102話 『姉に動いて欲しくない』

 百合から発生した黒い霧は、凄まじい勢いで膨張していく。

 東京を中心とし、半径約一五○○キロメートルの円状に拡散。

 日本、韓国、北朝鮮の全土を覆い、中国、台湾、ロシアの一部をかすめていた。


 霧は全てを溶かし尽くす。

 だが今は、桜の魔力と莉羅の技術によりバリアを張っているため、被害は出ていない。


 莉羅は「生物だけ。最悪、人間だけしか助けられない」と思っていたのだが、実際は草木のみならず海、川、石、砂、金属やコンクリート等々……つまりは物質全てを守る事が出来ている。

 桜の魔力は、妹の想定以上に成長していたのだ。

 それは今回のケースに於いて好都合なのであるが、莉羅としては不安の一因でもある。


 ともかく桜のおかげで、今の所は皆無事なのだが……


「あと一時間もすれば、子供先生の黒いモヤモヤが地球ぜーんぶを包み込んじゃいそうね」


 そう言った後に桜は、「あーあ。厄介なチビっ子だ」と呟いた。

 現在桜は大気圏外まで飛び跳ね、毒霧の様子を観察中。


「うーん。何だろアレ」


 丸い盆状に広がる毒霧の中心部から、一本のが生え、上空へ立ち昇り始めた。

 その紐の先端が、異形な顔を造形している。

 トカゲやワニにどことなく似ている。巨大な瞳、巨大な鼻、巨大な口、巨大な牙。そして巨大な二本の角。全てを黒で構成しており、表面は鱗状になっていた。

 それは桜も見たことがある、架空の化け物。


「ドラゴン……と言うより、中国の龍に似てるわね」


 真っ黒な龍。

 遥か昔、別の宇宙でグロリオサに消された生物や物質達の怨念……彼らさえもが恐れてやまない、破滅の象徴。


 そして桜は耳が良いので、龍に閉じ込められているも聞こえている。



「グロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサグロリオサ」



『うわーキモッキモッ! ねえねえ莉羅ちゃん。これどーなってんのよ』

『……九蘭百合の、力……グロリオサが、成長して……制御困難に、なった……の』


 テレパシーにて、莉羅が桜に状況を説明した。


『制御困難・・って……まるで、やる気になれば制御出来るって言い方ね?』


 桜は、昔聞いた莉羅の台詞を思い出す。

 グロリオサの真の力が目覚めれば、『制御不能・・』になる……と、言っていたはずだ。


『……九蘭百合の力は、赤ちゃん像から分けられた……グロリオサの、分霊……だから。本当の力を、発揮出来ていない……つまり、まだ制御可能・・……だよ』

『あっそうなんだ。所詮はポンコツ先生って事ね~』

『うん……』


 散々な言われようである。

 しかし実際、百合の力では宇宙の危機とまでは行かないのだ。


『でも……霧の濃度が薄いから、本来の拡散初期速度より……数倍、速い。ある意味、厄介……かも』


 オーサの霧は、まず狭い範囲内を着実に『消して』、徐々に拡散速度を上げていた。

 対して百合の霧は、『溶かす』力こそ不完全な代わりに、最初から国をすっぽり覆う程の広範囲に展開している。


 桜は「ふーん」と、どうでも良さげな顔。

 不完全な力だと分かり、危機感が無くなってしまったのだ。


『まあ遅かろうが早漏だろうが、あたしには関係ないわね。少なくともチビっ子先生のドラゴンは……』


 桜は黒い龍を睨み付け、手をグーにして小指だけを立てる。


『あたしの、指一本動かす程度のにも及ばない……ってね。ふふっ』

『…………』


 自信過剰な桜の言葉を、莉羅は黙って聞いていた。


『やっぱり本当の霧の力を見るには、あのお爺ちゃんと戦うしかないのかなあ?』

『……まあ、それは置いといて……今は、九蘭百合を……どうにか、しないと……ね』

『そうね。そうだったそうだった』


 桜は笑いながら龍を見た。

 龍の首はますます伸び、今や大気圏に突入しようとしている。

 もの悲しそうな黒い瞳が、自分を見た……ような気がしたが、桜は気にも留めなかった。


 そしてテレパシーで無く、口で言い放つ。


「じゃあ、九蘭百合を殺すわね」




 ◇




「……グロリオサの、力に……ねーちゃんが、刺激……されて……る」


 莉羅は目を閉じ眉間を押さえ、考えた。

 以前の桜は「テルミに怒られるから、九蘭百合は殺さない」と言っていたが、その気持ちが薄れている。

 桜に宿る大魔王の力が、心を、脳を、感化しようとしているのだ。


 あまり好ましい傾向では無い。

 ここで『百合を殺す』つまり『弟を無視する』という一つのラインを踏み越えてしまえば、桜はますます不安定になるだろう。


 それに、百合は……


『ねーちゃん……九蘭百合は、今……存在が、不規律になっている……。殺しちゃったら、もう……生き返らない……よ』


 正確には、生き返らせるまでに時間が掛かる。

 そしてその時間は、蘇生可能の『タイムリミット』を越えてしまうのだ。


『あらそうなの? じゃあきちんと殺処分しとけば、再発の心配も無いってワケね』


 桜が冷酷に言い、妹はますます頭を抱えた。


『九蘭百合を、殺したら……にーちゃんに……嫌われちゃう……よ?』

『それも止む無しね。何しろ、世界を救うためなんだから。ふふっ』

『…………』


 桜の言い分も間違いではない。

 百合を殺せば、その他の全ては上手く行く。

 百合以外の犠牲も出ない。

 一番スマートな解決法だ。


 ただ、それを『桜にやらせる』というのが駄目なのだ。

 とは言え、『桜にしかやれない』と言うのも事実。

 つまり、別の解決法を取る必要があるのだが……


 先に待ち受ける『大きな危険』を回避するためには、『小さな危険』を冒さなければならない。


『ねーちゃん……九蘭百合を、殺すの……ちょっとだけ、待ってて……ね』

『え~何でよ? 莉羅ちゃん、おーい』


 莉羅は姉との対話を一時中断し、まぶたを開いた。


「先生! 先生、返事をしてください!」


 黒い霧の発生源――百合が立っていた場所で、テルミが叫んでいる。


「お兄たん! 何か危ないっぽいので、逃げるのれすよ!」


 レンはテルミの服を引っ張り、避難を促している。

 獄悪ごくわる同盟のメンバー達は恐怖の表情で足を震わせながら、テルミとレンを遠巻きで見ていた。

 そして、百合の伯母である九蘭昼子は、早々にどこかへ消えてしまっている。


「先生……先生!」

「お兄たん、事情は知らないんれすが、悪い事言わないから諦めるのれすよ……ん? 莉羅たん?」


 莉羅はレンの肩に手を置き、首を横に振った。

 首振りの意味は分からなかったが、しかしレンは「この場は莉羅に任せた方が良いかも」と思い、場所を譲った。

 莉羅は兄に一歩近づき、背中を指で突く。


「ねえ、にーちゃん……」

「莉羅……先生は、どこへ……?」


 狼狽する兄の目を、妹はしっかり真正面から見つめた。


「……九蘭百合を、生かしたまま・・・・・・……元に、戻したい……?」

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