で感知能力を上げているため、老人と少女だけにしか通じていない意識下のやり取りを、いとも簡単に傍受してしまったのだ。
ルイ老人は軽く肩をすくめ、仕方ないとばかりに語り始める。
「それはだね。桜くんがまだ『大魔王の力』とやらを、完全に『自分のもの』にはしていないであろう……という点だよ」
「ああ。そうね。それはそうかもね、多分」
老人の言葉に、桜はすんなりと頷いた。
桜の力は現状、「何かキッカケがあれば新しい技を使えるようになる」という、分かりやすく発展途中な状態。
まだまだ強くなる余地は残っている。というか、まだ序の口のような気さえする。
桜本人の認識としても、力を『自分のもの』にしているとは到底思っていない。
桜が簡単に納得したので、ルイ老人としてはここで話を引き上げても良いのだが。
しかし老人は子孫との会話を楽しんでいるのか、尚も話を続けた。
「桜くん。きみの体はおそらく今、徐々に強化改造されているはずだ」
「なーによ、人をサイボーグみたいに呼ばないでくれる?」
桜は茶化しながらも、内心では首を縦に振った。
魔力の向上に伴い、身体能力も目に見えて向上している。
魔力使用時の無茶な運動を体が覚え、魔力未使用時でも運動センスが高まった。
自己治癒能力も異常発達し、怪我や火傷も即座に完治。常に赤ん坊のような白く透き通った肌を保つ。
自分の目で見ずとも、その場の空間全てを把握できる。
そしてその目も、耳も、常人より遥かに良い。
確かに、強化改造と言えばそうなのかもしれない。
そのような桜の思考を察したのか、ルイ老人は小さく頷き、話を更に続ける。
「この霧の力にしても……」
老人は右手首から先を霧化させて見せた。
「わしが五万年かけて慣らして、やっとこうなのだ。大魔王とやらの真の力を、二十歳にも満たぬ少女の肉体が引き出せるはずがない。桜くんはまだ不完全……準備段階なのだよ」
「…………それは……」
建屋下から老人の言葉を聞いていた莉羅が、小さな声で何かを言おうとした。
しかしその呟きは誰にも聞きとられる事無く、
「五万年~っ!?」
桜の驚愕と胡散臭く思う気持ちを含んだ声に、かき消された。
「五万年前って言うと……ネアンデルタール人とかフローレス人とかの別人類がいて、マンモスがいて、サーベルタイガーがいて、大陸の形も今とは違ってて、みんな裸でウホウホやってた時でしょっ? お爺ちゃん、そんな時代から生きてたって言うの?」
「うむ……いや、服は簡単なものを身に付けていたぞ。冬は寒いからな」
「へー……って、いやいやいや」
桜は首を横にぶんぶんと振り、反証を続ける。
「いやいやいやいーやいや、でもおかしいって! だって、五万年前の人類は顔つきがまだ原始的なはずよ。頭はひしゃげてて、額はシワシワで猿みたいで」
「ああ、わしの家族や友人達はそうだった。何故か、わしだけ縦長くのっぺりした顔でね。よく
「ぐぬ……そ、それに、お爺ちゃん色白じゃないの! 最近のDNA研究では、白人達もつい一万年前まで肌が真っ黒だったって」
「わしも昔は黒い肌だったよ。いつの間にか白くなっていてね」
「マイ●ル・ジャ●ソンか!」
老人に渾身のツッコミを入れる桜。
そしてそのやり取りを聞いている、老人の子孫達――殺し屋達と、テルミと莉羅。
殺し屋達は
一方テルミと莉羅は、今まで散々不思議話に関わって来ているので、老人の話を素直に信じようとしていた。
そして、話を聞いていたのがもう一組。
『五万て。五万て! ようもああ、たいそうな大口叩かりはるなあ。それがホンマやったら、
京都弁交じりの女性の呟き。
その聞き覚えのある声にテルミが後ろを振り向くと、狐のぬいぐるみがフワフワと宙に浮いていた。
『あいつの事だ。冗談っぽく言っとるが、ホントかもしれんのう』
女性の声に続き、若い男性の声も聞こえる。
この男の声にも、テルミは聞き覚えがあった。
「キューちゃんさんと、ぬらりひょんさん?」
畿内の妖怪大将、九尾のキューちゃん。そして東山道の大将、ぬらりひょんである。
『やっぱりお前達の事が気になってのう。キューちゃんに頼んで、覗かせて貰っておるぞ』
ぬらりひょんが簡単に説明した。
キューちゃんの術で、ぬいぐるみを『カメラ&マイク付きドローン』状態にしているのである。
京都にいるキューちゃんがドローンを操作、及び映像と音声を東京にいるぬらりひょんに転送している。
ちなみにぬらりひょんの後ろから、「おい俺様も! 俺様もいるんだぜい!」と大天狗の叫ぶ声がしているのだが、キューちゃんが「うっせーどす」と一蹴し、テルミ達には天狗の声が届かないように加工していた。
そんな高度な編集をしつつ、キューちゃんはおずおずとテルミに話し掛ける。
『なあテルミ、そこは危険どす。はよ逃げなあかんて』
彼女は友達であるテルミの身を案じているのである。
決して下心は無い。
『逃げ先は……そ、そうやなあ。京都にある、わ、わ、わ、わらわの寝室とか……』
「いえ、僕はここで見届けます」
『わ、わ、わ……そうなん……』
下心は無い。
妖怪達の気配には、桜もルイ老人も当然気付いている。
老人はますます楽しそうな表情になり、桜に再び話しかける。
「桜くん……いや、空手
「キルシュリーパーよ!」
「君は、わしの『五万年』という言葉に興味深々のようだね」
「そりゃまあ、あんな言われ方して気にならないヤツはいないわよ」
桜の返事に、ルイ老人は「そうかね」と笑って頷く。
しかし、霧の少女リオは、
「何よルイ。ふざけないで! 昔話する暇があるなら、さっさとあの女殺してよ!」
と憤慨している。
だがルイ老人は笑ったままで、今回リオには返事をしなかった。
「教えてあげよう、桜くん。それにテルミくん、莉羅くん。そして我が孫たちよ」
その老人の言葉に、殺し屋達が騒めいた。
ルイ老人は屋根瓦の上に腰を落ち着かせ、リラックスするように足を伸ばした。
「長く生きていると、どうもお喋りになってしまってな」
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