107話 『弟は誰にでも優しいから勘違いするメスブタが現れるんだ(姉談)』
黒い霧の騒動から三日。
世間では、
「あの黒いモヤは悪の組織が放った兵器だ」
「いいや巨大海底火山から噴き出たガスだ」
「怪獣の吐息だ」
「宇宙人の仕業だ」
「皆の邪な心が、漆黒のオーラとなり日本を蝕んだのです。皆さん、今すぐ我が教団へ入りましょう」
などという推測や噂や願望が飛び交っていた。
一方ネットやテレビでは、『霧晴れ直後にカラテガールが大空から降臨した』という意味ありげな場面を偶然撮影した動画が話題に。
「やはりこの騒動には、あの女ヒーローが関わっているのだろう……」
と、誰もが疑わない。
そんな中、人工衛星から取られた写真なる物がどこぞより流出し、あの霧が『巨大な竜』であった事がバレた。
怪獣説が濃厚になると共に、
「こんなもん倒せるのは一人。あのヒーローだけだ!」
という世論が主流となる。
カラテガール改めキルシュリーパーは、ますます崇め奉られる存在となったのである。
そして、その正体である桜は。
「ああ~ん。今日もテルちゃんが夜這いにやって来た~! 弟に犯されちゃう!」
「姉さん。寝ぼけた事を言ってないで、早く起きて着替えてください。もう朝ですよ」
「寒いよ~」
「この季節に全裸で寝るからですよ」
「だって、裸の方がテルちゃんが喜んで欲情するでしょ? チラッ」
「喜びません。隠してください」
などと。
いつものように弟と朝の爽やかな会話を楽しみつつ、セクハラ三昧していた。
テルミの手をそっと握り、
「テルちゃんの手、暖かいね……と言いたいけど冷たいわね」
そう言って、不意に自分の胸へと押し当てる。
「やめてください」
「もっとお姉様の身も心も温めよう。ビショビショにしてやるぜ! って気概は無いの?」
「走って自分で温めてください」
理不尽な難癖をつけられつつも、テルミは姉の着替えを手伝い、日課のジョギングへと駆り出した。
……そんな日常に戻ったのだが、この数日で以前から変わってしまった点が多々ある。
◇
変わった点、一つ目。
「桜さま! 生徒会長御退任、お疲れ様でございますですした!」
「そうね」
「多年に渡り学校の発展向上にごじ……ええと、ごじ……ごじんろく…………とにかくとにかくとにかく! ありがとうございました!」
「ご尽力、かしら?」
桜がついに生徒会長の任期を終えたのだ。
新生徒会長は、旧生徒会の二年生女子から選出。当然、桜の取り巻き。
つまり、桜の権力は未だ確固たるものである。
現に今もこうして、以前と同じように生徒会室で女王様ごっこを続けている。
「でもでもでも! やっぱり私達にとっては桜さまがずっと一番かも!」
「だねー。御卒業されるまで、自由に
「ぁぅぅ……桜さまがいないと、これからどうなる事やら……ふ、不安ですぅ……胃がぁ……ぅぅぅ」
と、取り巻き達は尚も桜を持ち上げる。
しかしやはり、桜が最高権力の座から降りたという事実はもう覆らないのであって、
「落ち着きなさいあなた達。わたくしにはもう、生徒会長の責任も権限もありませんことよ」
桜も少しは大人しくなった。
「権限もないので、これは命令でも何でもない一意見なのだけど。下半期の部活動予算も当然、清掃部の取り分が一番多くなりますわよね? 何しろ、一番学校に貢献しているのですから。ねえ、新会長殿?」
「え……ええと……それは、どうでしょ……」
「…………」
大人しくなった桜は、不機嫌顔も大人しくなった。
以前は心臓を万力で潰す程の圧迫感だったのだが、今は心臓を素手でわし掴み粉砕する程度の圧迫感しか出ていない。
余計に怖くなってしまったのだが、それでも大人しくなったのには変わりない。
「あ、ああ! 当然です! 当然! テルミさま率いる清掃部に、全予算の七割……いいえ八割五部五厘を割り当てます!」
「あら。そんな、一チームだけ突出しすぎている少年野球の地方大会MVP成績みたいな……でもまあ、当然ですわよね」
大人しくなった桜は、高飛車に言い放つ。
やはりまだしばらくは……おそらく桜が卒業した後でさえも、全力の清掃部贔屓が続きそうである。
◇
変わった点、二つ目。
テルミが『九蘭百合の正体』を知った。
そして……
「真奥くん、昨日はすまなかったね。急な引っ越しの手伝いなんてしてもらって。感謝するよ」
「いえ。それより、新居の居心地はどうですか?」
「ああ、まあ上々って所かな」
百合が、九蘭の家――暗殺組織グロリオサから
百合はマンションの一室を借り、そこへ移り住んだ。
そして昨日テルミは、新居への物品搬入を手伝った。とは言え百合の持ち物はあまり無かったので、テルミの主な仕事は新居の掃除。ほぼほぼ掃除するためだけに行った。
「ご実家の方から何か連絡や……報復みたいなものは?」
「いや。それがちっとも無い。何故かすんなりと
百合は自虐気味に笑った後、またネガティブになりかけた自分にハッと気付き、気持ちを切り替えようと首を何度も横に振った。
「まあ、そんなのどうでも良いさ! ほらほら真奥くん、掃除頑張ろう!」
まだ多少無理している様子だが、空元気でも元気な事には変わりない。
長い箒を振り回す百合を見て、テルミは一応安心し清掃部活動を開始した。
「いやあいやあ、やっぱり掃除は楽しいね」
「はい。そうですね先生」
しかしやはり空元気は空元気なのであり、更に空回りも併発し、百合は、
「うにゃっ!」
と叫んで足をもつれさせた。
箒を無駄に動かし過ぎて、自分の足を引っ掛けてしまう……という、逆に器用な事をしてしまったのだ。
小さな先生が転倒しかけ、テルミは慌てて手を差し伸べる。
「大丈夫ですか、先生」
「あっうん……す、すまないね真奥くん」
百合はテルミの胸で受け止められ、転倒を免れた。
完全に『男子生徒に抱かれる女教師』の形になってしまったのだが、それよりもテルミは百合の身を案じる。
「無理しないでください先生。色々あって、まだ疲れが抜けきれていないでしょう」
「うにゅ……で、でも私はオトナだし。もっと頑張らないと……」
「先生は今までもずっと、あんなに頑張ってたじゃないですか」
その言葉に百合は顔を上げ、テルミと目を合わせた。
テルミは人懐こい笑みを浮かべている。
「たまには休んでも良いんですよ」
「あ……うぅ……」
百合の顔が、どんどん赤くなっていく。
そして同時に、どんどん泣きそうになっていく。
「……わ、私は……教師なのに……教師、だけど……」
百合は、テルミに聞こえない小声でそう呟いた後、何かを決心したように目を見開いた。泣きそうなせいで充血している。
「あ、ああ、あの、真奥くん!」
「はい?」
「い、今だけ……今だけ、だから……その……」
百合は上目遣いでテルミの顔を覗き込む。
「頭、撫でて欲しい……」
そう言って今度は目を固く瞑り、顔をますます真っ赤にした。
その様子を見たテルミは笑顔を崩すこと無く、
「はい」
と、彼女の頭に手を置いた。
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