110話 『姉弟妹(きょうだい)3人+1、旅情編』

 日本国内で普通自動車免許を新規取得する方法は、大きく分けて二つある。


 一つ。

 公安公認の教習所に通う。

 これは殆どの者が取る主流の方法だ。


 二つ。

 教習所には通わず、個人で直接試験場に行って受験する。

 いわゆる飛び込み試験。一発免許、飛び入り試験とも呼ばれる。


 その飛び込み試験の場合、

『本来数十万円する教習所代がゼロになる』

『非常に短期間で免許取得出来る』

 というメリットがある……のだが……この試験は非常に難しい。恐ろしく難しい。

 合格率はたったの五パーセント程度。


 飛び込み試験とはそもそも、『更新忘れや違反などで免許を失効した者が、再取得する』というケースが主となる受験方法。そしてそんな元免許取得者から見ても、かなり難しい試験なのだ。


 運転経験の無い新規取得希望者も受験自体は出来るのだが、合格は遠い夢。

 非公認の教習所でみっちり勉強した後に、飛び込み試験に挑む……という流れなら、もちろん充分に可能性はある。

 しかし独学で挑む場合、何度も何度も何度も何度も何度も受験失敗を繰り返す事になるだろう。

 結局受験料と時間がかさみ、「最初から教習所行ってた方が安上がりだった」という結果になってしまうのが落ちだ。


『独学で、ただ一回だけの飛び込み試験で、即合格』


 なんてのは、よほどセンス抜群な者でないと不可能。

 人知を越えている、という表現も過剰では無いだろう。



「んで、あたしは人知を越えたセンスの塊だから。当然、独学の飛び込み試験で一発合格だったわよ」



 と。

 長々説明したが、つまり桜が短期で免許を取得出来たのは、そういう訳である。


「なるほど。さすが姉さんですね」

「でしょ! 褒めて褒めて! 甘やかして!」


 桜は威張って豊満な胸を張り、そのまま弟へ押し付けた。

 テルミは身を引き、セクハラ攻撃を避ける。


 ちなみに一発試験の場合も当然、仮免と本免の二段階に分かれている。

 仮免時、ベテランの免許所得者を助手席に乗せ路上練習する必要があるのだが、それは祖父に頼んでいた。


「どうりで、最近お爺さんが疲れていたわけです」

「何が『道理』なのよ? 失礼ね」


 桜は「こらっ」と笑いながら、テルミの額を指で突いた。

 この一秒間だけを見れば、まるで恋人のようなスキンシップ。

 久々の甘い時間に、桜は胸をときめかせる。


「じゃあテルちゃん、今週末さっそくドライブよ! 時間空いてるでしょ? 空いてるわよね? 命令よ、空けなさい」

「ええ、空いてます」


 本当は秋の町内清掃ボランティア大会があるのだが、テルミは予定を変更した。

 桜は無邪気に頬を緩ませる。


「やったー。楽しみにしててね!」

「はい。楽しみですね」

「わーい……楽しみー……」


 莉羅も期待で胸を膨らませているようだ。

 テルミが使っているベッドの下から、無表情な顔をヌッと出して喜んだ。


「って、莉羅ちゃん! いつの間にいたの!?」

「ねーちゃんが、にーちゃんに……セクシャルハラスメントを、してた時から……いた、よ」

「該当する場面が多すぎて、いつだか分かりませんね」


 というか本当は最初からいた。

 桜がワクワクソワソワしながら廊下を歩いているのを見て、「これは何かある。それも兄絡みで」と勘付いて監視していたのだ。


「二人だけで、デートは……だめー……りらも、行く……」


 莉羅はドライブへの同行を要請。

 これは勿論、姉の『車内でキスしてその先もヤッちゃう』作戦を阻止するためである。

 しかし桜は、


「あらあら。もしかして、仲間外れにされたと思って拗ねてるのかしら? やぁ~ん! 莉羅ちゃんったら、あたしに似て可愛い~!」


 と、わりかし好意的な解釈をした。

 テルミ同様、桜も妹には結構甘いのである。


「分かった分かった。莉羅ちゃんも一緒に遊びに行きましょうねーっ」


 そう言って桜は両手を莉羅の頭に置き、シャンプーするようにワシャワシャと撫でた。

 莉羅は相変わらずの無表情だが、何となく迷惑そうな空気を醸し出す。


「ってワケでテルちゃん、今週は三人で遊びましょ。二人きりのデートは再来週って事で」

「再来週も……りらも、行くー……」

「じゃあデートは再々来週って事で」

「ささらいしゅうも……りらも、行くー……」

「もー、莉羅ちゃんったら甘えん坊さんね!」


 莉羅は意地でも、姉と兄を二人きりドライブには行かせないつもりだ。

 桜は莉羅を抱え上げ、楽しそうに笑った。


「では僕はお弁当を作っておきますね。莉羅は好きなお菓子でも買っておきなさい」


 テルミはお母さんのような台詞を言って、財布から五百円玉を取り出した。




 ◇




 免許取りたて初心者マーク付きだと言うのに、桜の運転は気味が悪い程に上手かった。


「全然揺れませんね。山道なのに」

「おんぼろ自動車、なのに……ね」


 助手席のテルミと後部座席で寝転がっている莉羅が、素直に感心している。

 桜は「おーっほっほっほ!」と高笑い。


「でしょー? 母さんや父さんが運転してるのに乗ってた時は、道路にちょっとデコボコあるだけでガッタンガッタン揺れてたもんね。その点あたしの超絶ドラテク。電気自動車並の静穏走行。たった運転歴一週間にして、もう両親より数段レベルが上になっちゃったわね」


 そんな得意気な姉の台詞を聞き、莉羅は、


「だって、さ……パパ」


 と兄が手にしているスマホへ話しかけた。

 画面には、痩せている中年男性が映っている。


『うう……不甲斐ない父親で済まない。そしておんぼろ車で済まない。子供達よ……』

「って父さん! いつの間に、どうしてテレビ電話してんのよ」


 スマホ画面の男は、テルミ達の父。

 長期海外出張中のサラリーマンである。


「今日の事を話したら、父さんは姉さんの初運転が怖……いえ、心配……いえ、えっと……とにかく見物したいと言われまして。なのでこうやってテレビ電話で……あ、姉さん。余所見をせず、前を見て運転してくださいね」


 テルミはスマホの内側カメラを姉の方に向け、状況を説明した。

 父はうんうんと頷く。


『ちなみに母さんは今、地元の格闘ジムへ道場破りに行ってる。元気だから心配しなくていいよ』

「その説明からは、心配な点しか見当たらないのですが」

「相変わらず、だね……」


 莉羅は千里眼で母の姿を覗いてみた。

 屈強なマッチョ黒人を殴り倒し、泣かせている。


 桜はハンドルを切りつつ、


「全く。無謀でワガママな親を持つと苦労するわね!」


 と言って溜息をついた。

 そんな姉の運転姿を見て、『無謀でワガママな姉を持って苦労している』テルミと莉羅は、もっと大きな溜息をついた。


 この母娘は血の繋がりが濃い。濃すぎる。

 姉弟妹の中で誰が一番母親似か、と問われた場合。顔だけを見るならテルミが最もそっくりなのだが、思考や行動の点では圧倒的に桜である。

 

「それより父さん、もしかして運転中ずっとあたしらを見てるつもり? テルちゃんのスマホ、充電無くなっちゃうでしょ」

『大丈夫だもーん。助手席前の小物入れに、車内用のスマホ充電器が入ってるもーん』

「もーん、って。父さん何歳よ?」

『まだ四十だもーん』


 可愛い子ぶる父の台詞を聞き、テルミは小物入れを開け充電器を取り出した。

 シガーソケットに装着するタイプだ。


『ちなみにその小物入れはグローブボックスって言うんだぞ、テルミ』

「なるほど、知りませんでした。でもどうしてグローブなんですか?」

『ごめんそれは知らない』


 なんて久々の父子四人の会話を楽しみながら、車は山を登っていく。

 徐々に目的地がへ近づいてきた。


「さあ残り十数分程度で、ゴールの『綺麗な景色を一望出来て、カップルがよくアレしちゃってる峠』に到着するわよ!」

「わーい……カップルの、アレ……だー」

『いやあ懐かしいなあ。そこは桜が生まれる前に、父さんと母さんもアレした所だよ』

「わーい……アレ……だー」


 アレが何かは知らないが、テルミは不適切な空気を感じ、


「父さん、姉さん……」


 と非難めいた声を出した。

 桜は笑っているが、父は慌てて取り繕う。


『あっ、アレって別にエッチな事とかじゃないからね。テルミ、莉羅』

「えー……違うの……?」


 莉羅は残念そうに呟き、クッションに顔を埋めた。

 教育的配慮に成功しホッと一息ついたテルミは、次に車内のデジタル表示時計を見る。


「それはともかく姉さん、もう連続二時間も運転していますよ。十五分くらい休憩しましょう」

「えー? 別に良いじゃない、もうすぐ到着するのよ?」

「ダメです。安全運転のため、二時間ごとに十五分休憩です」

「もーテルちゃんったらクソ真面目なんだからー!」


 桜は拗ねた顔をしてみせる。

 一方父は、テルミの意見に賛同した。


『いいやテルミの言葉は正しい。休憩は大事だよ桜。うん、とても大事だ。桜には休息の大切さを学んで欲しい。母さんみたいになる前に』


 父は深く頷きながら言った。

 彼はいつも妻の過酷なジョギングに付き合っている。

 大型ネコ科動物並の速さを、丸一時間継続して求められる地獄のトレーニング。

 一切の休憩無し。

 元気一杯な妻の遥か後方で、毎日死にそうになっている。


「せめて休憩をください、ママ……」

「ダメだ。走れ」


 という会話を、何年も続けているのである。

 ただ妻は自分の体重以上の重りを担いでいるのに対し、夫は重り無し。

 そこに幾許かのラヴがある。


 娘には休憩の大切さと、あわよくば母より大きなラヴを身に付けて貰いたい。


「分かったわよ、仕方ないわね。はーい、じゃああの狭い公園みたいなトコで休~憩~。おしっこターイム! 莉羅ちゃんはジュースばっかり飲んでたし、おしっこしたいでしょ?」

「まあ……したいっちゃあ、したい……すごく、したい……」


 という訳で駐車。

 さっそく莉羅は車のドアから飛び出し、公衆トイレへと向かう。

 獣や変質者がいるかもしれないと考え、テルミは慌てて妹の後を追った。その手にはテレビ電話中のスマホが握りしめられており、


『いやあ莉羅の世話で苦労をかけるねえ、輝実マイサン


 と、家族と離れて暮らす父が申し訳なさそうに言った。


「いえ、苦労でも何でもないですよ。大切な妹ですから」

『そうか。テルミは良い子だなあ。流石俺の子だ』


 そしてトイレも済み、兄妹二人とスマホ父は車へ帰ろうとする。



 その時であった。



「うぎゃああああっ!? ええええ、何よコレ何よコレ何よコレ! キモッ。ウザッ。キモッキモッッ」


 桜の悲鳴……と言うか罵倒が聞こえて来た。


「姉さん!?」

「ねーちゃん……?」


 テルミ達は車へと駆け出す。

 慌てていたため、スマホを落としてしまった。


『おい、今の声何? どうしたテルミ! テルミー、おーい。おおーいってば』


 父が呼び掛けているが、今は一旦保留。

 テルミはスマホを地面に放置し、姉の元へと急いだ。


 約五秒後。

 ようやく車に到着したテルミは、驚くべきものを目にする。

 運転席で桜が……桜の……


「ね、姉さん……えっ……まさか……」


 そこにあったのは。



 桜の、生首。



「し、死んでる……?」

「失礼ね。生きてます!」

「うわあっ!?」


 生首の目と口が開き、いつもの姉の声が飛び出す。

 テルミは恐怖と安堵が混じった、絶妙な悲鳴を上げてしまった。

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