106話 『兄と妹と先生と怨霊とドラゴンと姉と』

「真奥くん。覚えていないのだけれど……私は、一体何をしてしまったのかな……?」

「先生……それは……」


 不安気にテルミの腕へ抱き付く百合。

 テルミは、真実を伝えるべきなのかどうか迷った。


 ちなみにテルミも百合も、今は『霧の世界に紛れ込んだ意識』という存在である。なので、実際に抱き付いているわけでは無いのだが。

 しかしそれを隣で見ている莉羅は、無表情ながらムッとした。


「めすぶた一号……説明してる、暇はない……まずは、さっさと……逃げる……よ」

「めすぶ? ええと、キミは誰だっけ?」


 見慣れぬ小学生の存在に今更気付いた百合。

 子供と会話をする時の鉄則、『目線を合わせる』を実践しながら(そもそも最初から同じくらいの身長)尋ねる。

 すると、むすっとしている本人の代わりにテルミが紹介した。


「妹の莉羅です」

「い、妹さん! わ、私は真奥くんと桜さんが通っている高校の教師で」

「知ってる……」


 莉羅はそう言って、兄の手を引っ張り歩き出した。

 百合は慌てて追いかける。


 ともあれ「自分は何をしていたのか」という百合の質問を、有耶無耶に誤魔化す事は出来た。

 テルミが内心ほっとしていると、莉羅は兄の顔を見上げ、今後の行動予定を語り出す。


「……脱出する、ために……ちょっと、歩く……よ」

「今この場からは脱出出来ないのですか?」

「うん……ここは……グロリオサの霧の、最深部近く、だから……無理に脱出出来ない事も無いけど、ちょっと不安定……」


 そう言ってずんずんと歩を進める莉羅に、百合が、


「待って、ええと……莉羅ちゃん? キミはグロリオサの事を知っているのかい!? って、待ってよお!」


 と、早歩きで追いつく。

 しかし莉羅は面倒臭がって、返事はしなかった。


「先生、詳しい話は後でします。今は脱出を優先しましょう」

「えっ、うん……そうだね」


 百合は頷き、兄妹の横を歩く。


 しかし百合は考える。

 この口ぶりだと、テルミもグロリオサについて『何か』を知っているようだ。

 自分の正体も、多分バレているんだろうな……

 などと、落ち込む百合であった。


 しかしショボンとしている暇はない。

 霧の最深部から少し外れると、


「グロリオサ」

「あああ……」

「苦しい」

「グロリオサ」

「死にたい……死にたい……」

「僕も助けてよ……」

「グロリオサ」

「グロリオサ」

「グロリオサ」



「わ、わああああ! 何この声!? うわあああえええええっ!?」



 怨念達が、人や動物や樹木や人形や機械――生前の形を成し、三人の足にしがみ付こうと集まって来た。

 ホラー映画のような衝撃に、百合はあわあわと騒ぎテルミに抱き付く。


「オバケだあああ!」

「落ち着き、たまえ……めすぶた……」


 莉羅は百合を兄から剥がし、


「どうせ、害はない……ただの、念だから……」


 と説明した。

 そう言われて百合は怨念達を改めて眺め、ただすり抜けるだけの存在であると気付く。

 そして小学生女児に窘められた事にも気付き、顔を赤らめた。


「コホン……すまない、取り乱した」

「いいえ。いつもの先生にお戻りになったようで、安心しました」


 テルミの笑みに、百合はますます赤面する。

 とにかく気を取り直して先に進もうとした、その時。



「どうして、帰っちゃうの?」



「わ、わああっ!?」


 百合が再びテルミにしがみ付く。


 三人の前に現れたのは、首が切れ、両足が無い少女。リオ。

 彼女は左腕で自分の頭を持ち、右腕と腰の力で這いずり近づいて来る。

 目、鼻、口。そして首の切断面から黒い霧が湧いていた。


「不完全な霧だけど……でも、せっかく友達がたくさん増えると思ったのに。どうして。どうして。どうして」

「き、キミはどこかで見たような……」


 グロリオサの深層部に触れた百合は、何となくだがオーサとリオの存在を感じていた。

 しかし明確に『見て』『知った』わけでは無いので、おぼろげな既視感を覚えるのみ。


 リオの怨念は、黒く血走った目で百合を睨み付けた。


「逃がさない……許さない……あなたはここで、あたし達の仲間を増やすのよ……ねえ、ルイの子孫……」

「ひぅっ!」


 怨念は自分達に触れられない。百合はそれを理解していながらも、少女の瞳に怯え肩を震わせた。

 一方、隣にいるテルミは「ルイの子孫」という言葉に引っかかった。

 ルイと呼ばれている知り合いの顔が、脳裏をよぎる。


「逃がさない。逃げないでよ。逃がさないから」


 すり抜けるので通せんぼにもならないのだが、それでもリオは膝から下が無い両足で立ち、三人の行く手を遮ろうとした。

 しかし前のめりに転倒。

 頭が胴体から離れ転がるが、その眼は尚もテルミ達を睨む。


 百合は怯えながらリオの顔を眺め、おずおずと口を開いた。


「キミは何か、とっても辛い経験があるようで……そこは、気の毒に思うけど」


 足をがくがく震わせながら、少女に言い聞かせるように言う。


「私は、元の場所に戻らないといけないんだ! だから……だから、帰るよ」


 百合は次にテルミと莉羅の顔を見て、そして頷いた。

 しかしリオは納得せず、


「許さない……許さない……あなた達も。兄ちゃんも。許さない……」


 黒い涙を流しながら、三人を凝視し続けている。


「許さないからね……」


 少女の呪詛を浴び、テルミも胸が痛くなった。


 人を恨んでも、どうにもなりませんよ。

 ……と、口で言うのは簡単だ。しかしリオを始めここにいる怨念達は、何億年、何兆年、いやそれ以上の年月を、霧の中で苦しみ続けてきたのだ。


「許さない。許さない。許さない」

「…………くっ」


 テルミは、結局何も言えなかった。


「帰ろ……にーちゃん、めすぶた一号……」

「……そうですね」


 莉羅に手を引っ張られ、テルミは歩き出した。


「待って。行かないで……待って……許さない……!」


 リオはもがきながら手を伸ばし、三人の歩みを邪魔しようとする。

 しかしその手は何も掴めず、ただすり抜けるだけだった。




 ◇




「テルちゃん、莉羅ちゃん、ついでにチビっ子先生。帰って来たみたいね!」

『うん……』


 黒龍の攻撃を避けながら、桜は莉羅からテレパシーを受け取った。


「じゃあドラゴンをっちゃって良いのね! 良いでしょ!」

『うーん……』

「良いのよね!?」

『ううーん……』

「もう。はっきりしてよね、莉羅ちゃん!」


 莉羅は迷っている。 

 出来れば桜には暴れさせず、事態を収拾したかったのだが……百合を救出しても、日本を覆う黒い霧は消えなかった。


 そもそも本来『グロリオサの力』を持っているのは、木彫りの赤ん坊像。

 百合は力の一部を借り、今回はそれが暴走しただけ。

 霧の中から百合を脱出させても、霧自体に影響は無かったのだ。


 莉羅もこの結果を最初から予想してはいたが、「もしかしたら百合を助けるだけで、霧が消えるかもしれない」という万一の可能性に賭けていた。

 でも、やはりダメだった。


「りーらーちゃーん!」

『うううーん……わかった……倒して、いいよ』


 莉羅は渋々了承した。

 何にせよ、桜の力を頼る以外の方法は無いのだ。


「よっしゃー。おいコラ、ち●ぽドラゴーン。ちんドラー」

『ねーちゃん……下品……』

「グロロロロ! グシャアアアッ!」


 龍は大きく口を開け、鋭く真っ黒な牙を見せた。

 そのまま桜を飲み込もうとし……


「あんたと遊ぶのも飽きちゃってたの。バイバイ」

「グガアアアアアア」


 念動力サイコキネシスによる粒子圧縮。

 そして消滅。


 龍――黒い霧は、一瞬で地球上から無くなった。

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