105話 『姉の絶対に倒してはいけないドラゴン退治』

「あー。見てるだけってんも退屈だー。退屈だー」


 大気圏外で腕を組み、さながら女神(自称)のように地球の皆を見守る桜。

 重力がほぼ無い。

 豊満な胸がふよふよと浮き、形を崩す。ちょっと落ち着かない。


 桜は現在、莉羅の、


『今……問題解決中、だから……待ってて、よ……霧のドラゴンを退治とか、しちゃ……ダメー』


 というテレパシーでの言いつけを守り、ただただ待機している。

 あくび混じりに宇宙を漂いながら、地球上の全物質・・・に魔力を供給し、黒い霧から守っていた。


「いつまで待ってりゃいいのよ」


 と呟きつつ、桜は超能力で視力を強化し、千キロメートル離れた地上にいる弟妹の様子を伺った。すると二人は手を握り、何やら瞑想している。

 テルミと莉羅の精神は今、『グロリオサの霧』の中に入っているのだ。

 しかし桜はそれを知る由も無く、「何やってんのよ。二人イチャついちゃって」と唇を尖らせた。


「それにしても、最近は不思議現象ばっか起きてたけど。怪獣や妖怪の次は、ついにドラゴンまで出て来ちゃったかー」


 桜はそう言って、黒い霧の『龍』を見た。

 霧に閉じ込められている怨念達が、怪物を形取ったもの。


 ……その怪物を見ている内に、桜はふとある事を考えた。


 地上には、黒い霧がドーム状に張り巡っている。

 その半球ドームの真ん中から長い首が突き出ており、首の先には龍の頭。

 細い首に対し、下顎部分から先が膨らんでいる。


 その一連の形を纏めて言うなら、『球から長い棒が生え、その先端がプックリ大きい』。


 これは……


「似ている! 男性器に似ているわ! それもテルちゃんが小学生だった頃の、お子様ナニに! よくお風呂でイタズラしたのを思い出すわね!」


 桜は、臆面も無く下品な台詞を口にした。

 もし弟が聞いていたら、説教を受けた事であろう。


「やーい。ち●ぽドラゴーン! あははは」


 と指差して笑っていると、龍の真っ黒な瞳が桜をギロリと睨み付けた。


「あら何よ。聞いてたの? 怒った? 怒った?」

「……グロロロ」


 龍は唸り、首を更に伸ばした。

 成層圏、中間圏、熱圏、外気圏を突き破り、鼻息荒い顔は宇宙空間へ突入。桜のすぐ近くに寄って来た。

 首が伸びた分、日本を包む霧ドームが若干小さくなった……が、すぐにまた膨張していく。


 桜はドラゴンの顔を間近で見た。

 しかし如何せん巨大すぎる。

 遠くから眺めていた時とは違い、龍の全容が全く分からなくなってしまった。

 目前にはただ黒い壁が広がる。おそらくは龍の瞳部分だ。


「近すぎっ! もっと離れてよキモッ」

「ブロロロロ……」


 龍も反省したのか、桜から少し距離を置いた。

 少しと言っても、数百キロメートル単位である。


「ヌロロロロ……」


 龍は改めて桜を睨み付ける。

 対して、当の桜はへらへら笑っていた。

 

「ちん●って言われてそんなに傷付いたの? 見かけによらずナイーブね」

「ガロロロロ……」


 黒い龍は、下品な悪口に怒っているわけではない。

 この巨大な化け物が桜に狙いを定めた理由は、二つある。


 一つ。

 桜が、自分の邪魔をしているから。

 霧に取り込まれた怨念達は、仲間を増やそうと躍起になっている。

 仲間を増やす方法はズバリ、生命や物質を『消す』事。

 しかし桜と莉羅は地球にバリアを張り、霧から守っている。

 霧の龍はその防衛に、特に桜の存在に気付いたのだ。


 二つ。

 単純に、大魔王の力に『惹かれた』から。



「ゴロロロロ!」


 龍は口を大きく開き、桜に襲いかかった。

 一つの国よりも巨大な怪物。全てを消し去る、文字通りの必殺技。

 しかし桜は慌てる事無く、龍を迎えた。

 黒龍の頭が近づくにつれ、先程と同じように敵のディティールが分からなくなる。


 しかし桜は、この土壇場で新しい能力に目覚めた。

 単純な能力だ。惑星を次々滅ぼしていた大魔王なら、当然持っていたであろう能力。


『自分と敵の位置および全容を、俯瞰ふかん的に、三次元的に、捉える事が出来る』


 別の自分が自分を見る、と言った所であろうか。

 とにかく。目では無く頭で、龍の全体像を理解出来た。



「バロロロロ!」

「ちょっとー。さっきから微妙に気になってるんだけどさ」


 桜は、眼前まで龍が近づくのを待ち、


「あんた、グロロロとかゲロロロとか色々唸ってるけども! 何か中途半端だから、鳴き声を統一しなさいよ!」


 というどうでも良い所に怒りながら、龍の下顎に高速移動しアッパーカットを喰らわせた。ちなみにゲロロロは言ってない。


 本来触れる事は出来ぬ霧だが、桜の拳は的確にヒットした。

 以前百合の身体に触れた時と似た理屈だ。

 冷気で空気中の水分を氷結。それを電磁場により霧の粒子と結合。疑似的に『触れる』。

 今回は空気が無いので、電磁場操作だけで粒子を結合させ、実現した。

 桜の力は着実に成長しているのである。


 桜と龍は、ノミと恐竜並の体格差。

 しかし、桜の――大魔王の魔力は桁違い。

 龍の頭は「ズロロロロ」と叫びながら月の方へと吹き飛び、首が途中から千切れてしまった。


「あっヤベッ。うっかり攻撃しちゃった」


 桜は焦り、念力サイコキネシスで龍の頭と首を無理矢理くっ付ける。

 龍はまぶたをパチクリさせ、「ザロロロロ」と吠えた。


「セーフ! まだ生きてる! セーーフっ!」


 桜は野球審判の真似をした。




 ◇




「……怨念の、数が……急に、減った……」


 莉羅がぽつりと呟いた。


「何かあったのですか?」

「うん……ねーちゃんが……」

「姉さんが? ああ……」


 テルミは何となく理由を察し、溜息をついた。


「九蘭先生は無事なのでしょうか」

「大丈夫……セーーフっ……」


 莉羅は野球審判の真似をした。

 そして顔を上げ、道の先を見つめる。


「それに、ほら……見つけた……よ」




 ◇




 ここは、どこだっけ?



 私は……何をしてたんだっけ……

 私は……私は……そうだ。


 ずっと、暗殺者としての訓練を受けてて。

 ずっと、落ちこぼれって邪険にされてて。

 だから家業から逃げようと、教師に……


 違う。違うよ。

 私は先生になりたくて、なったんだ。

 私みたいに裏稼業に就いちゃう子を、少しでも減らしたくて。


 でも先生としても中途半端だったな。

 背伸びしてオトナぶっても、職場で失敗ばかり。


 結局……大切な生徒の目の前で、人を傷つけてしまって。


 怖がられた。

 嫌われた。

 絶対、愛想を尽かされた。


 ヤダ。

 もうヤダ。

 消えてしまいたい。


 どうせ私が消えても、誰も何とも思わないだろ。

 子供みたいだと馬鹿にされてる女が、ひっそりいなくなるだけさ。


 消えたい……

 このまま、消えてしまう……

 霧が、私を消していく……



「先生。先生」



 ……生徒の声がする。


 私も女々しいな。 

 最後の最後に、大事な人の……幻聴か。



「九蘭先生」



 どうして、この子の声が聞こえるんだろう。

 どうして、この子と出会ってしまったんだろう。

 先生と生徒という形で……出会ってしまったんだろう。



「先生。気を確かにしてください」



 ああ、まるで目の前に彼がいるようだ。

 目を開ければ、そこに……



「九蘭先生!」



「…………真奥……くん?」



 どうして、キミがいるんだい?



「先生、無事でしたか……良かった」

「は、はは……何だい真奥くん。そんな、泣きそうな顔をして……」


 ああ。

 私には、まだ想ってくれる人がいたんだな。

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