第十三章 ドライブ、きょうだい、異、
109話 『姉ドライバー』
秋から冬になりつつある、とある肌寒い日。
テルミがスーパーで夕食用の買い物を済ませ、徒歩にて帰宅途中の事である。
「やあ、こんにちはテルミくん」
二十歳前後の若い男性が、突然テルミに話しかけて来た。
「その節は迷惑をかけてしまったね。私はコレこの通り、すっかり元気になったよ」
男はそう言って、右手をグーパーさせた。
しかしテルミは首を傾げる。
この男が誰だか、全く分からないのだ。
声はどこかで聞いた事があるような気もするが……
「ええと、申し訳ありません。失礼ですが、どなたでしょうか?」
「あっそうか」
男は気を悪くするでも無く、手提げバッグに腕を突っ込み、金色に光るマスクを取り出した。
マスクと言っても風邪マスクではなく、目の周囲を隠すタイプの覆面マスク。
映画等の仮面舞踏会シーンで良く見る、ベネチアンマスクだ。
「クックック……ゲホッ……私だよ、私」
男はマスクを顔に当て、無理に高い声で笑って咳込んだ。
そこでテルミはようやく気付く。
「
「ああ。妹くんのスーパーパワーのおかげでね」
九蘭百合の霧で、右手が溶けてしまっていた首領。
霧の竜が片付いた後に、莉羅の能力で治療して貰っていたのである。
「しかし首領さん。今日は普通の恰好なのですね」
本日の首領は、いつものような黒づくめマント姿ではない。
普通。本当に普通の服装。特筆する所も無い。
その辺を歩いている若者A、と言った印象である。
「ああ。あんな事件もあったし、昼子サンとも急に連絡取れなくなったし、レンくんも『飽きたのれす』って帰っちゃったし。もう
「大学生だったのですか」
「うん。大学生じゃないと、あんな馬鹿な事はやんないでしょ」
「なるほど……」
ともかく、学生の内にマトモな道へ軌道修正出来たようである。
元首領はへらへらと笑いながら、ベネチアンマスクをバッグへ戻した。
やめたのに、どうして未だにマスクを持ち歩いているのだろうか。とテルミは考えたが、追及はしなかった。
「そうだテルミくん。ところであの、黒い霧に変身した子供……いや、キミの先生は……」
元首領はそこまで言った後に、思い直して口をつぐむ。
「いや。私がそんなの知った所で、どうしようもないな。うん、やっぱりいいや」
「……すみません」
その気遣いに、テルミは頭を下げた。
重くなりかけた空気を払拭するため、元首領は
「そういえば私の手が光る手品で、一度テルミくんを鑑定した事があったね」
手品とは、元首領が持つ超能力。
解説おじさんの『
「ええ。ありましたね」
テルミの鑑定結果は『母』属性。
よく意味が分からなかったので、当時はスルーしてしまったのだが。
「あの時に分かったんだけど。テルミくん、キミはどうも『巻き込まれ体質』のようだ」
「巻き込まれ……?」
「その顔は、身に覚えあるってカンジだね」
確かに、身に覚えはある。
ありまくる。
姉の件を始めとして、様々な怪奇事件に巻き込まれ続けているのだ。
「あまり構えていても仕方ないけどね。でもなるべく、危ない所には近づかない方が良いぞ」
その言葉を聞き、テルミは額に汗を流した。
危険個所に近付くなと言われても、同居している姉の桜が一番危険な気がする。
「……はい、肝に銘じておきます」
「では私は今から講義レポート作るんで、そろそろ帰らなきゃ。また今度、妹くんにもお礼を言いに参上するよ」
と言って右手を振り、元首領は帰って行った。
どうやら真っ当な学生生活を送っているようだ。
彼に宿る解析能力を正しく使えば、きっと学問で成功を収めるだろう。
何の学問をやっているのか、聞きそびれてしまったが。
そんな考えを抱きながら、テルミは解説おじさんの姿を思い浮かべた。
◇
その夜。
テルミが自室座卓で正座し勉強していると、突然部屋の扉が開き、
「おお~我が愛しの弟よ~おおぉぉ~ん!」
と、何故かミュージカル風に桜が乱入して来た。
テルミは振り向くと同時に、姉から抱き寄せられる。
巨大な二つのバストに、弟の顔が挟まった。
桜は寒さに強く、薄いTシャツ一枚姿。
風呂上がりで下着無し。
胸の柔らかさと弾力を、顔面でモロに感じてしまう。
「うぶ……」
テルミは姉の胸から顔を引き剥がし、少々迷惑そうな表情で、
「……どうしたのですか、姉さん」
と言った。
「あのね、お姉様は暇なのよ。遊ぼっ」
「そうですか。なら部屋の掃除でも」
「掃除はNOよ。それより何か、楽しい芸でもやって頂戴」
姉の無茶振りが、いたいけな弟を襲う。
現在の桜は、とにもかくにも暇人であった。
生徒会長を任期満了につき退任。
大学受験も早々に推薦合格。
しかし同学年のほとんどは未だ受験モード中につき、授業は自由参加の自習。
やる事が無い。
ヒーロー活動を時間拡大するというのも考えた。
しかし『今この時期だけ活発になる』というのは、『推薦受験が終わって暇な高校三年生だ』という正体暴きの推測材料になってしまうかもしれない。
ちょっと考え過ぎのような気もするが、ミステリアスなイメージを保ちたい桜としては少々の懸念も残したくない。という訳で、ヒーローは今までと同じ時間にしかやらない。
なのでやはり、やる事が無い。
ついでに言うなら、黒い竜の一件後、グロリオサから戦いを挑まれる事もなくなった。
一応監視だけは続いているのだが、彼らが何かを仕掛けてくることは無い。
桜にとっては些細だが、それも暇になった一つの理由ではあるだろう。
「今のあたしは、莉羅ちゃんと遊んだり、テルちゃんにえっちな悪戯するしか無いのよー!」
「悪戯はやらなくてもいいでしょう」
「いいえ、悪戯は心のゆとり。豊穣の雨! 悪戯しないと、色んなモノがカラカラに乾いてしまうのよ!」
そう言って桜はシャツの裾をめくり、生地が伸びてしまうのも構わず引っ張り、テルミの頭にガバッと被せた。
テルミは、姉の服の中に顔を突っ込んだ形となる。
「ね、姉さ……!?」
テルミの視界が暗くなり、頬や鼻頭には先程よりもっと柔らかな感触。
「やめてくだ……」
「あぁ~ん。痛ーい」
テルミは喋ろうとして、桜の肌を軽く噛んでしまった。
「も~。今日のテルちゃんは、大胆かつ乱暴に攻めちゃうタイプなのかな? カナ?」
などという姉の言葉は無視し、テルミは冷静に桜の服から顔を引き抜いた。
溜息を吐いた後、呆れ顔になる。
桜は弟から冷たい視線を送られゾクリと震え、満足気な表情になった。
「……遊んでないで、大学の勉強を今から予習してみたらどうですか?」
「えー。マジめんどくせーからヤダ」
「ではやはり、家事の手伝いを」
「ヤダーヤダー」
桜は唇を尖らせ文句を言いながら何気なくリモコンを手に持ち、テレビのスイッチを入れた。
画面には車のコマーシャルが放送中。
細マッチョな外国人俳優が運転席に座り、右手だけでハンドルを回し、助手席女性の肩へと左腕を伸ばす。
画面端に小さく『片手運転は止めましょう』の注意書き。
『皆がワクワクする車――僕らがワクワクする時間――』
という意味が分かりやすいようで分からないキャッチフレーズが流れると共に、マッチョが女性に口付けをする……寸前で画面が暗転し、車の全体像と商品名とメーカーロゴが映った。
「あらやだ。片手運転、余所見運転、性行為の示唆。きっとクレームが付きまくって、来週には放送されなくなってるタイプのCMよコレ!」
「キスをしただけで、性行為の示唆では無いと思いますが……」
「何言ってるのテルちゃん、正気!? 男女が車の中でキスしたら、当然直後にカーセックスでしょ!?」
「……そうでも無いと思いますが……まあそれはともかく、下品ですよ姉さん」
テルミのお小言が耳に入っているのかいないのか、桜は突然「うーん……」と唸ってテレビ画面を睨み付けた。
かと思うと、唐突にニヤニヤ笑い出す。
ああ、これは良からぬ事を企んでいる顔だ……とテルミは思う。
そしてその考察は大正解。
桜はテルミの両肩を掴み、ユサユサ揺すりながら笑い出した。
「そうよ、自動車よ自動車! 普通自動車第一種運転免許!」
「免許を取るのですか?」
「取る取る! 空いた時間を有効活用しないとね。あたしには遊んでる暇なんて無いのよ!」
先程まで、桜自身が「暇だ遊ぼう」と言っていたのだが。
「免許取れたら、とりあえず父さんの車を借りるから。その時は二人でドライブしようねテルちゃん。もちろん車内でキスも」
「ドライブは楽しそうですが、キスは駄目です」
「そっかそっかー。テルちゃんも楽しみかーキス!」
「いえ、キスは無し」
「張り切ってやっちゃおうねー、キスからの十八禁展開! では数日後に、こーう御期待!」
数日後、とは言うが。
あくまでも高校に通いながらなので、合宿形式の教習プランには参加出来ない。
こんな状況で普通自動車免許を取得するには、どう時間を工面しても一カ月は掛かるはず。
テルミはそう考え、
「はい。楽しみにしていますね」
と、あくまでも『一月以上先の予定』として返事をした。
◇
そしてそれから、十日も経たずして。
「免許取ったわよー!」
「えっ! もうですか!?」
普段あまり物事に動じないテルミ。
しかし姉が予想以上の速さで免許を取得した事で、珍しく声を上げ驚いた。
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