第十四章 毒霧、大魔王、

122話 『弟は姉に導かれなさい』

 めっきり寒くなった、ある日の放課後。

 テルミは部活動として、校舎裏にある倉庫の清掃をしていた。


 この倉庫には、箒やチリトリや雑巾や洗剤、窓拭きワイパー等々、掃除のための校内備品が詰め込まれている。

 各校舎で掃除用具が足りなくなった時、この倉庫の中から補充する。予備や余りの道具入れという訳だ。


 だが掃除用具だらけな場所でも、誰かが掃除しないと埃塗れになる。

 その誰かが、テルミ。 

 今日も今日とて、嬉しそうかつ楽しそうに汚れを拭き取る、奇特な男子高校生だ。


 そんなテルミに、


「あのぉ……て、テルミくん……」


 と弱弱しく話し掛けたのは、手伝いに来ている生徒会二年生の柊木ひいらぎいずな。


「なんでしょうか、いずなさん」

「い、今更ですけどぉ。桜さまのご進学、おめでとうございますぅ」


 テルミの姉である桜は三年生。

 推薦入試で、早々に受験勉強から解放されていた。

 姉への祝辞に、テルミは「ありがとうございます」と爽やかな表情で返す。


「来年は、いずなさんも受験ですね。どの大学に行くかもう決められましたか?」

「は、はいぃ。おぼろげに、うっすらと、いちおぉー……」


 いずなは遠慮がちにもじもじしながら、


「わ、私は、桜さまと同じ大学を目指そうかな~って……」


 と小さく呟いた。

 テルミは笑顔で「頑張ってくださいね」と返す。



 この『桜と同じ大学を目指す』というのは、テルミが通う高校でのブームになっている。

 いやこの高校だけでは無く、近隣の高校を巻き込んだ一大ブーム。

 特に「将来設計も無いし、何となく大学いっとくか~」という生徒達は、この下心丸出しな進学理由に憑りつかれていた。


 そんな訳で、テルミとしては「またですか。あなたもですか。皆さんには主体性ってものが無いのですか?」と考えてもおかしくは無いのだが、根が善人であるテルミはそんな感情を抱いたりはしなかった。

 むしろ姉が慕われているという事で、誇らしくさえある。


 それに天才でも無ければ、無二無三に勉強を頑張らないと入れないような大学。

 どんな理由であれ、皆が勉強に目覚めたのは良い傾向であろう。

 そもそも桜の件があろうとなかろうと、大半の大学進学者の意識は元々この程度かもしれない。



 ともかく二人の話題は、柊木いずなの進路についてだ。


「さ、桜さまと同じ大学に行くには、もっともっと勉強しないといけませんけどぉ……今の私の成績ではとても……でも、私は………………ああぁ! す、すみませんすみませんん! 自信過剰の馬鹿女でごめんなさいいぃい! 今の妄言は忘れてくださいお願いしますぅ!」


 突然気恥ずかしくなり、頭を抱えてうずくまるいずな。

 だがテルミが、


「いいえ。目標を高く設定して努力する姿は、素敵だと思いますよ」


 と言うとピタリと嘆きを止め、


「え……す、素敵ですかぁ? え、えへへ。いやぁ……えっへへ」


 などと上機嫌になり、髪先を指でクルクルと巻いた。

 現金なものである。


「それであのぉ……テルミくんも、やっぱり桜さまと同じ大学を目指すんですか?」

「僕ですか? そうですね、僕は……」


 急に話を振られ、テルミは雑巾を拭く手を止めた。


「僕の進路は……」


 自分の近い将来を予想してみる。

 すると、どうしても姉の顔が脳裏にチラつく。

 自宅からそこそこ距離のある大学へ進学すると言うのに、一人暮らしをする気が一切無い姉。

 通う学校が変わっても、弟が姉の世話をするという構図は、しばらく変わらないだろう。


 そして、テルミの進路だが……やはりいずなに言われた通り、姉と同じ大学へ行くことになるような気がする。

 何故ならば桜はきっと、


「テルちゃんも、愛するお姉様と同じ大学を目指しなさいね。これは命令よ輝実てるみ。三浪までは許してあげる」


 と言うからだ。

 というか、もう言われたからだ。


「……僕もやっぱり、姉さんと同じ大学が目標ですね」

「そ、そうですかぁ! そうなったらまた私と一緒に、その一緒に……一緒にぃ……えへへ。な、なんちゃってぇ~へへ」


 いずな渾身の『プロポーズとまでは行かないけど、相手に気があると勘付かせる』セリフ。

 だがテルミは自身の進路について真面目に考え込んでいるため、いずなの言葉を自然にスルーしてしまった。



 先程『桜と同じ大学を目指すミーハー生徒達』にテルミが難色を微塵も示さなかった理由は、実はここにもある。

 姉の命令で進路を決めるテルミもまた、自分自身を「主体性が無いかもしれない」と密かに思い悩んでいたのであった。


 そもそもこの高校に入学したのも、「お姉様と同じ高校を目指しなさい。これは命令よ」と桜に言われたのがきっかけだ。

 一応『進学校だから』という、もっともな理由もあるにはある。

 それに『姉の事が心配だから』という理由もある。が……


「心配……か」


 テルミは、いずなには聞こえない小さな声で呟き、苦笑した。

 桜は家では怠け者だが、一歩外に出れば『何をやっても完璧にこなすお嬢様』になる。

 テルミが心配する余地など、蟻の通り道程も残っていない。


 進路についてだけでは無い。

 例えば、放課後一緒に帰る時もそうだ。

 以前ならともかく、今の桜が暴漢痴漢ひったくりその他に負けるはずが無い。

 となると、ボディーガード代わりの男手などは要らない。


 姉を心配する必要は、無い。


 では自分は何故、桜の言う事を素直に聞いているのだろうか。

 何故、いつも桜と一緒にいるのだろうか。


 いや、姉の傍が決して嫌なわけではない。


 むしろ、自分は……



「テルミくん。ぼーっとしちゃって……どうかしましたかぁ?」

「あ……」


 いずなの言葉で、テルミは思考の坩堝るつぼから帰って来た。

 首を振り、頭を覚ます。


「いえ、何でもありませんよ。心配させてすみません。ありがとうございます」


 人懐っこい笑みを見せ、またもやいずなを「はぅ……!」と赤面させた。

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